緑豊かな大地を生かす(2010年を迎えて)

 年が改まり、2010年を迎えた。「新(あらた)」は「生(あ)る」と同根の言葉という(白川静「字訓」)。新潟の地で生まれ変わるように生きていく。そんな「生る」に清新な思いを抱きながら、県民読者と共に新年を心から祝いたい。
 いま未曾有の不況が県民生活を直撃している。出口が見えない不安と不満は募る。だがそれは向上心の裏返しでもあり、次の実りへの力の源である。
 日本は、これまでさまざまな経済危機に見舞われてきた。そのたびに知恵と努力で難題を乗り越え、壁を突き破ってきたことを思い起こしたい。
◆国頼りから脱せねば
 21世紀に入って10年目を迎えた。この間、地方はどう変わったのだろうか。新世紀に先立つ2000年に地方分権整備法が施行され、分権時代の本格的な幕開けが告げられた。
 平成の大合併が終わる。かつて112あった県内の市町村数は、長岡市と川口町が一緒になり30に減る。
 合併では住民生活の利便性が向上し、行政サービスの効率化や広域的な地域づくりが期待された。メリットを発揮できた面もある。だが、地域の個性が失われ、行政と住民の距離が広がったとの指摘は無視できない。
 「小泉構造改革」が生んだゆがみといえよう。都市再生を重視し、一極集中を加速した。戦後最長の景気拡大があったにもかかわらず、分権の果実は乏しく、効率重視の国づくりが地方を疲弊させた。カネ崇拝の風潮は「勝ち組」「負け組」の格差を拡大させた。
 昨年の政権交代は、これに対する地方の反乱とみることができる。鳩山由紀夫首相は「地域主権」のために憲法改正を考えるという。
 新しい日本をつくるためには内政の在り方を抜本的に見直す必要がある。地方に活力が戻らねば真の変革は不可能だ。そんな認識は正しい。
 だが戦後、新憲法が地方自治制度を定めたのは国と地方の仕事を切り分けるためだったはずだ。その本旨をこれまで生かせなかったのはなぜなのか。まずそれを問わねばならない。
 国の政策を唯々諾々とのんできたのは私たちでもある。国頼りの発想と決別しよう。地方のことは地方で引き受ける覚悟を持つときだ。
◆「食の基地」を見直す
 地方はミニ東京を目指すあまり、身近に息づいている地域の宝を掘り起こし、磨き上げることに目を向けなかったのかもしれない。
 新潟日報の県内経済面には、食品関連の記事が多く掲載される。農業大県である新潟は、豊富な原材料を使った食料品製造業が生き生きとしている。
 県の経済統計によると、製造業全体に占める食料品関係の従業者数の割合は全国平均を大きく上回り、右肩上がりを続けている。
 公共事業の受注減を受けて経営に展望を開こうとする建設業では、キノコ栽培の成功で全国に販路を広げる企業など、食品関連への参入が相次ぐ。
 米粉についても先駆的な挑戦が続く。コメ離れの危機感から始まった取り組みだ。コメ王国の新潟が日本固有の粒食文化を基に、ユニークな粉食文化を生み出そうとしているのだ。食関連のイベントも盛んに行われるようになった。新たな「みずほの国」づくりを全国、世界に発信していきたい。
◆北前船の大きな帆を
 高齢社会が負の要因として語られる。先進国共通の悩みだ。日本は少子高齢化のスピードが速い。地方はなおさらだが、高齢社会のモデルを示す機会に恵まれたとみることもできよう。
 緑豊かな大地で生まれた食材をベースに健康長寿の地域をつくる。それとともに医療を充実させ、福祉産業も育てる。現にそんな動きが官民一体となって県内で本格化してきたのは心強い。地場産業も生き残りを懸けて、環境分野での起業や新商品開発に懸命だ。
 中越地震発生から5年が過ぎ、中越沖地震から3年を迎える。震災などの災害を乗り越え、助け合う住民の姿に全国から共感が寄せられた。
 県民の辛抱強く優しい心根は、日本海に面した雪国の厳しい自然がはぐくんだものだ。「共生の地方」「競争の大都市」-その将来を占えば、「緑」を共通軸にその強みを生かす新潟の可能性は明らかだ。時代の流れを見据え、自信を持って歩んでいきたい。
 北朝鮮による拉致被害者の救済が、また越年したのは残念というほかない。日本海にはまだ冷戦構造が残る。
 首相は「東アジア共同体」構想を掲げた。漠としてはいるが、この地域の人とモノの流れが変わり始めているのは確かだ。共同体が実を結ぶには環日本海圏構想をはじめ、地域の取り組みという太い柱が必要なはずである。
 100年を超える老舗企業の割合で本県は、醸造業を中心にトップクラスという。北前船の交易が育てた。
 それが今も営みを続ける。戦争をも乗り越えてきた。百年に一度の不況で負けるわけがない。次の「百年物語」を確かにしたい。新時代の北前船の大きな帆を上げよう。

新潟日報2010年1月1日