国籍問題を考える・資料集


むくげの会と日本国籍
  (講演会ニュース124号より)

 2004年2月1日、東京で「在日に権利としての日本国籍を」というテーマで集会を開催した。150名あまりの参加者があり、成功裏に終えることができた。この集会の主催団体として高槻むくげの会は中心的な役割を果たした。

 これまで、在日韓国・朝鮮人問題を考える人たちの中で、「日本国籍」問題はタブー視されるか、または、「同化」のレッテルを貼られて、議論すらできない環境下にあった。それをはねのけ、「権利としての日本国籍」を真っ正面から取り上げた集会は、在日韓国・朝鮮人問題に関わってきた多くの人に「思考停止」の衝撃を与えたようだ。

 高槻むくげの会が民闘連運動に関わっていたとき、民闘連全国交流集会には「タブーなき議論」というスタンスがあった。在日韓国・朝鮮人問題に関するどんな問題もタブーを作らず議論するという意味で、80年代の民闘連全国交流集会では、文字通りタブーなき議論として日本国籍の議論を故梁泰昊氏が提案した。

 しかし、これには、会場も民族系新聞もこぞって猛反発した。高槻むくげの会の「援護射撃」など、全く相手にされなかった。それ以降、民闘連の「タブーなき議論」は「国籍問題を除く」と暗黙の了解がつくられ、「国籍問題」は長く封印されてしまった。市民運動の寄り合い所帯であった民闘連運動でも、「民族」の呪縛から解き放たれていなかったといえよう。

 他方、在日韓国・朝鮮人社会は、帰化手続きを経て日本国籍を取得する動きが確実に広がっていた。

 1997年、こうした状況を背景に、95年に分裂した再建民闘連の全国集会が高槻市で開催された。記念講演に法務官僚の坂中英徳氏を招いて、「坂中論文から20年―在日はどう生きてきたのか―」のテーマで講演してもらった。

 講演内容は『近年は、在日韓国・朝鮮人が年間1万人帰化している。このままでは、21世紀の早い時期に在日韓国・朝鮮人は消滅する。本名で日本国籍を取る運動に取り組んで、コリア系日本国民として生きてほしい。』というもので、相当刺激的だった。本来なら、こうした状況を受けて在日韓国・朝鮮人自ら問題提起しなければならなかったところ、坂中英徳氏に「耳の痛い」話をさせる「悪役」を引き受けて頂いて感謝している。

 そして、この講演を機に、在日韓国・朝鮮人の未来を語る議論が活発化した。民闘連全国集会でも、3年間に渡って、日本国籍について議論した。ところが、正直言って、お世辞にも議論が深まったとはいえない。日本国籍に反対する人たちの意見の究極は、「自分はいやだ」という"わがまま"なものだったからだ。

 ところで、こうした意見しか出なかった民闘連の日本国籍議論を終え、正直言って「やるせなさ」を感じた。同時にこれまで民闘連で国籍問題をタブー視してきたのは、いったい何だったのだろうか、腹立たしくさえ思えた。故梁泰昊氏が「集中砲火」を受けての提起も、結局個人的な意見から葬り去られたのだろうか。もし、そうなら在日韓国・朝鮮人の20年余の歳月が、個人の感情によって無駄にされたことになる。これは、一種の在日韓国・朝鮮人への「背信」といえる。

 個人の感情を、民族というオブラートに包んで意見されてはたまったものではない。民族を語る人は、民族総体に依拠して欲しいものだ。

 民闘連の議論は、在日韓国・朝鮮人が日本国籍を取得していくことへの理論的な反論はなく、反対する人も個人的意見の範囲でしかなかった。つまり在日韓国・朝鮮人運動に関わる人たちでさえも、日本国籍を理論的には否定できなかったのだ。

 2001年、「与党政策責任者会議国籍等のプロジェクトチーム」が在日韓国・朝鮮人が届け出ることによって日本国籍が取得できる法案を発表した。野党も反対しなかった。在日韓国・朝鮮人の一部には「またとない法案」との声すら上がった。このまま葬り去っては禍根を残すことは間違いない。

 ところが、この法案は「選挙(投票)権つぶし」との濡れ衣を着せられて、遅々として進んでいない。全会一致法案が上程のめどすら立っていないのだ。「異常」事態である。このままでは、与党の法案推進の熱さえ冷めかねない。

 そこで、在日韓国・朝鮮人側が、是非、この法案成立を期待する生の声を上げる必要があった。加えて、在日韓国・朝鮮人が日本国籍を取得した後のコリア系日本人の「受け皿」団体も提示する必要もあった。「在日コリアンに権利としての日本国籍を」という集会は、そうした、背景を持って開催されたのだ。

 高槻むくげの会をはじめ在日韓国・朝鮮人と一部日本人は、21世紀の多民族共生社会の重い扉を開けるために、大きな一歩を踏み出したことになる。

 さて、日本国のホスト日本人のあなたは、在日韓国・朝鮮人に日本国籍を与えますか?








2000年を生きる

コ  リ  ア  系  市  民  宣  言

高 槻 む く げ の 会


 大日本帝国による朝鮮植民地支配は36年間に及び、日本国による在日韓国・朝鮮人支配は55年にも及んでいる。ついに歴史は2000年を刻み始めたが、しかし、日本国による「歴史の清算」は行なわれなかった。それどころか、戦後の日本は帝国主義思想を捨て民主主義の道を歩んだはずなのに、アジアにとっては今日なお大きな「脅威」になっている。依然としてその「国体」は変わっていないのだ。
在日韓国・朝鮮人には変わらない過酷な差別と同化による支配を続け、人間としての尊厳を踏みにじっている。この所業は人類への冒とくだ。日本は21世紀の歴史上にも植民地支配に次ぐ新たな汚点を残すことになった。
2000年の在日韓国・朝鮮人は、依然として過酷な状況にあることには変わりはない。そして、この過酷な状況を生き抜かなければならない運命にあることも、また、変わりはない。在日韓国・朝鮮人は、21世紀もこの運命に翻弄され続けるのか、21世紀こそ在日韓国・朝鮮人問題を解決する道筋を明確に示すのか、厳しく問われている。その意味では、2000年をどう生きるのかは極めて重大である。
 私たちは、在日韓国・朝鮮人問題を解決する道筋の展望を在日韓国・朝鮮人が背負ってきた過酷な運命の中に見い出そうとしている。それは、在日韓国・朝鮮人は植民地支配の歴史によって産み落とされた「不幸」な存在であり、日本国によって差別される存在でもあるが、実は、その存在こそが21世紀を輝かしく照らす「質」を内在させているからである。21世紀、在日韓国・朝鮮人問題を解決する道筋は、その内在する「質」を具現する中にある。
今、在日韓国・朝鮮人の多くは日本国籍を取得し続けている。その数は年々増加し、このまま推移すると、2000年代の半ばまでにはほとんど「消滅」してしまう。しかも、民族や歴史に背を向けた形で「消滅」してしまうと心配されているのだ。果たしてどうだろうか。
今日、在日韓国・朝鮮人はすでに三・四世がその中心を占め、日本社会に深く根をおろして生活している。その立場は韓国・朝鮮人と言うよりも、どちらかというと「日本人」に近い。それゆえに、日本国籍を取得する傾向は「自然」な流れと言えよう。一方、日本国籍を取得した在日韓国・朝鮮人を「民族の裏切り」と厳しく指弾する声も根強い。残念ながら、そうした考えを持っている人たちが、まだ、在日社会に影響力をもっている。在日韓国・朝鮮人はそうした人たちによって常に「民族的」な生き方が求められ、その枠からはみ出た者が「民族の裏切り」となった。実は、今日の在日韓国・朝鮮人の多くが日本国籍を取得しているのは、こうした古い「民族」的な生き方から少しずつ距離を置き始めているからでもある。すでに三・四世を中心とした在日韓国・朝鮮人たちは、日本国籍を自己のアイデンティティの一部として受け止め、国籍と民族を分けて考える新しい生き方を始めているのだ。古い世代は、こうした生き方を「民族の裏切り」と非難しているが、その生き方の中にこそ、日本の21世紀を輝かしく照らす「質」が内在しているのだ。21世紀は、日本を多民族社会にする先駆者たることが在日韓国・朝鮮人の歴史的使命である。二千年は、この多民族社会の「芽」を育てなければならない。
 そのために、「民族」を絶対的なものとしてきた在日韓国・朝鮮人は、その方針を転換し、在日が民族名を名乗ろうが、名乗るまいが、日本国籍を取得しようが、しまいが、それでも在日韓国・朝鮮人(コリア系市民)であることに変わりないことを、まず認めなければならない。その上で、全ての「コリア系市民」が日本社会のあらゆる場で自由に活躍できるような状況を創り出し、すべての「コリア系市民」が再結集できる場を提供すべきだ。この中からは、必ずや自己のルーツ(出自)を明らかにし、日本社会(世界)で活躍する人々が多く現れてくるに違いない。それは、必然的に在日韓国・朝鮮人の「ルーツ」を誇示することになり、子孫には名誉ある地位を残すことにもなる。他方、こうした「コリア系市民」の生き方は、単一民族社会の幻想から未だ覚めやらない日本人を揺り起こし、他の外国籍市民にも影響を与え、日本を名実共に多民族社会にする画期的なものにもなるのである。
 二十一世紀は、これまで「不幸」な存在だった「コリア系市民」が、その歴史的運命を止揚し、日本に多民族社会を築いて輝かしい功績を残す世紀なのだ。まさに、「コリア系市民」の時代がやってきたのである。
 私たちは二千年を生きるにあたり、崇高な使命と共に、日本社会を創造的に生きることで名誉ある地位を築く「コリア系市民」の生き方をここに宣言する。

2000年1月1日





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在日外国籍市民の参政権を考える連続講座      第3回


演題:在日韓国・朝鮮人と国籍

 講師:李敬宰さん

 
日時:2001年12月14日18時30分〜 場所:京都YWCA

 

【講演記録】

[はじめに]

 今晩は。今紹介していただきました、「高槻むくげの会」という在日韓国・朝鮮人の生活と権利を守る団体の代表をしております李敬宰です。「むくげの会」というのは、来年でちょうど30年になります。30年間、在日韓国・朝鮮人問題について取り組んできました。日常活動で行っていることは、地域での子ども会活動や、日本語識字教室、オモニの会という母親の会もあります。行政交渉もします。在日韓国・朝鮮人がそれぞれの世代ごとにがんばって生きて行けるように、皆で力をあわせて運動していこうという趣旨の団体なのです。

 30年間の活動の成果としてちょっと自慢できるのは、それまで高槻むくげの会が実施してきた地域子ども会や高校生の会などの教育的な取り組みが、1985年からは、高槻市の教育委員会の責任で在日韓国・朝鮮人教育事業として実施されるようになったことです。これは、全国で高槻市だけが実施しています。日本の行政は、日本人の教育については学校教育も社会教育も含め、当然のごとくいろんな施策をしていますが、日本人以外の教育についてはまったく取り組んでいません。そうした中にあって、高槻の教育委員会が韓国・朝鮮人を対象にした教育を実施するようになったのですから、その意味ではちょっと自慢できるかなと思います。ただ、他の市町村がそれに追随してくれないので、高槻市だけが目立っております。今の市長は来年から、それを廃止する方針です。私たちは、それをなんとしても守り抜かなければならないということで、今高槻はちょっと緊張した関係になっています。

 一方で、教育的な取り組みだけではなくて、差別をなくすためにも運動を進めております。70年代には国籍条項をなくす運動に取り組みました。当時、高槻市では韓国・朝鮮人は日本国籍がないということで市職員採用試験には受験できなかったのです。私たちもこのことをよく知らなくて、誰でも受けられると思っていたのですが、受けられなかったのです。それが法律によって決められているのかと思って調べてみましたら、法律的な規定は全くなかったのです。いわゆる「慣行」だったのです。この国籍条項をなくせという運動をして、79年に高槻市の職員採用国籍条項を撤廃させました。けれども、私たちはそれでよしとはしなかったのです。長年の差別的な扱いによって生じた不平等な部分を、政策的に底上げすべきなのです。国籍条項を撤廃した後は、在日韓国・朝鮮人職員の実績を作るよう要求しました。

 また、82年まで、国民年金制度にも国籍条項がありました。それが、日本が難民条約を批准したために、難民にも年金や社会保障を認めなくてはならないということになったのです。そうなると、難民には年金を認めるけれども、歴史的経緯のある在日韓国・朝鮮人には認めないというのでは、あからさまな差別となるので、この機会に在日韓国・朝鮮人にも国民年金を認めることになったのです。残念ながら、在日韓国・朝鮮人の権利を尊重して差別が撤廃されたのではありませんが、こうして、国民年金制度の国籍条項が撤廃されたのです。ところが、国籍条項が撤廃された時にすでに年金受給年令に達している高齢者と、20歳以上の障害者には、掛け金を納めていないと言うことで年金が支給されませんでした。日本人の場合は、国民年金制度がスタートした時点では、掛金を納めていない高齢者や障害者には福祉年金として年金を支給したのです。なぜ日本人にしたことを、在日韓国・朝鮮人にしないのか、高槻市に対してその差別・不平等を補完するようにということで運動しました。そして、85年に高槻に居住している在日韓国・朝鮮人の障害者に、ひと月1万円を支給させることができました。日本人の障害福祉年金は、あの当時2万円くらいだったので、それの半分です。その制度を作ったのが今の高槻市長が、担当部長だったときです。当時、ものすごく嫌がっていたことが記憶にあります。最後の最後まで嫌がっていたのですが、抵抗し切れなくて支給する決断をしたのです。けれども、最後に支給金額を日本人の半分にしてしまいました。新たな差別が生み出された瞬間でした。

 さらに、82年からは指紋押捺拒否の闘いにも取り組みました。

近年では、97年には法務官僚の坂中英徳さんを高槻に呼んで、「坂中論文から20年−在日はどう生きてきたのか」というテーマで講演していただきました。この時、坂中氏は「このまま行くと在日は消滅してしまいます、それでいいのですか」と問いかけました。つまり、今日、在日韓国・朝鮮人は年間1万人ほどが帰化によって日本国籍を取っています。ですから、単純に言って、このままいけば、20年か30年で在日韓国・朝鮮人はいなくなってしまうのです。こうした、在日韓国・朝鮮人の生き方に関わる問題に対しても積極的に取り組んで、在日の国籍問題(生き方)をいろいろ考えていく問題提起もしています。

 そういう運動的な取り組みや、教育的な取り組みをしながら、この30年間高槻で地道にこつこつとやってきたのが「高槻むくげの会」です。

[日本国籍に対する在日韓国・朝鮮人の反応]

 今日のテーマである「在日韓国・朝鮮人と国籍」ということでお話します。

長い間、在日韓国・朝鮮人にとって「国籍」問題はタブーでした。日本人も含めて、在日韓国・朝鮮人問題を考える人たちの中では、ほとんど議論されてこなかったのです。けれども、今後も日本社会に定住していくということに変わりはなく、世代も一、二世から3、4世へと交代し始めている状況を見据えなければなりません。

 以前、「民族差別と闘う連絡協議会」(民闘連)で、86年ぐらいだったと思いますが、「日本国籍」について自由に議論をしようというシンポジウムを開いたことがあります。しかし、議論しようと言っただけで大騒動になりました。民闘連はネオ同化主義者の集まりだと、民族系の新聞が大キャンペーンを張りました。それでなくても、民闘連はそういう批判をされていたわけですが、それが、ついに馬脚を現したという感じで言われたのです。私はもっと議論をしようと言っていたのですけれども、他の人たちは世間を騒がせるのはうんざりだということで、国籍の議論はそれ以降やらなくなっていったのです。それより、個別の権利を獲得・拡充していくような運動にさらに邁進していくということにしました。民闘連はこの時に大きな針路を見失ったのかも知れません。あれからもう20年近くたちました。この間、「国籍」の問題はタブー視され続けてきたのです。

 「国籍」の問題を考えるときに、一番よく言われることは同化ということです。在日韓国・朝鮮人の人たちは、自分たちに都合の悪い現象はすべて同化だと言う帰来があります。教育にも同化教育という言葉があります。市営住宅に在日が入居することも同化だといわれた時代があったのです。今ではお笑い草です。

 「高槻むくげの会」の設立は72年の8月15日です。記念すべき日に作ろうということで、その日になったのです。私が「高槻むくげの会」を作るときにやりたかったことというのは、自分の住んでいる成合という在日の集落を改善する問題です。当時、成合の朝鮮人集落は、戦争中、軍事秘密工場を建設するために集めてこられた朝鮮人によって形成されました。そのバラック立ての建物が戦後の住居になったわけですから、どうみても粗末で衛生状態もあまりよろしくなかった。そういう地域を何とか文化的な地域にしたい。排水路を整備して雨が降っても水は家の中に流れ込んでこないようにする。ちゃんした道路も作る。できるだけ共同トイレは廃止して、各戸にトイレをつける。そういった文化的な生活ができる地域にしたいと思ったのです。また、成合の集落は、ちょうどウトロと同じように不法占有だと言われて訴訟も起こっていました。それにも取り組まなければいけなかったのです。

 でも、はじめから「高槻むくげの会」を作ろうと思ったわけではなかったんです。その前に、民団や総聯に行って、その「成合問題」に取り組まなければならないのではないですか、と言いました。若かりし頃は民団地方本部へも直訴にも行ったのです。すると、民団は「日本政府に何かしてもらおうと考えるな、祖国の民主化が大事だ。」と言い、総聯は「自分たちには金日成という立派な人がいて、その人がいつかその問題も解決してくれるから、祖国統一を考えろ」とか、両方とも、とんでもないことを言うわけです。この両団体はだめだなあと思いました。その当時はいずれの団体にしても、日本の行政に在日の問題について何かをしてもらおうと思うなというのが基本的なスタンスだったようです。その背景には、日本の行政に世話になることは「同化」という、単純な意識があったのでしょう。

 この「同化」というものをもう少し細かく分析してみたいと思います。何が「同化」なのか。たとえば、すぐ「同化」だと言う人たちが、家に帰れば朝鮮の伝統的な家屋に住んでいるのかといえば、絶対にそうではないと思います。そんな家屋は日本にほとんどないと思います。普通の日本式の家に住んでいるでしょうし、生活様式もほとんど日本式でしょう。日常的に出てくる民族的なものといえば食卓にキムチがあったり、朝鮮料理があるという程度じゃないかなと思います。こうした生活様式は「同化」していないのだろうか。教育についても、日本語で教育を受けたら「同化」でした。今はもう1世を除いては、韓国語で教育を受けている人というのはほとんどいないのではないですか。ここでも、「同化」しています。ところで、総連系の民族学校を出た若い人たちが使う朝鮮語は、はっきり言って本当に朝鮮語なのかと思ってしまいます。日本訛り、日本語混じりの朝鮮語ですね。昔、在日1世の人が日本語を話すときは朝鮮訛りの日本語だったのですけれども、今総聯系の若いの人たちがしゃべっている朝鮮語は日本訛り、日本語混じりの「朝鮮語」(?)なんです。あれは、「同化」の極みになるのではないかと思います。

 私たちは民闘連運動の中で、この同化ということについて一定の結論を出しました。「同化」しているか、していないかというのは、民族的素養がたくさんあるか、ないかによって決まるものではなく、民族的な素養をたくさん持っていても、民族差別の前で「泣き寝入り」する姿を「同化」としました。大阪の生野区には在日韓国・朝鮮人がたくさん住んでいますが、あそこで大きな差別事件が発生したという事例を、私はあまり聞いたことがありません。では、あの地域には差別がないのかというと、そんなことはありません。差別はあるけれども、それを明らかにする人たちがいない、そういうことなのでしょう。だから、民族的な「街」に住んで、民族的な素養をたくさんみにつけていたとしても、同化している在日韓国・朝鮮人はたくさんいるということです。むしろ、民族的な素養は少ないけれども、民族差別をしっかりと告発していけるような、差別に負けない感性や感覚を持った在日こそが、「同化」されていなといえるのではないですか。

余談ですが、私たちは外登法の指紋押捺拒を闘いました。しかし在日の中からは、「そういう厳しい状況(指紋押捺)があるからこそ民族を意識するのだ、指紋押捺や常時携帯がなくなったらどこで民族を意識するんだ」というようなことを言う人たちがいたのです。そんなことでしか民族を感じることができないなら、そんな民族なんて辞めてしまえと私は思います。差別と闘えるかどうか、それをひとつの基準です。

 といっても、今でも「日本国籍」について議論することすら同化だと大騒ぎする人たちがいます。最近はトーンが弱くなっていますが、それでも健在です。日本国籍のことで、この間、在日の諸先輩方と話をしましたが、拒否感は強いです。しかし、それは、ほぼ感情的な次元で、「とにかく嫌」の世界です。私は理論的に考えていけば、在日韓国・朝鮮人の国籍問題は日本国籍に帰結していくと思っていますが、日本国家や日本の歴史にかなり厳しい見方をしている人は、日本国籍をイメージしただけでも虫唾が走るのでしょう。感情的に反発したからといって問題が解決するわけでもなく、歴史が元に戻るわけでもないのですから、冷静に議論していきたいものです。

 先ほど、年間1万人が日本国籍を取っていっているという話をしましたけれども、これはすごい数ですよ。10年たてば10万人になります。20年経てば20万人、これだけの人間がどんどん日本国籍を取っていっている現実があるわけですから、在日社会は、そのことをもう少し真摯に考える必要があります。在日社会では、日本国籍をとった人に対して今なお「民族の裏切り」という厳しい批判を浴びせています。果たしてそうなのかと思います。韓国籍を持っていたって、民族を裏切った人なんかいくらでもいます。日本国籍を取ったからといって、そういう言い方をするのはどうかと思います。

 私は今、民団の中央本部の「21世紀委員会」で、組織づくり部会の委員をしています。そこでは、民団の組織を活性化するため、組織の中心的な問題を議論しているのです。民団社会はこのまま行くと衰退していくということは、はっきりしています。もちろん総聯社会も例外ではありません。今のままでしたら、消滅していくだけです。それを活性化するためには、日本国籍者を持っている在日を組織の中にしっかりと位置づけるしかないのです。これができなかったら、民族団体はおしまいです。彼らは、そのことを頭の中では分かっているのですが、感情がそれを許さないようです。未だに、日本国籍をとった人間は民族の裏切りと、彼らを受け入れようとしません。私は、さらに、民団が日本国籍者を受け入れるためには、過去に彼らに対し民族の裏切り者というような厳しい扱いをしてきたわけですから、それに対する明確な「謝罪」が必要だ、とも言っています。謝罪した上で日本国籍者を受け入れるということをやらないと、誰も信用しません。日本国籍を持っている人からみれば、自分が組織から嫌われていると分かっていて、誰がその組織にも近づいていきますか。受け入れる側が、「過去の対応が間違っていたので、これからは皆さんの生き方を尊重してしっかりと仲間として受け入れていきたい」と言えば、じゃあちょっと考えようか、あるいは行こうかというふうになるのではないでしょうか。それをせずに、組織の人間が減っていくから、その穴埋めのために日本国籍者を入れましょうみたいな認識では、日本国籍者が来るわけがありません。ある民団の講演会で、私が「謝罪」したらどうですかと言ったら、民団の人は怒り口調で、「自分たちは、彼らを民族の裏切り者とはいっていない。あいつらのほうが民団を裏切って勝手に出て行ったのです」とか、そういう言い方をするのです。「あんた先刻『裏切り者なんて言ってない』って言ったじゃないか。そのしりから『あいつらのほうが裏切って出て行った』っていう言い方をするのは何だ」となります。こうした意見に民団の本音が端的に出ているように思います。

 在日社会は、日本国籍をとった人に対して、今でも非常に厳しい見方をしているのが分かったと思います。そのくせ、他方では複雑な事態も起こっています。今まで、日本国籍を取った韓国・朝鮮人の累計が20万人を超えています。これだけの数になるのですから、民団や総聯の幹部の中にも、親戚縁者の中には日本国籍を取った人間は絶対にいるはずです。ところが、彼らは、自分の親戚縁者に向かって、恐らく「裏切り者」だとは言っていないはずです。親戚縁者として仲良く付き合っていると思うのです。なのに、公的な場にでてくると、露骨に批判するのは感心できません。そんなことをしていると、あの団体の人たちは二枚舌を使うのではないかと思われて、不信感をもたれるだけです。

 もうひとつ、本当は在日が日本国籍をどういうふうに考えているのかということを証明するような事例があります。

1985年に日本の国籍法が改正されました。それまでは父系血統主義の国籍法でしたので、父親が日本国籍の場合に限り生まれてきた子供は日本国籍を持てたのですが、母親が日本国籍でも父親が外国籍の場合は生まれてきた子供には日本国籍が与えられなかったのです。まさに女性差別がここにあったわけですが、これが女性差別撤廃条約などの影響で、国籍法を改正しなければならなくなったのです。このとき、国籍法に生地主義を採用しようとの意見もあったのですが、結局は父母両系血統主義になりました。父母両系ですから、父か母のどちらかが日本国籍ならば、生まれてきた子供も日本国籍を持つことができるようになりました。この国籍法の改正が在日韓国・朝鮮人社会に大きな影響を与えることになったのです。当時、在日韓国・朝鮮人は8割近くが日本人と結婚していました。国籍法改正前でしたら、生まれてきた子どもの概ね半数ぐらいは、父親が朝鮮人ですので、「韓国・朝鮮」国籍になっていました。ところが法律が変わると、生まれくる子どものほぼ全員が日本国籍になるのです。重大な問題を孕んでいたのですが、在日社会は、一応、出生時に国籍選択を留保すれば「日、朝・韓」の二重国籍状態なので、この法案にはそんなに反対しませんでした。

 それでも、二重国籍にせよ日本国籍も持つ事には変わりないので、民族意識の強い夫や妻は子どもが日本国籍を持つに抵抗して、日本人の連れ合いと結構シビアーな議論したみたいです。過日、映画『在日』を撮った呉徳洙(オ・ドクス)監督と会ったときにその話になりました。監督の連れ合いさんが日本人です。「俺は死んでも生まれてきた子どもには日本国籍を持たせない」とか何とか言って。結構そういう在日も多かったようです。でも、実際85年に国籍法が改正されて、その後に生まれてきた子供に日本国籍を放棄させて韓国なり朝鮮なりの国籍を取得させた親は数名ぐらいしかいなかったそうです。6人か7人くらいだといっていました。あとは、ほとんど留保の状態で日本国籍を持ったと言います。子どもが生まれてくる前は、日本国籍を持たせないと突っ張っていた親も、子どもが生まれてきて日本国籍を持ったら、それはそれでよしとしているのです。日本国籍に反発している在日韓国・朝鮮人でも、本音のところでは日本国籍を認めているという事実がここに示されていると思うのです。ここにも、在日韓国・朝鮮人の本音と建て前の違いが現れているのではないかなと思います。

[届出による日本国籍付与法案とは]

 ここ数年、外国人に参政権を保障しろという運動があります。昨年の4月頃は、与党、中でも公明党さんがずいぶん頑張って、外国人に選挙権を保障しようと動いていました。ところが、外国人に選挙権を与えることに、自民党の右派が猛反発し始めたのです。中には、亡国につながるというような勇ましい発言も飛び出しています。外国人に選挙権を与えたから国が滅ぶならば、日本はその程度のしょうもない国ということです。

 参政権の議論のプロセスで、ひょんなことから「選挙権がほしいと言っている在日に日本国籍を与えたらどうか」というような議論が飛び出したのです。従来、外国人は「帰化」による方法でしか日本国籍が取れないのですが、簡単な書類に必要事項を書いて市役所に出せば、それだけで日本国籍が取得できる、そういう法律を作ろうとしたのです。そのかわり外国人には参政権は与えないというのが自民党右派の考え方です。与党はその案でだいぶ話を詰めていたようです。与党の国籍問題プロジェクトチームの座長は、案ができた時に韓国の駐日大使を訪ねて、この法律案について打診をしました。韓国の方は、「在日が長年待ち望んだこと」と肯定的な意見を述べました。その後に民団の幹部を呼んで、民団としての意見を聴取しました。そこでは、民団も「歓迎」の意向を表明したのです。そんな根回しの後に、国籍の届出法案が出てきのです。しかし、その背後に参政権を遠のけてしまおうという、自民党右派のもくろみもあったということも事実です。

 もうひとつ、この法律に合わせて、鄭とか趙とか、従来の日本の戸籍では苗字に使えない漢字も使えるように法律を変えるという大サービスまでついていました。戸籍の上から韓国系であるということを名前の中でも残せるようにするためです。従来の日本の単一民族制度からすると、ちょっと考えられない話です。余談ですが、日本は今単一民族社会だと信じている人たちが非常に多いわけですけれども、戸籍制度はその意識を大きく支えてきました。しかし、あまり知られていないことですが、85年に国籍法を改正した時に、戸籍法も変えました。従来、漢字でないと戸籍が編成できなかったのが、カタカナで編成できるようにしたのです。日本人でカタカナの姓名を持っている人というのはいらっしゃらないのですから、誰のためかといえば、外国系日本人のためです。スミスだとかドナルドだとか、そういうふうな名前で戸籍を作るということを想定して法律を変えたのです。実は、これは制度上から単一民族社会を実質放棄した画期的なものだったのです。私は、日本は単一民族社会を堅持するためには戸籍制度は絶対に変えないだろうと思ったのですが、それをあっさりと変えてしまったのですから、あれにはびっくりしました。日本は85年に国籍法・戸籍法の改正で名実ともに多民族社会へと方向転換したことを表明し、今回の韓国・朝鮮人の民族姓を戸籍に登載できるようにする措置は、日本が多民族社会への移行していることを示す第2弾みたいなものです。遅れているのは国民の意識の方ではないのでしょうか。でも、実際、日本国籍取得後、差別の圧力が非常に強い中で民族の姓字を使うかどうかは別の課題としてあります。

 最近、サッカーの選手で帰化した人がいました。サントスという人ですが、うまく漢字を当てはめて、「三都主」というような姓を作りました。クロード・チアリもそうですね、「蔵人智有」という漢字をつけています。私は、これを日本社会の同化の圧力だというふう考えてきたのですが、最近、この「三都守」(こんな「日本人」の姓はない)という人の漢字名を見ると、必ずしも同化とは言えないのではないかと考え始めています。むしろ、サントスという出身国固有の姓と、日本の漢字文化を取り入れた、新しい生き方を象徴するような名前というように評価することもできます。在日韓国・朝鮮人が日本国籍を取るときも、金(きん)、朴(ぼく)、李(り)として名前を使えば、それもまた多民族を象徴するような生き方ですので、そういう人がいっぱい出てくれば名前からも多民族社会が実現していけるのではないのかと期待します。日本式の名前を、同化の圧力だとばかり、批判していても仕方がないというふうに思うのです。

[単一民族社会を支える左右の日本人?!]

 日本の単一民族社会という状況が、戦後50年たっても今なおなかなか変化していかないのは、日本人の左右の思想に問題があります。

右派の日本人たちは、外国人には外国人でいてほしく、外国人が日本に来ることはしかたがないにしても、日本人の範疇に入れることを許しません。この先も、日本を純潔日本人だけで維持したいと強く考えています。

 左派の日本人は、外国人が日本国籍を取ったら同化してアイデンティティがなくなってしまうと忠告します。たとえば、在日韓国・朝鮮人が日本国籍を取ることは、過去の歴史に敗北するとか、同化するとかと言って、韓国籍であることを奨励し続けます。一方で右派が、外国人排斥を唱え、他方で左派が、外国人には日本国籍を取らせないように忠告していることを重ね合わせれば、この二つの先は、将来の日本を純潔日本人で構成する、ことで一致します。つまり、完璧な単一民族社会にする結果を導くのです。まさか、日本の左右両派が裏で、日本の単一民族社会を営々と築こうと、手を結んでいるとは思いたくはありませんが、行き着く先の結果が一致しているのは気になるところです。

 本当に皆さんによく考えていただきたいと思います。日本人は国籍について在日韓国・朝鮮人の考え方に影響されてきたし、韓国・朝鮮人側も国籍問題をタブー視してきことから、今問題になっている国籍問題についてよく考えられないでしょうが、しかし、この問題は避けて通れない、優れて日本人の課題なのです。例えば、在日韓国・朝鮮人は日本社会の構成員だというけれども、実際参政権など政治に参加する権利ははほとんどありません。社会保障の諸制度の適用を受けていますが、あれも権利にはほど遠く恩恵でしかありません。この先、これから日本に来る外国人にも、こうした立場の範囲に留めておくのか、あるいは、国籍を与えて日本人と同等の立場を確保するのか、それを、主たる日本社会の構成員である日本人が主体的に考えなくてはならない課題だと言いたいのです。あまり在日に影響されないで、しっかりと考えて欲しいと思います。日本人の左派の人たちが歴史への敗北だとか同化だとか言うようになったのは、かなり、在日韓国・朝鮮人の考え方に影響されたからです。過去、植民地支配して朝鮮人の民族性を全て弾圧していった歴史を反省し、戦後はそういうことをしないで、民族的なものをできるだけ尊重しようとする考えは理解できますが、受け売りで、何でもかんでも同化だとか歴史への敗北だとか言ってしまうのはいかがなものかなと思います。在日韓国・朝鮮人の意見も参考にしながら、本当に何がいいのかを自分の頭で真剣に考えてほしいのです。

[これからの日本社会]

 これからの日本社会ですけれども、よく耳にされると思いますが、少子高齢化社会になります。今、日本の女性が生涯で子供を産む数が1.34人くらいですので、日本の人口は、早ければ今年ぐらいから初めて減少に転じていきます。少子化は、同時に生産年齢人口の減少を招くことを意味しますので、他方で増える高齢者(非生産年齢人口の増加)を支える負担が増大することになります。これから25年先が一番ピークでしょうか、このままの推計だと老齢人口が40%近くにもなるそうです。そうなれば、今は4.3人くらいでお年より1人を支えているのでが、1.4人で1人のお年寄りを支えなければならなくなり、一部の若者は労働意欲をなくし、日本を脱出するかも知れません。給料の半分以上が税金になり、自分が高齢者になったときは年金制度があるかどうかも分からないような社会不安が巻き起こるかも知れません。こんな日本に将来を託せるのでしょうか。少子高齢化とは、実はこんな大変な問題を孕んでいるのです。

そこで、こうした日本をどうしていけばいいのかが、政府の中でも大きな問題になっています。

 国連は、日本が今の経済レベルを維持するためには、この先50年間、毎年60万人の外国人労働者を受け入れるべきだと提言しています。そうすると、50年先には日本には3千万人の外国人労働者がいることになります。その2世も含めたら、在日外国人は今と比べ物にはならないほど膨大な数になります。このように、今後、日本社会は確実に多民族化していくことは間違いありません。

これに対して、もう外国人を入れなくてもいいのではないかとの意見もあります。今、日本人の人口は1億2千6百万人ほどですが、このまま自然な人口減少を受け入れて、7千万人ぐらいのところまで縮小させるような政策を採って、日本人だけで日本社会を運営していったほうがいいという意見です。そのためには日本の経済も縮小させ、中進国程度の、小さくてもきらりと光っている日本を作ろうと言うのです。ところが、これは現実的な話ではありません。すでに、日本政府は外国人労働者を受け入れる方針を示しています。特に、高齢者介護などで人手が逼迫してくるのですから、フィリピンあたりから、看護婦さんとか介護専門の女性を相当数入れたいと考えています。またインドからIT関連労働者を日本に大量に入れたがっています。そういうふうにして外国人労働者を全面開放ではないですけれども部分的に開放して受け入れていくという方針を採っているわけです。

 ところで、この部分的にというのがいかにも日本的な姑息なやり方でして、受け入れるけれども3年で帰ってもらおうと考えています。そんな話はないわけで、人がいったん移動したら、本人が嫌になって帰っていくなら別ですが、人に強制されてそこから出て行けということになると、人権侵害になります。渡日してきた外国人が日本人と出会って結婚することもあるでしょうし、生活が安定してきたからと母国から家族や親戚を呼び寄せて一緒に暮らし始めるでしょうし、こうして、外国人が日本社会に定着していきます。当たり前の話です。離散家族が集合することは世界的に見てまっとうなことですから。3年たったら帰ってもらおうと知恵を絞るより、できるだけ長く日本に定着して貢献してもらうことに知恵を絞る方が日本の将来のためになります。

 ともあれ、外国人の受け入れは始まっているのです。その政策の中身は非常に貧弱なものですが、それでも外国人労働者がこの先も増えていくということは間違いないわけです。日本が不景気だとか何だかんだとか言っても、まだ物がいっぱい余っていて、日本で1ヶ月働けば自国での1年の年収に匹敵するくらい稼げるのです。こうした格差のある国が世界にいくらでもあります。水が高いところから低いところに流れるのと同じように、経済力の低い国から経済力の高い国に人が移動するのも、当たり前のことなのです。

 こうして増えていった外国人を、どう処遇すれば幸せになれるのか、この問題を考えたとき、国籍のあり方というのは非常に大きな課題になってくるのです。運動している人たちの中には、別に国籍がなくても市民として平等とか権利が保障されるような市民型社会、又は市民国家というようなものを作ればいいということを言う人がいますが、そんな話は極めて無責任です。明日でもあさってでも市民国家を作れるならその方向がいいだろうと思いますが、世界広しといえどもそんな社会やそんな国家は未だ存在していません。残念ながら世界は国民国家として成り立っているおり、その国の構成員は誰で、外国人は誰なのかがはっきりしています。しかも、国家には領土があって、それを犯せば時に戦争になるような、非常に緊張した関係にあります。現状では国家とは、そういうところでできているのです。これを好きとか嫌いとかいう次元で論じても意味がありません。現実がそうなっているのです。どの国家でも程度の差はあれ、移動してくる人についてはかなり厳しくしています。これもそんなのはおかしいと言っても、現実的にはどうしようもないことです。

外国人の受け入れについても、誰でもいいと言うことにはならない。たとえば皆さんが総理大臣であったとしても、あるいはどんな権限でも持っている独裁者であったとしても、「私は外国人労働者の受け入れには賛成だから、日本では、それを無条件に認めましょう」という政策をやったとすると、世界中からどれだけの人間が日本にやってくると思いますか。そうなったときに治安問題が起こらないと言い切れますか。混乱しないと言えますか。私は、こうした情緒的な考えは間違いだと思います。外国人を無条件に受け入れると、日本の経済状況から言えば、大量の外国人が押し寄せるのですから、社会が混乱してパニックになります。だから、締め出せということではなく、外国人労働者をどの程度受け入れていくかということを真剣に考えるべきなのです。安易に市民国家型の理想を振りかざすと、現実的な道を見失います。国民国家という枠組みが今厳然とあるわけですから、そのことを念頭に置いて、その中で最も幸せになる現実的な方法は何なのか考えなければならないということです。そして、外国人を受け入れたときには、民族や出身地に関わらず国籍を取り易くし、可能な限り日本人と同等の待遇を保障して行かなければならないのです。従来から日本に住んでいる人をヤマト民族としますと、ヤマト民族だけに社会を構成する権利があるのではなくて、日本に住んでいる、民族や出身地、国籍を問わず全ての人が平等な権利を持てるような、そういう社会をつくっていくことが今求められていることだと思います。

 今外国人が168万人です。どんどん増えていく時に、生まれてくる2世や3世、4世5世になっても外国人なままでいることが、その人たちの幸せにつながるのだろうか。うちの子供が保育園に行っていたときのことですが、親は在日韓国人だということを教えたいと思っていますから、本名で保育園や小学校に行かせているのです。けれども、最初の頃は韓国人だと教えていたので素直に言っていたのですけれども、保育所の中で在日はあの当時二人だけで、友達の誰々ちゃんも誰々ちゃんも皆日本人ですから、だんだん寂しくなっていくわけです。それで子供が「自分も日本人がいいわ」と言うのです。そうしたら、私が「アッパとオンマは韓国の人だから、ミユンちゃんだけが日本人やね」と言うと、「そんなんはいや。やっぱり韓国人がいい。」と言うのですが、実のところ、子供になぜ自分は韓国人なのかと問われたときに、私は答えられないのです。日本人の子が「なぜ私は日本人なの?」と聞いた時に、仮に「日本で生まれたから」と答えたとして、今度は在日韓国・朝鮮人の子に「なぜ私は日本人じゃないの?」と聞かれたら、どう答えたらいいのでしょうか。まさか、韓国人の血と日本人の血を識別する方法なんてないのですから、血の話では説明できません。子供にちゃんと答えられない理屈なんて、どこかが間違っていると思いませんか。私は、直感的にそう思いました。子供たちは、自分は日本で生まれて日本語をしゃべっていて、何とかちゃんや何とかちゃんと一緒に遊んでいるんだから、自分は日本人だと思っているんでしょう。親が在日であるということにこだわって、自分のルーツに重きを置いた生き方をしてほしいという願いを込めて、民族名を名乗ったりする生き方をさせているとしたら、子供にそういう生き方を強要しているわけです。こういう在日韓国・朝鮮人の生き方も、やはり現実とのギャップが出てきているように思います。もはや、こうした状況を、いつまでも放置しておけないのではないかなと思って、私は最近積極的に日本国籍の議論を進めているのです。

今は、日本社会の中には日本人と外国人しかいません。もちろんアイヌ民族と琉球民族がいますが、彼らも単一民族に含めて考えてしまっている人たちが多いのが実情だと思います。一方、明確に韓国系市民がいて、それが日本国籍を持って日本社会の中にいたら、まさか単一民族だということは口が裂けてもいえないと思います。本来ならば、もっと早い時期にそういう生き方をする在日韓国・朝鮮人が出てきてもよかったと思うのですけれども、今日の状況は、出遅れていると思います。

あまりまとまった考えではありませんでしたが、在日韓国・朝鮮人と国籍について、今考えていることを述べさせていただきました。