2006年01月05日

ディズニーランドの「こころ温まる話」

明けましておめでとうございます。

新年にあたり、ゲストのディズニーランド体験談をいくつか紹介させていただきます。
ディズニーランドのホスピタリティとは、「ゲストとキャストの『こころ』と『こころ』のつながり」です。ぜひ最後まで読んでみてください。

こころ温たまる・・・もちろんゲストだけではありません。ディズニーランドの全てのキャストもこのような体験談を読むことによりこころが温められます。
ゲストの方々から頂く多くの賛辞、提案、苦情が、ディズニーランドで働くすべてのキャストの「こころの食べ物」というエネルギー源になっているのです。

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北海道のご家族より

主人ががんばって撮った写真やビデオを何回も見て、その楽しかったディズニーランドの思い出に浸っています。今でも主人が興奮して話すのは、七人のこびとさんたちのこと。寝てしまった娘を抱いてベンチに座っていたら、(私はその間にショッピング)向こうから七人のこびとがやって来て、娘の横を通る時、廻りのゲストの方々に指で“シー"という格好をして通り過ぎていったそうです。この話を主人から聞いて、私も感激してしましました。

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四月二十四日、余命幾ばくもない娘を貴地にて大変お世話になりました。
突然のお便りをお許し下さい。
(その四日前)四月二十日、「あと、数日の命」と医師よりの話。

二歳の時に行ったディズニーランドの写真を持ってきてほしいとのことで娘に見せると、二歳の時の記憶が残っているものなのかと思いながら、その時の話をするとじっと見つめているばかり…。

その目は確かに「できることならばもう一度行きたい」と訴えていました。

担当医に話すと”ウーン”とうなったまま答えが出ない程です。「ディズニーランドまで行くには危険すぎる。かと言って、このままベッドの上だけで死期を待たせるのも人間としてかわいそうで……」とのこと。

私たちの判断に一任することになりました。
一晩よくよく考えました。
途中の死も覚悟の上の決行でした。

しかし幸運にも、あのように行きたかったディズニーランドで大切な一日を過ごすことができました。
押し寄せてくるガン末期独特の痛みをモルヒネで殺しながらの一日でしたが、娘のおだやかな顔、痛みを忘れさせてくれたミッキーマウスレビュー、シンデレラ城、そして最後のパレード見学、娘美里にとって、それは、人生の最期に最も輝ける想い出になりました。

交通渋滞に巻き込まれることもなく、無事、病棟に入った時には、病棟中の看護婦さん、先生が出迎えてくれました。

「ミーちゃん、おかえり」の大合唱です。

このことがあったからでしょうか。それより一カ月以上も生きのびることができました。
五月三十日四時二十四分、ディズニーランドの想い出と自分の目で選んだおみやげを胸に永眠いたしました。

貴地における数々のご協力と温かい思いやりがあったからこそと感謝の気持ちでいっぱいです。

貴地を訪れた日付の数字と、永眠した時刻の数字がピッタリと言うのも偶然のことではない気がします。
色々なイベントやすばらしい色彩のファンタジーランドは、私たちにすてきな想い出を残してくれましたが、私には皆様方の暖かいお気持ちは、それ以上のすてきな贈り物であったと思います。

最後に駐車場まで送っていただいたガードの女性が「またディズニーランドに来て下さい」と娘に言ってくれました。
私は「この娘はもう二度と…」と言うと彼女は「事情は聞いておりますが、私たちはぜひまた、美里ちゃんがディズニーランドを訪れてくれることを願っています。がんばって下さい」との言葉でした。

ディズニーランドは確かに子供や大人にも夢をあたえてくれるところです。
しかし、私はもっとそれ以上にすてきなものをあたえてくれたところだと、今でも、溢れる気持ちを抑えることができません。

今、お骨の横には娘の形見のミニーちゃんの腕輪等々が並んでいます。
生涯、それらの形見の品を見るたびに、四月二十四日、ディズニーランドを訪れた時のことを思い出すでしょう。私も、主人も、長男も……。そして、逝ってしまった娘も。

皆様のますますのご活躍をお祈りいたしております。
本当にお世話になり、ありがとうございました。
おそくなりましたが、お礼申し上げます
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今月、数年ぶりに主人とディズニーランドに遊びに行かせていただきました。実はこの日は、1年前になくした私たちの娘の誕生日、そして命日でした。身体がとても弱かったために、生まれて間もなくこの世を去ってしまい、主人と二人、ずいぶん長い間、深い哀しみにおりました。助けて上げられなかったこと、何一つ我が子にして上げられなかったこと、いまでも悔やんで仕方ありません。

生まれてきたら、このディズニーランドに連れてきて上げたいという私たちの夢も果たすこともできず、主人と話し、この日、娘の供養のために来ることができました。

事前にガイドブックを見て、かわいいお子様ランチがあることを知り、娘に食べさせてあげたいと思い、ワールドバザールにあるイーストサイド・カフェに入りました。本当は8歳以下でないと注文することができないものでしたが、お店の方に事情を話すと、快く注文を聞いて下さいました。そして隣の4人掛けのテーブルに子供用のイスまで用意してくださって、「3名様、こちらにどうぞ」と席を移してくださったのです。「本日はよく来てくださいました。ご家族で楽しんでいってくださいね」と、まるで我が子がここに一緒にいるように私たちをもてなしてくださり、主人も私も感激で胸がいっぱいになり、涙があふれてきました。娘を亡くしてからはじめて、「親子3人でいる」ということを味わわせてくださって、本当に感謝しております。娘が生きていてくれたらどんなに幸せだったろうという思いでいっぱいです。

お店の方々にとても親切にしていただき、そしてかわいいお子様ランチも食べることができて、娘もさぞ喜んでいたと思います。 思いもよらぬ皆様の温かなおもてなしのおかげで、とても良い想い出ができましたし、娘のためにも、とても良い供養ができたと思います。親子3人で楽しいひとときを過ごさせていただきまして、本当にありがとうございました。あの時のお礼を言いたくて手紙を書かせていただきました。

娘は天国へ行ってしまったけれど、私たちのかけがえのない大切な宝です。これからも愛し続け、一生ずっと一緒に生きていこうと思います。また娘を連れて遊びに行かせていただきます。ステキな夢を見れる日を楽しみにしています。

スタッフの皆様、日ごとに寒さが加わってまいりますので、お体を大切に、これからも私たちのために頑張ってください。では、さようなら。

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http://plaza.rakuten.co.jp/mindcare/diary/200503130001/

『ディズニーと我が子』

旦那の上司の話です。亡くなったお子さんの話だそうです。
主人の上司のA課長は、病気で子供を失いました。当時5歳。幼稚園でいえば、年中さんですね。原因は分かりません。不治の病だったそうです。
Aさんも、Aさんの奥さんも絶望の淵に立ったそうです。奥さんは、突然Aさんに皿を投げつけたりするDV行為を行ったそうです。ストレス発散だったのでしょうか。
Aさんは事情が理解できていたので、黙って見守っていたそうです。我が子を失った思いというのは、自分さえ深く深く傷ついている。ましてや、奥さんは自分が仕事でいない間もずっと一緒だった。たとえば入院してからも、自分は仕事で病院に行けない日があったのに、奥さんはずっと通っていたわけです。Aさんも悪いなあと思っていました。その時点では、いずれ退院したら、どっか連れて行こうか、女房と子供はディズニーが好きだから、連れていけばいいや、と軽く考えていたそうです。その矢先のお子さまの突然の天界。Aさんも自分の過ちを気づいたそうです。その時、その一秒でも子供と、奥さんと共に接していれば、わずかな時間でも共有していれば、たとえ結果は一緒だったけれど、過程は全然異なる。そう自責の念に駆られたそうです。
子供を失った夫婦というのは、とてつもなく大きな暗い穴が広がるそうです。我が子はうざいと思う時もありますが、いざ、最初からいないと仮定すると、それは考えられない。失う、消えるという事態が突然自分の事になるのはとても理解できないと思います。そういう場面にAさん夫妻は直面したわけです。その後は毎日が夫婦喧嘩。一方的に奥さんが罵るわけですが、Aさんも耐えてるんでけども、悪いとは思いながらも、時折言い返してしまう。メビウスの輪の悪循環。
Aさんと奥さんは精神的にボロボロに崩れ落ちていました。当時A課長は、私の旦那を送ってきた際に『きみの子たちは元気だね。それは結構幸せな事なんだ。ゼロになるというのは本当に信じられないことなんだ。気が狂うよ』と言ってました。涙目で。
 後々になって話を聞くと、実際に、備長炭を用意していたそうです。死ぬ一歩手前。
そんな時な話です。
『ディズニーランドに行ってみようか』。そう思ったA課長はその考えを奥さんに言いました。なぜならその日は生きていれば我が子の誕生日だったからです。それに、子供は病院で息を引き取る前に、ミッキーのぬいぐるみを抱いていたほどディズニーが大好きだった。Aさんは、子供が亡くなるまで毎年、ディズニーランドで子供の誕生日を祝っていたのでした。今年も生きていれば当然ながら行っていた。自分の家のイベントだった。それを思い出したんです。それで一周忌に子供の約束は守ろうかって思ったんですね。
Aさん夫婦はディズニーランドに行きました。最初は後悔したそうです。
すれ違う親子連れ。ミッキーの帽子をかぶってじゃれ合う親子連れ。同い年であろう子供を見るたびに涙がこぼれそうになったそうです。だって我が子も一緒に来ていれば同じことをしていたわけです。手の温かさを思い出したそうです。『パパ、ママ』。亡き子供の声を何万回も聞いたそうです。 もし、自分の子供が生きていたら、こんなふうに乗り物に乗っていたんだろうか。こんなものを一緒に食べて喜んでいたのかなあ。ディズニーランド内を歩くたびに亡くなった子供の笑顔ばかりが頭に浮かんだそうです。
Aさんは『来なければよかったよ』と思ったそうです。奥さんも同じことを考えていたのか、Aさんを睨み付けるばかり。『帰ろうよ』、さらに『あなたは私に悲しみを与えるばかり』、『最悪の夫だよね』とも言われたそうです。宣告ですね。
 Aさんは、ふと、そんな奥さんを見て思ったそうです。
 ぼくと一緒にいるから彼女は子供のことを思い出し、救いようのない泥沼から這い上がれずにいる。それは自分も同じだ。お互いに幸福になるには?
 導き出した結論は離婚でした。子供を亡くした親は必ず離婚を意識するそうです。理由はこれ以上、子供のことを思い出して、互いに傷つきたくはないから。それが天国にいるであろう、我が子に対しての償い。償いとは、自分自身に対する運命のカルマです。
 真剣に離婚を考えながらもA課長は、予約してあるレストランへ行きました。
 そこではお互い、言葉は交わすことはなくても、これが一緒に取る最後の食事であることはなんとなく、感じていました。
 子供が生きていたら喜ぶであろう、ミッキーマウスのショーが見れるレストラン。これが最後の晩餐になるんだろうなぁ、と夫婦共に考えていたそうです。
 A課長は自分の心は死んだ子供にある。奥さんも亡くなった子供だけしか考えられなくなっている。どんなに思おうが、子供は生き返らない。苦痛のジレンマ。だけど、二人にとっては決して忘れることができないし、忘れる気持ちも毛頭ない、楽しい日々の思い出がある。共有する楽しい思い出と、それに残酷なまでに続く悲しい思い出。子供の笑顔が脳裏で蘇るたびに、罵り合い、互いに傷つけ合う。レストランに入り、
「予約していたAですが」、と伝えると、係の者(キャスト)は席に案内してくれました。テーブル席。空席がありますが、それは亡くなった子供の席です。
Aさんと奥さんの間にある一つの空席。ポツンと。
あいにくと、その日は非常に混んでおりました。日本はおろか、アジア中から客(ゲスト)が来ていたから当然です。
 Aさんの席は二人だけなのに、4人掛けのテーブル。席を譲るーAさんもちょっぴり悪いかな、と考えました。そんな時に、キャストは来て言いました。
『お客さま、大変申しわけございませんが、御夫婦さまでしたら、二人掛けのテーブルに移っていただけないでしょうか?御家族連れに困っているお客さまのために』
 そう言ったそうです。夫婦だけなら、もっと小さなテーブルに行って、大きなテーブルは待ち疲れたファミリーに譲る。それはディズニーに限らず、レストランで食事を摂る者の当たり前のマナーですね。
 だけど、Aさんは「悪いな」とは思いつつ言いました。
『混んでいるのは分かるんだよね。できることなら僕だって席を譲りたい。でも、実は、昨年、私たちの子供が病気で死んだんだ。今日は、私たちの子の誕生日なんだ。私たちは子供の誕生日を祝ってあげたい。この真ん中の席には、子供が座る予定だったんだ。約束していたんだ。二人だけであれば当然、席を譲ろうかとも思うんだけれど、亡くなった子のバースディだから、大変申しわけないんだけど、このままでいさせていただけないだろうか』
 と言ったそうです。そのキャストは、しばらく考えると、
『お客さま、それは大変失礼な事を言ってしまいました。大変申しわけございません。どうぞ、このままの状態でいらっしゃって下さい』
 と言って去って行ったそうです。
 しばらくして食事が来ました。注文したのは二人分のフレンチのコースだったのに、なぜか三人分が来たそうです。しかも、真ん中の席にはきちんとお子さまランチが置かれたそうです。ドリンクはオレンジジュース。Aさんはキャストを呼びました。『自分たちは子供の分までは注文していない』と。すると、
『これは店のサービスです。お子さまの分はお店のサービスです』
 そうキャストは言ったそうです。
 しばらくして、天井の明かりが少しばかり落とされたかと思うと、突然、アナウンスがありました。
 Aさん夫妻は何だろう?と思い、マイクの発信先に目をやりました。すると、そのキャストが大きなケーキを持っていました。それもバースデーケーキを。
『みなさな、大変申しわけございません。本日は特別な日です。ここにいらっしゃる方のお子さまの誕生日なのです。どうかみなさま、いっしょにハッピーバースデーを一緒に歌ってはいただけませんか』
 そう言うと、音楽と共に、ケーキをAさんのテーブルに運んできてくれたそうです。幾人ものお客さんが、音楽に合わせて、ハッピーバースデーを歌ってくれたそうです。
 テーブルに運ばれてきたケーキ。
 すると自然に蝋燭の火が消えたそうです。理由は分かりませんが静かに消えた。
 Aさん夫婦が立ち上がってお礼のために頭を下げると、拍手が起こったそうです。おめでとう。おめでとう。
 やがてショーが始まったそうです。ミッキーのショーですね。
 そのとき、Aさん夫婦は、奇跡を見たそうです。真ん中の席に、誰もいないはずの席に、我が子が座っている。ミッキーの踊りを見て喜んで手を叩いている。
 ああ。ああ。君と一緒に見たかったんだよ。Aさんは涙目になりながら、我が子、生前の我が子からは少し成長した我が子を見たそうです。笑顔で喜ぶ我が子を。
 横に目線を走らせると、Aさんの奥さんもハンカチで目頭を押さえて、同じように、空席に座る少し成長した我が子を見ることを体験したそうです。
 そのとき、夫婦で悟ったそうです。
 ぼくたちは間違っていたのかもしれないね。ぼくたちが喧嘩ばかりしていたら、亡くなった子供はますます悲しくなってしまうよね。悲しみがひどすぎて、天国へもいけないね。 ぼくたちは間違っていたんだ。子供のことは忘れてはいけない。だけど、前に進まなればならないんだね
 そう、夫婦で一瞬にして悟ったそうです。その直後、真ん中に座る子供はAさんと奥さまを右、左とゆっくりと見て、微笑んだそうです。声は出すことはなかったそうですが、こう聞こえたそうです。
『ありがとう。ありがとう。パパとママ、ありがとう』
 やがてショーが終わり、店内に明かりが再び灯りました。Aさん夫婦の間には手を付けられていない料理が一つ。
 だけど、いま体験した奇跡は夫婦は本物であると疑いを持つことはありませんでした。二人手を握り締め合って、ディズニーランドを後にしたそうです

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