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社説:2010再建の年 暮らし 誰も見捨てない社会に

 「生きていくことに疲れた」という遺書を残して昨年秋に自殺した13歳がいる。学校を欠席することもなく、クラブ活動に熱心で、いじめの兆候もなかった。硫化水素を発生させ、助けようとした父親も巻き添えになる痛ましさだったが、何が原因なのかよくわからないまま世間から忘れられようとしている。

 こんなことが珍しくない時代になるのだろうか。自殺者が年間3万人を超える事態がもう12年も続いている。子どもの自殺も依然として深刻だ。08年の学生・生徒の自殺は972人に上った。人間関係がうまく築けないことによる孤立が背景にあるのではないかとよくいわれる。

 ◇少子化対策だけでなく

 若者の引きこもりが社会問題になって10年余になるが、現在その数は100万人とも推定される。最近は長期化と高年齢化が問題で、40代の引きこもりも珍しくなくなった。国連児童基金(ユニセフ)が07年に発表した先進国の子どもの「幸福度」に関する調査で、「孤独を感じる」と答えた日本の15歳の割合は29・8%に上り、2位のアイスランド(10・3%)をはじめフランス(6・4%)、英国(5・4%)などに比べ飛び抜けて高かった。事態が改善に向かっているとは到底思えない。

 「コンクリートから人へ」というのが民主党政権のキャッチフレーズである。なるほど、来年度予算案には暮らし関連の項目があれこれ盛り込まれた。だが、公約を履行することに四苦八苦した印象が強く、どのような国家像を描いているのかが伝わってこない。この国の人々の生活を脅かす大きな危機は長期的には子育て、短期的には医療と介護だと思う。特に、子育ては社会の基盤そのものにかかわり、この勢いで少子化が進めば我々の生活の未来はない。

 子ども手当は目玉政策のはずだが、アピール度に欠けるのではないか。財政難の折、巨額の予算を投じることに異論もあるが、この国を再生するための「号砲」と位置づけ、説得力のある強力なメッセージを政権は発信すべきだ。少子化対策だけではない。自殺や引きこもりのほか、貧困世帯の子どもは必要な医療や教育から遠ざけられている。いじめ、うつ、親からの虐待も深刻だ。財源だけでなく社会的関心も、人材も、政策立案の知恵もここに傾斜しなくてはならない。

 子ども手当は家族ではなく子ども自身のためのものだということを忘れてはならない。「生きていくことに疲れた」と自殺した中学生にも支給されるはずだった。子育てや若者支援に必要な産業を育て、雇用も創出しよう。保育サービス、出産や育児が安心してできる職場づくりは手当だけではどうにもならない。ここは自治体や企業や非営利組織(NPO)の出番だ。自らの責任を棚に上げ、子ども手当が全額国庫負担ではないことを批判する自治体は情けない。子育てや若者支援を競い合い、熱心な自治体や企業を国民全体が支持する潮流をつくりたいものだ。

 もう一つの危機についても触れておこう。膨張し続ける医療費を抑制したために医療現場の疲弊を招いたという説が主流を占める。特に高齢者医療の改革は喫緊の課題だ。年を取れば誰しもさまざまな疾患を持つようになり、それを医療で治癒する体制を強化するほど医療費が膨らむのは必然だ。疾病だけでなく生活を支えることを考えれば、看護や介護の受け皿が圧倒的に不足している現状の方にも目が向くだろう。

 ◇社会保障の思想変えよ

 地域で暮らすお年寄りにとって、今の介護保険は家族介護を補完するものでしかなく、これでは家族が疲弊するばかりだ。老いた母親を介護し続けた歌手の清水由貴子さんの死を思い起こさずにはいられない。

 では、どうして子育てや医療・介護の危機から抜け出せないのかといえば、その原因の根底には日本の伝統的な社会保障の思想がある。父が稼いだ金で家族全員を養い、その父が勤める会社の保険や年金制度の傘の下で家族全員が守られることを前提とする考えである。子育てや介護は家族内でやるべきで、父の失業や病気、離婚など例外的な場合だけ国家が補完するというものだ。ところが、母子家庭や父子家庭、高齢者だけの世帯も珍しくなくなった。結婚しない人も増え、伝統的な家族観は変更を迫られている。また、パートや派遣などの非正規雇用が全労働者の3分の1を占めるまでになった。古い制度のほころびを赤字国債や埋蔵金で繕っているだけでは、いずれツケが回ってくる。家族や社会の変容に合わせ社会保障や雇用制度を変えなければならない。

 今、子育てや地域医療・福祉を担う小さな事業所では、主婦や企業を退職したシニア、引きこもりの若者、障害者らが支える側として働いている姿を見ることができる。地域の実情や働く側の事情に合わせた多様な事業体が子育てや介護を担い、それが雇用の創出や地域おこしにつながっている。潜在的な雇用の受け皿や労働力はある。この国に生まれた子どもは社会が責任を持って育て、どのような状況の人も就労や社会活動に参加するチャンスと支援が目の前にある。そんな社会を目指したい。

毎日新聞 2010年1月6日 東京朝刊

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