三上英次

 オリンパス株式会社(以下「オリンパス」と略す)をめぐる内部通報と報復的な配置転換をめぐる裁判―――この裁判のきっかけは、ごく些細なこと、即ち誰もが日常で経験するようなことだ。自分の上司が、取り引き先企業から複数の社員を引き抜こうとしているのを、部下のオリンパス社員浜田正晴氏が知ることから、この“事件”は始まる(07年4月~)。
 
 不正競争防止法やオリンパスの企業行動憲章などに抵触するのではないかと疑問に思った浜田氏は、まず直接の上司(オリンパスIMS事業部長)に相談する。ところが、そうした相談が、IMS事業部長の逆鱗にふれ、強い非難の言葉を投げかけられたり、発言を封じられたりした。
 
 これまで上司を信頼して仕事をして来た浜田氏は、そのような上司の態度を逆に不審に思い、同社のコンプライアンス窓口に相談する。ところが、この相談が、コンプライアンス室長の手違いから、上司や人事部長らに伝えられてしまい、そこから報復的人事、すなわち、「部長付」という特異なポストが新設され、社内の誰とも口がきけない状態で、監視役の上司らからは密室の“面談”で「おまえ」呼ばわりで罵倒される生活が始まったのである。
 
 浜田氏は2008年2月の提訴以来、くり返し次のように語っている――。
 「こんなことでは、コンプライアンス窓口が設けられていても、仕返しや報復が怖くて誰も相談できなくなる」
 

 1月15日、開廷の1時間前に地下鉄霞ヶ関駅A1出口から上がると、まっさきに目に飛び込んで来たのが、報道陣のカメラの放列であった。この日は朝7時台のNHKニュースでも、「内部通報に対する報復的な配置転換の無効を求める裁判の判決が下されること」が報じられ、傍聴席にはニュースを見てやって来たという男性の姿もあった。

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地下鉄「霞ヶ関」駅から地上に出ると、開廷1時間前にすでにご覧のようなテレビカメラの放列が待ち構えていた。(撮影・三上英次 以下同じ)


 裁判が行われる631法廷は、10数席の記者席が設けられ、開廷前にはテレビカメラも入り、傍聴席最前列には、運送業界のカルテルを1974年に告発した串岡弘昭氏や、警察の裏金を現職警官として初めて明らかにした仙波敏郎氏も座った。傍聴席がほぼ満席の中、定刻の13時10分、田中一隆裁判官が入廷した。
 
 2分間のテレビ撮影のあと、田中裁判官は顔を紅潮させたまま、判決文を読み上げる。
 
 「原告の請求をいずれも棄却する」
 「訴訟費用は原告の負担とする」
 
 そのまま田中裁判官は、起立して一礼、扉の向こうに消えた。その間、およそ10秒程度――、記者の横、岡山県から4時間かけて駆けつけた原告・浜田氏の高校時代の友人などは、まさに「息を飲む」ような状態であっけに取られていた。

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提訴から判決にいたる経緯を説明する浜田氏。右奥は串岡弘昭氏、左は仙波敏郎氏。3氏は15日、司法記者クラブでの記者会見で「公益通報者が守られる社会を!ネットワーク」の発足を発表した。


 この裁判で浜田氏の待遇で検討すべきは、次のような点だ。
 
 (1) この事件の発端となった、取引先企業からの社員引き抜き計画について、2007年8月8日にオリンパスの取締役が関西まで出向いて謝罪していること
 
 (2) コンプライアンス室長が、浜田氏の氏名を、浜田氏の上司や人事部長にまでメールで明かしてしまい、そのことについて後日、コンプライアンス室長から浜田氏に謝罪があったこと
 
 (3) 部長付きへの異動発令の4ケ月前(2007年4月)に、上司のIMS事業部長自身が、浜田氏の管理職への昇格申請書を記入し、そこに『営業や販売促進の分野での活躍を期待する』ということが書かれていること
 
 (4) オリンパスの社員(管理職を除く)約5700名の中で、「部長付」という実質的な業務内容の無い特異なポストについているのは、異動の2007年10月の時点では浜田氏しかおらず、2009年5月の段階でも、浜田氏以外に2名しかいないこと
 
 (5) 1999年からオリンパスアメリカに駐在した浜田氏は、2001年度にはオリンパスアメリカでの公式売上達成率No1としての表彰も受けるほど、営業マンとして抜群の能力を有していること
 
 
 (1)については、判決文で「現時点においてすら、被告会社に対し、○○○○○〔注・取引先企業名〕から、従業員の転職について会社として正式な抗議があったことを示す証拠は全くない。」(P34)等と、的はずれのことを書いている。前述の通り、07年8月にオリンパスの取締役が相手方企業に出向いて謝罪しているのであるから、その後に抗議が無いのは、「取引先企業に対しては、オリンパスは絶対的に優位な立場にある」(関係者)以上、当然である。
 
 (2)判決で、田中裁判官は、「原告は、古田〔注・コンプライアンス室長〕が、通報者の氏名は社規則極秘扱いされているにもかかわらず、被告依田〔注・IMS事業部長〕及び被告会社人事部長古閑(こが)に配信したことについて、謝罪したと主張するが採用できない」(P28)、「『今回の通報は、通報者とその内容を人事部及び職制に開示することについて承諾を得た上で、具体的な経過を確認いたしました。』とされており、原告の承諾があったことを前提としている。」(P36)等と述べ、特にP36の書き方は、被告オリンパスが言ったままを事実としてすべて認めるような言い回しである。
 
 (3)について、上司のIMS事業部長自身が、浜田氏の管理職への昇格申請書(キャリアプラン)を書いているにもかかわらず、直後に「部長付」ポストに異動させたことも、田中裁判官は「キャリアプランの記載内容の位置づけは不明確であること」を述べ、次のように書いている。「これらを考えると、キャリアプランの記載自体を根拠に被告会社に労働契約上の義務を認めることはできない」 これもほぼ被告オリンパス側の主張を踏襲したものである(判決文P20)。
 
 さらに(4)(5)については、それらの事実が、原告からの陳述書や証人尋問で明らかになっているのに、判決文では、一顧(いっこ)だにされていない。
 
 そして、「本件配転命令による原告の不利益は、賞与減額についての原告主張を前提としても、わずかなものであり、本件配転命令が報復目的とは容易に認定しがたい」(P33)として、浜田氏のコンプライアンス室への通報を公益通報者保護法で保護すべきものとして認めず(P35)、冒頭の「原告の請求棄却」を導いている。
 

 この〈オリンパス裁判〉は、2006年4月の「公益通報者保護法」施行後初めての司法判断ということで、産業界、法曹界も含めて大きな関心を集めたが、実は、今回の裁判の極めて特異な点は、たび重なる「裁判の延期」だ。
 
 昨年5月に、オリンパスの関係者らへの集中証拠調べ(尋問)が行なわれたあと、裁判期日は、7月29日から9月11日へ、さらに、9月11日から10月7日へと延期され、その間10数回から20回近くもの、和解のための話し合いが行われていた。その席で、どのようなことが話し合われたのか――、その内容について、原告・浜田氏は15日午後の判決集会で初めて語った。それについては、また稿を改めて詳述する。


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