「吉越浩一郎の「結果の出る会議」」

吉越浩一郎の「結果の出る会議」

2010年1月12日(火)

してほしい仕事を、部下がしてくれます

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 前の会社に私は香港で入社し、3年後に日本に転勤しました。当時、トリンプの日本法人の売り上げは約100億円でした。これが、20年後に私が退職する時には500億円を超えていました。その一方で、私は社員の残業を完全になくしました。しかも、本社勤務、いわゆるバックオフィスの総合職の人数は120人から70人台まで減っていました。営業を除く部門の総合職の人数を40%減らし、残業を禁止したにもかかわらず、売り上げは5倍に伸びていたのです。

 端的に言えば、それだけ社員の一人ひとりが生産性の高い仕事をすることになったわけですが、それこそ「会議」がもたらしたものでした。私の行っていた会議をちょっと堅く表現するならば、こういうものだったと思います。

 「会社の課題や問題をあぶり出して表に出し、会社にとって最適な解決策を発見し、実行し、再発防止にもつなげていく場」

気づいているのにできない悪循環を断ち切る

 毎日、日々新たに発生してくる課題、問題を会議で取り上げ、解決していくわけですが、少しずつ掘り下げると、そこに何かしらの根本的な問題を見つけることができました。そういった、仕事の効率を下げ、生産性を低くしている問題点を会議で見つけ、排除して、再発防止につなげていくのが、私の行っていた会議でした。そうすることで例えば、余計な時間がかかっていた作業的な仕事はシステムや「仕組み」に任せ、一人ひとりはより高い次元の仕事に挑めるようになるのです。

 例えば、社員の時間を奪っていた定型業務などはいち早くコンピューター化されましたし、人の判断が必要でコンピューター化できない仕事はすべてマニュアルによってルール化され、管理されていきました。

 どの会社にも、いろんな課題があります。組織のトップも、管理職も、一般の社員も、いろいろな課題に気づいています。しかし、その「気づき」があるにもかかわらず、忙しさに紛れ、課題は放置されたままになっていないでしょうか。また、改めて問題になった時に、あのとき根本的に改善、解決しておけばよかったと反省した経験もあるのではないでしょうか。

 社長も含めた一人ひとりが、「こうすればもっと効率的になのに」「こうすれば生産性が上がるのに」…といった思いを、頭の中にたくさん持っていながら、それは解決されないまま日々の仕事に忙殺されている。その悪循環を断ち切ることができたのが、私の行っていた会議だったのです。では、なぜ、それができたのか。会議が、社員の視点を変えたからです。



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著者プロフィール

吉越 浩一郎(よしこし・こういちろう)

吉越 浩一郎1947年千葉県生まれ。ドイツ・ハイデルベルク大学留学後、72年に上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業。極東ドイツ農産物振興会、メリタジャパン、メリタ香港の勤務を経て83年にトリンプ・インターナショナル(香港)に入社、リージョナル・マーケティングマネージャーを最後に86年よりトリンプ・インターナショナル・ジャパンに勤務。87年代表取締役副社長、92年に代表取締役社長に就任し、2006年に退任。同社は毎日開催される早朝会議での即断即決経営を武器に19年連続増収増益を達成。2004年には『平成の名経営者100人』(日本経済新聞社)の1人に選出された。2008年、第37回ベストドレッサー賞<政治・経済部門>を受賞。
現、吉越事務所代表。現在、東京と、夫人の故郷である南フランスの2カ所を拠点にしつつ、国内各地で幅広く講演活動、執筆を行う。


このコラムについて

吉越浩一郎の「結果の出る会議」

私が社長を退任するまで、トリンプ・インターナショナル・ジャパンは、19年連続して増収増益を達成しました。この間に、売上高は5倍の規模になりました。バブル崩壊があり、厳しいデフレ不況があったにもかかわらず、です。なぜ、これほど長期にわたって会社を成長させられたのか。その最大の要因は「会議」にあったと私は考えています。どうぞ、これまで会議を軽んじてきたツケを、ここで清算してみてはどうでしょう。「その気になれば誰でもできる吉越式会議」をこのコラムではそっとお教えします。

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