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【ドラニュース】


江藤慎一氏が殿堂入り

2010年1月13日 紙面から

兄・江藤慎一氏がエキスパート表彰で野球殿堂入りし、スピーチ中に涙ぐむ江藤省三氏=東京都文京区の野球体育博物館で(福永忠敬撮影)

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 2010年の野球殿堂入り表彰者が12日、東京ドーム内の野球体育博物館で発表され、競技者表彰のエキスパート表彰でセ、パ両リーグで首位打者に輝いた故江藤慎一氏が選ばれた。「闘将」と呼ばれ、中日などで活躍したスラッガーに贈られた吉報。弟の省三氏=慶大野球部監督=も涙で本紙に喜びの思いを語った。競技者表彰のプレーヤー表彰では元西武監督の東尾修氏、特別表彰で熊谷組の黄金期を築いた故古田昌幸氏を選出。江藤氏と東尾氏の表彰式は7月23日のオールスター第1戦で行われる。

 ドラゴンズの歴史にさんぜんと輝くスラッガーに、球界で最高の栄誉が贈られた。永遠にその功績をたたえていく殿堂入り。08年2月に亡くなった江藤氏に代わって、弟の省三氏が加藤良三野球体育博物館理事長(NPBコミッショナー)から通知書をしっかり受け取った。

 「野球殿堂の一員として兄の慎一が…」。こう言うと、涙で絶句した省三氏。天国の兄がきっと思っているであろう気持ちをこんなふうに続けた。「選ばれたことをうれしく思います。太平洋の監督時のエースが東尾さん。一緒に表彰されることをうれしく思っていると思います」

 中日に入団して以来の成績は野球殿堂入りに申し分ない。不動の中軸、そして全盛を誇っていたONのライバルとして君臨。外角の球も左方向に引っ張る豪快なバッティングや、「闘将」「野球の鬼」と呼ばれた気持ちを前面に出すプレーで竜をけん引し続けた。

 その中でも語り草なのは王貞治と繰り広げた激しい競争。64、65年とシーズン終盤までつばぜり合いを演じ、最後は2年連続で首位打者を獲得した。殿堂入りではライバルに先を越された。しかし、今回の決定で肩を並べることができた。

 「王さんや長嶋さんと争い、死に物狂いになって王さんの三冠王を阻止したのだから、『ようやく“仲間入り”できた』と(本人は)思っていると思う。何しろ、野球人として一番の名誉だからね」。省三氏は兄の気持ちを代弁する。

 酒豪や豪放磊落(らいらく)さで知られたが、引退後に「野球で人間の道をつくる」と野球学校を設立したり、3人の実弟の学費をすべて負担するなどの人情味豊かだった江藤氏。省三氏は「生きていたら何と話しただろうね。いろいろ話しただろうけど…」。自慢の兄は天国で目を細めて、殿堂入りの報を聞いたに違いない。 (川越亮太)

 【江藤慎一(えとう・しんいち)】 1937(昭和12)年10月16日、熊本県出まれ。熊本商、日鉄二瀬を経て、1959年に中日へ捕手として入団。後に一塁手、外野手に転向した。1年目から主力として活躍、64、65年に2年連続の首位打者に輝く。70年にロッテに移籍。71年には史上初の両リーグでの首位打者を達成した。72年から3年間大洋、75年には太平洋の選手兼任監督に。76年にロッテで現役引退。85年には静岡・天城湯ケ島町(現伊豆市)に「日本野球体育学校」を設立。08年2月28日、肝臓がんのため、70歳で死去。

 

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