なんとなく最近タスクと凛がやっとKenさんイジメに飽きてきたのかな
と思って久しぶりにブログを覗いてみたら…まだやっていた(苦笑;)←マネ
私がもし彼等の「師匠」である平杜カノンなら「そんなところで留まっていないで
成長を見せなさい!」と指摘するであろう。
それからタスク、凛、ミルコ(達)に対して
なんの証拠もなく「自分を好ましく思っていない他者数人」を
「同一人物扱い」する平杜カノン風に言えば彼等だって当然
「プロフィールに人物特定がない」
「プロフィールが完全に平杜カノン信者」
「Kenさん以外のネタで日記を書いていないところに、同一視される原因があるというものです」
となるべきなのだ。
それ以前に前提として平杜カノンは「タスク、凛、ミルコ」的に
自分をリスペクトしてくる人物をあとから否定することだって多かったのだから
「自分を慕って近付いてくる人を警戒して当然」なのだが
「彼等」の個性、人格は「平杜カノン信者」としか言えない設定になってしまっている。
要は、「彼等」が例え、(好意的に見て)別の人間として存在していたとしても
どっちみち「怪しい」のだ…残念ながら。
更に残念なことに、そこに「弟子」だの「師匠」だの出してしまっていることから
変な「組織」「信仰」の気配がしてしまっている。
結局のところ別人か同一人物か以前に、どっちみち「胡散臭い」のだ。
例えばタスクは時々「平杜カノンじゃないっぽい」例えや意見も書いている。
だがそれらは「表現を変えた」ものであり、彼等の「要点」はさして違わないし
それらの「要点」は『通常の視点、観点からはかなりズレている個性』がある。
この『通常の視点、観点からはかなりズレている個性』こそ
多くを語る、実にマイノリティな「個性」となってしまっている。
そのマイノリティな個性こそが平杜カノンの「周囲」にだけ多いということ自体が
完全に、「平杜カノン」というパーソナリティを浮き上がらせてしまうことが
「通常の視点、観点」からは見えているのだが、もちろんそんなことは
「彼等」には視えていないし、きっと視えないままだろう。
平杜カノンという「設定」が、「右脳、左脳のバランスが実にいい(サガン説)」
「公平な視点やパブリックマインドを持っている」ことになっているのだから。
自分がいかに様々な公平な視点から物事を冷静に見えているか、を示したいようだが
そのこと自体が「通常の視点、観点からかなりズレている個性」の死角になっているのだ。
人間の視点、観点は人数分あって当然であり、1人の人間の思い浮かぶ「意見」は
相当数がある。
それらが「彼等」にかかると設定として少なくともそこに4人いるはずなのに
「要点」として出て来る意見の限界が非常に狭いのだ。
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