日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める緊急120万人署名にご協力下さい。新政権が誕生した今こそ、被害者の声に応えこの問題を解決するチャンスです。 120万人署名というのは人口の1%という意味です。市民の1%の声を集めて、国政に届けましょう! ←左のロゴをクリックしてください |
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※署名を始めたところ、海外からも多くの署名が寄せられています。そこで英語のサイトを作成しました。 | |
<英文サイトはこちら> |
昨年12月は長岡京市、船橋市、国立市、田川市の4市議会で意見書が可決されました。これで国内15市議会。意見書運動は大きな飛躍を迎えた一年となりました。 一方韓国でも、去る12月24日、韓国の慶南道議会と巨済市議会で「慰安婦」問題決議案が採択されたというビッグニュースが舞い込んできました。11月30日には統営市でも決議が上がったばかりでした。 今回の決議案は日本政府に、慰安婦問題の真相を糾明して公式謝罪すること、被害者らの名誉回復と損害賠償のための専門担当機構を設置すること、慰安婦問題を歴史教科書に正しく記録することなどを要求しています。 韓国市民団体の「日本軍「慰安婦」ハルモニと共に行動する統営巨済市民会」は去る4日、巨済市民4312人の署名を集めて決議案採択を促す陳情書を巨済市議会に提出していました。また15日には、慶南地域関連市民団体らが道民8923人の署名と共に建議書を道議会に提出していました。 韓国でも市民の熱意が、議会を動かしています。日本の市民も負けてはいられません。 |
日本軍「慰安婦」被害者の声に応え今こそ立法解決を!
~同時証言集会inおおさか2009~
姜日出ハルモニ「死んでも私の恨(ハン)を解きたい」と訴える
2009年11月28日、大阪北区民センターにて、日本軍「慰安婦」被害者をお招きしての証言集会が開催されました。ゲストは、韓国ナヌムの家より姜日出(カン・イルチュル)ハルモニと、同歴史館の研究員として唯一の日本人男性スタッフとして働く村山一兵さんです。姜日出ハルモニは16歳の時「慰安婦」として連行され、解放後も中国に留まり苦労をされた後、2000年になってやっと韓国に帰国されたという方です。
400人を超える集会参加者はみな、ハルモニの話しに心を打たれ、今後私たちは彼女たちのために、そして私たち自身のためにも、何をしなければならないのか考えさせられました。
それほどに姜日出ハルモニの証言は、大変衝撃的でした。証言の内容もさることながら、その感情、そして存在感が参加者の心を打たずにはおれませんでした。おそらく何度も人前で証言されてきたハルモニですが、当時のことを思い出すと未だに平静ではおれない様子でした。興奮して同じ事を何度も繰り返し、また発言内容が脈絡もなく飛んでしまう様子は、被害体験がもたらした深い傷を思わせました。
証言される姜日出ハルモニと通訳する村山一兵さん
ハルモニは父母に何も告げないまま連行され、2000年に帰国したときにはもうその姿はありませんでした。16歳で別れたきりの父母を思い、お酒を見るたびにそれを好きだった父親を思い出し「なんとしてでもこの恨(ハン)を解きたい」と訴えられました。「恨を解くためには、日本政府の謝罪が必要なのだ」と。
また日本軍人の相手をするたびに血が出たことを証言され「この話は誰にもしてません。これがどういうことだか分かりますか」と問いかけられました。被害体験を証言することがどれほど辛く勇気のいることか、そしてなぜそれを未だに必要とし、私達はそれを強いているのか。それを思うととても辛くなりました。被害体験を具体的にあれこれというわけではなかったのですが、むしろ、その一言だけで十分でした。だって私達は彼女の身に何が起こったのかすでに知っているし、その傷みを理解したいと思う想像力を持ち合わせているのですから。
※恨(ハン):朝鮮民族にとって単なる怨みつらみではなく、長い屈辱と苦痛の歴史を背景に痛恨・悲哀・怒りなどが積もった独特な感情。
村山一兵さんからは、なぜ日本人男性がナヌムの家で働いているかということを講演されました。男性であること、日本人の男性であることを、この問題との関わりで話ができるのは彼しかいません。それはちょうど会場の外で抗議のシュプレヒコールを挙げている連中の醜悪さの対極でもありました。(集会の外では「在日特権を許さない市民の会」という差別排外主義団体が20名ほどで、書くのもおぞましいような差別的な言葉で抗議行動をおこなっていました。)
講演する村山一兵さん
特にムン・ピルギハルモニのお話がとても衝撃的でした。ムン・ピルギハルモニは村山さんと一緒にお酒を飲んではすぐ赤くなる村山さんをからかったり、村山さんが仕事を忙しそうにしているときは身体を気遣ってくれる、とても優しいハルモニだったそうです。
そんなムン・ピルギハルモニがナヌムの家で証言をし日本人の客を見送った後、床に座り込んでしまったことがあったそうです。我を失った様子で、聴き取れない小さな言葉で「なんでこんなに」「私も人間なのに」と呟いていたそうです。証言が慰安所の出来事を急によみがえらせ、身体の自由を奪ったのです。身近にいた村山さんは、そういうハルモニたちの傷に接し、自分を問わざるを得ませんでした。なぜ男性なのか。なぜ日本人であるのか。日本人の男性である私に何をできるのか?
村山さんは「日本人であること、男性であることと向き合うことが大事。そして一歩踏み出すことが大事」と訴えられました。女性たちの受けた被害を「慰安」という言葉に言い換えている社会を何とかするためにも、日本人の側、男性の側が自分を問い続けることが必要なのです。
ナヌムの家でも証言できるハルモニは二人しかいないそうです。高齢のため、あるいは心の傷のために。私達には時間が残されていないのだと、何度でも実感させられます。
集会には市民だけではなく、関西の各地で市議会意見書を可決させた、あるいはそれを実現させようとしている関西の市議会議員が多数参加されました。宝塚市をはじめとして、生駒市、泉南市、豊中市、吹田市、枚方市の市議会議員の方々が駆けつけてくださり、メッセージをいただきました。各議会でも様々な苦労を重ねながら、立法解決や正しい教育の実現のためにがんばっておられることを知り、とても勇気づけられました。また私たちの社会が変わることができる、解決を実現することができるのだという確かな手応えを感じました。(その他、多くの国会議員・市議会議員からも電報などのメッセージをいただきました。)
集会には400を超える参加者がありました
亡くなられた被害者を追悼して黙祷
集会の最後に実行委員会から、「緊急120万人署名を取り組んで欲しい」と提起されました。
集会終了直前、花束贈呈を前にして姜日出ハルモニは「まだ話したいことがある」と堰を切ったようにしゃべり出しました。それは右翼がよく持ち出す「お金をもらっていた」ということに対する批判でした。
「なぜ彼らはそんなことを言うのか。私はお金なんてもらっていない。お金をもらっていたのなら、なぜ解放後も中国に残ったまま苦労をしなければならなかったのか!」
もらっていたかもらってなかったかが問題なのではありません。「もらっていなかった」とハルモニが声を震わせ反論することが重要なのです。「お金をもらっていたじゃないか」という理屈が、被害者たちの体験と存在そのものを否定する、セカンドレイプそのものなのですから。
ハルモニが存在するということ、語るということこそが、歴史の真実そのものなのだということを改めて実感させられました。
ハルモニは証言の中で、こうも仰いました。
「小泉首相や安倍首相はとても酷い人だったと思います。特に安倍首相のおじいさん(岸信介)はアジアに対してとても酷いことをしてきた人です。鳩山首相にとても期待しています。日本の政府にはしっかりして欲しいです。」
鳩山政権の評価はさておき、被害女性の期待はこれまでになく高まっています。村山政権も含め、歴代自民党政権が壁となって解決を拒んできたこの問題に、やっと転機が訪れたのです。しかも被害女性が次々と亡くなられ、自分たちの時間もそう長くないのだということを痛感させられているのです。
それはこの問題の解決を望む私たちにとっても同じ事です。
「死んでも私の恨を解きたい」
そう願うハルモニの心に向けて「生きているうちに恨を解いてもらいたい」「亡くなられたハルモニたちの恨も解いてさしあげたい」と、思わずにはおれません。何としてでも被害女性の望む形で問題を解決せねばなりません。それも一日も早く!
それは日本に住む私たちにしかできないことですし、私たちの責任で実現しなければならないことなのです。なんとしてでも解決を実現させましょう!
<姜日出ハルモニ証言>
みなさま忙しいなか来ていただいたことに感謝します。歴史のことを学びに来てくれたことに感謝します。あの歴史の出来事を言おうとするとなかなか辛いのですが、これからの若い世代のために、もう二度とああいうことがないように、歴史の真実を知っていただけたらと思います。
私はもう81歳になりますが今回こちらに来て在日同胞や日本のみなさんに来ていただいて、本当に嬉しく思います。
私の名前は姜日出(カン・イルチュル)と申します。私はまだ17歳の頃、大人になる前に連れて行かれました。(数えの年齢と思われます。)軍隊ではなくて、日本の警察が来て、無理矢理連れて行かれたんです。そのときたまたま家には誰もいませんでした。連れて行かれるときにはどこに連れて行かれるのか分かりませんでした。
なぜ日本は私を無理矢理連れて行ったのでしょうか。母にも何も告げられないまま、連れて行かれました。当時は38度線がなかったので、そのまま中国まで連れて行かれました。私はちゃんと人間なのに、列車では荷物のように扱われ、「慰安所」に連れて行かれて被害を受けました。そこで辛く苦しい思いをしました。殴られた傷は今でも痛みます。
私はムン・ピルギハルモニと同じ中国の「慰安所」にいました。私は中国から2000年になって帰ってきたのですが、ある時韓国での集会で久しぶりにムン・ピルギハルモニと再会しました。そこで私がナヌムの家に暮らしているので、後から彼女もナヌムの家に来たのです。
その「慰安所」の中には、北海道出身の日本の女性もいました。その女性も一緒に解放を迎え、その後もお互いに交流がありましが、胃ガンで亡くなってしまいました。私はとてもショックでした。彼女が故郷の日本で亡くなったのではなくて、遠い中国の地で亡くなったからです。
当時私は犬のように連れて行かれました。でも犬だってどこかに連れて行かれるときには行き先を告げられるでしょう。私は人間なのに、行き先も告げず連れて行かれたんです。父にも母にも何も言えず、故郷に帰ることも出来ません。父母が亡くなったことは後になって知りました。特に父はお酒がとても好きでした。だけど私はお酒を飲めません。お酒を見ると父を思い出し、父にお酒をあげられなかったこと、なんの世話も出来なかったことが心に恨(ハン)となってわだかまっているからです。
韓国に戻ってきて故郷を訪ねました。兄も、父も母ももういませんでした。家族はみんな亡くなっていました。それが私の恨になっています。そんなたくさんの辛いことが恨になっていて、苦しいです。もし私が死んだとしてもこの恨はなんとか解きたいと、そう思うんです。恨を解くためには、謝罪と賠償が必要です。
日本政府は自分の国民のこともしっかりできない本当に酷い政府です。前に大阪に来たときに、ホームレスの人を見ました。なんでそういう人を日本政府は助けもせず放っておくのでしょうか? 私は部屋に帰って独り泣きました。同じ人間であるし、生活が苦しくてそうなっているのだろうから。なんで日本政府は彼らを支援しないのでしょう。本当に酷い国です。
当時日本はアジアの人々に被害を与え、韓国の女性を多く連れて行きました。慰安所では女性が死んでいったのを見ましたし、本当に幼い人もたくさんいました。このことは私は本当に誰にも言えないことなんです。その事を言うのは本当に辛いんですが、軍人達の相手をした後トイレに行くと、血が出るんです。どういう意味か分かりますか? 決心をしなければ言えません。日本のみなさん、どういう意味か分かりますか? 在日同胞のみなさんも、このことがどういう事か分かりますか? とても幼い女性が多かったんです。下からとてもたくさん血が出ました。このことは誰にも言えなかった。心の中にしまって、泣いてきたんです。この恨を解くためにも、日本政府には謝罪して欲しいです。
日本の政府は責任をちゃんと取らないで、国民のせいにしています。国民からお金を集めてそれを国民基金としてお金をわたすとか、それはおかしな話です。
ある人はもらったりもらわなかったりで、とても人の間に亀裂がおきました。私はもらいませんでしたが。日本政府はなんでこんなことをしてしまったのでしょうか? その原因をちゃんと考えて欲しいです。このことは日本にとって恥ずかしいことです。
何とか私たち被害者が亡くなる前に謝罪をして欲しい。お金ではありません。謝罪をちゃんと受け取ることが大事なんです。中国とか韓国とかともう戦争をしない関係にして欲しい。もう二度とこういう事が起こって欲しくない。だからちゃんと謝罪をして欲しいんです。
私だけではありません。先ほど話したように、中国に取り残された日本人の「慰安婦」もいます。そんな歴史もあるのに、日本は正しく歴史を教えようとしません。キチンと教えて欲しいです。
小泉首相や安倍首相はとても酷い人だったと思います。特に安倍首相のおじいさんはアジアに対してとても酷いことをしてきた人です。何でまたあの戦争を繰り返そうとするんでしょうか。また若い人を殺すのでしょうか。とてもそれが許せません。韓国の国民は鳩山首相にとても期待しています。日本の政府にはしっかりして欲しいです。
みなさん忙しい中きてくださって、ありがとうございます。今日はここにいる日本人や在日同胞に話しをするためにここに来ました。でもあの頃の話をすると、本当に心が苦しくなって、破裂してしまいそうです。とても辛いのですが、聞いていただいて嬉しかったです。
(集会の最後、市議会議員の発言を受けて、ハルモニはどうしてもいいたいことがあると話されました。)
(とても興奮して)心ない日本の市民から「お金をもらっていた」という言葉を聞くが、これはとてもおかしい。私は一銭もお金をもらったことはありません。なのになぜそんなことを言うのでしょうか? 私は中国に残されてそこの生活でも苦労したのに。ないことを言うのはすごく許せないです。ウソをついて、被害者を貶めている。被害者がウソをついているように言われる。がまんがなりません。
それなら朝鮮の女性たちを戦場に連れて行っていいんでしょうか? 一日に何人もの兵隊の相手をさせられました。痛くて下から血が出たんです。それを私は言えなかったのに、もう一度言わなければいけないんですか。とても痛かったんです。
昔、高知に行ったときに、ダム工事でたくさんの朝鮮人男性が死んだことを知りました。働かせてご飯もあげないで、骨も埋まったまま。日本人はお骨収拾とかするのに、朝鮮人の骨は返そうともしない。日本人には父母がいて、韓国人には父母がいないとでもいうのでしょうか?! よく考えて欲しい。同じ人間のはずなのに。
お金をもらっていないのにもらったように言われるのはとても許せない。中国で解放を迎えて生きていくときにも、貧しく苦しい生活をして、靴がやぶれ裸足で歩いた。お金があったら故郷に帰って来れただろうに。そんな酷いことは言わないで欲しい。
ここにいる人たちはいい人だと思います。みなさんに行っているのではなくて、少数だとは思いますが「なかった」とか「お金をもらった」とか、そういうことをいう人が日本にいるのが許せないのです。
じゃあ韓国で仮に戦争が起こって、日本の男性を戦場に連れて行き、日本の女性をそういうところに連れて行って、そして韓国が謝罪も賠償もしなかったら、日本の人々はどう思うんでしょうか。自分の娘とかがそうなったら、どう思いますか。そういう酷く辛いことをしているのだということを分かって欲しいです。
先ほどの市議会の方々の話には感動しました。でも心ない少数の人の意見であっても、すごくすごく辛いのです。自分たちが酷いことを言っているのだということを分かって欲しいです。
追
悼
またしても韓国挺対協より訃報が届いています。
中国在住のキム・ウィギョンハルモニです。
異国に置き去りにされた被害者たちの苦難は生涯続きます。ナヌムの家のハルモニたちのように、故郷に帰ってこれたとしても、中国に残してきた家族と引き離されてしまうのですから。
最後まで帰国できなかったキム・ウィギョンハルモニの無念さはどれほどだったでしょう。
これで、やっと、魂となって故郷に帰られることでしょう。ご冥福をお祈りします。
年末年始にかけて悲しいお知らせが続いています。
故キム・ウィギョンハルモニの訃報をお伝えします。
キム・ウィギョンハルモニは、中国武漢に暮らしていましが、この間連絡をしても家族がハルモニとの接触を拒否するなどで会うことができませんでした。
亡くなったのではないかと実態調査を要請していたところ、おととい女性部からハルモニが亡くなったことが確認されたと連絡がありました。
故キム・ウィギョンハルモニは1918年ソウル生まれ。1938年に日本軍に強制連行され約7年間中国南京などの「慰安所」で苦痛を経験させられました。
1945年に韓国への帰国を試みましたが、思いどおりにはいかず、中国で暮らすことになりました。
ハルモニの姿は、ピョン・ヨンジュ監督の映画『ナヌムの家』に収められています。
キム・ウィギョンハルモニが恨はこの世に残して安らかに眠られるよう、冥福を祈ります。
追
悼
新年だというのに、私たちは辛いニュースで新年を迎えなければなりません。
韓国挺対協よりまたしても悲しい便りが届きました。韓国政府に申告していた被害女性234名は、これで88名になりました。問題解決されていない現状のまま、もうこれ以上ハルモニたちの訃報には接したくはありません。
今年こそは、なんとしてでも日本政府の謝罪と補償を実現させることを、ハルモニの死に誓いたいとおもいます。
韓国では年末年始ものすごい寒波に覆われる中、2010年が開けました。しかし、希望あふれる知らせの前に悲報をお知らせしなければなりません。
1月2日の朝、慶北キョンサンに暮らすキム・スナクハルモニが亡くなられました。
キム・スナクハルモニは、1928年に慶北キョンサンで生まれ、1943年、16歳で就職させてやるとの言葉を聞き中国に連行されました。ハルピン、内モンゴルを経て中国で日本軍性奴隷としての生活を強要されました。
1945年、キム・スナクハルモニが18歳の時に中国で解放を迎え帰国を試みましたが、1年後の46年にアムノク江を越えて北朝鮮に帰国されました。
その後、ソウル、クンサン、ヨス、トンドゥチョンなどを転々として暮らしてきました。
ハルモニは、2001年になって日本軍「慰安婦」被害者として申告し、その後挺対協が行う人権キャンプなどに参加もしました。
日本での証言集会も行い日本軍「慰安婦」の実相を証言され、テグの挺身隊ハルモニとともに行動する市民の会が行う園芸治療プログラムにも続けて参加し園芸作品展示会も開催しました。
最近、大腸がんが発見された後、手術を成功裏に終え安心していましたが、長い病苦と老衰に苦しんでいたハルモニは結局病魔に勝てず、恨多い世界から旅立たれました。
ハルモニが寂しくないよう冥福をお祈りください。
「慰安婦」問題の解決に向け、取り組まれている署名運動を案内しています。
署名用紙をダウンロードするなどして、ぜひとも署名にご協力下さい。
日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める緊急120万人署名
<特設サイトはこちら>
1991年、韓国の金学順(キムハクスン)さんが元「慰安婦」として名乗り出られて以来、各国の多くの被害女性たちが声をあげました。若い日にだまされ、あるいは暴力で日本軍の「慰安所」に監禁され、想像を絶する苦しみを受けた被害者たちの多くはすでに亡くなり、残された方も今はもう80代90代の高齢になられています。1993年に河野洋平官房長官(当時)が、調査結果に基づき「お詫びと反省の気持ちを申し上げる。そのような気持ちを我が国としてどのように表すかについては、今後とも真剣に検討すべきもの」との談話を発表しましたが、その後、なんら進展がありません。私たちが加害国の一員として、また人間として、誠意を表すことのできる時間はもうあまり残されていません。
政権交代が実現した今こそ、日本軍「慰安婦」問題を解決させる法律を早期に成立させましょう。日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める緊急120万人署名全国実行委員会
衆議院・参議院あて請願署名
「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」の早期成立を求める請願署名
戦時性的強制被害者(いわゆる「慰安婦」)問題が、日本の国会で1990年に取り上げられてからすでに17年の歳月が経過しましたが、問題はいまだに解決をみておりません。各国各地で名乗り出た高齢の被害者は、日本との和解を果たせず、深い「恨」(ハン)を抱いたまま無念の中に他界するケースが急増しています。
事態を憂慮した国際社会から、すみやかな対応を促す助言があいついでいます。昨年(2007年)、米国議会下院、オランダ国会下院、カナダ国会下院、欧州議会などで決議が採択され、今年3月にはフィリピン議会下院外交委員会も2005年に続く2度目の決議を採択しました。台湾立法院は2002年、韓国国会も2003年に同趣旨の決議を採択しています。また国連やILOなどの国際的な人権擁護機構からも繰り返し、勧告・指摘を受けてきています。
日本の行政府・司法府が15年以上かかって解決できていない深刻な人権問題の解決にこそ立法府が動くべきです。国権の最高機関である立法府の全党派・国会議員の皆様が真剣に取り組み、「国際社会において名誉ある地位を占める」ことができますよう、「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案」を審議し、早期に成立させていただけますことを要請します。「戦時性的強制被害者問題解決促進法」の立法を求める連絡会議
署名用紙 (PDFファイル 9KB)
法律案はこちら
大阪府・北摂の議会あて請願署名
日本軍「慰安婦」問題解決について、北摂の議会に意見書提出を求める請願書
日本政府は戦後63年たった今も、日本軍「慰安婦」問題を解決していません。1993年に河野洋平官房長官(当時)が「お詫びと反省の気持ちを申し上げる」という談話を発表しましたが、これは政府の公式発言とはいえず、また謝罪にともなう賠償はおこなわれていません。それどころか、2007年、安倍晋三首相(当時)は国会の場で「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという狭義の強制連行はなかった」と事実を否定する発言を行い、女性たちを日本軍の性奴隷にしたことを反省すらしていません。
2007年、このような事態を憂慮してアメリカ、オランダ、カナダ、EU議会は、日本政府が公式謝罪するように決議を採択し、2008年3月にはフィリピン下院外交委員会でも採択されました。また国連やILOなどの国際機関からも繰り返し勧告・指摘を受けています。いまこそ、日本政府に誠実な対応を求めましょう。
被害女性たちはすでに高齢になられ、生きている間に人間の尊厳を取り戻したいと、日本政府に公式謝罪を求めています。
つきましては貴議会が、地方自治法第99条の規定により、日本政府に対して河野談話を踏まえ、
1、被害者に対して公式に謝罪し、尊厳回復に努めること、
2、政府として個人に補償すること、
3、日本軍「慰安婦」問題の真相究明をおこなうこと、
4、歴史の真実を学校で教えること、
以上の意見書を採択してください。「慰安婦」問題の解決を求める北摂ネットワーク
署名用紙 (PDFファイル 103KB)
神戸市会あて請願署名
日本軍「慰安婦」問題の早期解決を求める署名![]()
私たちは、このようなひどい戦争犯罪を二度と繰り返したくありません。しかし、日本国内では平和憲法を改悪して戦争できる国にしようという動きも顕著です。私たち一人一人が自分の課題としてこの問題を学び、周りの人々に知らせることが、戦争実態卯を明らかにし、戦争への道を閉ざす大きな一歩になります。歴史教科書に「慰安婦」記述を復活させて、子どもたちが、平和を愛し、人権を大切にする人に育つように、私たちの願いを伝えていきましょう。
神戸市会は日本政府に対して、日本軍「慰安婦」問題に関して、以下の3点について、早期に実現するよう意見書を出してください。
1.日本軍「慰安婦」被害者と遺族に対して、立法によって公式に謝罪し賠償すること
2.日本軍「慰安婦」問題の真相究明をすること
3.日本軍「慰安婦」問題を、歴史教科書に記述し正しく教育すること日本軍「慰安婦」被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会
署名用紙 (PDFファイル 103KB)
大阪市会あて請願署名
日本軍「慰安婦」問題について日本政府へ早期解決を求めるための大阪市会への請願署名![]()
「慰安婦」問題について、日本政府は1993年「河野談話」において調査の結果、軍の関与の下で多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけたことを表明し、その後の首相もこの河野談話を継承すると言いつづけてきました。しかし政府は、これまで超党派で提出してきた「戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法案」をことごとく廃案にし「慰安婦」問題に対して何ら誠意ある対応をしてきませんでした。
2007年アメリカ下院議会が全会一致で「日本軍が女性を強制的に性奴隷にした」ことを「公式に認め」「謝罪する」よう日本政府に求める決議を採択しましたが、当時の麻生外務大臣は安倍首相とともに「客観的事実にもとづいていない」「決議があったからといって謝罪することはない」と、これを無視しました。河野談話を継承するということと矛盾する態度です。
その後も、オランダ、カナダ、EU、韓国、台湾が同様の決議を上げ、ILOや国連人権理事会などの国際機関も早期解決と謝罪を求める勧告を行っています。このように、日本政府が日本軍「慰安婦」被害女性に対して、いまだに公式に謝罪もぜず、賠償もせず、真相究明しないばかりか、教科書からもその記述を消し去って、無かったことにしようとしていることに対し、世界中で批判の声が高まっています。
「慰安婦」にされた方々は、すでに高齢になられ、尊厳を踏みにじられたまま多くの方々が亡くなられています。一日も早い政府の公式な謝罪と補償が求められています。
私たちは、大阪市会として、日本政府に対し、以下の点を実現する内容の意見書を可決していただくよう、請願いたします。
1.日本軍「慰安婦」問題の真相究明をすること。
2.日本軍「慰安婦」被害者に対して、公式に謝罪し、尊厳回復をおこなうこと。
3.日本軍「慰安婦」の被害者に対して、国家として補償すること。
4.日本軍「慰安婦」問題を歴史教科書に記述すること。大阪市会で「慰安婦」意見書を求める会
署名用紙 (PDFファイル 128KB)
「戦争と女性の人権博物館」建設を求めるソウル市あて署名
韓国挺身隊問題対策協議会が「慰安婦」被害者の被害と闘いの歴史を伝え、世界中で今も続く女性に対する暴力を根絶するための展示と活動をする拠点として、建設を推進してきた「戦争と女性の人権博物館」に対し、2008年11月3日、光復会をはじめとする独立運動関連団体が建設反対の声明を出し、会見を開きました。この博物館が西大門独立公園内に建築許可を取ったことに対する抗議で、「独立運動家と独立運動を汚す『殉国先烈に対する名誉毀損』」だと述べています。
日本政府が、「慰安婦」問題に対し、なすべき責任を取っていないために、このような主張が被害女性の生きる国で噴出していることに胸を痛めつつ、責任を負うべき国に生きる者として、独立運動関連団体が主張を撤回し、ソウル市はひるむことなく博物館建設を推進するよう求める署名を募っています。「戦争と女性の人権博物館」日本建設委員会
日本建設委員会の署名サイト(外部リンク)
署名用紙 (PDFファイル 10KB)
「戦争と女性の人権博物館」についての当サイトでの案内はこちら
「戦争と女性の人権博物館」の案内 (PDFファイル 747KB)
2008年11月3日の建設反対の動きに対する抗議等はこちら
日時 集会名 場所 主催団体 チラシ
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