きょうのコラム「時鐘」 2010年1月13日

 嵐山光三郎さんの連載「ぶらり旅」に、源助大根のおでんが登場していた。おなじみの大根が誕生したのが昭和17年で、「私と同い年」と嵐山さんはつづる

そんな発想があったのか、とうれしくなる。「同じ年」と口にすると、周囲の誰彼や、さまざまな有名人の顔が浮かぶ。続いて大概、アイツの方が偉くなった、あの人の方が幸せ、となる。小さな劣等感が「同じ年」で火を付けられ、急に膨らんでいく

相手が大根では、そうはなるまい。嵐山さんは「カンナンシンクをのりこえ」た「わが戦友」という思いを寄せる。こんな戦友探しなら、まねしたい。コシヒカリと同じ年、カップめんと同じ年など、誰でも一つや二つ見つかるだろう。源助同様に、好敵手との艱難辛苦(かんなんしんく)の戦いを経た元気をくれる友である

小紙と誕生の年が同じ画家に取材したことがある。「うれしいね。縁だね」と、にわかに空気がうち解けた。こんな効用も思い出した

もっとも、戦友探しに政治向きのネタは避けた方が賢明。日本国憲法や日米安保と同じ年とやると、艱難辛苦の長い道のり、という自慢や共感はしづらくなる。