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漫才トリオ・レツゴー三匹のリーダー、レツゴー正児さん(69)は金刀比羅宮(ことひらぐう)の門前町、香川・琴平町で幼少期を過ごした。「いじめられっ子で泣きミソ(泣き虫)」だった少年が、大人気芸人になる基礎を築いたのは、現存する日本最古の芝居小屋「金丸座」(旧金毘羅=こんぴら=大芝居)で見た芝居や映画。お国言葉や母への思慕も、郷土愛を形成するパーツのひとつとなっている。
たまに琴平に帰ると、「どうしたんな」「なんしよんな」という、柔らかな方言にホッとします。「ドツいたろか」は「くらっしゃげるんぞ」、「ビンタするぞ」は「ほうかんばち張り上げるんぞ」と、荒っぽい言葉さえ柔らかい。ついたウソをばらすときは「…とはいいのやま」。「とは言うものの」と、香川県を代表する飯野山(讃岐富士)を掛け合わせているんです。
ボクはいわゆる「へんどの子」です。へんどは遍路から来ているのか「施しを受ける者」のような意味。貧乏いうことです。夕食でおかわりがしたくても「食糧不足の時代やから辛抱し」と母に言われる。社会情勢のせいやなく、貧しいだけなんですけどね。そして母は「正ちゃん、お母ちゃんの食べるか」と小さな茶わんを差し出してくれた。そんなおふくろだけには心配させまいと、勉強は頑張りました。おかげでいつでも学級委員。当時の出席簿は今でもフルネームで覚えていますよ。
記憶力は今でも自信あります。ネタで出身地を「香川県仲多度郡琴平町谷川上金倉池の下大字高藪字札の下4の633の847」と言うのがあります。ホンマの住所はそんなに長くないんですが、丸亀市の本籍地も交ぜてるんです。長作が「よう覚えてるな」と褒めて、じゅんが嫉妬(しっと)するというね。
4人兄弟で唯一ボクだけ幼稚園に通わせてもらいました。いじめられっ子の泣きミソやったから、昼ご飯は先生の隣。女性の先生が炊きすぎたタコを食べて「うわ、コワいな」と言えば、ボクは「先生、弱虫やな。タコが怖いの?」と。昭和20年代の琴平小学校には、はだしの子もいました。ボクはわら草履。靴を履いている子は「げんしゃ」(分限者=金持ち)ですわ。
こんぴらさん(金刀比羅宮)は秋の例大祭が一番の楽しみ。子供は夕方には寝かしつけられて、行列が始まる深夜に起こされる。御神輿(おみこし)は荘厳でした。参道では走り回って遊び、子供心に「八尾」の写真屋さんが、書き割り(風景などを描いた板)の御本宮で記念写真を撮っているのが不思議やなと思っていた。金倉川沿いの遊郭で、着物にエプロン姿のきれいな人がぞろぞろ出ているのを眺めたり。それに象頭山(ぞうずざん)で、かずらを伝って「ア~アア~」と叫んだターザンごっこが楽しかった。ジョニー・ワイズミュラーが主演した映画に影響されました。
「ターザン」を見たのは金丸座。今は「旧金毘羅大芝居」として、きれいになりましたが、当時は古くさい芝居小屋。弁士つきの無声映画にニュース映画、鈴木澄子の化け猫が綱渡りする芝居など、いろいろなものを見せてもらいました。それに、大河内伝次郎や片岡千恵蔵、バンツマ(阪東妻三郎)に嵐寛寿郎といった時代劇映画に興奮しました。同じ丹下左膳を演じるのでも、大河内とバンツマではセリフ回しが全然違う。この違いを物まねして、人を笑わすのが楽しくなって、芸人になりたいと思うようになったんでしょうね。
◆レツゴー正児(れつごーしょうじ=本名・直井正三)1940年8月11日、香川・琴平町生まれ。69歳。琴平小3年時に大阪市・中泉尾小に転校。同・大正東中を経て、同・市岡商高在学中に実兄・ルーキー新一さん(故人)と漫才コンビを結成し、素人参加番組で頭角を現す。卒業後、フェリー会社の社員、新一さんが経営していた珠算塾の講師を経て芸人に。横山やすしさんらとコンビを組んだのち、68年にレツゴー三匹を結成した。
◆香川県仲多度郡琴平町 約3000年前に鎮座したとされる金刀比羅宮の門前町として栄えた。江戸時代には参詣のブームを迎え、芝居や相撲などの興行が行われ、旧金毘羅大芝居などが人気を集めた。現在の主産業も観光業。97年には温泉が掘削され、こんぴら温泉郷が形成されている。人口1万人。
(2010年1月9日12時55分 スポーツ報知)