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【格闘技】

内山が無敗で世界王者 王者サルガドを12回KO

2010年1月12日 紙面から

◇WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチ

12回、内山高志(左)がサルガドからダウンを奪う(七森祐也撮影)=東京ビッグサイトで

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 天国のオヤジ、勝ったぞ−。2大世界戦が行われ、WBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチは、挑戦者内山高志=ワタナベ=が、王者フアンカルロス・サルガド=メキシコ=に12回2分48秒TKO勝ち。無敗で頂点に駆け上がり、ワタナベジム28年目にして初の男子世界王者となった。また、WBA世界スーパーバンタム級タイトルマッチは、挑戦者細野悟=大橋=が王者プーンサワット・クラティンデーンジム=タイ=に0−2で判定負け。王座獲得はならなかった。

 何が何でも倒す−。最終回。逃げ切れば判定で勝てるのは分かっていた。だが、内山は右、左、右のコンビネーションで倒すと、立ち上がった王者になりふり構わず襲いかかった。2人の“オヤジ”とつかんだKO劇だった。

 「ウチの父ちゃんと母ちゃんにありがとうと言いたい。亡くなったオヤジ、ありがとう」。試合後、リング上から2005年11月に58歳で死去した父・行男さんにベルトをささげた。厳しい父だった。高校生のころ、「減量キツい」「練習疲れた」などと愚痴ると、「だったら辞めろ!」と怒鳴られた。泣き言を言うな−。父の言葉が、勝負に大切な強い心を育ててくれた。

 進学した拓大では屈辱も味わった。試合に出るどころか、補欠にすら入れない。同級生のかばん持ちをさせられた。「悔しくてひたすら練習するしかなかった」。弱音は吐かず、拳を磨け。父の教えだった。

 大学4年の01年から全日本選手権3連覇。アマ4冠に輝いた。父はプロ入りに猛反対。安定した職業を望んだのに対し、「オレ、絶対に世界王者になるから」と説得し、「やるんだったら、最後までやり通せ」と送り出された。

 プロ3戦目の直前、がんで闘病中だった父が天国へ旅立った。「試合頑張れよ」。それが最期の言葉だった。父と交わした世界王者になるという約束。それを果たすため、内山はこの日、リングに上がった。「父には『勝ったぞ、約束守ったぞ』と報告したい」

◆武器くれた会長

 試合では、もう一人の“オヤジ”に教わった武器を何度もさく裂させた。リーチ179センチ。日本人離れした手足の長い体形。プロに入り師匠・渡辺均会長(60)から口うるさく言われてきた左ボディーだった。「ずっと『王者になれる』と言ってくれていた。会長の力がないとここまで来れなかった」

 30歳。初挑戦で世界奪取。いつも隣にいる頼もしい“オヤジ”に感謝した。 (森合正範)

 

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