私のご主人はお酒が好きだ。一人でもよく飲まれるし大勢になると記憶を失うほど飲むときもある。ご主人がお酒好きでよかった。お酒好きであるから私とご主人のスキンシップも多くなる。心の底から酒、とくにビール様には感謝している。私は上がっている。
昨日も私たちには馴染みのない「シンネンカイ」という宴があったようだ。今年に入って何回目だろうか。フクダという男は「自転車」を語り、トクイという美男子は「エロス」を熱弁し、イノウエという不思議な髪型をした男は「ビガンキ」という物の良さを伝えるので必死だった。その頃、ご主人様はただひたすらヘラヘラしお酒を流し込んでいた。いい調子だ。まだ私は上がっている。
二時間ほど経過したあたりからご主人様の様子がおかしくなってきた。周りの人の話を聞きながらもぞもぞとしている。そろそろ私の出番のようだ。
ご主人様は話が一段落すると席をたちトイレへと向かった。放尿タイムだ。トイレに入るや否や、すぐに親指と人差し指で私を掴み一気に下げた。そう私はご主人様のズボンのチャックである。
ご主人様はことを済ませると優しく私を掴み上げてくれた。
ここからは大忙しだ。ご主人様は一度放尿タイムをむかえてしまうと、あとは二十分おきに膀胱がパンパンになるからだ。それからの一時間半、私は上げ下げされっぱなしだった。これ以上の幸せはない。ご主人様はというと、放尿タイムのせいで周りの人が話している話のオチがほぼ聞けていなかった。これ以上虚しいことはない。
かわいそうな体質だ。
しかし、私にとっては最高の体質なのです。ご主人様、今年はあと何回「シンネンカイ」があるのですか?そのときはどうかこのズボンを履いていってください。そして私を上げ下げしてください。よろしくおねがいします。
終盤ご主人様はトイレから戻り、周りの話に耳を傾けている。私は下がっている。
たらりと汗が床に落ちた。
石田は顔面蒼白で唇を震わせている。虚ろな視線の先は真っ赤に染まっていた。
「うそやろ」
石田は真っ赤に染まった「それ」を揺らした。微動だにしない。絶望感に飲み込まれそうになりながら、周りを見渡すと運よく誰もいない。不幸中の幸いだ。
ここから逃げ出そうとしたが、足がまったく動かない。どうすればいいんだ。石田は考える。なんとか今の状況を切り抜けたい。ひとつ案はある。しかし、それはかなりのリスクがある。油断すれば全てが水の泡だ。どうする?しかし、もう限界だ。よし、一か八か賭けてみよう。
そう決意し、石田は全身の力を抜き目を閉じた。
バフッ!!
轟音とともに悪臭が広がった。そうオナラをこいたのだ。そしてオナラだけを出すことに成功したのだ。石田は激痛から少しだけ救われガッツポーズをした。
するとカチッという音とともに先ほどまで真っ赤だった「それ」が真っ青になった。そう鍵が赤から青になりドアが開いたのだ。
石田は出てきた人と握手をしてドアの向こうに消えていった。
石田は物欲と闘っていた。
ショーケースを眺め財布をちらりと覗き、そしてショーケースへと視線を移す。かれこれ何十分こうしているだろう。
そうだ。またもやフィギュアが欲しいのだ。
周りの店員や客にNON STYLEの石田だということはとっくに気付かれている。ひそひそと話す声が聞こえてくる。
「うわ、まだおるやん」
「ほんまや。お金あるねんから買ったらええやん」
「なあ、そういえばケチ顔やもんなぁ」
「あ、それおれも前から思っててん」
言われたい放題である。
しかし、これだけは言っておこう。決してお金をもっている訳でもないがケチでもない。何故僕が渋っているかというと、もう飾るところがないのだ。財布を覗いていたではないかと言いたい方もいると思う。それにはしっかり理由がある。財布の中に家の棚の写真が入っているのだ。
写真を見ながら「ここに置こうか、これをここに移動さして、いやこれを斜めに」と考えていたのだ。
とりあえず今日は買わないでおこうと決めたとき、高校からの友人の島原からメールが送られてきた。
「かっこいいやろ」
うらやましい。悔しいから送りかえしてやった。
「かっこいいやろ」
この二人、どちらが強いのだろう。
僕は元旦の仕事を終えて祖母の家に向かった。
携帯電話を見ると大量のメールが届いている。俗にいう「あけおめメール」だ。僕が送った「あけおめメール」に対しての返事の「あけおめメール」と、新たな「あけおめメール」でごったがえしている。気のせいか携帯電話も疲れているように見える。
そのギブアップ寸前の携帯電話を握りしめ「あけおめメールリターンズ」が始まる。僕の左手の親指が高速でボタンを押す。疲れきった携帯電話の背中のツボを押しているようだ。明日は揉み返しがひどいだろう。
親指があまりいうことを聞かなくなった頃、祖母の家の前に到着した。しっかり閉じられたドアからどんちゃん騒ぎの様子がしっかり漏れている。恐ろしい。
大きく息を吸い込みドアを開ける。
「あけましておめでとうございます」
僕が言うのも待たずに近くにいた長男がコップを渡してくる。親父の妹の娘がビールを継ぐ。親父の兄二人が上座から「こっちへこい」と誘う。そんなこと関係なしに次男が「パソコンありがとう」と話しかけてくる。その下で次男の息子二人が「明、トランプしよう」と袖をひっぱる。親父が「おい、明。はよこっちこい」とせかす。親父の妹が脈絡もなく「どう?この服お洒落やろ?」とほざく。その娘たちが「山Pと友達になって」と要求してくる。無視して祖母にあいさつをする。祖母の声に耳を傾けていると「あっきら~!遅かったや~ん」と母の声。信じられないほどの力でハグをされる。
てんやわんやとはこのことだ。この間なんと15秒。総勢32人。
先が思いやられた。そして案の定石田家の酒飲みの血がこの状況をさらに加速さしていった。おそらく外には轟音が鳴り響いていたに違いない。
やかましいし疲れる。腹が立つこともある。
でもいつまでも続けたい。
そう思うのも石田家の血なのかもしれない。
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