【必死なだ】がむばれNダ先生【八王子の×い人】

Nダ先生掲示板とブログにいろいろ突っ込み入れます。ついに創価認定されちゃいましたよーん。

師匠(導師=グル)に依らない修行は危険らしい

2010-01-17 23:31:08 | 日々の突っ込み
あたくしがなだっちの「悟り」について疑問に思うのはわけがあって、けっこう親しい友人がやはり仏教系の修行をして「悟りを開いた」と誇らしげに言い放ったことがあったからなのです。
なんとなく憎いじゃないですか。
それであーだこーだと猛烈に突っ込んだりいじくったりしたわけなのね。
そんなことがあったから、友人の「悟り」のことはともかくとして、なだっちの修行はずいぶんと安直なものに思えるのです。
安直というより、その友人の修行の方法論からすると、かなり危険なものらしい。
師匠の指導のもとに、きちんとした段階を踏んだり、師匠の認証を受けながら進めたとしても、発狂することが多々あると言っていたのでした。
そういえば、なだっちは以前に、どこかに書いたものだったか、それとも講演(トーク?)の採録だったか忘れたのだけれど、こんなこと言ったか書いたかしてましたよね。
「前衛映画をつくりましたと言って、ただめちゃくちゃに撮ったものを、ただめちゃくちゃにつないだものが見られるが、そんなものは「めちゃくちゃなだけの映画」であって、少しも前衛ではない。前衛は、過去にあったスタイルを壊すことで成り立つが、そのためには過去にあったスタイルを知ることが必要だ。つまり素養なくして前衛的表現は成り立たない」
たぶんこんなこと言ったか書いたかしていましたよね。
仏教の修行だって同じだとあたくしは思う。
ムダなこと、ただ形式だけのこともあるだろうけれど、それこそ釈迦の解脱からいままでのあいだに積み重ねられてきた方法論を無視することはできないと思いますよ。
なのになだっちの「悟りへの方法論」はきわめて自己流ですよね。実験映画に関して言ったか書いたかしたことと、禅の修行の方法とが一致していません。
なだっちが実験映画について言ったか書いたかしたことをそのまま当てはめれば、なだっちの悟りは「めちゃくちゃ」なものじゃないの?
そしてあたくしの友人が言っていた「危険」ってこと、なだっちのこの一年をヲチしていて、なんとなくわかるような気がしています。うん、そういうことなのかも、って。
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

なだっちの「悟りを開いた」は自称ですよね

2010-01-16 23:42:18 | 日々の突っ込み
新年会に参加した、なだっち認定するところの「超美人のMさん」のブログには、今もってなだっちのことは記述されてませんね。だからあたくしの方では「このブログの人でーす」と指摘するのはやめときます。なだっちのことが言及されないということは、彼女はなだっちとは妄想を共有する関係にない、ということだと思うので。
ちなみに、彼女の被害妄想はなだっちのように創価一辺倒ではなくて、糸井重里や茂木健一郎などに自分の思考が「盗聴」されているというものなのね。有名人関連妄想というタイプです。
Mさんのことはこのくらいにしましょう。
なだっちの「悟り」についていくつか言いたいことがあるので、そのことを書いていきます。
なだっちが本当に悟りを開いた人であると信じている人、いますか? たぶんいらっしゃらないと思うので、その真偽を問うことはしないことにしましょう。そもそも悟りを開いたなんて、はっきりとした鑑定基準があるわけではないから、自己申告みたいなものです。
とは言うものの、それではマズイのは明白ですから、仏教では「悟り/解脱は師匠の認定が必要」とされているようです。ま、そりゃそうですよね。野放しにしたら、誰かさんみたいな人ばかりになってしまう。
そのことはなだっちも気づいているようで、どうやら、なだっち的にはこのあたりのことは僧侶であり作家である玄侑宗久さんに「認定された」と思っているようです。
でも玄侑宗久さんとはメールでちょっとやりとりしただけ。さらに「見性体験記」を送ってみたものの、返事はなかったようです。
これではとても「師匠から悟りを開いたと認定された」という要件は満たしません。やはり「自称」であるというしかないのです。
コメント (4) | トラックバック (0) | goo

「明日から禁煙」を時候の挨拶にしてたことも

2010-01-15 23:43:40 | 日々の突っ込み
「『創価は潰れます』は時候の挨拶みたいなもの」と三羽の雀さんにも書かれてしまいましたね。
なんでこうも繰り返し「創価は潰れます(潰れてます)」と書くのでしょう。どうもあたくしにはその精神構造が理解できません。願望であって、確たる根拠は何もないわけですから。
時候の挨拶と言えば、なだっちはずいぶん前に「明日から禁煙します」という文言を毎日書いていたことがあったね。
ほんとうに毎日のように書いていて、それでもちろん今でも禁煙などできていないわけですが、その頃は宣言を守れないうしろめたさがあったものだから、
「ああ、私の意志は紙のようにぺらぺらです」と嘆いていたものでした。
「悟りを開いた」と言い出したあとにも、言わなきゃいいのに「悟りを開いたからには、もう禁煙なんてすぐできます」なんて書いていましたよね。「できるわけないだろうに」と思って読んでいたものです。
言っていることがまるでできない。
それを「意志が弱くて」と言い訳しているうちはいいのだけれど、ぜんぶ「創価の妨害により」ということにしてしまえばボクチンには責任ないからね、という思考回路になってしまったのでしょうか?
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

なだっち、勝手なコピペは不可よっ

2010-01-14 23:37:02 | 日々の突っ込み
なだっち、ブログの方の更新がないけれど、もしかしてTINさんのコメントに答えるのがいやで逃亡気分?
それはそうと、十牛図の説明でも自分のことばで書くことなく、どこか京都のお寺のサイトにあった文をコピペして、引用先を明示しないのですけれど、それで思い出したことがあります。
なだっち、東京工芸大で授業していた頃だから、2年前になるかと思うけれど、学生のうち何人か、コピペだけで構成されたレポートを提出したやつがいて、そいつらは「不可」にしたと書いていましたよね。
でも自分じしんがリンク先を明示しないで勝手にコピペしてるじゃない。だらしない学生さんを批判する資格ないでしょ。というか、そういう学生さんとなだっちは同じレベルってことよ。
ということで、なだっちは「不可」。
でもこれまで書いてきた論文や原稿には、引用先、参考文献は明示しているわけですよね。だとしたら、なだっち、ブログや掲示板での書き込みをナメてませんか?
コメント (0) | トラックバック (0) | goo

なだっち、原稿書けたの?

2010-01-13 23:13:57 | 日々の突っ込み
Nダ先生の記事で不動産屋の「小僧」に「なだっち」と呼ばれて憤慨している記述を読んでからというもの、あたくしの脳内では「先生」と書きながら「なだっち」と変換されるようになってしまいました。
なので、このブログもようやく発見めされたようで、記念にこれからは「なだっち」と書かせていただきます。
さて、なだっち、岩波書店から出される本への執筆依頼が来たことを威張っています。けれど12日が原稿締め切りじゃないですか。だいじょうぶ? これもまた30分で書くの? いえいえ、書く気ないのかも。
まあ、東京工芸大の授業を毎回遅刻したなだっちですから、これまた「本当の締め切り」まで放置する気なのでしょうかね。
しかし原稿依頼した人たちはなだっちのこの間の変遷を知らないでしょう。
「映像研究なんて男子一生の仕事ではありません」と宣言しちゃったり、早稲田大学時代の師匠である岩本先生を、こともあろうに弟子の方から「破門」宣言しちゃったり、多少なりともお世話になったはずの東京工芸大学について「ろくな教師はいません」と断言しちゃったり。
あたくしはヲチ先をいじることはしません。しかし世の中にはおせっかいな人もいますから、岩波書店の担当編集者(メアドまでスキャンしちゃってます)とか、京都大学の教授先生(京都大学は教授のアドレスが公開されているはず)や四方田犬彦氏(たしか明治学院大学で先生しているはず)にチクったら、なだっち、またひとつ世間が狭くなるよ。自慢するのはべつにかまわないけれど、そういうふうな防衛手段も考えておいた方がいいと思うけどな。
ま、しかしやはりあたくしも「創価」認定ですか。やれやれ。
「法律知識ゼロ」って、ほかの人ならともかく、なだっちだけには言われたくないセリフだわ。
コメント (2) | トラックバック (0) | goo