約9年半の秘書生活を経て、2005年の衆院選での立候補に備え、父親は帯広市内に敷地約180平方メートルの3階建てのビルを購入し、後援会事務所を開設した。北海道11区から民主党公認で立候補したものの落選。しかし、民主党議員が道知事選に立候補するため辞職し、07年3月に比例区北海道ブロックで繰り上げ当選した。
09年の衆院選では11万8655票で自民党の故中川昭一氏を破って2期目の当選を果たした。同選挙区で民主党候補の当選は初めてだった。
ただ、国会議員といっても、小沢氏との関係はあくまで秘書のままだったようだ。石川議員は知人に「国会の中では、いくら元秘書でも同僚議員として親しくできるわけではない。小沢先生は厳しい」と打ち明けていた。
石川議員の元秘書は「石川氏は、帯広から札幌までの特急列車の同じボックス席で小沢氏と相席した際、3時間弱、緊張したまま背筋をピンと伸ばして座っていた。小沢氏からの問いかけに『はい、はい』と答えるのがやっとだった」と話す。
小沢氏の資金管理団体「陸山会」が04年に取得した土地をめぐる問題で、東京地検特捜部から任意の事情聴取を受けたあとは、周囲に「自分の力ではどうしようもない。支援者の顔が次々と思い浮かび、しばらくしっかり眠れていない」などと漏らし、辞職をほのめかして弱気になることもあったという。年明け以降は、特捜部に逮捕された経験のある新党大地の鈴木宗男代表らと会い、報道対応など具体的なアドバイスを受けた。
ある後援会幹部は「議員と秘書は、部外者には分からない濃密な関係。元秘書として、現在は若手の国会議員として、言いたくても言えないこともあると思う。つらい立場だ」と気遣った。
関係者によると、石川議員の父親は逮捕前日の14日夜、石川議員と電話で話した。石川議員はかなり精神的に弱っており、「政治生命は終わった」などと話した。父親は電話を切る間際に「死ぬなよ」と伝えたという。