小林繁氏死去 江川事件で阪神移籍

昭和56年6月30日対巨人戦、帽子を飛ばして力投する阪神時代の小林繁氏
昭和56年6月30日対巨人戦、帽子を飛ばして力投する阪神時代の小林繁氏

 1978年11月、巨人が浪人中の江川卓投手と野球協約を無視して入団契約を交わし、プロ野球界を揺るがす騒動に発展した「江川事件」で、交換要員として巨人から阪神に移籍した現日本ハムの小林繁投手コーチが17日午前11時、心不全のため福井市内の病院で死去した。57歳。鳥取県出身。葬儀・告別式は20日正午から福井市松本4の8の7、千福寺りんどうホールで。喪主は妻静子さん。

 小林氏は鳥取・由良育英高から全大丸を経て72年に巨人入り。76、77年にはともに18勝(8敗)を挙げて長嶋茂雄監督率いるチームのリーグ連覇に貢献した。江川事件の際には当時の金子鋭コミッショナーの「強い要望」で阪神に電撃移籍し、1年目の79年には巨人戦の8連勝を含む22勝(9敗)を挙げて最多勝を獲得した。

 77、79年には沢村賞に選出された。83年、13勝を挙げながら現役を引退。通算成績は実働11年で139勝95敗、17セーブ、防御率3・18。引退後は、近鉄、日本ハムでコーチを務めた。

(2010年1月17日)

関連写真

昭和56年6月30日対巨人戦、帽子を飛ばして力投する阪神時代の小林繁氏
 巨人時代、中日を完封し15勝目をあげた小林繁=1977(昭和52)年9月22日、ナゴヤ球場
1979年1月31日、江川との交換で阪神へのトレードを通告され、会見する小林繁氏=読売新聞本社
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 2001年6月27日 日本ハム対近鉄 マウンドでボールを受け取る近鉄・小林コーチ(左)
 10年1月16日、「日本ハム商品展示会」に出席した小林繁さん
 巨人─阪神14 大量点を背にゆうゆう完投勝利を飾った阪神・小林繁=1983(昭和58)年6月30日、後楽園球場 (多重露出)
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