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60歳渡辺会長6度目挑戦実る/ボクシング

チャンピオンベルトを巻いて渡辺会長(右)と喜ぶ内山(撮影・柴田隆二)
チャンピオンベルトを巻いて渡辺会長(右)と喜ぶ内山(撮影・柴田隆二)

<プロボクシング:WBAスーパーフェザー級タイトルマッチ12回戦>◇11日◇東京ビッグサイト

 WBA世界スーパーフェザー級3位の内山高志(30=ワタナベ)が、王者ファン・カルロス・サルガド(25=メキシコ)を12回2分48秒、レフェリーストップで下し、初挑戦で世界王座を奪取した。

 「最終兵器」で「世界の夢」を実現させた。ワタナベジムの渡辺均会長(60)は69年にプロデビューし、引退後の75年には故郷の栃木・今市でジムを開いた。東京・五反田へ移転後はジムを広げたが、世界挑戦は5度失敗してきた。05年にアマチュアだった内山を現役引退からプロ転向へと翻意させ、ついに世界王者へと育成。6度目の挑戦で、世界王者を育てた国内31番目のジムとなった。

 リングで内山と抱き合った渡辺会長は、悲願に顔をくしゃくしゃにした。「長かった。41年かけて大学を卒業した気分。50代で世界をと思っていた。最終兵器の内山のおかげ」。69年に世界を夢見てプロデビューから始まったボクシング人生。6度目の挑戦にして、やっと世界王者の夢をかなえた。

 内山がアテネ五輪を目指していたころ、渡辺会長は試合を見たこともなく、面識もなかった。知人から紹介され、居酒屋で食事をしたりするうちに「人間性にほれた」。10を超えるジム、K-1などからも誘われた逸材。熱心な誘いが、内山を現役引退からプロ転向へ翻意させ、入門へとつなげた。

 05年4月に入門した内山の拳を初めてミットで受けた時、衝撃が走った。世界挑戦の2人目は「ブンブン吉野」と言われた強打が売りだった。「何千人と受けてきたが、内山は吉野以上。世界王者に育てなければと、責任を感じた」と振り返った。

 苦労がようやく報われた。高校時代に当時の王者沼田、小林らにあこがれ、新日本宇都宮ジムへ通い始めた。国鉄職員となったが、5度目の受験でプロテストに合格。「かませで敵地が多かった」という。KO勝ちゼロも、得意のクリンチで日本ランク入りしたのが自慢という。

 自らはなれなかった王者の育成を目指し、75年に今市ジムを興した。81年の東京転勤を機に退職。五反田にワタナベと名を変えて、ジムを設立した。当初はトラック運転手、サウナでアルバイトをしながらの経営だった。

 今回は試合まで2カ月を切って「生え抜きを中心に一丸で」と、トレーナーを変えた。危険な賭けに周囲も心配したが、思いは通じた。「ビルのローンがあと2年。2人目を育てたい」とまだまだやる気だ。

 [2010年1月12日7時59分 紙面から]


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