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【社説】

皆でやろまい地方自治 年のはじめに考える

2010年1月3日

 ことしは「議会改革の関ケ原」と名古屋市の河村たかし市長が意気込んでます。キーワードは市民参加。そう、「私たち」です。一緒に考えましょう。

 昨年暮れ、名古屋市議会の委員会で、河村流「地方自治」の用語集が配られました。

 十一月議会に提案された、いわゆる「政治ボランティア条例」案に出てくる用語について、反発する議員らが「意味が分からない」と求めたものです。A4判で一枚ですが「政治ボランティア化」とか「真の住民自治」とか、皆さんは分かりますか。

 議会の「理想」と「現実」

 「政治ボランティア化」とは「ボランティア精神(自発性・無償性)に基づいて、市民に奉仕する政治」で「真の住民自治」は「住民が主体となって、地域の課題を解決するため、地域から提案し、地域自らが取り組んでいる状況」なんだそうです。

 昨年四月に当選した河村市長の最大公約だった市民税の10%減税条例はようやく成立しましたが、河村市長は「市議会は民意を反映しとらん」と「議員数や報酬とも半減」を突き付けたのが、前代未聞のボランティア条例案です。

 理想は分かるのですが、現実には、議員の多くは年約千五百万円の報酬で生計を立てて職業化しています。「ボランティアで」と言われても、平日昼間の議会出席など「片手間でできない」と言います。条例案のように議員を半減させると、議会は市民からより遠い存在になりかねません。間違えれば地方自治を崩壊させる劇薬です。

 市議会は条例案を継続審査にし、自分たちで改革するための勉強会を始めました。次の二月議会で議会基本条例を定めると言っています。でも河村市長や支援者らは、不十分なら、議会の解散請求(リコール)を求める署名活動を始めると宣言しています。

 再生の鍵は「市民の声」

 県や市町村の地方議会は、議員たちが、私たちの声を代弁して地方自治を議論する場のはずです。でも、皆さんは傍聴に行ったことがありますか。片山善博・前鳥取県知事は「台本のある学芸会」と皮肉ります。真剣勝負の討論はどのくらいあるでしょう。

 昨年の政権交代まで続いた長年の自民党政権で、国にも主権者の市民の声が届かなくなったのと同じように、多くの自治体も相乗り首長の安定さが“災い”して、行政を鋭く批判する場面がなくなり、地方議会が形式的な承認機関になってしまったのが実情です。

 名古屋市も過去二十八年間、主要政党の相乗り市長が続き、市議会もほぼ総与党体制でした。河村流の是非はともかく「議員が多すぎる。報酬も高すぎる」などと厳しい見方があることを反省し、改革を急がねばなりません。

 岐阜県多治見市の西寺雅也前市長は在任中の二〇〇六年、中部地方でさきがけの一つとなる「市民の市政参加の権利」を盛り込んだ市政基本条例を成立させました。

 西寺前市長は「今の議会は市民の構成と相似関係になっていない」と指摘します。例えば、会社勤めの市民がこんなに増えたのに、時間的な制約から議員を務めるのは困難です。だからこそ「議会も幅広い市民の意見を吸い上げる努力をせねば、市民の代表とは言えない」と訴えます。

 議会は市民の声をよく聞き、代弁し、地方自治に生かす大切な場ですが、世界を見ると、議会以外の仕組みを考え「複数回路の市民参加」を目指す努力もあります。

 ドイツでは無作為に抽出した市民らが「細胞」のようなグループで市の計画について議論を重ね、反映させる「計画細胞」という制度があります。

 デンマークでは遺伝子治療や化学汚染など科学技術政策のリスクを市民らが専門家とともに討論するコンセンサス会議、予算編成に市民が加わる「市民参加型予算」はブラジル・ポルトアレグレ市で始まり、南米や欧州に広まっています。

 日本でもいろいろな実験があります。東京都三鷹市は、自由参加の市民会議で、市の基本計画を作り上げました。愛知県新城市は、無作為で選んだ市民による討論会を行い、参考にしています。

 負担も考えて進めたい

 議員が市民たちの代弁者として地方自治を動かす代議制だけで、かつては十分だったでしょう。でも市民の職業や生活がこれだけ多様化すれば、議員だけの議論では限界はあります。市民参加の工夫は多様かつ臨機応変にしなければ、地方自治と市民との距離は遠くなるばかりです。

 むろん市民参加となれば、その分、時間や労力の負担は避けられません。どれだけなら参加できるのか、地域ごとに一歩ずつ進めながら考えていきたいものです。

 

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