大石彩未さんが書いた張り紙=1995年2月1日、神戸市東灘区、箕浦太一郎さん撮影
「張り紙で誰かが温かい気持ちになってくれたことがうれしい」と話す大石彩未さん=2009年12月、京都市左京区、矢木写す
被災地を訪れた当時小学2年生の大石彩未さん(左)と弟の広行さん=1995年1月21日、神戸市東灘区、大石さん提供
地震から4日後、被災地に入った。兵庫県西宮市から西へ向かって、目的地を決めずに国道2号を歩いた。道路は裂け、電柱が倒れている。辺りに連なるブルーシート。10キロほど歩き、約1200人が避難する神戸市東灘区の小学校に着いた。物資を渡し、トイレ掃除などを手伝った。
家路につく前、大石さんはリュックから張り紙を取り出し、周辺の被災した家々に張って回った。父も手伝ってくれた。
結局、張り紙を見た人からの電話はなかった。「幼心に、何もできなかったという思いが残りました」。それでも、あの時の体験は貴重なものになった。
大学で演劇を学ぶ大石さんは2年ほど前から、テレビドラマや映画に出演するようになった。俳優を目指したのは、震災ボランティアのように人を勇気づけ、明るい気持ちになってもらいたいとの思いがあったからだ。
今月初め、張り紙の写真を撮影した箕浦さんに礼状を送った。「俳優は見ている人に希望や何かを考えるきっかけを作ることができる。張り紙は私の原点です」とつづった。(矢木隆晴)