2010年01月18日

江川卓氏は読売の犠牲者

小林繁氏が急逝されました。やはり、マスコミは「江川事件」との関わりを中心に報道しています。



 

 改めて読んでみると読売の邪悪さを思い知らされます。「最後のパレード」事件では、読売新聞は2ちゃんねらーにだまされるという大失態を犯しても反省もしていません。私からの「質問状」にも回答しません。すべての読売の「邪道への道」は江川事件から始まった、私はそう考えます。  


私は、読売新聞の犠牲者になりましたが、江川卓氏も犠牲者であると考えるに至りました。長嶋茂雄氏も「悪いことをした」と語っています。江川氏も謝罪していますが、江川事件で江川氏を悪者にしてしまった読売が最も悔い改めるべきであると私は考えます。

 

私は、江川氏を責める(苦しめる)ことは悪であると主張します。死んでも「読売にやられた」と言えない江川氏の胸中が、私には手に取るように分かります。

 

東京新聞の12月28日夕刊、放射線「メディアバッシング」より



 佐藤優 作家・元外務省主任分析官



 <引用開始>

メディアバッシングの苦しさは、それを受けた人にしかわからない。だから筆者は(小沢一郎氏の秘書を務めた石川知裕衆議院議員)石川氏と頻繁に連絡を取るようにしている。


 

「佐藤さん、僕が水谷建設から5千万円のカネを受け取り猫ばばするなんて絶対にありません。何で事実じゃない報道が次々でるんですか。早く楽になりたい。不謹慎ですが、飛行機に乗るたびに事故で落ちないかなと思うんです。そうすれば無垢のままで死ぬことができる。」

 

自殺した松岡利勝農相も筆者に同じことを言っていた。

<引用終了>

http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13605209.html

 



今朝のスーパーモーニングで鳥越俊太郎氏は、「秘書は小細工をしたのでは」とコメントされていました。そうだとすると、恩師の小沢一郎幹事長を窮地に追い詰める原因をつくってしまったことになり、「死にたい」と考えるに至るのは理解できます。

 


江川氏も同じです。小林繁氏の早すぎる死を「自分が原因」と考えると自分を「無垢」にしたくなる可能性もでてきます。私もそうですが、この心境は、絶対に事件の当事者にしか分からないことなのです。

 

私はこのブログで何回もこの公式を紹介しています。

 

現在 − 過去 =ゼロ →→ 前向き

 

過去は決して変えられませんが、現在の自分は変えられます。それは自分の「過去」を「引き算」することです。過去の「悪い自分」を悔改めることにより、人は赦されていいのです。いや、赦されなくてはいけないのです。

 


「読売的エゴイズム容認主義者」は、人の過去に「ケチをつける」ことしか考えていません。悔改めなくてはいけません。そして、江川卓氏を読売の犠牲者と位置づけ、氏を支援しなくてはなりません。それが読売信者の罪滅ぼしなのです。

 

故小林繁氏は享年57歳、私や江川氏より3歳年上の方でした。

 

私たちの罪を神様の御子であられるイエス・キリストがすべて負って十字架で死んでくださったから、私たちは、過去を振り返らず前だけを見て生きていくことを許されるのです。 

私には、小林繁氏は江川卓氏に「前だけを見て生きなさい」と言っているに違いないと確信しています。 

この私のメッセージをなんとかして江川氏に届けたい、そう思います。 


最後に、昨年12月16日の私のブログ記事「身の危険を感じます」を紹介しておきます。私もいつ死ぬか分かりません。この記事はそう思って記録したものです。 


<開始>

読売新聞の報道以前には、「帰り道、1人で無事に帰れると思うなよ。」と脅迫されたこともあります。 


私は常に身の危険を感じなくてはならない生活に陥りました。東村山の匿名テロリストの特異性を何にも知らない読売新聞の門間記者が私にしたことは、私たち家族の生活をめちゃくちゃにしたことでした。門間記者は、私からの電話には「ガチャン」と切ります。「コンプライアンスに関する部門を教えて欲しい」という要請にも応じません。これが日本の大新聞である読売新聞の実態です。 



私は、今でも家の前に車が止まると「読売か」とドキっとすることがあります。世の中にマスコミによる張り込みほど恐ろしいことはない、私はそう思いますし、タイガー・ウッズもそう思っているに違いないでしょう。 



今日、この記事を書いたのはほかでもありません。私が消されたら喜ぶ人間が大勢いることを皆さんに知ってもらいたいからです。そして、この東村山市の「事実」を警察やマスコミに情報提供して欲しいと願うからです。 



私が、読売新聞を批判し続ける理由は、読売新聞は友愛社会づくりの「抵抗勢力」であり、読売的エゴイズム容認主義は友愛の敵であるからです。友愛は読売新聞のように、相手を負かすためなら何をやってもいい、という思想を否定します。友愛社会が実現した場合、読売新聞が生き残っていけるのか、甚だ疑問に思います。

<終了>

http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13595944.html