東尾修氏殿堂入り「夢にも思わなかった」
野球殿堂入りを決める野球体育博物館の競技者、特別表彰委員会は12日、競技者表彰のプレーヤー表彰として西鉄、西武などライオンズ一筋に通算251勝を挙げた東尾修氏(59)を選出したと発表した。殿堂入りは171人。東尾氏らの表彰式は7月23日のオールスター第1戦(ヤフー)で開催される。
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マウンド上で強気に打者の胸元をえぐってきた現役当時の姿はなかった。歴代の殿堂入り表彰者のレリーフに囲まれあいさつに立った東尾氏は恐縮しながら「いろんな方に指導されてここまで来られたことに感謝します。プロに入ったときは夢にも思っていなかったです」と世話になった人々への謝意を口にした。
西鉄から西武までライオンズ一筋に20年。“けんか投法”で歴代10位の251勝を積み上げた。太く長く現役を続けられた理由を2つ挙げる。一つは両親から強じんな肉体を与えられたこと。そしてもう一つを「19歳からファームじゃなく、1軍の中に放り込まれて投げ始め、実戦の中で育ったことが251勝利につながった」と分析する。
ゲストスピーチに立った元広島監督の山本浩二氏と同じ1968年に西鉄からドラフト1位指名を受けた。1年目のオフには野手転向が内定していたが、その年にチームを襲った黒い霧事件が運命を変えた。
主力級の投手がチームを去ったことで転向話は立ち消えに。投手でフル回転する日々が始まった。2年目の登板数は40、3年目は51試合。弱小チームゆえに勝ち星はなかなか伸びなかったが、逆に勝利への執着心は芽生えた。南海・門田との対決で打者との知恵比べを学び、阪急・福本にはけん制技術を教えられた。
恩師である故稲尾氏の276勝を超えることはできなかったが「抜く自信はあった」と、らしいコメントも。野武士軍団育ちの面倒見の良い兄貴分はメジャーで活躍を続ける松坂、松井稼ら教え子からの信頼も厚い。「この聖域(野球殿堂)に今日初めて来たけど、若いヤツらにも勉強しろと言いたい」。今後は殿堂入りの名誉を後輩たちに伝えるつもりだ。