第160回「足利事件」、報道はどうだったのか(2009・6・30記)
【1】科学捜査DNAの呪縛で犯人視
【2】地元紙にみる逮捕からの1週間
(イ)否認→自供の13時間余
(ロ)見込み捜査で犯人像をデッチアゲ
(ハ)DNA型鑑定の問題点指摘の記事も
【3】むすび
無実なのに幼女殺しの犯人として獄中生活を強いられていた足利事件の菅家利和=すがやとしかず=さん(62)は、2009年6月4日、17年半ぶりに釈放された。続いて東京高裁で再審が決定(6・23)し、7月にも宇都宮地方裁判所でやり直し裁判が行われる。DNA型鑑定の不一致で無罪は確実であり、菅家さんを幼児殺害・死体遺棄の罪で無期懲役とした1審、2審、そして最高裁の判決はえん罪だったことが明らかになる。裁判官を含め司法当局の謝罪は当然だが、一連の報道はどうだったのか、振り返ってみたい。
【1】科学捜査DNAの呪縛で犯人視
「あの時のマスコミすべて黒と言い」(枚方市 原 隼)
菅家さんの釈放2日後に朝日新聞に載っていた川柳である。作者がどういう人物か知らないが、当時の事件報道のあり方に猛省を促している。後知恵で言えば、「DNA型鑑定が一致した」と言っても1000人に1・2人の確率だし、「容疑者が自白した」と言ってもそれを裏付ける証拠は何もなかった。それなのに、警察発表とあれば、報道陣は鵜呑みにしてしまう。私も現役時代に取材していれば同じような落とし穴に陥っていたであろう。
しかし、自白のみに頼った「4大死刑えん罪事件」が明らかになった後の出来事だけに、一連の報道の中で、「DNA型鑑定」への疑問や容疑者への人権に配慮した視点を持てなかったものか、悔やまれる。報道に携わるものがそろって「他山の石」とすべき貴重な教訓である。菅家さん釈放以来、新聞・放送各社のなかには、自社の報道を振り返り、検証記事を載せたところもある。
国立国会図書館で当時の新聞各紙の縮刷版(朝日、毎日、読売、下野)を比べてみた。期間は逮捕時からほほ全容解明までの7日間とした。結論から言えば、どの社も大同小異で、DNA型鑑定が一致したという科学捜査の呪縛にかかり、菅家さんが真犯人であることをほとんど疑っていない。警察も菅家さんの自供を得て、捜査が難航していた事件の解決に喜びを隠しきれない様子が伝えられている。
各紙とも大部分が足利警察署捜査本部の発表プラス容疑者=犯人という視点で書かれていた。そのなかで、下野新聞は地元紙だけに日ごろのきめ細かい警察取材が威力を発揮し、警察のリークと思われるような記事を含め、情報量がひときわ多かった。
(全国紙は縮刷版=東京都内の最終版=なので、栃木県版は不明)
■4大死刑えん罪事件
免田事件 1983年7月 逆転無罪判決
財田川事件 1984年3月 逆転無罪判決
松山事件 1984年7月 逆転無罪判決
島田事件 1989年8月 逆転無罪判決
【2】地元紙にみる逮捕からの7日間
下野新聞(本社 宇都宮市)は栃木県下一円に取材網を張り巡らす発行部数32万1千部(朝刊のみ,会社概要)の新聞社である。栃木県の人口は200万、世帯は75万なので、そのシェアは大きく、影響力も大きい。
以下は、下野新聞が報道した菅家さん逮捕から1週間の紙面の見出しである。これだけみても足利事件の捜査がどのように進められ、それをどのように報道したかがつぶさに伝わる。
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【1991・12・2(月)】
(1面)
「幼女殺害で元運転手逮捕 足利の真美ちゃん事件 DNA鑑定で体液一致 深夜 聴取に犯行自供」「DNA鑑定の解説」 (真美ちゃんと菅家容疑者の顔写真掲載)
(社会面)
「否認突き崩した科学の力 真美ちゃん事件 難航捜査一気に解決 菅家容疑者 おとなしい反面短期 証拠求めて8時間 家宅捜索 足利事件周辺の幼女殺人事件 真美ちゃん事件の経過」
(殺害された別の3人の幼女の顔写真掲載)
【1991・12・3(火)】
(1面)
「騒がれては困ると殺害 足利・真実ちゃん事件 元幼稚園運転手を逮捕 菅家容疑者 いたずら目的認める 足利署、他3件も追及」
(菅家容疑者の顔写真、両脇を警察官に挟まれた菅家容疑者が後ろ手に手錠をされたまま足利署を出る写真掲載)
(社説)「幼児守る方策考えよう」
(第1社会面)
「あの優しいおじちゃんが・・・ “身内”の犯行に驚き 菅家容疑者『霊にわび話します』 『仏様になれた』 園友たちめい福祈る 暗雲消え市民に安堵 『そっとしておいて』遺族 アダルトビデオ山積み 借家と実家捜索、押収 聴取に疲れありあり 顔隠すように車内へ」
(第2社会面)
「市民の協力のおかげ 『身辺情報から確信』 捜査本部長会見 ツブシの作業徹底 容疑者絞り込み体液鑑定 DNA鑑定が決め手 採取法などに問題点も」
【1991・12・4(水)】
(第1社会面)
「真美ちゃん事件 2件の幼女殺しと関連か 捜査本部が『重大な関心』 菅家容疑者に土地鑑 自宅から手書きの地図 菅家容疑者 万弥ちゃん(未解決の事件の被害者=筆者注)宅近く知る 足取りの裏付け急ぐ 目撃者確認、数日中に終了」
(足利市内の幼女殺害事件の現場を示す地図、真実ちゃんの遺体発見現場の写真)
【1991・12・5(木)】
(第1社会面)
「真実ちゃん殺害事件 足利署 未解決事件の捜査始まる 容疑者同行し検証へ 功労8人に本部長即賞 秘密の暴露 調べ進める 宇都宮地検会見 目引く大形ビデオ装置 借家捜索 200本7割がアダルト」
【1991・12・7(土)】
(第1社会面)
「真実ちゃん殺害事件 橋を渡って逃走 犯行の全容ほぼ解明 発見現場 遺体囲むように石 」
【1991・12・8(日)】
(第1社会面)
真実ちゃん殺害事件 結婚破綻し劣等感? 容疑者、幼女に興味持つ 捨てたごみからの体液採取は合法? DNA鑑定で問題浮上 容疑者逮捕で消防団に感謝 田中足利署長」
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(イ)否認→自供の13時間余
上記の記事のうち、「功労8人に本部長即賞」(12・5第1社会面)の3段記事は、目立たないが、見逃せない。県警本部長が菅家容疑者逮捕で功労のあった警察官ら8人に本部長即賞を贈ったという記事である。受賞した最年長者で、刑事一筋に二十数年のH警部(本文実名52歳)の談話が載っている。
専従警部として逮捕までの569日間、足利で過ごした。物証が少なく、捜査が行き詰まったときは、遺体発見現場に足を運ぶ。その回数40〜50回。1人で歩いていると、「犯人がどこをどう歩いてきたか、いろいろと思い浮かんできた。」という。菅家容疑者から自供を引き出したのもこの警部で、長期にわたる身辺捜査で「犯人と確信して調べに当った。」と語る。自供に導いた言葉、それは「真人間に帰りなさい。」だった。
自供を伝える12月3日の記事には、否認から自供に至る経緯が記されている。警察は12月1日朝(午前8時)から菅家さんに任意出頭を求め、重要参考人として事情聴取した。
まず1面記事。
「菅家容疑者は当初『真実ちゃんの顔は見たことはない。』『現場に行ったことはない。』『家でテレビを見ていた。』などと事件とのかかわりを強く否定していた。しかし、(13時間経過した)午後10時すぎになって『パチンコ店に行った。』『河川敷に行った。』などと供述を始め、その後、涙を流しながら犯行を自供したという。」
社会面記事はもっと詳しい。。
「当日のアリバイを聞かれ、『あの日は仕事をしていました。午後2時に帰りましたが、途中で買い物をして午後3時に家に帰ってからはビデオを見ていて、一歩も外に出なかった。』と細かなアリバイを主張した。」これが反対に、「1年半前の『5月12日』の行動を覚えているのは不自然だ、と捜査本部は色めき立った。」「・・・ついにパチンコ店『ニュー丸ノ内』に当日行ったことを認めた。ここからは取調官は筆を走らせるだけとなった。『パチンコ店から景品交換所に行った』『近くの駐車場に真実ちゃんがいた。』『かわいいので自転車に乗せたいと思った。』『荷台に乗せて河原へ行って・・・』重要参考人は『首を絞めて殺しました。』と供述し、容疑者に変わった。」
しかし、自供したとは言え、取調べが始まって4日たっても決定的な証拠がなく、宇都宮地検の次席検事は記者会見で、「容疑者から秘密の暴露を得られるよう、詳しく調べたい。」と語っている。結局、最後まで真犯人でなければ知り得ない秘密の暴露はないまま、容疑者が知らない現場に詳しい警察が創作した架空物語に沿って、犯行の一部始終が供述調書に紡がれていったことになる。
その自供を得る直前、警察は決め手がないため、いったん重要参考人のまま菅家さんを「帰宅させる」ことを考えたらしい。下野新聞<20年目の真相 足利事件・再審無罪へ>(中)(09・6・7)は、「公判記録などによると、菅家さんが『自白』に転じたのは後に別人と判明する『DNA鑑定』を突き付けられた後だ。」と伝えている。
自供に至った心変わりについて、菅家さんは保釈当日、報道陣に次のように述べ、捜査当局に謝罪を求めた。
「刑事たちの取り調べが厳しい。髪の毛を引っ張ったり、足をけられたり。『白状しろ、早くしゃべって楽になれ』と言われた。抵抗しきれなかった」
「警察から私の体液が一致していると言われ、そこまで分かっているならうそをついて否認しても仕方ないと思った」
こうした架空物語を最初の弁護士も見破れなかった。宇都宮地裁の6回目の公判で否認(その後も2転3転)したが、それは「傍聴席に刑事がいるんじゃないかとビクビクしていた」からで、「裁判官なら分かってもらえると思った。」と記者の質問に答えている。
(ロ)見込み捜査で犯人像をデッチアゲ
もう1人、菅家さんを怪しいと最初に目を付けた駐在所の巡査部長(当時31歳)が「本部長即賞」を受賞している。この巡査部長は「巡回連絡中に不審に思った家がたまたま菅家容疑者の借家だった。」と照れ、さらに「『ジャンボ宝くじに当った気分』と喜びを表した。」と書かれている。
その記事のすぐそばに、「不審に思った家」の説明がある。間取り2間の借家は家財道具がほとんどなく、そこに画像を拡大する大型スクリーンの付いたビデオ再生装置があり、人目を引いた。窓には常にカーテンが引かれ、目張りがされているなど、外から内部をうかがうことは出来ない。家宅捜索では、200本のビデオテープが押収されたが、その70%はアダルトビデオだった。ポルノ雑誌十数冊も見つかった。成人用玩具が数点、マネキン人形の片足部分が見つかった。
続けて「借家から浮かび上がってくる菅家容疑者の生活は多くの部分で、埼玉、東京で起きた幼女連続誘拐殺人事件の被告(宮崎勤被告のこと。08・6死刑執行)の姿や自宅離れの様子(週末以外は実家で過ごしていた)と重なるものだった。」(12・8)とある。
さらに、菅家さんの離婚歴、職業歴、女性との付き合いにも触れ、「短期間の結婚生活が成人女性へのコンプレックスとなり、幼女に興味を抱くきっかけになったのではないかとみて、裏付け捜査を急いでいる。」と警察の発表に引きずられ、犯人視した報道になっている。
(ハ)DNA型鑑定の問題点指摘の記事も
逮捕以降は、社説「幼児を守る方策考えよう」(12・3)の筆者も容疑者段階では推定無罪の原則があるのをよそに、「憎んでも憎みきれない足利市の幼女殺人、死体遺棄事件の容疑者がついに逮捕された。」で始まり、「この種の幼女殺しは、殺された幼女を思うとき痛々しさのあまり言葉を失う。一方、多くは自分の劣情を満足させるいたずら目的で、判断力も抵抗するすべもない幼女を、あたかも赤子の手をひねるように絞め殺してしまう犯人の残虐さに怒りを抑えることができない。」として、そのころのDNA型鑑定の危うさについては言及していない。
その一方、自供から8日目、「捨てたごみからの体液採取は合法?DNA鑑定で問題浮上」という見出しの記事が載っている。捜査本部が科警研にDNA型鑑定を依頼したのは、1991年夏で、その結果は菅家さん逮捕のおよそ1ヵ月前に届いた。
「今回の捜査過程で指摘されているのは@容疑者が捨てたごみからの体液採取は合法的か。Aこの体液は容疑者のものと特定できるか―の2点。」
体液採取の方法などについては、
「今年(1991)夏、身を潜めてマークを続ける捜査員は、足利市内の借家の外でごみを捨てた菅家容疑者を確認。ごみの中からティシュペーパーにくるまれた体液を“回収”した。」
「捜査本部は捨てられていた具体的な場所を明らかにしていないが、『家の外に捨てたのを確認しており、適法。』と強調。また『ごみを捨てた時の様子を写真で撮っており、体液は本人のもの・・・。」
このあと、「(ごみの捨て場所が)玄関など個人の敷地内にあったら(プライバシーなどの)問題が生じるだろう。」という元前橋地裁所長の指摘を載せている。
各社を通じて、当時、DNA型鑑定について問題点を指摘した記事は比較的少なかっただけに、特筆に値しよう。
【3】むすび
裁判員制度の導入で、報道各社は事件・事故の報道に当たって、情報の出所を明示することを決め、指針を示している。これまでのように、単に「調べによると」ではなく、「捜査本部の調べによると」「捜査関係者によると」と書くようになった。これを機会に、余罪に触れる場合を含め容疑者を即真犯人と決め付けるような、または予断を持って犯人視するような書き方をしなくなるように期待したい。
テレビ朝日の開局50周年記念ドラマ「刑事一代・平塚八兵衛の昭和事件史」(6・20、21放送)を見た。「落しの八兵衛」の異名を持つ名刑事物語だ。ビデオリサーチによれば、関東地区の視聴率は2夜とも20%前後なので、この種の番組は結構見られているらしい。私はいくつかの話の中でも村越吉展ちゃん誘拐殺人事件で、平塚刑事が小原保容疑者を追い詰めていくシーンが印象的だった。
別件での調べも時間切れ寸前に、小原容疑者が郷里にいたはずの日の「日暮里の大火を見た」と話したことからアリバイが崩れ、急転直下、全面自供に繋がった、という有名な話がここでもハイライトだった。
このドラマでは平塚刑事役の渡辺 謙がときに反抗的だったり、ときに黙りこくったりする小原容疑者役の萩原聖人に腹を立て、かなり威圧的にかつ暴力行使すれすれまで演じるところがある。取調室のこうしたシーンは可視化されたらどうなるか。
菅家さんは「髪の毛を引っ張ったり、足をけられたり。『白状しろ、早くしゃべって楽になれ』」と強要された経験から、取調べの全過程を録音、録画する全面可視化を強く希望している。捜査手法の変更に迫られるとしても、全面可視化して、自白ではなく、動かぬ証拠に基ずいた取調べを望みたい。
(文中「 」は記事の引用。「 」のなかの( )内に必要に応じて説明を加えた。)#
■下野新聞HPから
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