海外脱出アドバイスのダメなところ

January 10th, 2010 by Rion | このエントリをdel.icio.usに追加このエントリをはてなブックマークに追加 Leave a reply »

何か書いている間に全面的な批判になってしまいましたが、個人を批判する意図はありません。

追記:何やら一部に誤解があるようですが、このポストの主旨はどうして海外脱出を勧める記事が反感を買うかです。日本に問題があることを否定しているわけでも、日本は大丈夫だと主張しているわけでもありません。個人的な意見はありますが、主旨を読み間違えられないようにお願いします。

近年もう日本は諦めて海外へ逃げようという記事をよく目にする。反応は真っ二つで「その通り、よく言った」という肯定派と「何言ってるの、じゃあ帰ってくんな」という否定派に分かれる。もうこの手の記事は飽き飽きかもしれないが、どうして内容自体がおかしいわけでもない記事に批判が集まるのか、論点整理をしたい。主に見てみたいのはつい最近の酒井英禎さんの記事と以前話題になった渡辺千賀さんの記事だ。

15歳の君たちに告ぐ、海外へ脱出せよ – Rails で行こう!

On Off and Beyond: 海外で勉強して働こう

どれも基本的な構成は変わらない。

  1. 日本の{社会|労働市場|教育制度|政治|文化|その他}はもう絶望的。
  2. 日本を変えるのは無理。
  3. 海外に逃げたほうがいい。

ではどうしてこの話題がどうして多くの(特にネガティブな)反響を引き起こすのか。

前提に説得力がない

* ベストケース:一世を風靡した時代の力は面影もなく、国内経済に活力はないが、飯うま・割と多くの人がそれなりの生活を送れ、海外からの観光客は喜んで来る
* ベースケース:貧富の差は激しく、一部の著しい金持ちと、未来に希望を持てない多くの貧困層に分離、金持ちは誘拐を恐れて暮らす
* ワーストケース:閉塞感と絶望と貧困に苛まされる層が増加、右傾化・極端で独りよがりな国粋主義の台頭を促す。

まず、自信をもって海外移住を勧めるわりには1の前提の吟味はお粗末なことが多い大抵自分はある外国に住んでいるが日本はここがダメだみたいな話になるこれでは主張自体が正しくとも説得力がない。上の引用は渡辺さんの記事からだが、限られた選択肢を挙げて選ばせるというのはまあよくある手法で、元から意見がある程度一致しているか根気よく説得するのでない限り相手を納得させられない。

日本の大学を卒業しても、専門知識はろくに身につかない。大学3年生のときから、「就活」という世にもくだらない非生産的な活動にエネルギーを注がなければならないからだ。

こちらは酒井さんの記事だ。少なくともアメリカの大学より日本の大学のほうが専門教育は(過剰なまでに)盛んだ。ご本人の経歴をみるに、留学はカナダの大学に三カ月ほど在籍されただけのようで、そこから日本の大学教育を批判するのは無理がある(東京大学経済学部を専門知識を身につけずに卒業できること自体は否定しないが、それを一般化するのは乱暴過ぎる)。

日本社会はこの20年間、驚くほど変化しなかった。この巨大な惰性が向こう数年で大きく変わるとは思えない。日本がよい方向に変わるだろう、という可能性 に賭けるのは危険すぎる。

2の日本を変えるのが無理という部分もあまりよく考えられたものではない。これは酒井さんの記事だが、過去変化しなかったから将来も無理だというのは自分の投資判断の根拠としては十分だが、相手を説得するには不足だろう。ましてや、本人が変えようとして変えられなかったというのでもなければ共感は期待できない

もちろん個人の将来予測としてはそれなりに当たっていると思うし、親戚の子供にアドバイスするならこれでいいだろう。しかし、これをあたかも当然の事実として、さあ海外いくべき、じゃあこうするべきというのではなかなか受け入れられない。(話したことはないけど)海外留学のエージェンシー会社の宣伝文句みたいだ。

あと、「日本の政治を根本から変えて日本を良くする」という自負のある人も是非日本でトライして欲しい。

自分自身の人生を守るために、逃げるべきだ。そして、それが同時に日本を変えていくことにもつながる。

なんて付け加えられても言い訳にしか聞こえない。

一体誰に向かってアドバイス(?)してるの

では個人のアドバイスとしては問題ないとしてそれがなぜ反感を呼ぶかそれは読者の想定が甘すぎるからだ。例えば酒井さんの記事の題名は「15歳の君たちに告ぐ、海外へ脱出せよ」だが読者の何パーセントが15歳(前後)なのだろう。渡辺さんの記事は対象を限定しているわけではないけど、来る意味がある程度の(アメリカの)大学(注1)には入れるような人に向けて書かれているのは明らかだろう。

アドバイスというのは相手がいて初めて成り立つ。「三流大学に入ってもしょうがない、東大にいけ!」という意見が正しかったとして、それを何の変哲もない普通の高校でいっても誰の得にもならない。その意見が役に立つかもしれない相手はほとんどいないし、残りの人間にとってはうざいだけだ。ましてや同じことをその三流大学や既に大学を出た人ばかりの一般企業でやってもしょうがない。「何いってんだ?こいつ?」となるのは避けられない。

ブログでアドバイスをするということは、当たり前だが、いろんな人が見るということだ。話題になれば、普段の読者以外も見にくる。そのときに少数の人々に向けたアドバイスは反感を買うだけだ。一握りの人にしか当てはまらないアドバイスをしたいなら、本を書いたり、セミナーを開いたりと相手が自然に限定されるメディアを使うべきだ。今時、宗教団体だって突然説法を始めはしない。読者にもっと意識的になる必要がある追記:何もブログで発言するのが悪いというのではなく、例えば対象を明示した上で書けば、書き手にとっても読み手にとってもプラスということ。

(注1)実際には(高い)授業料・生活費などを考えればアメリカ人だって迷うような大学が多いわけで、どこでも行った方がましとは、少なくとも私には言えない。

アドバイスとしても役に立たない

世間の反感を買ってもより多くのひとに伝えたいアドバイスもあるだろう(注2)。しかし、海外移住を勧める記事の多くはそのアドバイスの内容も杜撰であまり役に立たない

海外へ出よう。英語を学んで、世界の人々と交流し、日本の狭苦しい世界観から解放されよう。意志さえあれば、英語を学ぶのにそれほどカネはかからない。

酒井さんの記事の具体的なアドバイスはSkypeなどを利用して英語を勉強して海外にいくのとアジアの準英語圏への留学だ。しかし英語の勉強法なら他にもっとしっかりした記事が他にあるし、何よりも英語を勉強すれば海外でうまくやっていけるなんていうのは妄想だ(注3)。ビジネス英語は(比較的)簡単だが、それで許されるのはビジネスがあるからだ。専門技能のない外国人への視線なんて世界中どこにいっても厳しい。

海外でいきなり就職するのは大変だと思うので、まずは留学してそのまま居残る、というのが楽なわけです。

渡辺さんの記事でも具体的な提案となるととりあえず留学というものだ。しかし留学でうまくいくひともいるし、いかない人もいる。ある人にとって楽でも他の人には当てはまらないかもしれない。既に留学している人はそれなりの勝算があって来てるのだから、それを一般化することはできない。

これは読者の想定の話とも重複するが、海外に出ることがプラスになるひともいるしそうでない人もいる。自分の能力を前提にした単純なアドバイスなんて役に立たない。お二人とも東大を出ているが、生まれつきの能力があり最高レベルの教育を受けた人間なんてどこに放り込んだったそれなりにやっていける「自分ができるんだからあなたにもできるはず」という謙遜は成功者にありがちな強烈な自尊心の裏返しでしかない。できないと言っただけで、相手より下と暗に認めたことになるという仕組みだ。

本当に必要なのはデータ・経験に基づいた分析だ。以前も紹介したが、社会人の大学院留学に関するWillyさんの記事は秀逸だ。機会費用としての逸失所得・日本に帰った場合のリスク・家族の問題・キャリア上のリスクまで細かく書かれている。結果として留学に肯定的な意見を示されているが、それは読者個人がここの状況に応じて決められるようになっている。

(注2)このブログだってそうだ。なるべくきちんとした根拠を用意し、批判するだけでなく相手を説得したいと思うがそれでも反感を覚える人は多いだろう。

(注3)実際、海外で「成功」している人のかなりの部分が日本とのつながりのある業界で働いており、日本人であることが一種の専門技能となっている。それ自体は全然構わないがそこを無視して日本はもうだめだから海外へいけと説法するとなれば違和感があるだろう。

結び:そもそも日本社会に向かって言うこと?

では、海外移住が個人へのアドバイスとして適切だったとして、それが社会に向けて誇らしげに語るようなことなのだろうか自分の生活のために海外に行くというのは全く正当な理由だ。だからこそ海外ニートさんの記事には説得力がある。日本でまともな生活が送れないから海外にいくのを非難する権利は誰にもない。しかし、どこにいてもやってけそうな人間が、こっちほうが人生明るいよ、みんな(?)で逃げようでは支持は集まらない。繰り返しになるが、情報は受け手が誰なのかを考えて発信する必要がある。

農村から都会に出てきた人が上京を勧めるのと同じだ。迷っている友達にアドバイスをするのはいいが、家族関係や仕事でそれができない人まで含めてこの村は終わってるから早く出て行こうなんていってどうしようというのだろう。

私はというと、日本だけが絶望だとも改善できないとも思っていない。それなりの生活をしたいだけならどこにいって働いてもいいだろうけど、もっと面白いことができたらいいと思う。

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15 comments

  1. elm200 says:

    私のコメントをすべて削除していただいていいですか?すみません・・・。やや感情的になっていました。

  2. hidezumi says:

    BLOGOSで読みました。ま、構造的には簡単な問題ですよね。ディテールに重要性は感じないし、感情の入りこむ余地もなさそう。

    1) 国内にはチャンスない。
    2) 海外にはあるかもしれない。(ないかもしれない)
    3) 国内にはガイジンは入れたくない。
    4) 故に出超になる。ということは、いずれ年金も税金も支えられなくなる。
    5) うぉっ債務超過?

    あとは、
    1) このままではそうなるかもしれないのか、もうそうなっているのか
    2) 具体的に自分の選択肢として海外に行くか、行かないか?
    3) そもそもこの悲観的なシナリオが間違っちゃいないか?
    くらいしか検討すべきことはない、と。

    ブログの書き手としては(普段のしゃべり手もそうでしょうけど)
    「私」と「あなた」は割と代替可能で、「不特定のあなた」に何かを言っているのではなく、なんとなく煮え切らない「わたし」を説得している可能性もあるわけですよね。主語なしでも記述可能な言語で議論してるわけだから。

    問題なのはこの先で、何気なーくLinkedinで「日本から海外に機会を見つけたい会社を支援する会社を知らないか」みたいな質問をしたところ、あるアメリカ人にinvasion!と言われました。これ、10年前にはなかった反応だと思うんですけど。80年代のデトロイト的というか。

    まあ、ここでは日本と日本人が問題になっているわけですが、アメリカでも同じように保護主義的な動きはあるわけですよね。失業率も高めで推移しているわけだし。

    本質的な問題の一つとして、日本語でやりあっていると、議論がどうしても「日本」対「海外」みたいなことになりがちですが、実は「世界の中の日本」なんですよね。なので、こちらのお天気が悪ければ、他のところも悪いかもしれないと。

    いったん海外に出た人は粛々とそういう話をしたほうがいいんじゃないでしょうか。そもそも議論のフレームが違いますよと。

    • Rion says:

      論点整理については概ねそんなもんだと思います。

      読者の想定に関してはそういう言語上の問題ではなく、マーケティング的な要素の話です。

      保護主義はどこでもありますね。不景気になると盛り上がります。

      世界の中の日本を認識するという意味で一度外へ出てみるのは費用・リスクが許せばいいことですね。

  3. えっと says:

    日本がダメだといっている人が、もっとも日本人典型な物の見方をしているのが最悪ってだけ。

    ムーア監督の「シッコ」で、フランスのアメリカ人たちにインタビューしているシーンで、彼等はアメリカの保険制度の悪さなんて一切いわない。言ったのは、故郷の家族や仲間に申し訳がないみたいに、とても低姿勢だった。

    つまり、内容以前に高飛車なスタンスで、どうして語りがるのだろうなぁ。一部の日本人。それと、渡航している人たちが、どうしてそういう精神状態になるか、よくわかるけど、気の毒だから書かないようにしているのに。

    だいたい、日本食を毎日食べられないだけで、日本人はメンタルが強く傷つくのに、外国の便所なんて、高級ホテルじゃなければ、最低だし。まったくもう、隠蔽しすぎだよ。

    • Rion says:

      返信が求められているようにも見えませんが、何かを強く批判したくなるときは一度立ち止まって何でそう思うのか考えることが必要だと思います。

  4. 高晋 says:

    日本がみるみる悪くなっているので、海外で始めた方がいいという見方は有ってもいいのではないでしょうか。

    昔就職を機に東京に出たのと同じように、気軽に海外に出てみようと言うのは非常に明快なスタンスじゃないでしょうか。

    • Rion says:

      >日本がみるみる悪くなっているので、海外で始めた方がいいという見方は有ってもいいのではないでしょうか。

      あってもいいと思いますよ。

      >昔就職を機に東京に出たのと同じように、気軽に海外に出てみようと言うのは非常に明快なスタンスじゃないでしょうか。

      しかしそこで、田舎はもう絶望的だからみんなでないとかみんなに伝える必要もないかと思います。そこで頑張っている人もいるわけで。

  5. Now I’ve just read your article as my listing up your site into RSS reader.
    I am a Japanese and so-called “Chuzai” working in Thailand.
    Here, there are more than six thousand companies related to Japanese parent ones.
    Executive class persons coming from Mother country, are sometimes eagerly looking for Japanese speaking the local language on condition of locally hired status. If not so, speaking English may become the substitute.
    However, I do not think any Japanese person can easily find the local job. Moreover, to live overseas seems to be tough on any matters. Regards,

    • Rion says:

      Thanks for subscribing to my blog. Hope that you enjoy my feed in the future. I pretty much agree with you. Many jobs abroad are actually tied to Japan and it gets really tough to go beyond that.

  6. えっと says:

    情熱的批判というのは、海外ではよくあることではありませんか?

    外国人は、もっと意味不明な発言をしませんか?

    いちいち窘めないと気がすまないっていうのがどうかしているような気がします。

    • Rion says:

      あまり外国人相手に出身国の悪い話題とかしないでよく分かりません。。。日本の批判ばかりしているひとはあまり自分のまわりにはいませんね。

      ペルー人の友達がいつもペルーの文句を言ってるのはなんだかなぁと思います。

  7. namikawa says:

    日本脱出論がむなしいという結論はその通りだと思います。
    むしろ、どこにいても世界から逃げられなくなっていると思うんですよね。
    境界がもろく薄くなってきているというか。
    脱出も引きこもるのも無理というか無意味化しつつある印象があります。

    • Rion says:

      結局のところ、もともと世の中に逃げ場所なんてないんですよね。だから、それを提示できる留学・移住といった話がこれほど人を惹きつけるだと思います。

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