通夜の酒
ぼくは、東京からこちらへ引っ越して来て8年になる。歳を取ると葬式に出る回数も段々と増えてくる。こちらに越して来てから近所の葬式に何回か出た。今は昔と違って葬儀屋さんのセレモニーホールを借りてやるから世話がない。
しかし、この葬儀屋というのがヤクザ商売で、忙しさに取り紛れている喪主の立場に乗じてサービス業の基本をおろそかにしたとんでもないことをやらかすことがある。
ぼくは、頼まれて香典の受付をすることになった。上州は香典返しをする一般の受付と、お返しは不要という新生活の受付がある。新生活で受け付ける香典の中身は5000円未満という暗黙のルールがある。4000円包んで来る人はいないから、最高でも3000円。
香典の中身は、包む人が心得ているからいいのだが、受付の準備の際に、新生活で来た人には、その場で会葬返しを渡してくれと言われた。冗談じゃない。それじゃ相手の人に失礼だ。と言ったのだが、そういう風にしてくださいと言われて、しぶしぶその通りにすることした。
葬儀屋が用意した机で受付をする訳だが、この受付机外観は大変立派なんだが、受け付ける方に廻ると照明が貧弱で、手元がよく見えない。くそったれこんな机でお金を扱えというのか、何を考えているのだこの葬儀屋はと思った。
何か足りないものがあって、葬儀屋本体の受付をしている人に持って来てもらった。受付嬢というのは大体べっぴんさんがやっている訳だが、この葬儀屋も例に漏れず、べっぴんさんだった。べっぴんさんはいいのだが、この受付嬢は、笑顔で応対をしていた。
笑顔で応対というのは接客の基本で、スチュワーデスなんかは無理矢理笑顔を作って接客する訓練を積んでいる。まぁそういう笑顔はその場限りで終わってしまうお客様商売には向いているが、葬儀屋の受付嬢ににこにこやられると、あまりいい気持ちになれない。余計むかっ腹がたってくる。
時間が来て会葬の人が集まり始めたので受付をして、言われた通りに会葬返しを渡していたら、案の定お前それは違うぞと香典を出した人に言われた。そら来た。全体の流れを見ていた葬儀屋が、そういう風にしてくださいで、その場は収めたが嫌な雰囲気が残った。
香典と引き替えに会葬返しを渡したら、香典持って来た人から見れば、会葬返しを買いに来てついでにお焼香していくことになる。この葬儀屋は、そういうものの本質がわからないで、建物や設備のよさといった外面だけで仕事をこなしていた。
そして、通夜の式が終わり、通夜の膳に案内された。葬儀屋の司会の人が全員席についたのを確認して、それでは献杯の音頭を誰それさんにお願いします。皆様ご唱和ください。と言った。
ご唱和?。お前それは違うぞ、と言いたいところだがそうもいかず、こうなったら、成り行きにまかせるしかない。指名された人の献杯の発声に合わせてみんなでご唱和した。あぁあ、通夜の酒が祝宴の酒になっちゃったよ。
そして翌日、葬式の受付を終えて、香典帳を付けてお金を合わせたものを葬儀屋が寄こした紙の袋に入れて、おい、これ焼き場から帰って来る合間お宅の金庫に預かってくれないか?、と言ったら、いやうちはそういうことはしません。あっさりと断られた。
随分と広い敷地にいい建物を建てて、いい設備が整えているのだが、貴重品の預かりサービスをしない。一泊5000円の民宿だって貴重品の預かり位はするのだが、ここの葬儀屋はなりばかり豪華だが中身はピーマンだ。
仕方がないから集まった香典抱えて焼き場まで行って、また葬儀屋のホールに戻って、お清めの席についた。大金抱えて行ったり来たりたまったもんじゃない。通夜の時と同じく、葬儀屋の司会の人がそれでは献杯の音頭を誰それさんにお願いします。皆様ご唱和ください。と言った。あーあ。また祝宴の酒にしちゃったよ。
以上、笑い話ではなく本当にあった話だ。広い敷地に立派な建物・設備というハードがあるのだが、それを使いこなすソフトがここまでお粗末というのも珍しい。ぼくは、喪主ではないが、後日葬儀屋を呼んで、あれは違う、これは違うと、こういう風にすればいい、ああいう風にすればいいと懇切丁寧にタダで教えてあげた。
先日のISさんの葬儀は同じ葬儀屋のホールで行なわれた。ぼくがこのホールに来るのはこれで3回目だ。もう少し工夫すればうまく進行できるのだがなと思う部分があったが、前よりは随分とましになっていた。
ぼくも月賦屋に来た時は素人だった。ぼくだけではない店の人全員素人だった。その素人が年季が入って成長していく訳だ。葬儀屋に限らず立派なハードを整えて、運用面のソフトが未熟なところが目立つ。まぁぼくもお客様に怒られ怒られ成長していったから、同じことをやっているのかも知れないな。
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