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全ての情報が |
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3月10日の夜、平内の自宅(3月1日から住んでいる新家)に泊まったら、床についている私に、人の足音が近づいて来て、私は金縛りに掛かり、身動きが全く出来なくなった。そして、その私の身体に全ての情報が繋がった来て、私の身体自体が全世界のサイトに成ってしまった。余りにも次から次と情報のチャンネルが繋がって来るので息もしずらい状態なので、どうにかして、その状態から抜け出そうと考え、漸く手を伸ばす事が出来、電気を灯けて、意識を普通の世界に戻した。
少し楽になったので、再び電気を消すと又、同じ状態が遣ってくるので今度はテレビをつけて意識が闇に溶けこまない様にした。闇に溶けこむとは、四次元的世界の事で日本語で言うと「お陰様」の目に見えない神の世界の事である。
その夜はテレビが点灯している事で三次元世界が身近に働いているので、何とか朝まで耐える事が出来た。次の日の11日の夜はその続きがあり、今度は全方向からピンク掛かった緋色の糸に玉が付いた物が中心に集まって来て鉢のような形に成っている。そのネット状の窪みの中心に、今度は、一本の黄金のリングの糸の輪が掛かっており、それにも小さな黄金の玉が無数に付いていた。
私が二日に渡り体験したその感覚は、三次元を結んでいる糸車の中心に四次元のリングが掛かっているようなものであった。二つの糸のネットワークは、密教的に説明すれば、緋色の多数の因縁の糸が胎蔵界曼陀羅華(たいぞうかいまんだらけ)で蓮華を意味し、黄金色の糸車のリングは金剛界を意味し、その両方の糸(ネット)の中心がビルシャナ(大日如来)の真理の中心である様に想える。
ピンクや緋色は物質の世界を示す色であるし、黄金の色は真理(智恵)の世界を示す色であるとも言える。物質の世界の因縁と、真理である智恵の世界の因縁が両方とも私の身体に集まり繋がった様子なのだ。それは釈迦牟尼佛陀に言わせれば「森羅万象(三千世界)の中心に我が在り、一切衆生は皆我が子なり。」との世界であり、日本の神道では天地一切の御祖(みおや)、スメラのみことの働きの世界であると想われる。
3月1日から住むようになった、この平内の新居は屋久島のまつばんだ交通の社長藤山幸彦氏の持ち家で、2003年1月3日藤山氏が私の安房の自宅に年始の挨拶に来て、色々話す内に「平内に家を買って寺にしたいと想っているので見に行こう」と言うので、早速二人で見に行く事となった。そして家に着き、家中を見ると、台の上に蝋燭が立てて有るので、私はそれに火をつけて両手を合わせ瞑目した。すると私の頭の内に「仏が出る」との言葉が浮かび、この家が佛の出現と関係が有る事が示されたのである。それからこの家との縁は切れていたのだが、先月2月27日に久しぶりに安房の自宅に帰っていると、藤山氏が突然訪ねて来て一年ぶり位に話をした。その中で平内の学校が4月に出来上がる事を伝えると「子供達に神様の話しを伝えなければならない。」と言うので、「私も子供の相手をする様に成るだろう。」と言うと、それなら平内の家が学校に近いので私に住む様にと言う。私も自宅を近日中に壊さなければならないので、それは有難い事だと言うと、直ぐに家の鍵を車から出して、渡して下さった。私はその日の内に見に行き、3月1日から住む様に成ったのである。昨年「佛が出る」と伝えてきた者が、3月10日夜私の肉体に侵入した霊であり、それが久遠実成の永遠の佛陀であり、耳にした、近付いて来る足音だったのかもしれない。
私は1997年の11月1日に島根県の出雲の地京都から引っ越した。そして出雲の地(私の意識の拡大)から世界に向けて小さな小芥子(こけし)の様な物が、日本と世界に向けて無限に想える程の数が飛び去って行くのが霊夢の中で見せられた。その小芥子の様な物は、神の化身の現れの様に想えた。それと同じ物が1984年の12月出雲大社に参拝した時に現れている。出雲大社にお参りを済ますと、誘われる様にして、社の横に有る道路を裏山の方に向かって、歩いて行った。社の裏山の中腹には別社が有り、私はその社にも祈りをして旅館に帰った。するとその夜の霊夢に、別社の森から小芥子の様な小さな物が一個だけヒョコンヒョコンと飛び跳ねる様にして近づいて来た。そして私の所まで来ると止まって、私に近づいて来る様に手招きをする。私の意識は自然にその小芥子の様な物に付いて行った。するとその小芥子は、出雲大社の柵を通り抜けながら奥の社迄辿り着いてしまった。私の意識は自分の肉体から白い蛇か龍の様な姿で後を付いて行き、一番奥の社の神を祭っている所に達すると、光の爆発の様に飛び散って消えてしまったのである。
1984年の12月から1997年の11月迄は13年の月日が経過している。84年の12月に1個だけ迎えに来た物が、13年後には、無限の数に増殖して世界に拡散して行った事に成る。 その神の分身の様な物が、神のコダマと成って、今後日本に帰って来るのだろうか。
世界から神の役目を果たすべき者達が、日本に遣って来るのには、しばらく時間が掛かるだろう。その前に、日本からの情報が世界に向けて発信されなければならない。その情報源が何処に成るのかは、私の身体を通してしか分からないものと想える。その理由は37才から58才迄の働き盛りの人間が全てを止めて、全国を旅して情報を理解出来る様に成っているからである。私の身体は目に見える磯邉自適の肉体だけでなく、全島花崗岩の屋久島の山々が神の住まいと成って、回路の役目を果たしているからである。
サイト(SITE)とは@用地・敷地 Aインターネットにおいて特定の情報を蓄積している、コンピューター又はそのコンピューターを含むシステム全体.ワールドワイドウエブでは、これらに対して統一的なアドレスを付与して直接アクセス出来る様にしている。と広辞苑に載っている。私の身体が神の世界(四次元)のサイトと成っている可能性は高い。それは新しい社会の概念と成り、これまでの宗教的価値観は全て取り除かれるのではないだろうか。これまでの宗教は人間と神を切り離して来た。それが神とは人間が脳で考え出した創造物であり、真実は自分の肉体こそ神の存在の証であり、人間の知識や想念は全部人間の脳が創り出した現象(もの)である事が理解されつつある。宇宙は巨大な大型コンピューターであり、人間はその端末に過ぎない事になる。しかし端末の機器から情報を本機に送らなければ、巨大コンピューターであっても情報の蓄積は出来ない。それが神と人間の関係性である。末端の機器である人間が死んでも、本機に送られた情報は残され積み上げられて行く。それが、ネバー・エンデイング・ストーリーである。ブッダ(仏陀・覚者)とは、その巨大コンピューターに、第三の目と呼ばれている松果体(シリコン)の周波数でアカシックレコードにチャンネル出来た者の呼び名である。ブッダとは宇宙の情報に直接繋がり、自然の法(ダルマ・道・タオ)に従い情報の整理をする役割の者の名である。それらのブッダとは、この三次元に存在する時の呼び名だが、死後も霊界に在って聖霊として存在し、四次元から三次元に働きかけ、次のブッダが誕生するのを手助けしているのである。一人のブッダが真理の情報を本機に送る事が出来れば、普通の人も本機から自分の端末に情報を入手出来る事になる。それが仏陀の衆生救済の新しい手段と成り得る。その為に天はインターネット社会を人間に与えたのだ。一台の端末の機器はもう動き出しているのだ。 人の手に持ち運べるノート型パソコンが世界の意識を変える日は近い。それが私に起きている現象なのである。
明日からは、4月1日から5日迄屋久島で催される「スピリチュアル愛ランド屋久島」の関係者が島に入り始める。いよいよ新しき意識の確立が始まるのである。 15年4月1日の文章「佳人の稲刈」にその兆しは現れていた事が今日分かった。その事に気付いて文章を書き始め、この様な内容と成った。
出雲大社の神は縁結びの神様とされている。祭神は、大国主命とスサノオの尊である。出雲から始まった小芥子の姿の神々は屋久島に何を運んで下さるのだろうか。
今回の催しには出雲から8名が参加する。何が起きるのか楽しみにして待ちたいと想う。 |
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2005年3月30日 |
自適 |
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