
潜水艦といえば…

モーニングに「沈黙の艦隊」の連載が始まったのは’83年ごろだっただろうか。
原潜を独立国家とし、軍事力を国家から分離してみせることで、
最終的に国家の否定、世界政府樹立の可能性を示すまでを描いたものだが、
21世紀の日米関係、世界の平和に対する日本のありかたを考えさせるものであり、
国会でとりあげられたことを覚えているひとも多いだろう。
ここで前提となっているのは、原潜が攻撃防御両面で強力な兵器であるということである。
原子炉により長大な航続力と潜航時間を得るとともに、核兵器搭載により圧倒的な攻撃力も有する。
しかし、第2次大戦までの潜水艦(特に日本の)はまさに「悲劇的」なものだった。
’99.10月号のNATIONAL GEOGRAPHICにイ52潜の記事と写真が載っている。
’44年、ドイツに向かう途中の大西洋上で米軍機に撃沈されたものだ。
当時、同盟国だったドイツと日本をむすぶ方法は危険な潜水艦による往復しかなかった。
日本に対して参戦の機会をねらうソ連の上空を通る空路での往復を陸軍が反対したためだが、
計5回試みられた潜水艦による訪独(イ30潜、イ8潜、イ4潜、イ29潜、イ52潜)は、
唯一イ8潜だけが無事帰国を果たしている。
それでも、立ち遅れたレーダー技術とジェット機開発のための資料を得るため、
無謀な挑戦が繰り返された。
その経緯については、吉村昭著「深海の使者」に詳しい。

私と同じ世代(?)で潜水艦といえば思い出すのは、小沢さとるの「サブマリン707」だろう。
少年サンデーに昭和38年から連載されたこのマンガの中でも、
速水艦長が戦争中イ号潜水艦で大西洋に派遣された経験があるとされている。
もちろん、イ51潜がUボートと組んで通商破壊作戦をしたという史実はないのだが、
707のシルエットから見て、そのモデルはイ号潜水艦だろうと思いこんでいた。
当然のことながら、ここで言っているのは「初代707」のことである。

しかし調べて見ると、707に該当しそうな型はなかなかない。
日本における潜水艦の分類(ネーミング)は混乱を極めているが、
できるだけ簡単に整理してみると、初期の潜水艦は
1等(水上排水量千トン以上)
2等(千トン未満5百トン以上)
3等(5百トン未満のもの)
に分けられ、その後、1等が伊号、2等が呂号、3等が波号とされた。
日本の戦時中の潜水艦は「大型多種」が特徴であり、
大型艦であるイ号は、その建造目的によって次のように分類される。
海大型(攻撃型潜水艦) 1型〜7型 2千トンクラス(潜航時排水量。以下同じ)
巡潜型(索敵・偵察用巡洋潜水艦) 1〜3型 2〜3千トンクラス
甲型(巡潜の発展型。旗艦設備をもち、通信機能を強化) 4千トンクラス
乙型(甲型から旗艦設備を除く。甲と同様に水上偵察機搭載) 3千トンクラス
丙型(海大の発展型。攻撃型潜水艦) 3千トンクラス
潜特型(水上攻撃機3機搭載)6千トンクラス。当時世界最大級の潜水艦だった
そのほか、機雷潜(機雷敷設用)、潜補(飛行艇燃料補給用)、潜高(水中高速小型艦)
などがあったが、いずれも707とは異なる。
それもそのはず。資料(朝日ソノラマ刊 SUBMARINE 707 PERFECT GUIDE)によれば、
初代707のモデルは海上自衛隊のSS501「くろしお」だそうだ。
これはアメリカのガトー級(Gato Class)潜水艦「MINGO」を譲り受けたもので、
海自初の潜水艦となった。以後の潜水艦は国産に戻っている。

ガトー級は水中排水量2,391トン
速力20.25kt(水上)、8.75kt(水中)
実用潜航深度91m
確かに艦のシルエットは707によく似ているし
前6門、後4門の魚雷発射管数も同一となっている。
もちろん707は架空のものなので、異なる部分も多い。
ガトー級では127mm(3インチ)砲が最大だったが、707では5インチ砲となっている。
また潜航深度も707は120mであり、これはガトー級の後継であるバラオ級に近い。
しかし最大の違いは、ガトー級ミンゴには海自の強い要望にもかかわらず、
シュノーケルが装備されなかったことだろう。
次PAGEへ…