小林繁さん死去の報を受け、取材に応じる江川卓さん=越田省吾撮影
2007年9月、テレビCMで共演した江川氏と握手する小林繁さん(左)
マウンドで細い体をしならせ、帽子を飛ばす熱投でファンを魅了した小林繁さんが17日、亡くなった。サイドスローで、足を上げた後に重心をぐっと低くする独特の投球モーション。甘いマスクで女性ファンも多かった。
1976、77年は巨人のリーグ連覇に貢献し、エースとして活躍していた。しかし、江川卓投手のプロ入りにからむ「空白の1日」といわれる騒動のあおりをうけ、79年から阪神へ。突然の移籍通告にも、小林さんは「阪神に請われて行くのだから、同情してほしくない」ときっぱり言い切った。当時、監督だった長嶋茂雄氏は17日、「正直に言うと、阪神へトレードになったことは残念な思いでいっぱいです。現場の監督として悪いことをしてしまったという気持ちがいまだに残っています」とコメントした。
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江川卓氏は17日夜、東京都内の日本テレビで取材に応じた。うっすらと涙を浮かべ、突然の訃報(ふほう)に「残念です」と繰り返した。「空白の1日」を「つい最近のことのように思い出される」と振り返った。
江川さんは1979年に巨人入りして以来、その年に小林さんがあげた最多勝の22勝を目標にしてきた、という。「抜かなきゃと思っていたが、結局、抜けなかった」。プロ2年目に初めて投げ合い、勝利投手に。「前日から負けるわけにはいかないと思っていた。一生のうち、絶対に負けられない試合が2、3試合ある中の、一つだった。勝つことで、恩返しができたのかなと思った」と語った。江川氏との一問一答は次の通り。
――訃報(ふほう)に接したのは、いつ、どのように。
「夕方、新聞社の方から電話があり、『小林さんが亡くなられた』と。それが最初です」
――どういう気持ちに。
「突然だったのでびっくりしたというのが最初で、それから次々、電話をいただいたので、本当にそういう事実があったんだと、びっくりした」
――小林さんとの思い出は色々とあったのか。
「ドラフトの件があったので、その時のことがつい最近のことのように感じまして。突然亡くなり、すごく残念です」
――CMで共演もされた。
「お互い大変だったなという言葉をかけていただいて、ホッとしたのを覚えている」
――共演以来の付き合いは。
「共演で、お互いの意識が分かり合えた感じがしたので、それ以来、お会いしていない」
――今後、付き合いが続くと期待していたのでは。
「今年、1軍投手コーチになったので、球場に行ってお会いするんだろうなと思っていた。教えるのが好きな方で、そういう話もできたので、すごく残念」
――どういう存在だった。
「阪神に行かれて22勝された。すごい方が阪神に行かれて、頑張られたので、いつか超えなきゃいけないなという思いでプレーしていた」
――小林さんへメッセージを。
「入団の時から、小林さんの成績を抜かなきゃと思ってやってきましたが、結局は抜けなかった。小林さんは実績を残され、気持ちの面がすごく強い方だったので、そういうものを伝えていきたい」