自民党から、櫛の歯が欠けるように議員が次々とやめてゆく。田村耕太郎参院議員に続いて、長谷川大紋参院議員も離党届を出した。こういう風景は、16年前にも見たことがある。細川内閣ができたとき、「自民党では改革ができない」などという理由をつけて、30人以上が自民党から連立与党に移った。そんな理由は、誰も信じていない。「次の選挙は自民党では闘えない」というのが動機で、理由はあとからつけただけだ。
今回も、離党したのが2人とも参院議員であることが、その理由を物語っている。自民党の存在意義は「与党である」という以外になかったので、野党に転落したら何の価値もない。彼らのスキルは業界と官僚機構との利害調整しかないので、調整すべき利害がなくなると、理念も戦略もない老人集団にすぎない。

自民党の政権構想会議では、政治理念として「小さな政府」を掲げるべきだという意見が多かったが、15日にまとまった第2次勧告では、改革に反対する勢力との妥協で「不必要なことをせぬ政府」という腰の引けた表現になってしまった。いまだにコンセンサスを過剰に重視する与党ボケが抜けていない。野党のスローガンなんか誰も興味をもってないのだから、よほどエッジをきかせないと無視されるだけなのに。

勧告で掲げられた「自立し共助する国民」とか「和ときずなの暮らし」といった政策からうかがえるのは、彼らが「国家社会主義」と指弾する民主党と大して変わらない「大きな政府」志向だ。人柄のいいだけが取り柄の谷垣総裁では、これが限界だろう。来年の参院選で惨敗すれば目が覚めるのかもしれないが、それでは遅い。細川政権と違って今度の民主党政権は衆議院では絶対多数なので、参院選で負けたら今度こそ自民党は立ち直れないだろう。

それはいいことだ。自民党のような無内容な政党が50年以上にわたって続いてきたことが、日本の不幸だった。特に90年代以降、有権者の過半数はつねに自民党以外の政党を選んでいたのに野党側の自滅に救われ、賞味期限が切れてから15年以上もゾンビ状態で生き延びてきた。「失われた20年」の最大の原因は、自民党政権である。

鳩山首相は所信表明で、今回の政権交代を明治維新にたとえたが、国民の実感としては今の状況は出口の見えない幕末に近い。労働組合の既得権を守って規制を強化し、バラマキ福祉で財政赤字を垂れ流す鳩山政権は、自民党の続けてきた利益誘導と利害調整の衣替えにすぎない。本当の「維新」が起こるのは、自民党が解党して政策本位の政党再編が行なわれ、小さな政府か大きな政府かという対立軸が鮮明になったときだろう。