【萬物相】日本大使館前の「水曜集会」900回
1991年8月14日、韓国女性団体連合の事務室で元従軍慰安婦の金学順(キム・ハクスン)さんが記者会見を開いた。金さんは17歳のとき、日本軍の慰安婦として中国に連行され、1日に4-5人の客の相手をされられたつらい過去の記憶を切々と語った。朝鮮から来た10代の少女5人とともに24時間監視を受け、何度か逃げようと試みたが、ひどく殴打されたという。金さんは「それまで話したくても勇気がなく、口を開くことができなかった。今も日章旗を見たり、挺身隊の『挺』という言葉を耳にしただけでも心中が動揺する」と告白した。
日帝は1931年の満州事件以降、20万人近い朝鮮の少女を中国、東南アジアなどの戦場に日本軍の慰安婦として送り込んだ。1990年、盧泰愚(ノ・テウ)元大統領の訪日を控え、韓国の女性界は従軍慰安婦の真相糾明と、日本政府による謝罪と賠償を求めた。これに対し、日本政府は「政府と軍の関与はなく、民間業者が行ったことだ」と主張し、要求に応じなかった。翌年、金さんが初めて実名を明かし、従軍慰安婦の実態を告発すると、それまで同じようにつらい過去をひた隠しにしてきた高齢の女性らが相次いで日本の国家犯罪について証言し始めた。
1992年1月8日の水曜日に宮沢喜一元首相の訪韓を控え、慰安婦出身の高齢女性が韓国挺身隊問題対策協議会を開くとともに、在韓日本大使館前で抗議集会を行った。5日後に日本の官房長官が初めて日本軍の関与を認める談話を発表し、宮沢元首相は韓日首脳会談の席で口頭で謝罪した。しかし、被害者が求める政府の公式謝罪と賠償はなかった。このため、被害者らは毎週水曜日に日本大使館前に集まり、集会を続けた。
その水曜集会が13日で900回目を迎える。年数では18年目となる。この集会が始まった当初はあざ笑う人もいた。しかし、雨や雪が降っても必ず開かれる怒りの集会は国内外の注目を集め、過ちを反省しない日本を告発する生きた歴史教育の場となった。
水曜集会が900回を数える中で、93年当時は234人いた元慰安婦の女性も現在は87人まで減った。80-90歳の高齢となり、病気のため集会に参加できない人も多い。だが日本政府は依然として公式謝罪に応じておらず、日本の右翼は教科書から慰安婦関連の記述を抹消している。長い歳月が流れるにつれ、日本の暗い過去の歴史も洗い流されていくのだろうか。「日本が反省しなければ、死んでも水曜集会に参加する」と語ったキル・ウォンオクさんの言葉がその答えを物語っている。
金泰翼(キム・テイク)論説委員
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