のび太は「東京都練馬区月見台すすきが原」に住んでいます。
それはどのような町なのか、モデルとなった町は実在するのか。最新の設定を元に検証してみました。
■のび太の町の地図
参考:『ぼくドラえもん』2号(2004、小学館)のアニメ用設定資料による
のび太の住む町は、駅の近くに広がる密集住宅地です。練馬区に実際のモデルのような町はあるのでしょうか。気になるところです。
まず、のび太の町を分析してみましょう。
(のび太の町の特徴)
【交通】
北側に鉄道が通っており、高架の駅があります。南側には高速道路のインターチェンジがあり、交通の便は良好と言えそうです。
【自然】
町の真ん中に「裏山」と呼ばれるかなり大きな山があるほか、南側に「田奈川」という河川敷のある大きな川があります(田奈川に注ぐ「ドブ川」も流れています)。のび太の家のすぐ近くには「池のある大きな公園」もあり、自然環境は都区内にしては抜群です。
【施設】
駅の周辺には商店街があります。駅前には十数件のビルがあり、アーケード商店街もあります。買物には不自由しなそうです。
学校の近くには市民ホールや図書館、プールもあり、公共施設がしっかり整っています。割と大きな町と考えてよさそうです。
【環境】
意外なことに、川の北側が「工場地帯」になっています。また、裏山の周辺にはいくつか団地と見られるマンション群が点在しています。
のび太の住んでいる周辺に限れば高い建物はなく、一戸建てやアパートが密集しています。
なかなか住みやすそうなところですが、ここでの問題は「練馬区に実在するモデルはあるのか」です。1つずつ検証してみましょう。
(1)そもそも、のび太は本当に練馬区に住んでいるのか
スネ夫の住所が「東京都練馬区月見台すすきが原3−10−5」と判明していますし(15巻『不幸の手紙同好会』)、文通相手からのび太に宛てられた手紙にも「東京都練馬区月見台・・」と書かれていますので(24巻「虹谷ユメ子さん」)、間違いありません。
さらに、ドラえもんが後楽園球場を空撮するシーンで、後楽園球場から「西北西へ動かしていくとこの近所がうつるよ」とコメントしています(15巻『ポラマップスコープとポラマップ地図』)。地図を見れば一目瞭然ですが、「後楽園球場から西北西」というのはまさに練馬区なのです。
→ のび太は、練馬区に住んでいます。
(2)練馬区のどの辺りに住んでいるのか。モデルとなった町は?
これは難しい問題です。結論から言えば、「練馬区のどこか」としか言いようがありません。しかし、可能な限り「どの辺りか」について細かく検証してみましょう。
◆検証可能な資料
●最大の手がかりは「郵便番号」−のび太の町の郵便番号が原作に載っていた!
原作でのび太が文通相手から受け取った手紙(24巻『虹谷ユメ子さん』)には郵便番号が書かれており、「〒176」と明記されています(当時は5桁)。
郵便番号176というのは、ぴったり練馬区の郵便番号です。さらに、練馬区の中でも原則として「旭丘、向山、小竹町、栄町、桜台、豊玉上、豊玉中、豊玉南、豊玉北、中村、中村南、中村北、貫井、練馬、羽沢のどこか」となります。
→ のび太の町は「〒176」のエリアにあります。
●もう1つの手がかりは「駅」−のび太は西武線沿線に住んでいる
のび太の町には駅がある−これは、1つの大きなカギです。
練馬区を通る鉄道は西武池袋線、西武有楽町線、西武豊島線、西武新宿線、東京地下鉄有楽町線、都営大江戸線の6線あります。このうち「駅が地上にある」という特性から地下鉄(メトロ・西武の有楽町線、大江戸線)の可能性はなくなり、また近くに遊園地がないことを考えると遊園地「としまえん」に連絡する「西武豊島線」の可能性も低いと考えられます。
→ すなわち、「のび太の町」は西武池袋線か新宿線の沿線ということになります。
そのうち練馬区にある駅は、池袋線が「江古田」「桜台」「練馬」「中村橋」「富士見台」「練馬高野台」「石神井公園」「大泉学園」、保谷市との境界の「保谷」、新宿線が「上石神井」「武蔵関」の11駅です。もしモデルがあるとすれば、これらの駅の近くにのび太らが住んでいることになります。
●地名を検証してみる−練馬区で「台」のつく地名は7つ
「月見台」という地名の元を探るため、練馬区で実際に「台」のつく地名を拾ってみました。
すると、「桜台」、「石神井台」、「高野台」、「氷川台」、「富士見台」、「平和台」、「三原台」と7つあります。ここで、地下鉄有楽町線沿線にある「氷川台」「平和台」は除いて考えることにしましょう。
→ もしモデルがあるとすれば、のび太は「桜台」、「石神井台」、「高野台」、「富士見台」、「三原台」のどこかに住んでいることになります。
直感で誰の目にも怪しいのは、「○○見台」つながりで「富士見台」ということになりましょう。実は、「富士見台」には藤子先生に多大な影響を与えた手塚治虫先生が居を構えていたことがあるのです。都市伝説的な話で終わりにするならばこれで「決まり」・・・
・・・と言いたいところなのですが、よくよく考えてみると「富士見台」の郵便番号は「〒177」であり、先ほど申し上げた「〒176」の町ではありません。
わざわざ原作に「〒176」と書かれているのですから、そこに忠実に考えてみます。すなわち、「〒176」かつ「○○台」となる地名を探してみると・・・
東京都練馬区「桜台」がヒットします。しかも西武線沿線です。
ということで、のび太の町は「桜台」がモデルである可能性が濃厚になりました。しかも、「桜台」にはトキワ荘の頃からの藤子先生の同士である石ノ森章太郎先生が居を構えている・・・と、かなり出来すぎた話になっています。
→のび太の町は「桜台」にある・・・「かも」しれません。
もっとも、上に挙げた地図は桜台の周辺(地図)とは似ても似つかぬ様相を呈しています。仮に場所は「桜台」だったとしても、実際のモデルとなった町は別にある可能性があります。
●原作の地図から検証−小学校は小川の横にある?
原作にも「のび太の町の地図」が掲載されています。上述のアニメ版設定資料とかなり異なりますが、原作は聖典ですので再現して検証してみましょう。
『ドラえもん』42巻「町内突破大作戦」(1994、小学館)による
このような町は、どこにあるのでしょうか。鉄道と並行して大きな通りが走っているというのがどことなく「桜台」駅前の「千川通り」を想起させるのですが(地図参照)、それは考えすぎでしょう。恐らく違う場所だと思います。
ポイントは、裏山とドブ川(ドブ川というのは失礼なので以下「細い川」と表記)です。後述しますが、東京都区内で裏山ほど「大きな山」はありませんので、ここではまず「細い川」に着目してみます。
この地図からは、「小学校の真横を細い川が通っている」という特殊なシチュエーションが読み取れます。練馬区内でこのようなシチュエーションにある小学校を探してみました。
すると・・・1箇所だけドンピシャリで「川の真横に小学校」というのを見つけました。白子川沿いにある練馬区立八坂小学校です(地図、練馬区土支田[どしだ])。
しかも、この学校のすぐ南側には「稲荷山憩いの森」があります・・・そしてすぐ西側には「清水山憩いの森」もあります。そう、「山」があるのです。どんな山なのでしょうか。気になるところです(今後、現地に入って調査をする予定です)。
なお、最初にお見せした地図では小学校の南に高速道路が通っていましたが、この小学校の南西にも高速道路(関越自動車道と東京外環自動車道)が走っています。練馬区の中には高速道路がここしかなく、この点も注目に値します。ただし駅は近くになく、最寄り駅が東武東上線の和光市駅(埼玉県)となります。
→全くのこじつけですが、八坂小学校にはのび太がいる・・・・・・・・・かもしれません。
というのは嘘で、結局のところよく分からないままです。
◆検証の難しい資料
●裏山について−裏山のモデルはどこか
東京23区内に裏山ほど「大きな山」というのはありません。
が、練馬区には都区部の最高地点(都立石神井高校、標高54m)があることや、「山」のつく公園が多いことなど、「山」に関する手がかりは多数存在します。逆に手がかりが多すぎてこれだけで判断することは難しくなります。
中には、藤子先生の住んでいた小田急線沿線になぞらえて「世田谷区梅が丘の羽根木公園辺りが「裏山」のモデルではないか」とする説もありますが、真相は定かではありません
●川について−練馬区に大きな川はない
ドラえもんには「田奈川」という架空の川がよく出てきます。河川敷もある大きな川であり、語感から間違いなく「多摩川」のもじりだと思われますが、練馬区に多摩川はありません。というより、そもそも練馬区に大きな川はありません。これが、検証を難しくしています。
練馬区には石神井川や妙正寺川、江古田川、白子川などがありますが、いずれも河川敷があるような大きな川ではなく、むしろ小川です。
そこで、「のび太の町」のモデルは多摩川沿いであるという説が当然のごとく主張されています。あるいはそうかもしれません。中でも、「小田急線沿い(特に世田谷区)のどこかである」とか、藤子先生の住んでいた「川崎のどこかである」という話をよく聞きます。
●実は小田急線沿線がモデル?
特に「小田急線沿い」という説にはそれなりの根拠があります(以下囲み記事は [ 『ドラえもんの秘密』(世田谷ドラえもん研究会著、データハウス、1993] を参照して作成)
一度だけ、のび太のパパの通勤ラッシュの風景が描かれたことがあります(2巻「地下鉄をつくっちゃえ」)。そこで駅名看板が登場するのですが、駅名に「しん・・・」と書かれ、隣の駅が「みなみ・・・」となっていました。首都圏で「新・・」のつく駅の隣に「南・・」のつく駅があり、なおかつ「新・・」のつく駅に会社があり、さらに酷いラッシュが起こる路線として考えられるのは<小田急線の新宿・南新宿>、<地下鉄丸ノ内線の新高円寺・南阿佐ヶ谷>だけです(他にも京葉線の新習志野・南船橋、武蔵野線の新松戸・南流山、西武新宿線の新狭山・南大塚が挙げられますが、郊外の駅なのでまずあり得ません)。
このストーリーは、<のび太らはデパートでお買物。帰りにパパと合流し、一緒に電車に乗ったものの・・・混んで混んで・・そこでのび太は毎日通勤が大変なパパの為に地下鉄を作ることにした>という構成になっています。
デパートのある駅といえば新宿です。新宿の隣が「南・・」となるのは今申し上げたとおり小田急線の「南新宿」のみです。小田急線といえば混むことでつとに有名ですから、ほぼ間違いなく彼らは小田急を使っていたものと推測できるのです。
この話は2巻(初版は1974年)に載っているものです。今から30年も昔のことです。設定の充分でない連載初期の話ですから、藤子先生はまだ「のび太が練馬に住んでいる」とは考えていなかったのではないかと思うのです。とりあえず自分にとってなじみの深い小田急線をモチーフにしたのではないかと。そのようにも考えられるわけです。
とすると、のび太の町は根源的には小田急線沿線のどこかがモチーフになっているとも考えられます。
●まとめ
以上を勘案すると、このような結論が導かれます。
「ここがのび太の町だっ」などとと焦って決めるのではなく、自分だけの「のび太の町」を想像して楽しむのもまた一興かもしれません。
※以上はあくまでも筆者の主観に基づいた個人的な検証記事です。公式資料ではなく、また藤子プロや小学館はじめ関係者とは一切関係ございません。
■おまけ:のび太の遅刻が多い理由
最初に挙げた地図をもう少し詳しく描いてみました。
・・・のび太だけ、学校から遠すぎるような気がします・・
出木杉なんて学校から1区画しか離れてませんね。静香もジャイアンもスネ夫も然り。・・・ちょっと可哀想ですね。
■参考文献
・藤子・F・不二雄『ドラえもん』(小学館)
・『ぼく、ドラえもん』(2004-2005、小学館)
・世田谷ドラえもん研究会『ドラえもんの秘密』(1993、データハウス)
・西武沿線東京また旅
・練馬区Webサイト
今回は真面目に書きすぎました・・・
次回は少しソフトに、「のび太はママに何回叱られたの?リスト」をお送りする予定です。