大石彩未さんが書いた張り紙=1995年2月1日、神戸市東灘区、箕浦太一郎さん撮影
「張り紙で誰かが温かい気持ちになってくれたことがうれしい」と話す大石彩未さん=2009年12月、京都市左京区、矢木写す
被災地を訪れた当時小学2年生の大石彩未さん(左)と弟の広行さん=1995年1月21日、神戸市東灘区、大石さん提供
1995年の冬。がれきの積み重なる街に、手書きの張り紙があった。「地しんでお家(うち)をなくしたお友だち」へ――。阪神・淡路大震災の発生から17日で15年。張り紙を作った少女のメッセージは、いまも人々の心の中のささやかなともしびとなっている。
被災直後の神戸市東灘区。倒壊した民家の前に、かわいらしい文字の張り紙があった。
「地しんでお家(うち)をなくしたお友だち しばらくの間 わたしの家に来て下さい。京都市立葵(あおい)小学校2年 大石彩未(あやみ)」
自宅の電話番号も書かれていた。通りかかった保育園理事長の箕浦(みのうら)太一郎さん(74)=神戸市垂水区=は心を打たれ、思わずカメラのシャッターを切った。「こんな小さな女の子が何とかして困った人を助けたいと思っている」。昨年、震災にまつわる思い出の写真を募集した朝日新聞に寄せた。
23歳になった大石さんはいま、京都造形芸術大学の3年生。「人の心を楽しくさせたいと思ったんですね」。張り紙を15年ぶりに写真で見て、そう振り返った。
あの朝、いつものようにそろそろ起きようかという時、揺れが襲った。自宅がある京都市東山区は震度5だった。しばらくしてテレビに映し出された激震地の映像に驚いた。
大学教授の父は学生と一緒に救援物資を持って神戸へ向かう計画を立てた。ついていくことになった大石さんは、自分にできることはないか考えた。
テレビニュースは避難所の体育館に身を寄せる子どもたちの姿を伝えていた。「地震でつらい目にあったお友達をぎゅっと抱きしめてあげたいな」。張り紙作りを思いつき、幼稚園時代の仲良しからもらった宝物の色鉛筆を取り出した。1文字ずつ色を変えて数枚を仕上げた。大好きだったリカちゃんの写真も添えた。