読者の皆様から
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皆さん、今晩は。
みどりの日のお休みを、如何、お過ごしでいらっしゃいましたでしょうか。
今日は、世間一般的には休日でありましたが、私は、会社の引っ越しで午後から新しい職場となる東中野まで行ってまいりました。
実は、昨日、麹町の事務所で、パッキングと最後の片づけをしている時に、同僚が、石ノ森章太郎新世紀展の招待券(ちなみに、入場料は650円です)を4枚くれまして、本当は、今日、会社の帰りに、ちょうど新宿を通るので、この展覧会を覗いて、「60年代通信HOT
REPORT」ということで報告させていただこうと思っていたのですが、結局、荷解きと片付けで夜の8時くらいまでかかり、展覧会には行けませんでした。
明日、会社の帰りに寄ってこようと思っていますが、明後日には、カミさんの実家の岡山に行ってしまいますので、残り3枚のチケットを、「60年代通信」をご覧いただいている皆様に差し上げようと思い、急遽、そのお知らせをさせていただきたく考えた次第であります。
この展覧会は、全国各地を回った後、今月の24日から、東京の新宿ルミネで開催されているもので、来月の9日までの開催となっております。連休となってしまう関係上、ご希望の方は、5月1日の午前9時までに、下記アドレスへEメールで、ご連絡下さい。
E-mail:kiyomi60@bb.mbn.or.jp
希望される方が少ない場合は、そのまま、送らせていただきますし、希望される方が多い場合は、私の方で、抽選をさせていただいた上で、送らせていただこうと思います。
お名前と送り先の他に、せっかくですので、性別とか生まれ年であるとか、「60年代通信」に対するご意見やご感想などもお聞かせいただけると有難いです。
でも、面倒くさかったら、省略していただいても結構です。書いてないから招待券はあげない、などとセコいことは言いません。
ただ、お名前と送り先だけは、くれぐれも、忘れないでください。
よろしくお願いします。
千葉県市川市・HMさん(40代男性)
1999.04.29 … キング・コングのプラモ(+競馬ゴマ)
市川のMです。
以前送りました「少年」の裏表紙に、“流星号”を作っていた今井科学株式会社から「キングコング2(じろう)」「キングコング3(さぶろう)」などのプラモが出ておりましたので、送ります。
商標権の問題は当時なかったのでしょうか?
地球ゴマの広告もありましたので送ります。
ところで、最新式単線“競馬ゴマ”とありますが、どんなコマだったのでしょうか?
もし、タイガー商会さんにうかがっていたら教えてください。
また、もし地球ゴマ企画を現在製作されているのであれば、この広告をその中にお使いになってください。
主宰者から
1999.04.29
実は、この「競馬ゴマ」も、今回、サンプルとしてお預かりしてきた中に、現物が入っておりますので、特集の中で、もちろん、紹介させていただくつもりです。 これは、要するに、地球ゴマの軸の下の部分が、列車の車輪のような形になっており、広告の図にあるような輪をレールのようにして、地球ゴマが走るもののようですが、今のところ、悲劇的に不器用な私がやると、ぜんぜん、うまくいきません。 恐らく、牧野さんのような方がおやりになれば、上手くいくのではないかと思われるのですが…。
とにかく、早く熟練して、色々なことが出きるようになりたいと思います。
「地球ゴマ」の広告については、私も、2点ほど確保しておりますが、私の確保している広告には「競馬ゴマ」は入っておりませんので、お送りいただいた画像を使わせていただきます。
それから、先日、お送りいただいた「流星号」をモデルカー・レーシングに改造するお話なども、本来であれば、Mさんご自身のホームページでも十分にお使いになれるネタではないかと思われるものを、色々と手を加えた形で、わざわざ、お送りいただき、本当に、恐縮しております。
本来であれば、あのメールを掲載させていただく際に、牧野さんのホームページのことにも言及し、改めて、紹介させていただくべきところだったのに、私が、失念しておりました。
本当に、申し訳ございません。
改めて、紹介させていただきますので、お許しをいただければと思います。
Mさんのホームページ“「くるま村」の少年たち”
http://www.ne.jp/asahi/60srace/models/
それから、ちょっと遅れておりますが、お預かりしているシールやワッペン、バッジ類の関連企画ページも、連休中には、立ち上げようと思っておりますので、よろしくお願いします。
Mさんの「流星号」「今井科学」等の話題に触発されて、当時はやっていた玩具を思い出しました。
こんにちは。
早速、お褒めのお言葉を頂戴し、恐縮です。
私の60年代は、なんといっても、「中原 弓彦ー小林 信彦」です。
市川のMです。
ところで、プラモデルの話題が出たところで、鈴木さんがおっしゃっていた“流星号”についての面白い記事が見つかりましたので送ります。
(記事内容)
当時、“流星号”は、今井科学株式会社で発売されており、スケール的には、32分の1スケール相当だったと思われます。
最近、思い出したのですが、1968年頃、TBSラジオで深夜版ラジオマンガなる放送をご記憶の方がいらっしゃいましたら、情報をお教え下さい。
いつも楽しく拝見しています。
いやー、次々と手詰まりだった話題が解決すると、気持ちが良いなぁ(^.^)。
以前から、お話していました「ぼくら」ですが、ついに、本の山から発掘成功しました(って、そんな大した事じゃないんですけれど^_^;)
鈴木様、 お化け煙突の話題、とてもなつかしく拝見しました。
鈴木様
その節は、楽しゅうございました(ありがとうございました)。
『少年』は兄と弟が買っていたので、私にも想い出深い雑誌です。
いきなり、ウルトラローカルな話で、すいません(-_-;)
大分県大分市・YMさん(男性)
1999.04.29 … 懐かしいおもちゃ「水中モーター」、そしてマブチモーター
みなさん、マブチの「水中モーター」を覚えていますか?
その名の通り、水中で動くモーターで、
@モーター
A電池ケース
Bスクリュー/舵
C吸盤
がひとつになっていて、ちょっとした小型の潜水艦、あるいは魚雷のような形をしたものでした。
電池ケースの部分を45度くらい回転させると、スイッチが入ってスクリューが回りだすようになっていました。
通常の市販品は、本体がブルーで電池ケースが白でしたが、他のプラモデルに付属していたものは、本体が赤だったのを記憶しています。
価格は確か、200円だったと思います。
それを、私がよく行っていた玩具屋では160円で売っていて、それを買って遊んだ記憶があります。
モーターは、マブチのRE14と同じものだったと記憶しています。
また、電池は単3が一本だけ入るようになっていました。
この水中モーターを例えばプラモデルの船の底に吸盤であたかも小判鮫のように(かえってわかりにくい例かな?)はりつけると、簡単に走らせることができるわけです。
その気になれば、石鹸箱や洗面器の底につけてお風呂で遊んだりもできました。
その後、ハンドルを回すと発電されて、それでプラモを動かす「ゼネコン」(いま考えると、ずいぶんと悪い響きがしますが。ひょっとして「ジェネコン」だったかも:当時500円位)というのも発売されたりしましたが、やはり「水中モーター」のヒットには遠く及ばなかったようです。
ちなみに、直流モーターというのは、原理的に、軸を回すと発電機にもなります。
その「ゼネコン」には、たしかRE36というモーターが発電機として流用されていたと思います。
当時、マブチのモーターは、プラモデル(特にタミヤが主流だった)には独占的に使われており、REシリーズのモーターは安価な作りが売りだったと思います。
これには、小さいものから、RE12(これは特殊で、シャフトが両側に出ていた)、RE14、RE26、RE36、RE56があったと思います。
もう一つのシリーズもあり、そちらは同等の性能でも少し高かったと記憶しています。
たしか、RE14は当時80円くらいでしたから、水中モーターは、かなり頑張ってコストダウンしていたと評していいでしょう。
この水中モーターは、今でも発売されているのでしょうか?
私が子供のころ、プラモデルを作っては、それらにマブチのモーターを取り付けていたのですが、実際には、それらのモーターを分解したりして遊んでいた時間の方が長かったような気がします。
そのような幼少時代を過ごした私は、長じてエンジニアとなってしまいました。
主宰者から
1999.04.29
「水中モーター」には、私も苦い思い出があり、私にとっては、ある意味で、「60年代のオモチャ」を象徴する忘れがたい存在でありまして、「60年代のオモチャ」のコーナーを作った当初から、必ず、紹介させていただこうと思っていたアイテムでした。
すでに、かなり早い段階から、当時の「水中モーター」が当たる懸賞などの画像も用意してありますので、近いうちに、「60年代のオモチャ・お菓子」のコーナーで取り上げさせていただこうと思います。
いつも書かせていただいている通り、私は悲劇的に不器用な子供でしたので、艦船のプラモデルなどを作った場合、外枠は、完成予想図と程遠い形であっても何とか出来たとしても、モーターからシャフトを通じてスクリューに回転を伝えるというような構造がきちんと機能するように作ることは至難の状況でありましたから、スイッチを入れるだけでスクリューが回る完成品であり、船底に吸盤で装着するだけでよかった「水中モーター」の登場は、まさしく、“福音”そのものでありました。
満を持して「水中モーター」を購入したのが小学校5年の晩秋くらいのことでありまして、早速、学校のプールに行って、プラモデルの艦船(残念ながら何だったか覚えていませんが…)の底に真新しい水中モータを装着し、さすがに25メートル・プールの縦断には危険を感じたので、とりあえず、13メートルの距離ですむ横断に挑戦することにしました。
しかし、私が感じた危険は杞憂ではなかったのであります。
私の手を離れたプラモデルの船は、進むにつれて潜水をはじめ、プールの中ほどに至って水底に姿を消してしまったのであります。
浅いところで浮かべればよかったのに、プールの中ほどで横断を試みたため、深さも1メートル以上あるような場所であり、夏休みから数ヶ月が経ったプールは、縁の方では水藻が付着するまでになっており、視界も30センチときかないほどに濁っていたため、どの辺に沈んでしまったのか、見当もつかない状況となってしまいました。
童話ではありませんから、水中モーター付きの船を持った女神が現われ、「あなたの船はこの金色の船ですか」などと聞いてくれるわけもなく、私は、厳しい現実を前に、ただ呆然とプールサイドに立ち尽くすのみだったのであります。
翌年の夏、プール開きを前に、プールの清掃をするのが6年生の役割でしたから、プール清掃の当日、私は、真っ先に水中モーター付きのプラモデルの船が沈んだ辺りに行って探してみましたが、プラモデルの船も水中モーターも、すでに、跡形もありませんでした。
いまだに、あのプラモデルの船と水中モーターは、一体、何処に行ってしまったのだろう、と自問を繰り返すほど、私にとっては、忘れがたい出来事となっております。
「水中モーター」は、そういう悲しい思い出とともに、忘れられない存在として、私の記憶に強烈に刻まれている60年代グッズなのであります。
蛞蝓なめちゃん(40代男性)
1999.04.28 … 「地球ゴマ」予告編 拝見しました
「地球ゴマ」の予告編、拝見しました。
主宰者さんの行動力には、ただただ、頭が下がるばかりです。
本編を楽しみにさせていただきます。
主宰者から
1999.04.28
今回の名古屋出張で、タイガー商会さんをお訪ねすることが出来たのも、蛞蝓なめちゃんさんに、朝日新聞の記事を教えていただいたからでありまして、本当にありがとうございました。
岩手県・TKさん(男性)
1999.04.28 … 始めまして
山桜満開の岩手山中より。
TK
主宰者から
1999.04.28
せっかくメールを頂いたのに、申し訳ございませんが、小林信彦さんは、ほとんど、読ませていただいたことがなく、60年代との関わりということでは、中原弓彦さん時代に脚本を書かれた「進め!ジャガーズ敵前上陸」くらいしか存じ上げておりません。
「60年代通信」を主宰させていただいている私のような人間にも分かり易い「中原弓彦〜小林信彦」論などをお聞かせいただけたら、ありがたいと思うのですが…。
千葉県市川市・HMさん(40代男性)1999.04.26
… 流星号!(+地球ゴマ)
地球ゴマの特集は、実に興味深く読ませていただきました。
当時、“地球ゴマ”で遊んだものとしては、感激に値する内容でした。
そして、まだ現役として製作されているということですから、なにか功労賞を国から差し上げてもいいんではないかなどと思ってしまうのですが…。
これは、1965年頃の「少年ブック」か「少年」に掲載されていたもので(はっきりしないのが非常に悔しいのですが・・・)、“流星号”を当時爆発的なブームとなっていた“モデルカー・レーシング”に改造する企画でした。
鈴木さんが言うように、“かおるさん”が“ジェッターくん”の横に乗っていることが写真で分かります。
この手の企画物は、大体小学校5〜6年を対象にしていたのでしょうが、改造度は、小学生の技術範囲をはるかに超えているのがほとんでありました。
よって、私などもトライするのですが、まともに出来た覚えがありませんでした。
“今井の流星号をレーサーに”
*君にだけそっと教える、流星号をレーサーに改造する方法!!
*用意するもの・シャーシにする0.6mm板金 巾1cm、長さ30cm・32分の1スケールのホイールとタイヤー4個・ガイドシュー―1個・平網銅線ー2個・2ミリビスー6本・32分の1スケールシャフトー2本・クラウン・ギヤ―1個
*作り方 図を良く見ながら作れば、君の流星号が、サーキットをカッコよく走るよ!
流星号をぺンチやキリで、2のようにしてから、板金で3のシャーシーを作る。
モーターはFT−16を、組みこめるように、シャーシーのはばをきめる。そして針金でしっかりとしばること。
タイヤやホイールは、今井のレーシングカー(32分の1)のをつかおう。
前輪と、後輪の間は63ミリにまた、前輪のタイヤとタイヤの間は34ミリ、後輪のタイヤとタイヤの間は39ミリにするよう、よく注意しよう。
寸法がちがうと、タイヤがうまくまわらないよ。
この作りかたをおぼえれば、ほかのプラモも改造して、ドリーム(夢の)カーが、作れるようになる。
たとえば、サブマリン707なんかも、改造してごらん。かっこいいよ!
最近、(4〜5年前?!)再販されたのですが、私は買いそびれてしまいました。
この記事内容は、今、見ても、ほとんど小学生では製作不可能な方法が、平然と書かれております(私の経験からいって器用な生徒でも中学3年から、高校生でなければ出来ないと思います)。
特に、最後の“サブマリン707”をレーサーにすることは、まず潜水艦のスタイルからして不可能ですが、当時の私は、真剣に考えていたと記憶しております。
しかし、いずれにしても“夢”を与えてくれた記事であったと思います。
またまた、長くなってしまいました。どうぞお許し下さい。
では、今後も楽しい企画、楽しみにしています。
主宰者から
1999.04.26
タイムリーかつ貴重な情報をありがとうございます。
多分、今回、お送り頂いた画像のようなプラモデルだったのではないかと思います。
プラモデル自体は、実際に走行するような作りのものではなく、単なる飾りのようなものだったように記憶しています。
…というお返事メールを出してから、記事の広告をよく見たら、「ゴム動力で地上を…」「スクリューで水上を…」という風に書いてありますので、やっぱり、飾るだけじゃなくて、動くものだったような気もしてきました。
いい加減な記憶で、すみません。
値段は、確かに、150円程度だった記憶があります。
タイムトンネルのプラモデルも、確かい、150円くらいでした。
kem81さん
1999.04.26 … 深夜版ラジオマンガ
確か劇団”未来劇場”の出演、ナレーションは小島一慶、孫悟空・片目のダルタニアン・オデッセイ等が有ったと思うのですが。
KMさん(男性)
1999.04.26 … ジャイアントゴリラ(+地球ゴマ)
以前、地球ゴマの情報をいただいた者です。
今回の地球ゴマ特集、たいへん興味深く読ませていただきました。
さて、お尋ねの「ジャイアントゴリラ」の件ですが、当初は「キングコング」の商品名で発売しようとしていたところ、著作権のからみでこの名称が使えなくなり、しかたなく「ジャイアントゴリラ」とした、と聞いたことがあります。
ですから、テレビ番組等とは関係ないと思われます。
情報源は、やはりここのような昔の玩具を特集しているホームページ、あるいは特撮系のホームページであったと記憶していますが、ブックマークしていなかったので明確に提示はできません。
ごめんなさい。
昨日の「知ってるつもり」でジャイアント馬場さんが特集されていましたね。
私はプロレスは門外漢ですが、馬場さんが亡くなったと聞いた時、自宅の隣のマンションがいきなり更地になってしまったような、普段、それほど意識はしていなかったのだけれども、当然あるべきモノがなくなってしまった喪失感を感じました。
やはり60年代の子供達にとって、プロレスとジャイアント馬場は同義語だったのですね。
三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性)
1999.04.24 … おお!丸愛ですな
ちなみに、セサミ様の書いておられました丸愛のCMソング、記憶があいまいな部分ですが、
アナタノ家ノ ニオイ ニポンノ ニオイ コレ ハナカツオノ ニオイネ
でした(歌っていたのは、中村メイコさんです)。
さて・・セサミ様が書いていた資料を買いに行くとしましょう・・
稲葉小僧
三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性)
1999.04.24 … ようやく、本の山から「ぼくら」発見!
今回、そちらへお持ちした「少年ブック」や「少年画報」とは、ちょいと時代がズレていて、1969年8月号でした。
藤子不二雄「べラボー」なんて、まだ復刻もされてなかったんですよね(なぜだろう?原稿が無いのかな?)。
読み返していて、ちょいと気がついたのが、掲載広告でした。
今じゃ、懐かしい「今井科学」のプラモデル!
ゼンマイで動く「カミキリ虫」「クワガタ虫」「カブト虫」なんて、よく作りました。
そして、今じゃプレミア物の「スズキフロンテss360」「マツダファミリアロータリークーペ」「ホンダN360」「スバルヤングss」等の車のプラモデル!
いやー、作っては壊していたものです(走らせ方が荒っぽかったので、すぐ壊していたのです)。
今ではガンプラ(ガンダムプラモの事です。ちなみに私はMGシリーズしか作らないのですが)くらいしか作りたい物がないので、寂しいですが、また機会があったら、懐かしいプラモの復刻版を探して、作ってみようと思っています。
稲葉小僧
城山ブブルさん(40代男性)
1999.04.23 … お化け煙突
当時、千住緑町にあった我が家の二階のぼくの部屋の窓からは、四本に見えました。
千住という場所は蛇行する隅田川と荒川放水路にほぼ四方を囲まれた島 のような所で、千住火力発電所は荒川沿いに、我が家は隅田川沿いにありました。
当時、京成電車の町屋駅と千住大橋駅の間の隅田川にかかった鉄橋の所で、三本から四本に変わったことをはっきりと覚えています。
なにしろ、台東区の小学校 に越境入学させられていたために、毎日、電車の窓からながめていましたから。
それから、私の記憶が正しければ、次の「関屋」駅付近で二本になっていたと思いますが、「千住大橋」で降りていたので乗り越したときしかチャンスがなく、記憶がはっきりしません。
京成からは、残念ながら一本に見える位置はなかったと思いますが、自転車で確かめに行ったことがありました。
原理は、すでに、他の方が指摘されているとおりで、一本の時はやや太くなってしまうため、少しがっかりした記憶があります。
ただし、二本や三本の時は、完璧に重なる位置だったせいか、まったく違和感はありませんでした。
城山ブブル(昭和29年生まれ、男)
主宰者から
1999.04.23
実際に、お化け煙突を日常的な風景としてご覧になられていた方の、リアルタイムの経験談は貴重なものだと思います。
本当に、ありがとうございます。
こういうリアリティに溢れたメールを頂戴すると、先日、HIさんが教えてくださった「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の「おばけ煙突が消えた日」のコマも、是非、一緒に紹介させていただきたいと思うわけでありますが、「こち亀」の場合、さすがに現在進行形の作品でありますので、連載されている『少年ジャンプ』のホームページのWebmasterの方を通じて、引用のお許しをいただけるものかどうか、問い合わせをさせていただいております。
引用の許可が頂けない場合、この「おばけ煙突」のイメージを確認されたい方は、ジャンプコミックスの「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の第59巻をご覧いただければと思います。
セサミさん(女性)
1999.04.23 … 「名古屋牛乳」のCMについて
お久しぶりです。
今日は、稲葉小僧さんの「名古屋牛乳」のCMソングについて、私も、名古屋出身の一人として、話題に参加させていただきたく、これを書いています。
KKベストセラーズ・ワニ文庫の「ニッポン不思議発見2 まっぺん!名古屋の謎だぎゃあ」(すごいタイトルですが)に、この名古屋牛乳のことが書いてあります。
それによりますと、稲葉小僧さんが書かれていた「シャチのマークの・・」の方が1番、「まきばの牛から・・」の方が2番になります。
作詞は服部績夫氏、唄は超ハスキーボイスの吉田直子さんだそうです。
名古屋は他にも懐かしのCMソングがあって、たとえば
ぼーくの隣のおばさんは アメリカ帰りのおばさんでー
変な言葉で言うんだよ Oh アナタノ家のニオイ ニホンノニオイ
コレ ハナカツオ ノ カオリネ(この辺アイマイです)
そうだよ マルアイハナカツオ 栄養タップゥリネ
という花かつおの(株)丸愛も名古屋の企業です。
それから、鈴木様が名古屋でごらんになった大名古屋ビルにも
大名古屋ビル 北の店ー
お好み食堂『松坂(だったかな?)』はー
とんかつ すきやき てんぷらとー
とってもおいしいお店ですー
というのがありました。
知ってる人は知っているという、超ローカルですみません。
セサミ
主宰者から
1999.04.23
昨晩、名古屋から東京に戻ってまいりました。
大名古屋ビルというのは、東京で言えば、丸ビルのような位置付けのビルだったのかなという気がしました。
特に、私が名古屋に着いた日曜日には、夜の8時頃に地下の飲食街を歩きましたが、お店のほとんどは閉まっておりました。
すでに、往時の面影は偲ぶべくもないような雰囲気もありましたけれども、全盛期には、きっと大変な賑わいだったのかなと感じたりもしました。
東京に帰る前に、ちょっと時間が取れましたので、先日、話題になった「地球ゴマ」を作っている千種区のタイガー商会にお伺いして、色々とお話をお聞かせいただくこともできました。
また、「60年代通信」の企画ページとして紹介させていただこうと思っておりますので、よろしくお願いします。
三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性)
1999.04.23 … あ・・主宰者様、その漫画は・・
ところで、なんとかター坊とは、ムロタニツネ象「わんぱくター坊」ではないでしょうか。
私の蔵書の中にありました(虫コミックス、昭和45年11月30日発行の初版本です。定価は、なんと240円)。
山根赤鬼、青鬼といえば、私は「でこちん」ですね。
あの、どこか突き抜けたようなギャグは、今読んでも面白いと思います(あ、なるへそ君という作品もあったなぁ・・)。
今回は完全に「遠い目」モードになっています、稲葉小僧
主宰者から
1999.04.23
こちらこそ、ありがとうございました。
さて、私が書かせていいただいた「神田のター坊だったかナントカ坊」というのは、「よたろうくん」に出てくるキャラクターのつもりだったのですが、稲葉小僧さんに、また、他の作品を想起していただくきっかけになったのであれば、それはそれでよかったのではないかと思います。
では、また、よろしくお願いします。
神奈川県葉山町・祝進さん(男性)
1999.04.21 … 『少年』
兄が買い始めたのが昭和30年頃で、弟が36年頃に引き継いで、40年頃まで買っていたので、10年の間つきあっていたことになります。
話題に上っていなかったものに「がんばれガン太山」「だるまくん」等があります。
これは少し年代が古いのだと思います。
寺田ヒロオの「もうれつ先生」も、『少年』だったのではないかと思います。
私は『冒険王』の「イガグリくん」が好きで、その後、『少年クラブ』の「月光仮面」にくら替えし、時たま『ぼくら』を買ってみたり、兄が『野球少年』を買っているときは、『少年』を買ってみたりと、浮気ものでした。
でも、『少年画報』や『おもしろブック』、『痛快ブック』、『日の丸』等は買ったことがありません。
山根赤鬼、青鬼という兄弟漫画家がいて、「よたろうくん」というギャグ漫画がありました。
この双六は未だに持っています。
祝 進
主宰者から
1999.04.21
私は、山根赤鬼・青鬼さんの「よたろうくん」が大好きでありました。
神田のター坊だったかナントカ坊というのも出てきていたと記憶しております。
「天才バカボン」が出てくるまでは、私の中で、突き抜けたナンセンス・ギャグ・マンガとしては、最高峰に位置しておりました。
「ナガシマくん」とか「ポテト大将」なんかも、ほのぼのとした生活ギャグマンガというような意味合いでは、当然、それなりの位置を占めていた作品だったのでしょうが、赤塚不二夫にしても、「おそ松くん」までは、その域を超えることはなかったように思います。
そういう流れを考えると、「よたろうくん」というのは、もっともっと、高く評価されて然るべき作品だったのではないかと思います。
昭和50年代に入ってから、ジョージ秋山が『少年チャンピオン』に「花のよたろう」という作品を書いていたのをご存じでしょうか。
この作品は、ちょうど、生活ギャグマンガとナンセンス・ギャグ・マンガの中間に位置するような感じで、両方の要素を持ち合わせていたような気がしますが、これも、私の好きなマンガでした。
私は、タイトルが似ていたこともあり、この作品を読むたびに、「よたろうくん」を思い出しておりました。
その「よたろうくん」のすごろくをお持ちになっていらっしゃるというのが、羨ましくて仕方ありません。
三重県桑名市・稲葉小僧さん(40代男性)
1999.04.21 … 心に引っかかっていた「名古屋牛乳のCMソング」ですが
以前に、東海地方で放送されていたCMの「名古屋牛乳」の、歌詞が判明しましたので、お知らせいたします(って、何人の方がわかるやら^_^;)
えー、これには2つのバージョンがある事がわかりまして、歌詞がそれぞれ違っています。
バージョンA
『とても、とても、おいしいの、
名古屋牛乳飲んでるの!
牧場の牛からしぼりたて〜
だからとってもおいしいの
名古屋牛乳飲んでるの!』
バージョンB
『いつもいっつも飲んでるの、
名古屋牛乳飲んでるの!
鯱のマークの牛乳を、
うちじゅうみんな飲んでるの
名古屋牛乳飲んでるの!』
と、いう事です。
いやー、持つべきものは同じ趣味を持つ友人ですな(これは、その友人が教えてくれました。2つともです)。
ようやく疑問が解けて嬉しい、稲葉小僧
主宰者から
1999.04.21
今回、いただいた名古屋牛乳のCMソングですが、私の元同僚で、やはり、子供時代を名古屋で過ごして、たしか、このCMソングを気にしていた人間がおりますので、私の使っているPCが変わったため、メール・アドレスが分からず、すぐに転送はできませんが、東京に戻ったら、アドレスを確認して、必ず、直接、転送するようにします。
ちなみに、稲葉小僧さんとは、昨日の夜、名古屋でお会いすることができまして、膨大な蔵書の中から、その一部を、お貸しいただきましたので、何れ、貴重な資料として、「60年代通信」で紹介させていただこうと思っております。
皆様、お楽しみに。
“「60年代通信」掲示板”(http://www64.tcup.com/6405/kiyomi60.html)
を開設いたしましたので、ご活用ください。よろしくお願いします。
「読者の皆様からの暖かい励ましのお便りコーナー」
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