(11/25)官と民のはざまで――問われるJRAの自浄能力
JRAの幹部候補といわれ、2000年9月まで京都競馬場長に在任していた鈴木善雄容疑者(57)が20日、日本中央競馬会法違反(収賄)の疑いで警視庁に逮捕された。JRA職員の関与した贈収賄事件は、1990年の場内FM導入を巡る一件以来、12年ぶりとなる。この間の12年で、JRAを取り巻く環境は劇的に変化し、その変化は鈴木元場長自身の運命をも変えた。かつて「飛ぶ鳥を落とす勢い」と言われた存在も、現在のJRA内部では「過去の人」扱い。事件も「個人の犯罪」で片づけたい雰囲気がのぞく。だが、特殊法人の中でも特に民業色の強いJRAが、いかに組織の規律を維持するかという根本問題にフタをしては、事件の教訓は生かされない。
逮捕を受けた20日夕、JRAは東京・六本木の本部事務所で記者会見を開いた。マスコミに応対したのは鈴木久司・常務理事と田家邦明理事。皮肉にも、2人は農水省出身の天下り役員である。鈴木元場長は、JRAのプロパー(生え抜き)職員出身で初めて副理事長の座を射止めた佐藤武良氏の腹心として、1991年の競馬法改正に奔走。理事の座が確実視されており、自らも周囲に「副理事長を目指す」と口にしていたと言われる。天下り役員が“プロパーの星”の不祥事の後始末をする。そんな図式を見て、筆者は数年前の農水OB役員の発言を思い出した。「この組織の規律が保たれるよう、監視するのが自分たちの役割」。発言には正直、反発を覚えた。当時の農水省も、旧構造改善局を舞台にした不祥事(後に刑事訴追)で揺れていた。「よその組織の規律を言えた義理か」と思った。だが、情けないことに、あるプロパーの元役員は「我々はずいぶん、天下りの人々に救われてきた」と効用を認める発言をしている。
今回の逮捕容疑は、98年に京都競馬場が独自に導入した「パスポートカード」(オッズカードに無料入場の特典を付加した)の発注に際して、カード製造会社「日本カードトランスファー」に便宜を図り、現金160万円を受領したというもの。「元場長への強制捜査が近い」との観測は、10月半ばから広まり、容疑事実がオッズカード絡みであることもJRA周辺に漏れ伝わっていた。ただ、オッズカードの導入は、1991年の馬番連勝導入時にさかのぼる。贈収賄の時効はとうの昔に成立しているはず。うかつにも筆者は、京都独自でこんな企画が行われていたことは知らなかった(不明を恥じるばかりだ)。とは言え、発注額約300万円の案件に160万円のわいろとは、余りに不均衡だ。実際は、元場長に10年間で約2000万円が渡っていたと見られ、逮捕容疑以外にも何らかの便宜供与があった疑いがある。贈賄側会社社長で逮捕された茶谷和男容疑者(69)は、ウインズ八幡(北九州市)の設置会社にも参画していた。ウインズを巡る問題に波及するかどうかが、今後の捜査の焦点となろう。
元場長は昨秋、転出先の関連会社「日本レーシングリース」専務も退いており、JRAと無縁の立場で逮捕の日を迎えた。だが、これは偶然だったのではないか。1996年5月、JRA理事長在職中に急逝した京谷昭夫氏が健康で、99年前後までトップの座を占めていたとしたら、現時点で元場長の席が六本木の役員室にあった可能性は否定できない。「現職役員の逮捕」でJRAが受けるダメージを考えると、JRAはこの偶然にかなりの程度救われたと思う。
元場長は佐藤元副理事長の腹心と言うべき存在で、JRA内部での威光も、佐藤氏といわばセットだった。人事畑の長かった佐藤氏は、関連団体の人事にも強い影響力を持ち、農水省OBの受け入れを通じて、同省、特に旧畜産局とJRA本体、関連団体を横断したネットワークを築き上げた。だが、京谷氏の後任の浜口義曠・前理事長は畜産局との関係が薄く、このネットワークに警戒心を抱いていたフシがある。浜口体制下の人事では、この系譜が冷遇され、鈴木容疑者自身も役員をうかがう地位にいながら、98年に京都競馬場長に異動となった後、東京に呼び戻されることはなかった。
この時期のJRAは文字通りの転換期で、98年に年間売り上げは前年比5%減。99年4月には、きゅう務員春闘の紛糾で開催中止という19年ぶりの事態を経験した。こうした中、浜口氏はJRA、農水省双方の不興を買い、同年9月に追われるように理事長職を去った。しかし、現職の高橋政行氏の就任後も時計の針は戻らない。元場長がJRAを去る寸前の2000年8月、筆者は北海道のある牧場で偶然、本人と会ったが、憔忰(しょうすい)した表情は今も印象に残る。理事ポストを逸したと知ったのは、数日後のことだった。
JRA職員の間には、今も元場長の実務能力を惜しむ声がある。「あの人はスーパーだった」という評価さえ聞いた。確かに元場長には功績もあったが、歴史を変えるほどのものだったのか? 一般企業に行けばゴロゴロいる程度の人材ではなかったのか? 悲劇の根はここにあったとさえ思う。組織内で同レベルの人材との競争にさらされていたら、おごりが生じる余地は少なかったはずだ。
「競争がない」という問題は、JRA本体にも当てはまる。JRA職員が「見なし公務員」として収賄罪が適用されるのは、粗利15%などといううますぎる事業を、刑法の保護の下で独占しているからだ。一般企業では、取引業者と癒着しても刑事罰は受けない。だが、癒着によって企業の資源配分にゆがみが生じ、収益力が損ねられれば、他の企業との競争に敗れることになる。競争にさらされていることが、企業の自己規律の根底にあると言える。近年、コーポレートガバナンス(企業統治)を巡る事件が多発し、企業の自浄能力も問題化している。だが、収益事業を手がけながら競争がないJRAが、極めて危うい位置にいることを、事件は再認識させた。
14日に第一回会合を行った農水相の私的懇談会「我が国の競馬のあり方に係る有識者懇談会」では、JRAの組織形態問題も論議の対象となる。民営化は簡単ではないが、高級官僚の天下りが問題化している今、役員人事のあり方が改革のターゲットになる可能性は十分ある。農水OBとプロパーの双方で「組織の規律を正すのは天下りの役目」と考えているようでは、天下りがいなくなった時、どうするつもりなのか? 以前の当コラムで「日本のホースマンは自立していない」と書いたが、この状況では「自立できない競馬関係者」のリストに、「施行者」も加えざるを得なくなる。
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