◇鳩山・民主代表:一郎氏退陣から53年、新首相に 外交、祖父の跡を踏む
民主党の鳩山由紀夫代表は16日に召集される特別国会で第93代首相に就任する。祖父の一郎氏の退陣から53年、鳩山家からは2人目の首相だ。93年に自民党を離党して以来、さまざまな曲折を経ながら、長年目指してきた本格的な政権交代にたどり着いた。その足跡と人物像を紹介する。【須藤孝、影山哲也】
◇「ハトヤマ」露でなじみ 「北方領土」はライフワーク
鳩山由紀夫氏は曽祖父が鳩山和夫元衆院議長、祖父が鳩山一郎元首相、父が鳩山威一郎元外相。鳩山邦夫前総務相は実弟になる。
●因縁深い国連総会
由紀夫氏は首相就任後、米国・ニューヨークにおもむき、第64回国連総会に出席する。国連に関して言えば、鳩山家には祖父の一郎氏が56年にモスクワで日ソ共同宣言に調印した後、日本の国連加盟を成し遂げたという因縁がある。当時の国連総会には、病身だった一郎氏は出席していないが、親米一辺倒と批判された吉田茂内閣の外交姿勢を修正したとの評価を受けた。そして、一郎氏は国連加盟を花道に、加盟からわずか2日後に内閣総辞職し、政界を去った。首相に就任する由紀夫氏が、敬愛する祖父との因縁が深い国連総会に出発することには感無量の思いがあるようだ。
由紀夫氏は一郎氏が日ソ国交正常化を果たしたことを強く意識しており、今年5月の民主党代表選前に、毎日新聞の取材に答え「おかげさまで鳩山という名前はロシアでそれなりに知名度がある。北方領土問題を私のライフワークとしてやりたい」と語っている。
●首相就任でも類似点
一方で、一郎氏と由紀夫氏とは、首相就任を巡っても類似点が多い。一郎氏は吉田茂首相との激烈な権力闘争の末、首相に就任(1954年)、由紀夫氏は吉田氏の孫の麻生太郎首相との「政権選択選挙」に圧勝し、首相の座に就く。
父の威一郎氏は1941年に旧大蔵省に入省、主計局長、事務次官を務めた。大蔵省時代の14年後輩が、由紀夫氏が深い信頼を置く藤井裕久元蔵相だ。藤井氏は由紀夫氏のことを「鳩さん」と呼び、母の安子さんも夫の後輩の藤井氏について、由紀夫氏に「藤井さんと仲良くやって」と言っているという。
実際、71年から72年にかけて、威一郎氏が大蔵事務次官だった時、藤井氏は大蔵省から首相官邸に出向し、佐藤内閣の竹下登官房長官秘書官を務めていた。由紀夫氏は今回の衆院選で引退する意向だった藤井氏を翻意させ、比例名簿に登載した。
●妻はタカラジェンヌ
妻の幸(みゆき)さん(66)は宝塚音楽学校出身の元「タカラジェンヌ」。在米中にスタンフォード大大学院に留学していた由紀夫氏と知り合い、75年に結婚した。料理関係の著書も出版している。長男の紀一郎氏(33)は、東大大学院工学系研究科助教を経て、07年10月からモスクワ大学の研究員を務めている。
◇小沢氏と「一蓮托生」 「西松」事件でもかばい 経世会時代は疎遠
鳩山新首相にとって、一番大切なのは小沢一郎新幹事長との人間関係だ。
06年4月に民主党代表に就任した小沢氏のもとで鳩山氏は幹事長として支えた。09年3月、小沢氏の公設第1秘書の大久保隆規被告が政治資金規正法違反で逮捕、起訴された西松建設事件で、党内が小沢氏の責任を巡って揺れた際も、鳩山氏は小沢氏をかばい続けた。
党内の長老格で最高顧問の渡部恒三元衆院副議長、藤井裕久元蔵相も小沢氏辞任にカジを切る中で、鳩山氏は「小沢さんに一蓮托生(いちれんたくしょう)だと申し上げている。当然、私も辞める」と強調した。こうした鳩山氏の姿勢が、小沢氏辞任後の代表選で、小沢氏の全面支援を受けて岡田克也氏を破ることにつながった。
小沢氏の側近は「鳩山さんが『一蓮托生』と言ったことが、小沢さんの鳩山さんへの信頼を決定的なものにした。『一蓮托生』こそが鳩山政権への道を開いたキーワードだ」と指摘した。
ただ、政治家歴23年の鳩山氏にとって、政界入りして十数年間は、自民党時代も、同党離党後も小沢氏とは全く疎遠だった。
86年に衆院初当選を果たした鳩山氏は、自民党田中派に入った。田中角栄元首相の寵愛(ちょうあい)を受けた同派のプリンスが小沢氏。小沢、鳩山両氏は87年、田中派の大部分を引き継ぐ形で発足した竹下派(経世会)に所属することになる。
しかし、経世会で小沢氏、鳩山氏と一緒だった石井一民主党参院議員によると「2人の個人的なつながり、接点はほとんどなかった」という。鳩山氏の衆院当選1回時代、小沢氏は当選7回で、竹下派事務総長、自民党幹事長を務め、キャリアの差は歴然。鳩山氏が対等に話せるような相手ではなかったからだ。それに加え、89年ごろから小沢氏と対立関係に陥る竹下登元首相から鳩山氏がかわいがられたことも影響していた。
◇政治家のDNA―政界と無縁の大学助教授―突然の転身
◇政界有数の資産家 由紀夫氏は16億5600万円
鳩山家は政界有数の資産家である。旧民主党結党時には、党に対し由紀夫氏が9億8000万円、邦夫氏が7億円を貸し付けている。本人名義の不動産、預貯金、有価証券などを公開対象にした06年の衆院の資産公開では由紀夫氏の資産は16億5600万円で、05年総選挙での当選者中、トップだった。
鳩山家が資産家なのは、由紀夫、邦夫兄弟の母、安子さんがブリヂストン創業者の石橋正二郎氏の長女だったことが大きい。由紀夫氏が保有するブリヂストン株は350万株で、時価60億円になり、由紀夫氏の08年の配当収入は8400万円になる。
安子さんは「ゴッドマザー」と呼ばれる。兄弟がともに結成に参画し「兄弟新党」とも呼ばれた96年の旧民主党結成でも2人に連携を強く促した。邦夫氏の自民党復帰以後、政治の道筋が分かれた兄弟に、しばしば「一緒にやれればいいわね」と言っているという。
◇「音羽御殿」政治の舞台に
一郎、威一郎氏の邸宅だった東京都文京区音羽の「鳩山会館」は「音羽御殿」とも呼ばれ屋根からミミズクの像が見下ろすイギリス風の洋館だ。現在は安子さんの所有だが、由紀夫氏の招きで、民主党幹部らが毎年「桜を見る会」を開き、政治の舞台になっている。
ちなみに福田康夫政権時代、自民・民主の「大連立」を仕掛けようとした読売新聞グループ本社会長兼主筆の渡辺恒雄氏は50年代初頭、駆け出し政治記者の時代、音羽御殿に通い詰めていたという。渡辺氏は今年3月7日の「鳩山一郎没後50年祭」で「由紀夫、邦夫兄弟が仲良くできれば大連立になる」と語ったが、衆院選での「民主308議席」で、大連立構想は幻と消えた。
◇民主結党「排除の論理」で注目 情に左右されず
由紀夫氏は東大工学部卒業後、米国に留学。帰国後に専修大助教授になり、政治の世界とは全く無縁の生活を送った。学習院初等科の同級生で、後に由紀夫氏に誘われて政界入りする水野誠一元西武百貨店社長は「小学校時代は非常に印象が薄い。おとなしい、いかにも良家の坊ちゃんだった。政治の世界には向いていないと思った」と語る。
現に父の威一郎氏は由紀夫氏の政界転身に積極的に賛成したわけでなく、渋々認めた。由紀夫氏が86年衆院選に当選した後も、10年早く(76年)衆院議員になっていた弟の邦夫氏の方が当時、政界では圧倒的に注目されていた。実際、由紀夫氏は細川内閣の官房副長官を8カ月務めただけで閣僚経験はない。これに対し、邦夫氏は文相(宮沢内閣)、労相(羽田同)、法相(安倍、福田同)、総務相(麻生同)と豊富な閣僚経験を誇っている。しかし、今回の首相就任で由紀夫氏が一気に追い抜いた格好となる。
鳩山氏を知る多くの人が、鳩山氏の政治家としての転機となった出来事としてあげるのが96年の旧民主党結成時に、さきがけの武村正義代表の参加を名指しで拒否したことだ。当時、「排除の論理」と言われた。自民党離党以来行動を共にしてきた武村氏は鳩山氏の政治の師と言っていい存在だったが、鳩山氏は周囲の説得にも全く耳を貸さなかった。
水野氏はこの時、さきがけの参院議員だったが、鳩山氏とたもとを分かち、さきがけに残留した。だが鳩山氏は強く説得することもなく淡々と「君の考えでやってください」と言うだけだった。情に左右されない鳩山氏の姿勢は際立っていた。
細川内閣の首相秘書官だった成田憲彦駿河台大学学長は、94年2月の首相訪米に官房副長官として同行した鳩山氏と政府専用機内で話した会話が印象に残っている。「人間関係は簡単に変わる。やはり政界再編は政策ですよ」。後に「排除の論理」が話題になって思い当たった。
◇人事で失敗
鳩山氏が経験した大きな挫折。それは、現在の民主党結成後の02年9月の幹事長人事の失敗だ。これによって同12月に代表辞任に追い込まれた。代表選に出馬しなかった中野寛成衆院議員を、代表当選後に幹事長に任命したことが「裏約束」とみなされ、辞任要求が各グループから次々と出るなど党内が激しく混乱した。当事者の中野氏は「鳩山氏は意外にもろいと思った」と言う。
辞任直前、党本部で中野氏と当時幹事長代理だった岡田克也氏の2人で説得したが鳩山氏は「なるほど、うん。そうですか」と言うだけで答えない。出て行ったので翻意したのかと思っていたら、そのまま辞意表明の記者会見をしてしまったという。
◇意外と甘くない?概念 「官僚派打ち倒す旗印」
鳩山氏は自らの政治理念として一貫して「友愛」を掲げてきた。政治のスローガンらしくない表現は「宇宙人」「ソフトクリーム」などという鳩山氏への政界でのあだ名とあいまって、鳩山氏の「甘い」イメージを形成する一因になってきた。
しかし、鳩山氏は月刊誌「Voice」9月号での寄稿「私の政治哲学」で、友愛を共産主義や全体主義に対抗する戦闘的概念として位置づけ、「(祖父、一郎氏が)社共両党に対抗しつつ、官僚派吉田(茂)政権を打ち倒す旗印として掲げた。友愛の理念は戦後保守政党の底流に生き続けた」と記した。鳩山氏にとって「友愛」は、祖父が創設した自民党が忘れた初心であって、自分こそが保守の正統だという主張を含んでいる。
鳩山氏は05年に「新憲法試案」(PHP研究所)を出版した。著書では「現在の日本は形の上では独立こそ全うしているものの、心は真の独立を得ているのか。外交は米国に依存し、内政は官僚に依存している」と憲法改正が必要な理由を訴えている。
◇鳩山由紀夫氏の語録
◇リベラルとは愛 日本の世直ししたい
・「国民はリクルート事件を氷山の一角と思っている。氷山の下がどうなっているか、政治資金の透明性を増すことが大事だ。公的、私的な部分を問わず公開することを原則にすべきだ」=89年3月、自民党政治改革委員会の拡大会議で
・「選挙のための政治はやりたくない。権力志向がまったくない、とは言わないが、私利私欲のためには動かない」=93年6月、新党さきがけの結成会見で
・「リベラルとは共生、もっと簡単に言えばリベラルとは愛であると答えることにしている」=95年10月、衆院本会議での質問で
・「(米軍の)常時駐留なき安全保障を打ち立てる時に、専守防衛、有事法制を整備し自国を自国で守る手立てが必要だ」=96年10月、外国特派員の記者会見で
・「自衛隊は世界の誰が見ても軍隊。日米安保とか核の傘にいることを平和の条件と日本人は思い過ぎている。(憲法改正は)やらざるを得ない」=99年9月、代表選前のインタビューで
・「首相を目指す考えに変わりはない。地元に戻って首相の器をしっかり身につける決意だ」=02年12月、民主党議員らとの懇談で
・「民主党は小沢(一郎)さんのおかげでここまで来た。辞められては党が持たない」=07年11月、大連立構想を党幹部に拒否され辞職願を提出した小沢代表に
・「民主党の置かれている厳しい状況を理解しながら必ず政権交代を果たし、国民に喜んでもらえる社会を作る。日本の大掃除、世直しをしたい」=09年5月、代表選後の記者会見で
2009年9月17日