裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

水曜日

滝川クローシテル

「ニュースJAPAN終っちゃったからねえ」(親父ギャグ……)

※通院 朝日新聞コメント取材

今朝の夢。外人たちがたむろする屋外集会所みたいな
ところに行くとスピーカーから『イパネマの娘』が流れてくる。
もっとも、曲は『ロシアより愛をこめて』で、その曲に合わせて
“イパネマ〜、イパネマ〜”と言っているだけ。
もっと長い夢だが詳しいことは夢日記に別に記載しておく。
ところで本歌の『イパネマの娘』だが、私、これ聞く度に
タモリのレコード『タモリ3』を思い出すのである。

10時起床、コーヒーのみ。
NCの葬式で検診に行けなかったので今日で薬が終り。
病院に行かないと。

朝日新聞文化部から電話でコメント依頼。15分ほどいろいろと
しゃべる。しゃべりながら記事にしやすいよう、頭の中で整理し、
結論部分に落とし込む方向で。

12時昼食如例。牛肉とピーマンの炒め、煮豆腐。
ご飯一膳。

書き下ろし原稿ちょこちょこと。
3時、家を出て病院へ。
えらい混みよう。受付に行って明日の方がいいですかね、と言うと
明日も同じようなもんだそう。
これは二時間くらい待ちそうだ、と覚悟していたが、いろいろ
ラッキー及び親切重なって、30分くらいで処方してもらえる。
あと、血液検査。こっちはガラ空き。

薬局で薬を貰い、帰宅。昨日のピェンローの残り汁にご飯を入れて
雑炊にし、かき込み、夕方の仕事にかかる。
篠沢教授が筋萎縮症で車椅子生活だとやら。
ううむ。

あのガンビー(写真)の作者で、世界初のクレイ・アニメーション
(粘土アニメ)作者、アート・クローキー、8日に死去。88歳。

彼がクレイ・アニメーションの技法を発表したのが1953年。
まだクレイ・アニメーションはその誕生から今年で57年しか
経っていない、かなり新しいジャンルなのだ。人形を使った
アニメーションの歴史がすでに100年近く経っている
(1911年、ラディスラフ・スタレヴィッチによる)のに比べ、
やや意外な感もあるが、これはプラスチック粘土など、撮影に
適した素材の誕生を待っていたということもあるだろう。
撮影用ライトで照らされると、その熱で普通の粘土はすぐに乾いて
ひびが入り、崩れてしまうのだ。

アート・クローキーが最初に粘土を使ってアニメを作ってみよう
と考えたのは南カリフォルニア大学映画学科に在学中のこと。
そこの卒業製作として彼が53年に作ったのは、ゴム粘土の固まり
がジャズに合わせて次々にその形状を変化させていく抽象アニメ
『ガンバシア』だった。
http://www.youtube.com/watch?v=iXdHTP7omZk&feature=player_embed

その作品を見た20世紀フォックスのサム・エンガルに、
子供向けの粘土アニメを作ってみないか、と持ちかけられ、
クローキーは子供のころ見て、おかしくてたまらなかった叔父の
髪形をモデルに緑色の粘土小僧、ガンビーを作り上げた。
1957年のことである。

以降、88年までに200本以上の短編にガンビーは出演。
後に長編映画になるという人気者ぶりで、絵本になり玩具になり
お菓子になり、アメリカ大衆文化の代表の一つに数えられる
人気キャラクターとなった。
ガンビーはもはやアニメ史ではなく、おもちゃや絵本を含めた
子供向けキャラクター史の文脈で語られるべきものなのかもしれない。
日本ではあまり普及していないようだが、傑作集のビデオが
以前出ていた。ガンビーの声は広川太一郎!

……で、一躍人気者になったこのガンビーの作者に目をつけたの
がジェームズ・H・ニコルソンと組んで大量のB級映画を製作
し続けていたプロデューサー、サミュエル・Z・アーコフ。
1965年、自らの映画会社AIPによるお色気大作
『ドクター・ゴールドフット・アンド・ザ・ビキニ・マシン』
(主演/ビンセント・プライス)に彼を起用し、このドタバタ・
ピンク・コメディのオープニングアニメを製作させた。
全米の子供たちに愛されたガンビーの作者による、
これは珍しいオトナ向けのお仕事。
http://www.youtube.com/watch?v=wfpBeM9ujJY&feature=player_embedded

アーコフという人間は単なる安上がり映画製作者ではなく、
コッポラやマーティン・スコセッシなど若い才能を見いだす天才
でもあった。……しかし、彼らを例外なく、安く使い叩いた。
クローキーも使い叩かれた方だろう。
こういう商業映画の世界がイヤになったのか、タイトルデザインの
仕事をしたのはこの65年の一年のみ、作ったのはもう一作、
やはりアーコフのプロデュースしたB級ビーチ・ムービー
(それでもミッキー・ルーニーやバスター・キートンなどが特出
している)『How to Stuff a Wild Bikini(マジイケのビキニ
姉ちゃんとイタす方法)』という映画のみ。子供たちにとって
神様みたいなアニメ作家の、オトナ向けのたった2本の作品の
タイトルにどちらも“ビキニ”と入っているというのが何とも……。
ともあれ、その栄光は永遠に。
ご冥福をお祈りする。

資料本などを読むうち、今日はもう書くのはいいや、になって
料理などにかかる。豆油肉とオクラおろし。
DVDで『ブラジルから来た少年』。1978年。
初期のレンタルビデオ屋の目玉商品のひとつだった。
何故かというと、アイラ・“ローズマリーの赤ちゃん”・レヴィン原作、
フランクリン・J・”猿の惑星“・シャフナー監督、おまけに主演が
グレゴリー・”たくさんありすぎて代表作言えない“・ペックと
ローレンス・“同じく”・オリヴィエというメジャー大作
なのに何故か日本未公開(テレビでのみ放映)の未知の名作、
だったからである。

今見ると、後半、特にラストが地味で、これが未公開の原因かなと
思えるのだが、地味だけにゾクッとするサスペンスが伝わってきて、
ああ、スピルバーグ以前のハリウッドはこういうオトナのドラマを
作っていたんだよなあ、とノスタルジーにひたることが出来る。
ブラジルからウィーンへ、さらにスイスへ、ロンドンへとワールドワイド
に舞台が切り替わるのも60年代〜70年代の国際サスペンス映画に
よくある形式だった。

ペックとオリヴィエの最後の格闘はさすがに年齢が露骨に出て
いささか痛々しい(実際に痛いシーンばかりだ)が、この二人以外
にもいい役者が勢ぞろい。保安部長役のジェームズ・メイソンは
言うに及ばないだろうが、ナチス会のエージェントに007シリーズ
でKGBのゴゴール将軍を演じたウォルター・ゴテル、ロイター通信
のウィーン支局員にインディ・ジョーンズシリーズや『大逆転』の
デンホルム・エリオット、メンゲレの作った養子を引き取った
家の父親にハマー・ホラーや『バットマン』シリーズのマイケル・ガウ、
『刑事コロンボ』シリーズや『イルカの日』のジョン・デナーなど。
こういう個性ある顔ぶれがチョイと出演するたびにゾクゾクしてしまう。
クライブ・レビルやハリー・アンドリュースが出ていればカンペキだった
かもしれない。ブレイク前のスティーブ・グッテンバーグの役柄も
何か、いかにもそれっぽくて、今見ると逆にちょっと衝撃的で。

オマツリみたいな今のSFX映画がこういうジワジワと謎とサスペンス
を盛り上げるSF映画を駆逐してしまった。
まあ、『スターウォーズ』に大歓声を上げた世代が文句を言えるこっちゃ
ないが、しかし寂しい。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa