2009-11-17
■聖伝ミサ嘆願書
http://rorate-caeli.blogspot.com/2009/11/urgent-appeal-signatures-needed-for.html
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/ _ノ ヽ、_ \
/ o゚⌒ ⌒゚o \ 今日もシュレッダー行きの手紙を書く仕事が始まるお
| (__人__) |
\ ` ⌒´ /
http://rorate-caeli.blogspot.com/2009/11/traditional-reservoir-and-french.html
日本ではだめぽorz
2009-11-16
■断絶なんか無いもんと語る人
電脳空間の巡回昨日が拾った所を読んで。
2009-11-15 | 典礼暦
通常典礼では来週の王であるキリストの祭日をもって今年も終わり、特別典礼では来週の聖霊降臨後第24主日をもって終わります。特別典礼では今週の主日は移動祝祭日の調整で御公現後第六主日の典礼が適用されます。しかし、入祭文と昇階誦、奉献文に聖霊降臨後第23主日の典文が使われており味わい深いものがあります。聖座の教える通り、新旧いずれの典礼も母なる教会の精神は同じことを教導しています。
とても違和感を感じた。
王が最後に来て今年もおしまいと言う事はキリストの王権は地上に及ばないとでも言いたいのでは無いかと思う。
「クアス・プリマスQuas Primas」
諸聖人の祝日との関係も考えればおかしいと思うのに。
王としてキリストがいるといけないから廃位されたのではないでしょうか。
信教の自由や現代世界憲章が王としてのキリストを廃位してしまったのではないでしょうか。
こういう事を言う人はきっと現代世界憲章もエキュメニズムも保守して歴代教皇の荘厳な宣言をすみっこにおいやってお前なんか知らないと拒絶宣言をしてトリエントミサを望むなんて。
2009-11-15 via rorate caeli
■お腹いっぱい
写真に移すなんて野暮な事は。
心にとどめて
Tuesday, June 30, 2009
CORRECTED: Pontifical Masses and Upcoming Ordinations
1) From our friends in Messainlatino comes news of the following ordinations and Pontifical liturgies:
June 30, 2009, Commemoration of St. Paul – In the ICRSP seminary in Gricigliano: Low Pontifical Mass by Msgr. John Basil Meeking, Bishop Emeritus of Christchurch, NZ, with conferment of tonsure and minor orders on seminarians
July 1, 2009, Feast of the Precious Blood of Our Lord, -- In the ICRSP seminary in Gricigliano: Solemn Pontifical Mass by Bishop John Basil Meeking, with ordinations to the subdiaconate and diaconate.
July 2, 2009, Feast of the Visitation of the Blessed Virgin Mary – in the Church of Santi Michele e Gaetano in Florence, at 9:30 A.M: Solemn Pontifical Mass by Archbishop Raymond Burke, during which he will ordain three new priests, including the Japanese Raphael Katsayuki Ueda. (I believe that he is the first ICRSP priest from Asia -- CAP)
July 2, 2009, at 6:00 P.M., in the ICRSP seminary in Gricigliano: Pontifical Vespers and Te Deum presided over by Msgr. Giuseppe Betori, Archbishop of Florence, in the presence of Archbishop Raymond Burke, Bishop Salvatore Cordileone of Oakland, and Bishop John Basil Meeking.
http://rorate-caeli.blogspot.com/2009/06/pontifical-masses-and-upcoming.html
過去の記事より
2009-11-13
■旧約と新約の司祭職に
旧約の司祭は「レビ人」という聖別された部族に属し,特別な身分を有しいて,神のわざを皆に思い起こさせ,トーラを守り,神殿を中心に生け贄を捧げる役割を持っていたが,新約になるとその身分が廃止され,ヘブライ人への手紙によれば,イエスだけがご自分の死によって,唯一の生け贄,唯一の仲介者,唯一の司祭となっている。
又,神の民全体はこのイエスの祭司職に与るとされている。教会の教えとなったこの神学的な背景から考えて,現に「司祭」と呼ばれている教会の主任などは,具体的にどんな役割,どんな身分,どんな位置づけがあるだろうか。
もちろんそれについて本はいっぱいあるが,神学者の意見はかならずしも一致していないので,いろいろ検討する必要があろう。 神学だけが問題ではなく,歴史から出て来る疑問は少なくない。最初の司祭は一体誰のことだったろうか。イエスに呼びかけられ,イエスに派遣された12人の使徒(apostolos=派遣された者)のことだったろうか。
しかし彼らの職務を根拠づけるのは,祭司職ではなく,従う呼びかけと福音宣教への派遣だけのように思われる。その後,初代教会の組織化が進むに連れて,共同体のまとめ役が必要となり,そのため,後に日本語で「司祭」と訳された「長老」(プレスビテリィ=英語のpriest)と「司教」と訳された「監督者」(episcopos=bishop)と「助祭」と訳された「奉仕者」(ディアコノス=deacon)が選ばれた。
それでも彼らは結婚していて,家庭をもち,世俗に生きていた。12世紀から司祭職に修道生活が重なり,司祭は従順と貞潔の誓願を誓い,世俗から隔離された聖なる域に属する存在とされ,「聖職者」と呼ばれるようになった。
第1章 新約の司祭職の制定
1764(957)いけにえと司祭職とは天主の計画によって結ばれており、旧約と新約の両時代に常に存在した。新約において、カトリック教会は主の制定によって聖体の可見的いけにえが与えられたのであるから、その教会に新しい可見的、外的司祭職があることを認めなければならない(第1条)。こうして旧約の司祭職はこの新しい司祭職に変ったのである(ヘブライ7・12以下参照)。この司祭職は私たちの救い主によって制定され(第3条)、使徒とその後継者に、この司祭職によって、その体と血とを聖別し、ささげそして授ける権能と、罪を赦しあるいはつなぐ権能を与えた。このことは聖書に示されており、カトリック教会の伝承も常にそのように教えている(第1条)。
1771(961)1条。新約においては、可見的、外的司祭職はないとか;主の真の体と血とを聖別し奉献する権能、罪を解きまたはつなぐ権能はなく;福音を説く職務と奉仕だけがあるとか、説教をしない者は司祭ではないとか言う者は排斥される(DzS1764、1767参照)。
第1章 ミサ聖祭の制定について
1739(938)使徒パウロによれば、旧約時代にはレビ族の司祭職は完全なものでなかったため、慈悲深い父である天主の計画によって、メルキセデクの位にひとしい他の司祭を立てる必要があった(創世記14・18;詩編109・4;ヘブライ7・11)。それがすなわち、私たちの主イエズス・キリストであって、キリストは「聖化すべきすべての人々を完全なもの」(ヘブライ10・14)にすることができた。
1740私たちの天主であり、主であるキリストは、十字架の祭壇の上で死に、「一度で永久に」(ヘブライ10・14)父である天主に自分をささげて、救いのわざを完成した。しかしキリストの司祭職は死によって消去るものではなかったので(ヘブライ7・24、27)、敵の手に渡される夜(1コリント11・13)、最後の晩さんにおいて、自分の愛する花嫁である教会に目に見える供え物を残したのである(人間のためにはこれが必要であった)(第1条)。この供え物によって、十字架上で一度血を流してささげたものが表わされ、その記憶が世の終りまで続き(1コリント11・23以下)、その救いの力によってわれわれが毎日犯す罪が赦されるのである。キリストは「メルキセデクの位にひとしい永遠の司祭」(詩編109・4)であると宣言して、自分の体と血をパンとブドー酒の形色のもとに父である天主にささげた。そして、使徒たちを新約の司祭として制定し、パンとブドー酒の形色のもとに拝領するように自分の体と血を与えた。使徒たちとその後継者たる司祭職に、「私の記念としてこれを行え」(ルカ22・19;1コリント11・24)という言葉で、それをささげるように命じた。これはカトリック教会が常に理解し、教えてきたことである(第2条)。
2009-11-12
■司祭の定義
巻頭言・・・教会誌「こころ」より
明日の司祭?
教会誌「こころ」2009年11月号より
協力司祭 オリビエ・シェガレ 神父
09年6月19日から10年6月19日まで教皇ベネディクト16世は特別年として「司祭年」を開催することを発表した。それにあたって,聖職者省のHummes枢機卿は全教会宛てのメッセージの中で「司祭年は建設的で前向きの一年になるに違いありません。教会は司祭を誇りにし,愛し,尊敬し,賞賛すると同時に彼らの司牧的働きと生活の証しに感謝しています」と前向きの姿勢を求めた。それはもちろん大切なことだが,司祭のアイデンティティに絡んでいる現実的な問題とも取り組む姿勢が必要だろうと私は思う。それは小教区の中の司祭の位置づけの問題,司祭の高齢化,司祭召命の減少,司祭を辞めた方々の扱い,マスメディアによく取り上げられている独身性と女性司祭の可能性の問題。さらにキリストの祭司職に与ると言われている信徒と司祭の関係の問題。私はけっしてこれらの問題について出来上がった答えを持っていないが,どれもタブー視せずに,皆と話し合って考える一年になればと心から願います。 現代司祭に関する問題は感情論や護教論だけではけっして解決されないと信じている。聖書と教会の教えの根本に立ち返り,「司祭」という概念の歴史的な形成と変遷をじっくり検討する必要がある。 わたしたちの出発点はいうまでもなくイエスの望みだ。イエスはどんな司祭を望まれただろうか。答えはけっして簡単ではない。福音書のイエスは祭司的な姿は確かに示唆されているものの,ご自分のことを一度も祭司と自称していない。他の新約聖書にはヘブライ人への手紙以外に「司祭」という言葉はどこにも出ていない。イエスは明らかに旧約の司祭階級の復興を望まれていなかった。旧約の司祭は「レビ人」という聖別された部族に属し,特別な身分を有しいて,神のわざを皆に思い起こさせ,トーラを守り,神殿を中心に生け贄を捧げる役割を持っていたが,新約になるとその身分が廃止され,ヘブライ人への手紙によれば,イエスだけがご自分の死によって,唯一の生け贄,唯一の仲介者,唯一の司祭となっている。又,神の民全体はこのイエスの祭司職に与るとされている。教会の教えとなったこの神学的な背景から考えて,現に「司祭」と呼ばれている教会の主任などは,具体的にどんな役割,どんな身分,どんな位置づけがあるだろうか。もちろんそれについて本はいっぱいあるが,神学者の意見はかならずしも一致していないので,いろいろ検討する必要があろう。 神学だけが問題ではなく,歴史から出て来る疑問は少なくない。最初の司祭は一体誰のことだったろうか。イエスに呼びかけられ,イエスに派遣された12人の使徒(apostolos=派遣された者)のことだったろうか。しかし彼らの職務を根拠づけるのは,祭司職ではなく,従う呼びかけと福音宣教への派遣だけのように思われる。その後,初代教会の組織化が進むに連れて,共同体のまとめ役が必要となり,そのため,後に日本語で「司祭」と訳された「長老」(プレスビテリィ=英語のpriest)と「司教」と訳された「監督者」(episcopos=bishop)と「助祭」と訳された「奉仕者」(ディアコノス=deacon)が選ばれた。日本語に問題があるのではなかろうか。正しい訳であっても「長老」はどういう経緯で「司祭」というふうに呼ばれるようになったのか。教会の中で位階制度が形成されはじめたときに,長老は,使徒の後継者とされた「監督者」の下に働かされ,「司祭」という身分は彼らに与えられたと思うが,聖書学者の意見は一致していないので確かなことがわからない。 歴史が先に進み,長老=司祭たちに旧約の司祭像が重なったせいだろうか,ともかく司教の指導の下に「司祭」の職務はミサの儀式を行い,み言葉を教会の教えに照らして「信徒」に説明し,司牧するというものとなった。それでも彼らは結婚していて,家庭をもち,世俗に生きていた。12世紀から司祭職に修道生活が重なり,司祭は従順と貞潔の誓願を誓い,世俗から隔離された聖なる域に属する存在とされ,「聖職者」と呼ばれるようになった。そしてトレント公会議の後,高い教育を受けるようになった司祭は,「学識のある者」(clerici=英語のclergy)と呼ばれ,貴族に次ぐ高い身分が認められ,学問を独占するようになった。しかし近代化とともに,教養市民の登場に伴い,その特権がどんどん認められなくなり,司祭は宗教の世界に閉じ篭り,信心と儀式の人となった。司祭年に当って教皇からモデルとして司祭に提示されているアルスのヨハネ・ビアンネはこの時代において司祭の理想像とされた。 19世紀になると司祭の宗教的な存在は膨らむ一方で,教え,司牧,宣教,管理,会計までに手を広げ,信徒は全てにおいて司祭に任せていて,献金と従順だけが求められるようになった。第二公会議の後,司祭は信徒に協力してもらい,司祭館から出て,人と共に生き,福音を伝える人,祭儀よりも生き方の証しを大切にする人として理解は大きく変わった。それは叙階の時の私自身の理解であったが,最近,公会議の教えの誤解であったという批判があり,再び「司祭」のアイデンティティが強調され,多くの司祭は司祭館に閉じ篭る傾向があり,司祭は小教区の管理者というイメージが強くなったような気がする。 こうして,長い歴史の間,様々な司祭の理想像や理解が出て来たが,現代において,キリストの司祭のあり方に対する望みは一体何であろうか。これから先,明日の司祭はどうあるべきだろうか,この問題は教会の活性化にかかるものだろう。司祭年の今年こそ,教会の教えに照らし合わせながら,皆と一緒に話し合い,自分なりの理解を深めていきたいと思っている。
12世紀から司祭職に修道生活が重なり,司祭は従順と貞潔の誓願を誓い,世俗から隔離された聖なる域に属する存在とされ,「聖職者」と呼ばれるようになった。
むむむ
http://www.azabu-catholic.org/index2.html
ピオ10世会の4司教の破門の無効宣言が出た時もウイリアムソン司教様の発言や、ルフェーヴル大司教様についてお小言を書いていた記憶があります。
魚拓を取り忘れたので亡失
今月の魚拓
http://s03.megalodon.jp/2009-1112-1713-25/www.azabu-catholic.org/kokoro/
「講演集 第二バチカン公会議と私たちの歩む道」(サンパウロ刊1998)39Pより引用
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この主義の運動は、第二バチカン公会議や現代世界憲章を拒否したル・フェーブル司教
が始めたものです。この司教を私は個人的に存じ上げています。神学生のに司教の講話
を聞いたことがあります。とても良い方なのですが、フランスの右翼に利用されて、そ
のような運動に走ってしまったように思われます。
「公会議後に現れた、迷い、動揺、組織の崩壊は第二バチカン公会議の責任」と糾弾し
始めたのです。「公会議は世俗化を肯定し過ぎ、教会の権威、教会のアイデンティティ
を著しく損なった」と批判しました。この運動はヨーロッパでは、超右翼とつながり、
外国からの出稼ぎ労働者を排斥する運動とつながって、どんどん強まっていきました。
発言者=オリビエ・シェガレ
パリ外国宣教会司祭。フランスに生まれ、1968年に来日、札幌教区司祭、
真生会館・学生カトリックセンター指導司祭、香港カトリック学生連盟指導司祭、
東京教区志村教会主任司祭を経て95年からカトリック社会問題研究所所長。
97年から真生会館館長兼務。
ヒント カトリック社会問題研究所所長 真生会館館長