柳 う〜ん、密室の中での鳥との戯れは、自分としては、精神的負担というよりは、その反対の精神的解放だったような気がするんですけど……でも、そこから一歩外に出ると、もう立っているのも辛くて、生きてけないような……。
長谷川 うん、うん。それは、鳥との憩いのひと時っていうのがね、認識の部分で楽しいと感じられていたとしても、それは上辺だけであって、もしかして本質は違っていた。ものすごく負荷がかかる行為であり時間であり空間だった。そう言い切ると、反論したくなります?
柳 でも、そうかぁ……そうですよね……もし、ほんとうに憩いのひと時だったんなら、リフレッシュして、そのあと、仕事とか家事とかいろいろできたはずですよね。でも、私は、なにもできなかった。「ああ、ちょっともう、生きていられないな」と寝込むようになってしまったんですよ。
長谷川 その鳥と過ごした時間というのは、認識できていないところで、ものすごく大変な心の作業をしていたんじゃないかな? そうだとすると、終わったあとで、これはもう疲労ですよね。精根尽き果てるというね。
柳 でもそうだとしたら、鳥が死んで、何しかの解放感みたいなものがあっていいはずですよね?
長谷川 いや、柳さんにとっては、精根尽き果てるぐらい大切な作業だったんですよ。どうしても鳥を飼わなくてはいけない、と思ったのは、雛を育てることを通して、自分というものを、もう一度生かし直さなくてはならないという。大変だけれども、成し遂げなくてはならない使命感のようなものがあったんじゃないですか? だから、突然鳥に死なれて、解放感ではなくて、「え?」っていう衝撃と挫折感でいっぱいになった。