ここ数年、夏になると、蓼科山を望む高台の家にもろさわようこさんを訪ねる。
望月出身の女性史研究家。84歳のいまも、自らの生き方を重ねな
がら女性の解放を追い求める、情熱の人である。
<「壁」を取り払う>
もろさわさんの口癖は「男と女のあり方が、基本になるのよ」。その意味するところはこうだ。
男の女に対する態度、女の男に対する態度が、その人の人権意識を測るものさしになる。
「立派なことを言っていても、生活のなかでそう行動していなくては、その志はまことのものではないのよ」
耳が痛い。でも、その通りと思う。夫婦、家族、職場−。日常のふるまい、身近な人間関係ほど、地金が出るものだ。
鳩山政権が、結婚や家族をめぐる法律、制度の見直しを始めている。家庭のかたち、男女のあり方はどう変わっていくのか。じっくり見守りたい。
配偶者控除の廃止も、その一つだ。賛否はおそらく分かれる。実現すれば、女性の働き方が変わることは間違いない。
働く者にとって、収入が増えるのはうれしいことだ。
でも、それを必ずしも喜べない人たちがいる。パートで働く主婦である。収入が増えないよう、仕事をセーブしている人が少なくない。働きたくても休む日もある。
なぜか。「103万円の壁」があるからだ。夫が所得税の配偶者控除を受けるとき、妻のパート収入の上限になる。
結果的にではあるけれど、企業がこの制度を補強してきた。多くの会社が、家族手当を支給する基準を、この「103万円」に合わせている。
配偶者控除は、外で働く夫を家庭で支える妻の「内助の功」に報いる意味合いがある。
半面、結婚後の女性の働き方をパート労働へと誘導し、経済的、社会的に弱い立場にとどめてきたことも事実だ。
「103万円」のために、働き方が縛られる−。どうにもすっきりしない。こんな線引きは、なくした方がいい。
<多様なかたちへ>
ただ、“壁”はほかにもある。こちらの方が、超えるのは難しいかもしれない。
長野市に、換気扇や水回りの掃除などの家事代行サービスをしている会社がある。
社長以外は全員、女性。パート勤務の主婦が主力だ。「103万円」以内で働く人もいる。
会社の業績は伸びている。仕事ぶりを見れば、それもうなずける。きめ細かでチームワークがいい。プロ意識が伝わってくる。
彼女たちに聞いてみた。もしも配偶者控除がなくなったら、もっと働こうと思いますか−。
答えはいずれも、ノー。「仕事を休めなくなると困る」から。彼女たちの夫はサラリーマン。子どもが風邪をひいても、夫は会社を休めない。休むのは、いつも「お母さん」である。
「103万円の壁」がなくなれば働き方の幅は広がる。でも、家事や育児に夫がかかわらなければ、妻の負担と責任が増すだけだ。ためらうのも無理はない。
つまり、妻の働き方の問題を考えていくと、行き着く先は夫の働き方になる。
政府は、子育て中の女性が働きやすいよう、保育サービスを拡充していく考えだ。
それも大事だけれど、もう一つ、忘れずに力を入れてほしいことがある。男性も、女性も、幼い子をもつ親が早く家に帰れる職場環境を整えることだ。
子育てに限らない。介護のために仕事を辞めざるを得ない独身の男性が少なくない。
核家族化が進むなか、長時間労働に代表される「男の働き方」だけでは、家族のさまざまな局面に対応しきれなくなっている。
問われているのは、労働のかたちそのもの。その多様化に本気で取り組まなくてはならない。
簡単ではない。制度や仕組みだけでなく、意識を変えるには、かなりの時間がかかる。
政府はもちろん、企業も、働く一人ひとりにも努力が求められる。足元から変わってこそ、ほんものである。
<肝心なのは足元>
昨年の秋、隣県の女子高校に招かれ、生徒たちに本の話をする機会があった。
終わった後の座談会。記者の仕事のこと、女性記者の働き方−。将来のことを考え始めているのだろう、「仕事」にかかわる質問を多く受けた。
彼女たちが働き始めるころ、どんな社会になっているだろう。「女だから」「男だから」といった先入観が取り払われ、さまざまな可能性が開かれているといい。
そのために、前を歩く女性たちがしてきたように、自分の立っている場所で、できることを一つひとつ積み重ね、手渡していく。それが大事なのだと思う。