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20100110

[]「気づく瞳」「気づかない瞳」

 バイトに仕事を教えていてふと気づいた。

 視野ってものは、人によって違いがある。


 このあいだ、55歳の男の人を雇った。最近はバイトの募集かけるとこの年代がよく集まる。というか、学生も来るんだけど、それ以上に「昼の仕事とは別に働きたい」という人がけっこう多く集まる。みんな本気で生活きっついんだろうなーとか思う。

 で、この世代になると、そろそろ「新しい物事」が頭に入っていきづらくなる。俺自身、もともと強度のものわすれ体質なのだけど、35歳を過ぎたあたりからよりひどくなってるような気がする。具体的には、おでんの註文を受けたときに、以前だったら15個くらい買われても、すべて記憶していて一気にレジが打てたのだけど、最近は10個でも怪しい。このあいだボケについてやってたテレビで、ボールペンとか時計とかを並べて、その並び順を見ないで再現する、というのを見たんだけど、なるほど、あのテストは理にかなってるんだなー、とか思う。ボケ萌えオタ老人。想像するだけで魔境入りだ。なんかちょっと本人は幸福そうな気もするが。

 もっとも、年齢に関係なく、新しい仕事にスムーズに入っていける人もいる。

 この違いってなんなのかなー、というのはずっと思ってた。いや、そりゃ持って生まれたスペックっていえばそれまでだし、実際この世には、仕事できる人間とできない人間っていう差異は厳然として存在してる。ただ、それじゃ俺は納得できない。ずっとこのことについて考え続けてきてて、ごく漠然と「仕事の能力」って言ったときに、そこには言語の理解能力というかセンスみたいなものが大きく影響してるなー、というのはわかった。物事を伝えるときに、なかなか言語以外の手段ってないものなんだけど、その言語を自分のなかに取り入れる速度と、それを自分なりに「構造的に把握する」能力がそれだ。

 ただし、俺はコンビニの仕事しか知らねえ。そのへんはご注意を。

 さて、そのコンビニの仕事の特徴なんだけど、ひとつひとつの仕事はアホでもできる。なにせ小売業界における、マニュアル化、システム化の最先端を突っ走ってる状態だ。昨今じゃ突っ走りすぎて使いこなせる人間を育てるのが大変になってきてるくらい。

 ま、簡単な仕事ばかりだ。しかし、その簡単な仕事をひとりでいくつも同時にこなさなければならない、というところがだるい。というのは、システム的にもコンビニの仕事って、ある程度の売上までは全時間帯二人シフトで回せるようになってるし、そもそも人件費かけすぎてたらみんな爆死するっていう事情もあって、とにかく一人の人間がやらなきゃいけないことが多い。レベル下げていいなら売場の管理を全無視すればいいんだけど、そこもある程度は維持する、ということになれば常にひとりの人が「いろんなこと」を気にかけてなきゃいけない。

 で、話戻って、最初の55歳のおっさんなのだが、完全なるシングルタスクだ。習得する速度が遅いってのは覚悟のうえなんでまあいいんだが、たとえば揚げもの揚げてると、来客にまったく気づかない。レジが忙しくなると、揚げものが減ることに気づかない。とにかく一度に「ひとつ」のことしか頭に入ってない。

 俺は、バイトがある程度仕事を(単体で)覚えてくるようになると、一緒にレジに入って「自分の脳内を垂れ流し実況しながらレジまわりの仕事をしてみせて、いかに同時に複数のことを処理しているか」ということを伝えることをする。こんな感じだ。

「はい俺レジ入った。揚げもの見るね、コロッケがあと3個しかない。しかし店内に人多いね、おでんのつゆが1センチ少なくなってる。おっと今日は外に車が多いな。あれ弁当の棚減ってる。まいっかあとでやれば。とりあえずレジ。……カウンターの上が汚れてんなー。雑巾取りに行ってくるか。ついでにコロッケなー。コロッケ揚げて」

 実際はもっと説明口調だが、そうやって「実際に動いてみせて」「そのときになにを考えているのか」を伝える。すでに個別の仕事を理解しているバイトは「なるほど、仕事を能率的にかたづけるっていうのは、こういうことか」と、かなりの確率で理解する。だいたいの場合、動きがやたらよくなる。あとは集中力が持続するかどうか。

 ところがおっさん、まるでだめ。

 俺は執拗に説明を繰り返したり、おっさんの動きと自分の動きでなにが違うのかを検証しようとするのだが、どうにも、シングルタスクでどうしようもない。いいかげん「あー、もう無理なんだ、おっさん」と思って諦めようと思ってたときに、不意に気づいた。

 おっさん、目の前のものしか見てない。

 じゃあ、じゃあさ、自分はどうなんだ。自分の動きを点検してみようじゃないか。

 俺は自分の動きを意識的に再点検してみる。レジ一回打つごとに眼鏡の位置をなおすクセはどうにかなんないのか、あと俺はなぜこんな不自然に首が動いてるんだろう十代のころにスティービー・ワンダーに憧れた結果がこれかとか、どうでもいいこといろいろ考えながら、ふと、決定的なことを発見した。

 俺は、売場全体を見る回数が異常に多い。いくら忙しいったって、たとえばおでんのつゆをカップに入れる1秒くらいのあいだには、売場に視線を流す余裕くらいはあるわけだ。いまは言わなくなったんだけど、昔の俺はよくバイトに「5秒あればどんだけ仕事できると思ってんだよ」みたいなことをよく言ってた。これは極端な物言いなんだけど、実際、仕事ができる子って、5秒10秒の時間を少しずつ稼いでいって、トータルでは仕事が速いのがふつうだ。

 そして、その前提として「よく見ていること。そして、見た景色を情報として自分のなかに蓄えていること」が決定的な違いだと気づいたわけだ。

 自分の見た「風景」を、どれだけ意味のある情報として自分のなかに取り込んでいるか、ということだ。ここでは視覚の話だけだが、おそらくは音のことだって同じだ。

 そう思ってほかのバイトを一度じっくり観察してみた。すると「仕事が速い子」は、例外なく売場を見る回数が多い。俺自身がこの点に気づいていなかったのだから、教えていないにもかかわらず、ということになる。

 つまり――ここからは、仮説とすらいえない怪しげな考えになるのだけど、実は、仕事できねえ、能率が悪いというのは、単純な仕事の処理能力の問題ではなく、それ以前に、なにも見ていないから、見ていたとしても、なにも把握していないからではないか、ということだ。視野の広さってことだ。「見て」「自分の行動に反映する」この二者のあいだが、なんらかの理由で断絶している。そういうことなんじゃないか。


 ここで話は少し飛ぶ。

 リアルでも会ったことのあるとあるついったらーの人がいる。俺はその人のポストがえらい好きなのだが、とにかく、細かいところをよく見ている。電車のなかで、街中で、たぶんだれも見ていないような「片隅で」起きた「小さな事件」をその人は的確に拾ってきて、それをポストする。それだけで、そこにひとつの物語がある「かのように」見える。

 大多数の人はそうしたことをしない。まあ、ポストしないまでも人は意外にいろいろなことに気づいているのかもしれないんだけど、それでもやはり、多くの人は「見ていない」のではないか。乗り込んだ電車のなかにどんな人がいて、なにをしているのか。それは周囲を少し見回せば簡単に把握できることだけれど、わざわざそんなことをしようとする人はいない。疲れるしなー。たとえ見ていたにしても、とりたてて自分に関係がなければ、それを「意味のある」情報とはみなそうとしない。それをよくないことだとしているのではない。「そうせざるを得ない人々」というのが、たぶんこの世にはいる、ということだ。たぶんそうした人たちは、退屈を知らず、同時に、安心というものもあまり縁がない。


 さて、話をおっさんに戻そう。

 おっさんには、細かい仕事の話をするのはやめた。そのかわり、なんでもいいから定期的に売場を見て、いま店内のどこに何人くらいの客がいるのか把握しろ、ということを強制した。横に付き添いながら「いまお客さんどれくらいいますか?」「雑誌のあたりで立ち読みしてる人って、どんな人だかわかります?」などだ。

 もちろん、仕事のペースは落ちる。店内を見るたびに、前にやっていた仕事が中断してしまい、別のことを始めるからだ。それでも根気よく、それを……あー、4時間くらいかな、続けた。

 結果、仕事の能率は、最終的にはケタ違いに上がった。

 本人曰く「いつごろレジにお客さんが来るのかわかるようになった」とのことだ。

 とはいえまあ、こんなのは一時的なもので、放っておけばまた店内は見なくなるだろう。だけど、方法はわかった。

 同時にもうひとつわかったことがあって、俺が店長やってる店では、どっちかっていうと気の弱い、神経質なくらいの子が最終的には仕事ができるバイトに「化ける」ことが多い。それって、俺自身が本来は引きこもり傾向の強い人間で、比較的そうしたタイプのフォローが上手で、そうしてるうちに本人が「自分にもできることがある」的な自信を持つことに理由があるんだろう、と思ってた。「この職場でなら、自分もやれる」ってのは、つまり帰属意識につながるわけで、それを持った人間は仕事において大きなモチベーションを持ちうる。

 もちろん、そうした理由も大きいんだろうけど、もうひとつ。そうした子って、本質的に「自分の周囲でなにが起こってるか」ということについてえらい神経質なことが多い。原因のボジネガの違いはあれ、現象としては「視野が広い」ということになる。

 あんがい、そういうものもあるのかなー、と思いました。