<フジファブリック 志村正彦 インタヴュー>
──スウェーデンの首都ストックホルムでのレコーディングはいかがでした?
志村:
女の子がすごくいい香りをしていましたね。
──(笑)。いちばんの思い出が女の子の香りですか!?
志村:
僕、日本でも、道を歩いているときにいい香りのする女の子がいると、ちょっと付いて行ったりする癖があるんですね(苦笑)。そのにおいがなんのかを知りたくて、ドラッグストアに行って、シャンプーやリンスとかのにおいを確認することもあって。ストックホルムには日本で流通してるメジャーなシャンプーが全然売ってなかったので、なんのにおいかわからなかったんですけど、とにかく女の子からもすごくいい香りがしてたのを思い出しますね。というのも、ホテルとスタジオの行き来以外ではあんまり出歩いてないんです。バンドのメンバーは「スウェーデンだからトナカイ食いに行こうぜ」って言って、トナカイを食いに行ったりしてたんですけど。
──じゃあ、志村さんは何を食べてたんですか?
志村:
僕は、"この作品を作るまでは死ねないな"って思っていたので、体調を崩さないように、普段食べないものは絶対に食べないようにしてたんですね。だから、毎日セブンイレブンのすき焼き弁当を食べてました。
──ストックホルムのセブンイレブンにすき焼き弁当があるっていうのもびっくりですけど、ニュー・アルバム『CHRONICLE』には確かに「この作品を作り上げるまで死ねない」っていうくらいの気迫を感じました。
志村:
ほんとにね、作り終えるまでは死ねないっていう使命感があったんですよ。ストックホルムでは、このアルバムに関わった全員が、「この作品を最高のものにする」っていうことだけしか考えてなかった。もちろん、人間だから多少の行き違いからぶつかることもあったんですけど、"この作品をすばらしいものにする"っていう雰囲気に包まれた現場だったし、僕も"思ってることをすべて言えた!"っていう達成感もあって。だから、ある意味もう死んでもいいんです。生命的にはもちろん死んではいけないんですけど、第1弾のフジファブリックは死んで、今のフジファブリックは、甦って生まれ変わったフジファブリックなんだっていう感覚ですね。
──アルバムのタイトルに年代史や歴史を意味する『CHRONICLE』というタイトルをつけてますが、このアルバムまでで、ひとつの歴史が終わるというイメージですか?
志村:
いや、3枚目まででひと区切りが終わって、この4枚目は、「これが1stアルバムです」っていう意気込みで作ってましたね。フジファブリックとしては、すべてが初めてのつもりで、いろんなことに臨んでいきたいなって思ってたんです。
──前作とのいちばんの違いは、全曲の作詞作曲を志村さんがひとりで手がけてるってことだと思うんですが、これはどうしてですか?
志村:
3rdアルバム『TEENAGER』は、山内くんや金澤くんも曲を書いてて、バンドのメンバーみんなで一緒に作ったアルバムだったんですね。それはそれで、ひとつのやり方としてはいいんですけど、バンド・メンバーに頼りすぎるのもいけないんじゃないかっていうことに気づいて。いち音楽家として、自分がひとりでどこまでできるんだろうっていうことを考えるようになったんです。だから、この発言はメンバーも許すと思うんですけど、今回のアルバムの作詞・作曲はもちろん、アレンジもほとんど僕がやっていて。
──では、最初からアルバムの全体像をイメージしてたんですね。
志村:
細かいところはわからないですけど、アルバムの雰囲気や音像みたいなものは出来てましたね。まず、サウンド的には、フジファブリックがインディーズのころにやっていたような"いなたい音楽"ではなく、専門的な用語でいうと、"マーシャルのJCM800にギブソンのレスポールをシールド1本だけ繋いだような音色"のアルバムを作りたいなって思ってたんです。
──すごく具体的ですね(笑)。要するに、ひずんだギターをかき鳴らすロック・アルバムってことですよね。
志村:
そうですね。みなさんがフジファブリックに抱いているのは、わりと変幻自在で、音も七変化するようなおもしろいバンドっていうイメージだと思うんですけど、そういうのは3枚目のアルバムまでで作っているので、今回は、フジファブリックらしさを壊していこうっていうところから始まって。ギターもかなりひずんでるんですけど、ギター・アンプのつまみが1~10まであるところを、これまでは2くらいの音でチャカチャカ鳴ってたのを、今回はもうフルマックスで10! みたいな感じで。だから、ぼくのイメージでは……恥ずかしいんですけど、男泣きしながら、それでも笑いながら、「しかたね〜んだけど、生きていくぞ」っていう思いを、ロックンロールというツールを使って吐き出してるっていう感じですね。
──歌詞はまさに、志村さんの本音をそのまま正直に吐露した内容になってますね。
志村:
昨年の春に、今後の活動をどうするかっていうことに悩んで、しまいには、6月を完全休養にしてもらったんです。その時に、「僕は、いわゆる体裁の整った、様(さま)のよろしいロックを作ることが合ってないんだな」って思ったんですよ。そこですごく葛藤して、一時期、曲ができなくなっちゃったんですね。身の丈に合わないことを歌おうとして、曲作りで煮詰まってしまったんですよ。それで、6月の完全休養の日が終わったときに、「もう、今思ってる気持ちをそのまま歌うしかないんだな」ってことに気づいて。だから、ノンフィクションの歌詞を書こうって思ってました。
──「今思ってる気持ち」っていうのは、出来上がってみて、どんな気持ちだと感じました?
志村:
この話は初めてするんですけど、ユニコーンの『SPRINGMAN』っていうすばらしいアルバムのなかに、「甘い乳房」っていう曲があって。民生さんが、"ママ ママ とてもつらいよ / ママ ママ 涙が出るよ"って歌ってるんですね。僕は、それにとても感銘を受けて。最近は、人生最高、生まれてきて良かった、1億人のなかの君と出会えて幸せだっていう曲が世の中のスタンダードとされているじゃないですか。それは全然悪いことではないんですけど、僕の場合は、まだ身の丈が合ってないのか、そこには共感できないんですね。それよりも、自分の弱いところやネガティヴなこと……ネガティヴと言っても悪い意味ではなくて、誰しもが感じるちょっと後ろ向きなことを楽曲にしたいなって思ったんですよ。ある意味、そういう楽曲を作ることで消化して、辛くなくなるんじゃないかっていう希望を込めたし、当時の僕が、民生さんが"とても辛いよ"と歌う楽曲に救われたように、僕と同じように満たされない境遇にいる人たちが共感してくれたら、僕がここまでのものを吐き出した労力は報われるんじゃないかなって思いますね。
──志村さんが「甘い乳房」を耳にしたのは、きっと14歳のころだと思うんですけど、このアルバムにはこれまでの歴史を振り返っているような描写や音楽的な趣味嗜好も多く見られる気がします。
志村:
過去の自分っていうのは、とても考えてましたね。1曲目に「バウムクーヘン」っていう曲があるんですけど、バウムクーヘンは1個の丸太が最初からあるわけじゃなくて、ゼロからどんどん重ねていって、大きな丸い輪になるじゃないですか。僕という人間も0歳から始まって28歳になって、ようやくバウムクーヘンみたいな大きさになったんですよね。人生にはいろんなターニングポイントがあると思うんですけど、その要所要所にはいろんな味がつまってて。28年間生きてきたなかで、いろんな人と出会って、別れて、なんでもない日もあれば、なにかが起きた日もあった。いろんな日があって、28歳の今日、そして、リリース日の5月20日にもつながっていくアルバムなんじゃないかなと思ってて。だから、アルバム・タイトルにも歴史という意味の『CHRONICLE』がいちばんふさわしいと思ったんですね。"僕"という今の人間は、28年間のなかで、いろんな人と出会ったからこそ形成された"僕"であるし、だからこそ生まれた、自分の分身のような楽曲たちなんですよね。
──アルバムの曲順にもこれまで積み重ねてきた日々の移り変わりや感情の起伏が表れてると思います。
志村:
そうですね。僕がいちばん好きなのは「ないものねだり」っていう曲なんですけど、本当にふと思ったことを書いた曲なんですね。道路も建物もコンクリートで作られている東京で、銀杏か桜の木の根本に、いわゆる雑草と呼ばれている花が咲いてるのを見て、「こいつってすげえな。この花の名前はなんていうんだろう?」ってふと思ったんですね。そういうなんでもない日のことを歌った曲もあれば、不安になる日もあれば、臆病になってる日も、すごく威勢のいい日も、やけに強気になってる日もあったりする。僕にとっても、日常生活のバイオリズムを表現している1枚で、とても人間味あふれるアルバムになったんじゃないかなって思いますね。