ようこそメイド喫茶ジャーナルへ! ここでは日本中のメイド喫茶を格付けし、データベース化しています。

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メイド系店舗に関する、管理人の呟きです。表面から、内面から、その他もろもろ・・・普通の人には考えられないほどお金を費やした分(苦笑)、たくさん語りたいことがあるので、気が向いた時にここに記していきます。
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全部で 64 件の記事があります。

ナンバー

カテゴリ

タイトル

日付
#064 相談 シリーズ・癒着その3 2010/01/11
#063 相談 シリーズ・癒着その2 2010/01/10
#062 相談 シリーズ・癒着その1 2010/01/09
#061 提起 無駄 2010/01/08
#060 心理 お金が生み出す錯覚 2010/01/07
#059 提起 法律相談所 2010/01/06
#058 常連 異臭騒ぎ 2010/01/05
#057 経営 貴方とは違うんです 2010/01/04
#056 経済 人気商売の宿命 2010/01/03
#055 心理 マーメイドキッチン 2010/01/02
#054 常連 お疲れ様 2010/01/01
#053 経営 自己責任の暴走 2009/12/31
#052 経済 利益は出たけどいいサービスをしたのか 2009/12/30
#051 冥土 オタクの女の子 2009/12/29
#050 経済 砂の城の二重の構造 2009/12/28
#049 提起 ダブルスタンダードにはそろそろメガンテを 2009/12/27
#048 常連 ステータス自慢大会 2009/12/26
#047 経営 大いなる勘違い 2009/12/25
#046 冥土 それがメイド喫茶 2009/12/24
#045 提起 メイド喫茶で働きたい 2009/12/23
#044 経営 これからの淘汰 2009/12/22
#043 心理 覆面で全裸 2009/12/21
#042 経済 こころとからだのバランス 2009/12/20
#041 心理 スピリチュアル利権 2009/12/19
#040 経済 ギザ〓よろちくね 2009/12/18
#039 心理 神様の嘘 2009/12/17
#038 冥土 ガラパゴス化現象 2009/12/16
#037 提起 カリスマ 2009/12/15
#036 常連 柳原可奈子 2009/12/14
#035 経済 カレー1800円 2009/12/13
#034 経営 私の知らない誰かが騙されている 2009/12/12
#033 提起 あんたこの世をどう思う 2009/12/11
#032 常連 いいわけ 2009/12/10
#031 心理 土足で踏み込め 2009/12/09
#030 常連 せめて、人間らしく 2009/12/08
#029 経済 頭脳戦艦ドリーミン 2009/12/07
#028 経営 メイド喫茶不感症 2009/12/06
#027 心理 王道は2つ 2009/12/05
#026 経済 今の日本はまだ甘い 2009/12/04
#025 提起 「黒」「青」「赤学バ」 2009/12/03
#024 冥土 ディスクローズ 2009/12/02
#023 企画 @SWEET 2009/12/01
#022 経済 不満と企業努力 2009/11/30
#021 提起 コンプラチェック 2009/11/29
#020 心理 あなたは今、どこにいますか 2009/11/28
#019 常連 差し入れ古今東西 2009/11/27
#018 経営 メイド昼キャバに見る哲学 2009/11/26
#017 冥土 すべらない話「ネットラジオ」 2009/11/25
#016 提起 QRコードの罠 2009/11/24
#015 経営 アウフヘーベン 2009/11/23
#014 経済 求められる「モノ」 2009/11/22
#013 常連 ポイントカード特典「放置プレイ」 2009/11/21
#012 提起 発想の転換は大きなチャンス 2009/11/20
#011 経営 それは大きなミステイク 2009/11/19
#010 経済 スシローなのか築地なのか 2009/11/18
#009 提起 パンドラボックス 2009/11/17
#008 経営 マジコンのせい 2009/11/16
#007 経済 宝くじで3億当たったら 2009/11/15
#006 提起 レポサイトの功罪 2009/11/14
#005 経済 サイレントマジョリティ 2009/11/13
#004 常連 コレクター道、ここに極まる? 2009/11/12
#003 経営 ビックリマンシール論 2009/11/11
#002 経済 ボッタクリメイド喫茶とは何ぞや 2009/11/10
#001 経営 傷付け合うのはそろそろやめよう 2009/11/09


シリーズ・癒着その3 (2010/01/11)
警察官や刑事が、仮に「個人的に袖の下を貰うことによって、犯罪者を見逃してやろう」と考えた時、いったい如何ほどの額を希望するだろうか、というのが最終回である。これはあっさり合点が行く。
当然、そんなことが発覚すれば懲戒免職は必至であろう。ということは退職金を手にする権利も失うし、これからの生活もままならない。
たとえ「バレやしないだろう」と考えたとしても、もしものことを考えれば最悪クビになるわけだから、それ相応の覚悟が必要となるはずだ。
こう考えると、袖の下というものは「もしもの場合の今後の生活を保障でき、かつ退職金にも相当する金額」となると予想できる。
警察官や刑事の退職金は勤続年数や退職理由で異なるが、「公営住宅COMPLEX」によれば、「神奈川県警察官の平均退職金は2790万円」とある。また私の知人の刑事が定年退職したときは、3000万円ほど貰ったと話していたのでおおよそ間違いではないだろう。少なくとも、数千万クラスになるのは想像に難しくない。計算すればおおよそ50か月分〜60か月分の給料である。しかもこれは「退職金」であり、警察を辞める覚悟というのはこの他に当然「毎月の給料」もあるだろうから、現在の年齢が50歳であれば、あと10か月分は必要(定年は60歳)だ。
数字ばかりでつまらないと思うので話を変えるが、結論は「メイド喫茶にそんな金が用意できるはずがない」もしくは「そうまでしてやるほど儲かる商売ではない」がファイナル・アンサーでいいだろう。「メイド喫茶は脱税して袖の下(裏金)を用意できる構造を持たない」上に「権限のあるベテラン警察官や刑事を納得させられるほどの金額のカネを用意できる構造も持たない」。袖の下というものを最大限かつポジティブに考えても、この結論にしか辿りつかない。
というわけで全3回に渡って「違法なことをするメイド喫茶には、ヤクザがついていたり警察がお墨付きを出しているのか」という相談について考えてみた。あくまでも、どこまでいっても私の憶測ではある(一部信頼できる情報筋から聞いた話もあるが、それも伝聞に過ぎない)が、それでも一区切りついたとは思う。実はこれ以外にも信頼できる情報はあるのだが、これだけでも十分だろう。
結局「そんなお店はない」から、何か迷惑を被ったり被害を被ったらすぐに警察に相談してほしいと思う。そしてそうやって私たちがパンドラの箱を開けていくことで、「安心して楽しめるメイド喫茶」だけが残ってくれれば幸いである。

シリーズ・癒着その2 (2010/01/10)
例えば、強引な客引きがカネを生み出す原動力になると仮定しよう。しかし客引きがどうであれそれは帳簿に残る収益である。これでは裏金は作れない。また、風俗店の届出を出している店舗で、未成年のメイドさんを雇ってそれをウリにしたとしても、ソレ目当てに来たお客さんからの利益は帳簿に残ってしまうし、メイドさんに給料を出す必要もある。
警察に袖の下を払って、何か悪いことをするのを見逃してもらおうという算段をした時、というのを(実際に出来るかどうかは別として)リアルに想定してみよう。
当然、「袖の下」というのは、モノ・カネのどちらかであるが、モノだってカネで買うだろうから、必然的に答えは一択でカネとなる。お店や企業がカネを出費するとなれば当然、帳簿をつけなくてはならない。では袖の下が、帳簿につけて正当に認められる出費なのかということだが、そんなはずがない。
もしも渡すなら、そのカネは帳簿の外で作らなければならない。つまりこれは「裏金」であり、用意するには脱税が必須となる。そりゃあそうだ、まさかこれを「必要経費です」などと税務申告できるはずもない。これでもうひとつの条件が出てきた。「メイド喫茶に、巨額を脱税できるシステムがあるか」ということだ。
流れとしては「裏金を作る(脱税をする)」→「袖の下を渡す」→「お目こぼししてもらう」→「さらなる利益を違法にあげる」であるから、もしこれがメイド喫茶で行われていると仮定しても最初の次点で躓くのだ。
また、本稿において決定打となる疑問がある。「袖の下とは、具体的にいくらくらいなのか」ということだ。これを語らずして「本当にそんなメイド喫茶があるのか」という謎を解明することはできない。そりゃそうだろう、もし1万円札を刑事さんのポケットに押し込めばいいなんてことであれば、別にそれはオーナーのポケットマネーでもイケるじゃないか。
だがいくらなんでもそれはない。それで済むのなら、この世から逮捕者はいなくなってしまうぞ。ホリエモンでも逮捕されたんだ(私は堀江さんの逮捕には幾ばくかの疑問が残るが)。
カネは人の心も買えると言っていた彼ですら動かせなかった警察(アノ場合は検察ですかね)の心。いったい、いくらで動くのかということを最終回で考えてみる。続く

シリーズ・癒着その1 (2010/01/09)
こんな「相談」が最近たくさん来るので、3回に分けて書いていこうと思う。
大阪に「ぼったくり」メイド喫茶があるという話について、「なぜあそこは摘発されないんだ」「バックにヤクザがいるらしい」「所轄署とズブズブの関係らしい」なんて言われている。
その店は私も行ったことがあるし、店舗データベースにも掲載されているが、メロンソーダ飲んでチェキ1枚撮って3000円、特に摘発されるようなぼったくりではなかったと記憶している。(決して安くはないが。)
確かに雰囲気は常軌を逸していて、メイドさんがタバコを吸いながら接客したりと、入った瞬間「やばい店に入っちゃったな」と思ったのは覚えているが、今にも警察が摘発にやってくるような状況でもなかった。
それは私が女性だったからかもしれない。カモれそうな男性客からはこってり絞り上げている可能性だって否めない。だが、メイド喫茶なんて金額の規模は違えどどこもそんなものだ。問題はその「バックにヤクザがいるのでは」とか「警察とズブズブらしい」の方である。
秋葉原にも、「ヤクザが経営しているらしい」という噂のメイド喫茶がある。また、警察にお目こぼししてもらって違法なことをしているメイド喫茶があるとも聞く。果たして、そんなことは本当にあるのだろうか、ということだ。これが真実なら、私達は初めて帰宅する場合は命がけで店のドアを開けなければならないことになる。
結論から言うと、ヤクザはメイド喫茶なんて経営しない。存在そのものが違法な「薬物」や「裏ビデオ」などならまだしも、全く合法な「萌え」にわざわざヤクザが手を出すとは思えない。というかそれなら「ヤクザ」する必要がない。もしかすると「ケツ持ち(用心棒)」くらいはあるかもしれないが、飲食店というのはメイド喫茶に関わらず、基本的には用心棒とは切っても切れない関係にある。
私の友人の兄がある繁華街でパスタ屋を開業したとき、すぐに地元のヤクザから連絡があり、「用心棒は決まりました?」と聞かれたという。飲食店というのは酔っ払いやいいがかりを付ける客などが来ることも多いため、このようなことは表立っては言わないが、日常茶飯事なのだ。だかこれを「ヤクザがバックについてる飲食店」とは呼ばない。
また、警察の癒着についてだが、当然癒着というからには例えば袖の下を渡す代わりに違法行為についてお目こぼししてもらうとか、そういうことになるはずだ。ということは、「袖の下を渡してまでやるほど、その違法行為は儲かる」ということになる。
となると当然、「メイド喫茶に、袖の下を支払ってまでやりたくなる違法行為があるのかどうか」ということが焦点になるはずだ。続く

無駄 (2010/01/08)
メイド喫茶の「チェキ」を集めている人はここを読んでいる人の中にはそこそこいるだろう。チェキの値段は様々で、中にはポイントカードを満タンにしなければ撮れないものやイベントでしか撮れないものなどもあるが、バラ売りの相場は大体1枚500円〜といったところか。
勿論ご存知だとは思うが、チェキのフィルムの原価は1枚60円ポッキリである。つまり10倍近いお金を「メイドさんの価値」に支払うわけだ。それでも500円〜が相場ということは、メイドさんが映るチェキには、普通のチェキの10倍の価値があるとお客さんである私達共通の認識があるということだろう。
私はメイド喫茶のチェキを集めていることを、「メイド喫茶未体験」の友人に話したところ、「これって1枚いくらなの?」と聞かれたので、素直に「大体500円」と答えたら、こう言われたことがある。2人から。
「1枚500円!?勿体無〜い!それなら500円玉集めればいいのに!」
「え?500円!?働いて貰ったお金をわざわざ写真に換えて集めるなんて。私なら500円玉貯金するわ。」
お金というのは不思議で、持っていても何の価値もない、ただの紙だ。お金が価値を発揮するのは「つかう時」限定である。
不思議なのは、メイド喫茶で500円のチェキは、私の中では「思い出」なので、ある意味では遠足の記念写真に近いと思うのだが、記念写真を「勿体無い」という人はいないのに、どうしてチェキがここまでひどい扱いをされるのかということである。記念写真だってタダじゃないぞ?
ディズニーランドで記念撮影をするのに「無駄」と言われることはまずないだろう。たとえそれが有料でも、だ。多くのマニアは「メイド喫茶は喫茶店ではなく、もはやアトラクション。メイドさんはミッキーマウスやミニーちゃんみたいな、観光名所のマスコットキャラクターのようなものだ」と言うが、実はてんで、全く、これっぽっちも届いていないんだ。
オタクは、別に一般の理解がなくともオタク道を突き進むものではあるが、業界はせめて、メイド喫茶に行ったことが「無駄」とは言われない業界になるよう、せめて努力だけは必要なのではないか。

お金が生み出す錯覚 (2010/01/07)
商売が成功してどんなにお金が儲かっても、決して偉くなったわけじゃない。その最たるものに「ぱちんこ」業界がある。ぱちんこメーカーは何社も上場しているが、ぱちんこ「店」は一社も上場していない。業界最大手である「マルハン」グループだって、資金も、資料も、バッチリ揃っていても上場を果たせていない。
ぱちんこが「社会の理解を得辛い」ことはよく分かる。騒音問題もあるだろうし、これは風俗店だから子供に悪影響を与えるというのも分かる。ギャンブルが法的に存在を許されるというのは理解し難いし、また、「三店方式」と呼ばれるお金の不透明な流れも問題だ。他にもいろいろあるだろうが、これくらいで十分。投資家や社会の理解を得るというのは、お金だけじゃないのだ。
メイド喫茶が、自身が展開するビジネスにおいて「うちは社会貢献してます」と言えるだろうか、ということを私は再三、ここで書いてきた。そのほとんどは確かに、私の主観の域を出ないとは思う、申し訳ない。ただ、じゃあ「してます」と胸を張って言えるのかという質問には誰もイエスと言わないのは何故だろうか。
確かに、それでも大分善処していると思われる店舗もある。業界の負のイメージを払拭するために様々な地域活性化イベントなんかに参加したり、ボランティア(とはいえ店の宣伝に過ぎないとも思うが)で色々やっているのは、とてもいいことだと思う。
だがそれでも、「こりゃ店の宣伝だろ」といいつつも、「まぁ(業界のイメージアップに)貢献してるかな」と少しでも思えるからまだいい。宣伝なのはビジネスだから致し方ない。
本当の問題は、「宣伝」ではあっても「貢献」とは全く思えないものだ。私利に走ったマネーゲームの勝者が社会の勝者であると勘違いされるのは甚だ不適当であると思うのだがどうだろうか。この世は確かに「正義が勝つ」のではなく、「勝った奴が正義を名乗れる」という腐りきった構造だと思う。思うよ。それでもね、「勝ってない」んだよ。数字で勝っても、心で勝ててないんだ。
お金があれば、どんなバカでもブサイクでもモテモテだろう。でもそれは、決して本人の人気や魅力じゃない。お金の魅力だ。お金は誰が持っていても額面通りの効果を発揮するからね。
私は、たとえどんなに落ちぶれても、「自分の魅力」を持ち続けたいと思っている。何を取られても、何を失っても、「自分」は地獄まで持っていくよ。
人はいつからか、その人が持っているモノや財産に目が眩んで、「人そのもの」を見れなくなってしまったんだ。

法律相談所 (2010/01/06)
警察というのは、「発言が非常に重要」であり、軽々しく物事にジャッジを下すことが出来ない。しかし、同時に実は非常に軽々しくジャッジしている側面もあるから「ダブルスタンダード、もしくはトリプルスタンダードだ」と揶揄されるのである。
頓知ではない。どういうことかと言うと、例えば「いつもあそこの道を通るたびに、とあるメイド喫茶の店員さんにしつこく客引きされて迷惑しています。あの道を通らないと学校へ行けないので、毎日往復で必ず2回以上は客引きされて困っています。なんとかしてくれませんか?」という相談(ないし通報)が所轄にあったとしよう。この時点で摩訶不思議なダブルスタンダードの成立にリーチがかかってしまう。
それは、・「違法な客引きを黙認(或いは放置)していた」ことに対して、もうひとつは・「アレ違法でない(放置していたわけだし)」、ということだ。早急なジャッジが出来ない団体にも関わらず、相談されたその段階ですでにジャッジが出ているのである。
警察が賄賂を貰ってお店の不正行為をわざと見逃しているなんていうレアケースもないとは思わないが、まぁ基本的に無いだろう(メリットに対し、デメリットが大きすぎる。あるとすれば握っているキャッシュが巨額なパチンコ店の不正改造くらいじゃないかと思う)。だが、そうなると・「放置することは合法を意味」し、・「逮捕することは不正を意味」するわけだから、当然何かしらの措置がない限りは「アレは合法」というジャッジを下したことになるわけだ。
警察は基本的に「でも実際には殴られたとかじゃないんでしょ?」だとか「実際に見に行った時は、確認できなかったからわかんない」とか言う。この時点で十分問題大アリだが、100万歩譲って、では「そう言われたらどうすればいいか」を話そう。
こういう時は「だからアレは合法」とメモ帳に一筆書いてもらって名刺をもらうといい。絶対にくれないぞ。警察は「軽い発言が後で火種になる」のをもっとも厄介がる集団だからだ。もしこの後大事件に発展して、そのメイド喫茶の幹部を全員逮捕したとか報道されることになったとしたら、「私がもっと前に相談しに行った時は、酷い対応で帰された」と言っても、絶対「知らない、そんなヤツは来てない」と言い出すぞ。私のもうひとつの顔は「裁判傍聴マニア」だが、何度もこういう「疑惑の判決」を見ている。
何故か、私たちが強くならなきゃいけない社会なのだ。でもしょうがない、それが社会だから。

異臭騒ぎ (2010/01/05)
何かしら接客業を経験したことのある人なら、失礼なことだとは思うがお客さんに「ニックネーム」をつけた記憶があるだろう。いや、そんなにカジュアルなものじゃない。ほとんどがマイナス要素を指すものだろうから、さしずめ「影のコードネーム」といったところか。
メイド喫茶も同様、メイドさんはお客にニックネームをつけていたりする。当然、普通のお客さんにはつけない。「ちょっとおかしな」お客さんに、コッソリとつけられるわけだ。
コッソリで言えば、デパートでは雨が降ると店内BGMを「ある曲」にチェンジする。各店の店員さんはそれを聞いて「傘」の販売を始めるのだ。それ以外にも、書店に立ち読みが長時間に渡る迷惑な客が来れば、実在しない店員を呼び出す業務連絡を放送して合図したり、漫画喫茶では前回の来店時にセルフサービスのドリンクのカップを部屋に溜め込んでいたような客が来れば、インカムで暗号を流したりなど、その種類と形態は様々であるものの、こういったシステムは無くてはならないものと言えるだろう。
さて、メイド喫茶ではこの嬉しくないニックネームをつけられた残念なお客さんが来店しているということを、その時のシフトメンバー全員に円滑に伝えるために、バックヤードにホワイトボードやノートを置いている店は結構ある。A卓に「へんないきもの」が来てます、要注意。それを言葉に出さずに伝える。
ある店で、メイドさんが出勤してきた時たまたまちらっと入っていくドアの中にあった「ミニ黒板」が見えてしまったことがある。その時の異様な光景は脳裏に焼きついて一生忘れることは出来ないだろう。1卓「ハゲ」、2卓「異臭」、3卓「性犯罪者」、5卓「チンピラ」、6卓「童貞」。唯一良かったと思ったのは、私の卓が4卓で、スルーされていたことだけ。どうやって卓の番号を把握したかと言えば、私の右隣の席のご主人様が紫色のスーツを着ていたということと、3つ左のご主人様の頭がウスかったということ。もしかするとこれそのものには意味の無いコードネームだったりするかもしれないので、私が「異臭」ではない保証はない。そう思って、帰ってからいつもより念入りにシャワーを浴びてみた。
そして最も悲しかったのは、それが通い続けてポイントカード9枚目に突入した日のことであったという。やるなとは言わない。人間だもの。でも頼むから、こういうものは「絶対に見えない場所」に置いて欲しいなぁ、と。

貴方とは違うんです (2010/01/04)
メイド喫茶というのは、メイド喫茶に詳しいマニアが作れば必ずしもいい店が出来るとは限らない。
これが「料理」であれば、作るのも好き、食べるのも好き、全国の店を食べ歩いたという食通が開いたというレストランであればあるほど行ってみたいと思うものだが、メイド喫茶にはそういった要素はあまり必要ない場合が多い。というのも、オーナーがマニアなお店ほど短命だったりするのである。
私にもそういうところがあるので反省し切りだが、マニアというのは「自分の好きなもの=他人も好きだろう、だって自分はマニアだから」と思っているふしがある。故にマニアがオーナーのメイド喫茶は「これは単に、アンタが好きな店だろう」という店が多い。
以前横浜に「ねこねこ」というメイド喫茶があったのだが、ここが酷かった。恐らく「これは単に、アンタが好きな店だろう」の「最高峰」だろう。
ねこねこのオーナーは横浜界隈のメイド喫茶マニアの中では名の通った人物である。そしてオープニングスタッフに用意してきた女の子は、何を隠そう「そこらじゅうの自分が通っていた店から、自分のお気に入りのメイドさんをスカウトしてきた」だけ。そして本当の問題は「それを誰もが知っていた」ということである。
マニアはマニアの良さを「出すところ」が違うのだ。全く無くてもダメだが、ありすぎてもダメ。それなのに、皆どちらかに極端過ぎる。これは何事においてもそうなのだが、「知識」だけでは商売はうまくいかない。「知識」の他に「実行力」が必須である。しかし実行力だけでもダメだ。この絶妙なバランスが難しい。
お店というのは「自分の好きな店」を作るべきではない、「お客さんが望む店」を作るべきであって、そのためには「自分」というものを一時的に殺さなければ成し得ることはできない。常に、自分が考えたものを「他人がどう思うか」を考えられる人にしか成功は難しい。
メイド喫茶は個人オーナーが多く、こうしたことが不十分なまま営業し、潰れて行くケースが非常に目立つ。出来たら「真逆の人の冷めた意見」にもひとつ、耳を傾けてみてはいかがだろうか。

人気商売の宿命 (2010/01/03)
メイドさんの中に「過去たくさんの店を渡り歩いてきました」ということだけが自慢の「ジプシー」がいるという話は以前#046で書いたが、中にはバイトを辞めたメイドさんに「今後ココで働いていたことは他言しません」と念を押す店がある。また簡単な契約書にサインさせ、罰則規定(罰金など)を設けるパターンも確認されている。
なぜそんなことをする必要があるのか。簡単に言えば、「オープンに出来ないことがある」だろう。それが「お客さんの夢を壊すかもしれないから」であれば、理解出来なくも無い。ただ、「就労条件が酷くて、違法行為がバレるから」がほとんどだというのが残念である。
秋葉原のメイド喫茶を3軒渡り歩いてきた女の子に話を聞いたところ、彼女は「源泉徴収票」の存在を知らなかった。(これは彼女自身の問題かも知れないが)若い女の子は社会を生きる知恵がないから虐げられやすい。他にも「1ヶ月のうち、1日、1回、1分でも遅刻したら(それまで働いた)月の給料ゼロ」などという横紙破りなメイド喫茶もある。しかもその店はイベントで女の子にスクール水着を着せたりしながらも時給はたったの750円。「ないよりマシ」といったところだが、それまで無くなるのだからまるで漫画だ。
こういう卑劣な犯罪行為が横行してもなかなか女の子が強く出れない理由のひとつに、「メイドさんという仕事が人気だから」というものがある。需要と供給のバランスが完全に崩壊しており、メイド喫茶側からすればメイドさんは選び放題だ。「漫画家」や「アイドル」「芸能人」などと同じで、無謀な要求をされても「それでなれるなら」と呑んでしまう子がいるのが問題なのである。雇う方からすればこれほど楽なことは無いかもしれないが、かといって犯罪に手を染めていいとは誰も言ってない。
中には週間300人以上面接して、メイド服を着せて「写真撮影」だけして全員雇わず、その写真だけをくじ引きで販売しているという仰天な店もある。どれがどの罪名かを羅列するのすら馬鹿馬鹿しい。

マーメイドキッチン (2010/01/02)
今や「グーグル脳」なんていう言葉もあり、若い人なら行動の前にまず「ググる」のが基本中の基本である。中には「ソース出せ」なんていう輩もいて、信頼できる情報ソースが「ググ」って出てこなければそれは嘘。グーグルが新しい価値観の核となりつつある。
メイド喫茶未体験の素人さんが今度の休日、メイド喫茶に行ってみようと考えた時、まずグーグルで検索をかけるだろう。恐らく検索ワードは「メイド喫茶」だ。
さて、現在ではキーワード「メイド喫茶」でググると、1位に表示されるのは「@ほぉ〜むカフェ」である。これで事実上、日本一の人気店は「@ほぉ〜むカフェ、という店らしい」と決定付けられてしまう。ソースはグーグル。
検索結果というのは、せいぜい見ても2〜3ページ程度である。故に、そこまでに入ってこなければその店はネット上から村八分にされたも同然である。
実は長きに渡って検索ワード「メイド喫茶」の検索結果1位の座を欲しいがままにしていたメイド喫茶があった。それは横浜は反町にあった「マーメイドキッチン(4F)」である。マーメイドキッチンはお世辞にも日本一とは呼べない小さな店だ。@ほぉ〜むが日本一かどうかはさておき、少なくともマーメイドキッチンが日本一ということはないことくらい、行ったことのある人なら誰でも分かるだろう。
私は当時の店長さんと仲良くさせていただいていたので、どうやってその小さな店を1位に押し上げたのかを聞いたことがある。マーメイドキッチンのサイトは、内部に「メイド喫茶検索エンジン」を積んでいたのだ。普通、同業他店の広告など入れたくないのが経営者の心情というものだが、これをすすんで入れたことで、被リンク数が圧倒的に増えたのである。
メイド喫茶というのは不思議な世界で、通常の喫茶店であれば「喫茶店の検索エンジン」なんてものは不要なはずだ。余程のことが無い限り、駅前にある喫茶店に「仕方なく入る」くらいである。だから「立地」が最強の条件となるわけだ。
ところがメイド喫茶は同じ喫茶店に見えて「目的を持って入る」。歩いていたらたまたま見つけたのでふらっと入ってみるなんてことはあまりない。故にネットでの検索に力を入れる必要があるのだ。立地の悪い店になればなるほど、ネット上での工作に力を入れる必要が出てくる。
「いい土地」はお金がかかるが、ネットの「いい場所」はネットユーザーの心理が解れば、どうにでもなるはず。

お疲れ様 (2010/01/01)
明けましておめでとう御座います。今年も私のコラムを読みにきてくださり、本当にありがとうございます。
今年も全365回の更新を目指しておりますので、どうかお付き合いの程宜しくお願い申し上げます。

新年一発目は、ある店で見た「トンデモ」常連さんのお話を。
お気に入りだったメイドさんが一身上の都合で、特に「卒業式」などのイベントも無く辞めてしまったらしい。彼は通っていればいつかは彼女とフラグが成立するものだと思い込み、人生の全てを賭けていた(つもり)らしく、物凄い形相で店内に入ってきては店長の胸倉を掴んでこう叫んだ。
「どうしてくれるんですか!?もう少しだったんですよ!?これじゃもう会えないじゃないですか!!僕、かれこれこの店で50〜60万は遣ったんですよ!?これじゃおかしいじゃないですか!」
言ってることの意味がよく分からないが、店長の答えに噴いた。
「個人的に連絡すればいいじゃん?」
メイド喫茶の「お約束」で、メイドさんとご主人様・お嬢様の個人的な連絡先の交換はタブーとなっていることがほとんど(このお店もそうでした)だが、店長はこうアッサリ答えた。店内の空気が止まった。
「えっ・・な、ななな・・」
「だからさぁ、うまく行きそうだったって言うなら、連絡先くらいこっそり交換してるでしょ?」
「・・へ?」
「だ、か、らぁ。禁止とはいえ人間なんだし、そういうこともあるでしょ。」
「・・はぁ。」
「もしかして、連絡先知らないの?そりゃフラグじゃないよ。うん。絶対無いね。」
私が店長なら言葉をもう少し選ぶところだが、ここをズバっと言ったことに拍手を送りたい。確かに、言っちゃイケナイことである。しかしこれほどまでに相応しい言葉もないのが感慨深い。
男女の恋愛は、3回会って何も無ければ何もない、と言った人がいるが、至言だと思う。メイドさんに恋心を寄せるも自由だが、3回通って誰の連絡先もゲット出来なければ(営業用のmixi除く)、純愛については諦めてポイントカードやチェキ集めに走ったほうが期待値は高い。
人は「期待させられること」に大枚を叩く。そして何事も、「脈なし」に気付くのが早ければ早いほど、傷が少なくて済む。

自己責任の暴走 (2009/12/31)
私は、大人の買い物は「自己責任」だと思ってはいる。例えば、ギャンブルでどんなに負けてもそれは「ギャンブルというのは、勝つこともあるが負けることもある」というリスクを事前に知りながらそれでもやったわけで、結局はその人個人の責任に帰すことができよう。そこで「それはギャンブルが悪い」とはならないのが社会の風潮でもある。
しかしこの「自己責任」という言葉は形骸化した「逃げ」でもあり、非常に扱いが難しい。これをあらゆる分野に徹底しすぎるとおかしなことがたくさん出てくる。
例えば、手抜き工事の耐震偽装マンションを(知らずに)買った被害者は「事前に調べなかったアンタが悪い」とはならない。どこぞのコメンテーターがテレビで「安すぎて、買う前に怪しいと思わなかったんですかねー」などと抜かしていたが、安い物件を買ったのが悪いのであれば牛丼が300円になった吉野家で仮にお腹を壊してもそれは消費者の責任ということになるじゃないか。そんなはずはない。
もし本当に「安いものを買った人にも責任がある」なら、メイド喫茶は正反対の業界である。何せ、「悪い店ほど値段が高い」からだ。寧ろ偽装マンションが安かったのは良心的だとすら思うほどに腐敗している店が多い。
メイド喫茶は「アイディア」の産物だと思う。故に、「良さ」を決めるのはアイディア次第であり、本来ならもっと凝るべきなのだが、アイディアが足りなかった店が「メイドさん」を「誤魔化し」に使うようになって来たのがそもそものがんなのである。
メイド喫茶のマニアなら、メニューを見ただけでこの店が「新しいアイディアでお客を喜ばせよう」としている店なのか、それとも「メイド喫茶って儲かるんでしょ、だからウチもやるわ」という店なのかくらいは分かるだろう。だが、問題はその他大勢である。素人にはこの区別が非常につき辛い。それは事前の情報開示が少なすぎるのが問題ではないか。そして情報を開示できないような店を「作るな」。
素人を騙すことで成り立つようじゃ、この業界に未来はない。来年はオープンする店はせめて、「当然のこと」が出来ていてほしいものだと、切に願っている。

最後になりましたが、ポータルサイトとしては非常に後発である「メイド喫茶ジャーナル」をご覧頂き、またこのコラムに目を通していただき、非常にありがたく思います。立ち上げからわずか2ヶ月弱の間に、たくさんのオーナー様、メイドさんと交流させていただきました。そして本当に多くの「メイド喫茶にはもう期待出来ない」という声を頂きました。来年こそは業界の「浮上の年」になるよう、面白いこと、刺激的なことを配信して盛り上げていくつもりですので、来年もどうか「メイド喫茶ジャーナル」を宜しくお願いいたします。それでは、よいお年を・・

利益は出たけどいいサービスをしたのか (2009/12/30)
今年のメイド喫茶業界を振り返るうえで絶対に外せないのが「めいどりーみん」をどう考えるか、である。色々なバタバタがあってつい後回しになってしまったが、めいどりーみんについては読者の皆様からの要望も多いので、本稿をアップロードせずに年を越すことは出来ない。
実は私が持っているめいどりーみんの「国民証」発行ナンバーは二桁である。つまり初期のめいどりーみんには何度か通っていた。まずそこから振り返ってみよう。
私が当時店内で「気が付いたことノート」(私はサイトを作るためのデータをノートに3年以上つけ続けている)に書いたのは、「蝋燭」「ポテト」「店長(♂)」である。「蝋燭」とは、蝋燭を付けるサービスが変わっているなぁと。「ポテト」はフードの中で価格が他店と比較して許容範囲である唯一のメニュー。「店長」は、店長(実は社長でした)と思わしき男性がやたらウロウロ出入りして慌しい、という印象。これだけだ。
もし今のめいどりーみんに何か書くとすれば「マイク」「ジャンプ」といったところか。おっと、「社長」も忘れてはいけないか。違う意味で。
めいどりーみんというメイド喫茶は2008年末から2009年にかけて急成長した。反面、オープン(4月25日)からそれまで半年ほどくすぶっていたとしか言いようが無い。ハッキリ言って毒にも薬にもならない、ただ蝋燭が置いてあるだけの何の変哲もない店だった。しかし2009年に入ってから売り上げ前年比130%オーバーを叩き出し、2店舗を新たにオープン(2店舗目は2008年11月)するなどその羽振りのよさが目立つようになった。要するに「変革」があったわけである。
この秘密は、実は店の中には一切ない。店内のサービスもメニューも価格も、ダメだった頃とほとんど何一つ変わっていないのだ。唯一変わったのは「店外」でのビラ配りの「やり方」である。以前は店のビルの前で配る程度だったのを、「他店に入る客を、他店の前でビラ配りして連れて来い!」と方向転換したのである。これをどう評価するかだが、ネットでの世論は「反則だ」「迷惑だ」との声が若干強い気もするが、私が評価するなら「少なくとも、店内(の満足度)は不人気店時代のまま」である。ややもすればビラ配りに人員を割き過ぎて前より劣化している部分もあるほどで、これも@ほぉ〜むカフェと同じく店そのものを評価することは出来ない。
もしもどこかのオーナー様が「数字」に着目して「お客として遊びに行ってみて、勉強しよう」と思うなら、成功は難しいのではないか。貴方の欲しいものは、何も無いぞ。

オタクの女の子 (2009/12/29)
近年のメイド喫茶業界について、不思議に思っていたことがある。それは「メイドさんは、趣味でもコスプレをしているようなオタクの女の子がやるのが自然な流れだ」みたいな空気について、である。
大抵のメイド喫茶は最低限のマニュアルがある為、どこへ行ってもだいたい同じことを聞かれる。その中でも最もメジャーなものに「メイド喫茶はよく行かれるんですか?」という質問があるが、これはまだ関連性のある話だ。だが、「お嬢様(ご主人様)は何オタクですか?」の意味が分からない。一体いつから、メイド喫茶に来るお客さんがオタクであるという前提になったのか?
メイドさんがプライベートでオタク趣味を持っているのは一向に構わない。だが、お客にもそれを求めるというのは何かがズレているのではないか。
またそれと似たようなものに、「タメ口をきかれる」というものがある。恐らく「ツンデレ」ブームと混同して2006年あたりに一気に広まったものと思われる。これについては、こういうのが好きだという男性客が多いのだろう。しかし先ほどのオタクの話と同じで、「全員がそうだ」といつから決まったのだろうか。
私がまだメイド喫茶未体験の頃、勝手に持っていた「イメージ」は、アンティーク調のオシャレな店内で、メイドさんに紅茶を淹れて貰い、本でも読みながら心静かな時を過ごす。というものだ。それが普通だとか正しいとかは一切思わない。ちなみにこういう店は業界全体を見渡しても4〜5軒くらいしか存在しない。ただ、同じくメイド喫茶未経験の一般の人に「メイド喫茶って、どんなものだと思いますか?」と聞いたら、私と同じ意見の人がどれくらいいるかはさておき、「オタクの女の子にタメ口をきかれそうなイメージ」と答える人がそんなにいるとは思えない。
メイド喫茶のオタクはよく、コンセプトがしっかりしていない店について「あそこはただ女の子にメイド服着せただけだからダメだ」と言う。ならばこういう店こそダメな店だとは思わないか。ただ着てるだけかどうかはケースバイケースとしても、少なくとも「着ている意味がない」じゃないか。これのどこがメイドさんなのか。

砂の城の二重の構造 (2009/12/28)
メイド喫茶業界には歴としたコンサル屋が存在しない。そしてどこにも信頼できるソースのある「人気店」の指標がない。唯一信じられるのは過去既に出ている「数字」だけだ。
事実上、売上を評価できる店となればやはり「@ほぉ〜むカフェ」となるか。その証拠に、きちんとしたコンセプトが定まっていない新規開店はどこもかしこも揃って@ほぉ〜むカフェの劣化コピーである。これはビジネス的視点で見れば強ち間違えてはいないとはいえ、実は見えない「二重の構造」に阻まれることになる。
@ほぉ〜むカフェに関しては、初期の業界のマスコミへの露出をほぼ唯一社で支えたことを考えると一点の疑いもなく貢献度No.1である。しかしこれは「どういう接客か」とは一切関係のないところだ。新規出店のオーナー連中は大抵、「最も収益の出ている店」として@ほぉ〜むカフェを訪れ、どんな接客が「数字を出す接客」なのか、を「客目線」から勉強するのが定説ではあるが、残念ながら@ほぉ〜むカフェに収益をもたらしたのは接客でもサービスでもなく「宣伝」である。それを勘違いしたオーナーが@ほぉ〜むカフェと同程度の接客のメイド喫茶をオープンさせるが結果は言わずもがなであり、あれを凌駕できるくらい潤沢な宣伝費を用意できない限り、@ほぉ〜むカフェを真似するのは「接客」では出来ても「収益」では不可能である。
実は業界人にとって@ほぉ〜むカフェは「宣伝費」以外を考える必要はあまりないのだが、それがはっきりと理解できているケースはまずない。その理由のひとつに、メイド喫茶の経営者が必ずしも「マニア」ではないからということがあるだろう。そもそもマニアなら、@ほぉ〜むカフェを参考にするということはない。
@ほぉ〜むカフェを劣化コピーしてしまう経営者はそもそも、「儲かっている店」は「お客が多い」、それは「中身にお客が満足しているからだ」と勘違いしているからだろう。儲かっている店に必ずしもお客が満足しているという保証はどこにもないのだ。
「ホームレス中学生」という本が売れていた頃、「今の時代、貧乏自慢の本が売れるのか」と見込んだバカは出版界にはさすがにいなかった。おかげで安易な二番煎じはほとんど出て来なかったのだが、ホームレス中学生をどのように評価したかといえば「あれは吉本の宣伝の賜物だ」ということだ。ホームレス中学生の掛け値なしの実力は評価されなかった、というのが正しいだろうか。

ダブルスタンダードにはそろそろメガンテを (2009/12/27)
実は秋葉原という街は、新宿歌舞伎町を抜いて「銃刀法違反の検挙数」が日本一の「危険な街」でもある。
最近では悪質かつ違法なメイド喫茶の客引きの姿が目立つようになってきたということを#025で書いたが、通行人からの相談が増えてきたのか、ここ数ヶ月で所轄の目が厳しくなってきたのを肌で感じるようになった。
具体的にはパトロール中にビラ配りのメイドさんを呼び止めて「道路使用許可証の所持」を確認しているところがそこかしこで見られるようになってきた。そして注目すべきは、その間だけはどの店も非常に大人しく配っているということだ。これは自分達がやっていることが違法であることを認識していることの証左だろう。自信があるならば辞める必要はない。
これは私の見解だが、09年12月現在の秋葉原に「常識の範囲を逸脱した」客引きを行っていると思われるメイド喫茶は全部で3軒あると思う。いずれも「物品の配布」を超越しており、また配置する人員数に関しても届出時点のものをオーバーしていると見られる。これらの違法行為にはもちろん罰則規定がある。
もしも貴方が悪質な客引きに執拗に追いかけられたりしたら、こう思うだろう。「これは違法ではないのか」→「警察はどうして捕まえないんだ?」と。場合によっては110番通報する人もいるかもしれない。これは極一般的な反応だと思う。
警察と犯罪者。この両方の存在を許すというのは究極のダブルスタンダードである。
警察にとって一番避けたい結末は「こんな犯罪者を放置しておくなんて、警察は仕事をしていない」と思われることである。「警察密着24時」などのやらせ番組を年間数回、テレビ電波をジャックして流させるほどこの日本という国は警察に対する民意を操作したがっている。「結局精神論かよ」と思うなかれ、この「工作」が圧倒的に足りない国々では納税率が著しく低かったりテロ行為が多発している。「表向き」平和な日本はこういった工作には力を入れているのだ。そして何より「ずっと放置されているということは、これは合法なのか」と解釈されてしまうと、「ならウチもやるぞ」という店が続出し今より更に被害者と通報数が増えることになる。
犯罪や迷惑行為というのは、警察が許さないのではない。社会が許さないはずである。警察は届出や許可については五月蝿いが、現場の空気に関しては担当区域外である。それでも通報数次第では「今そこで何が起きているのか」くらいは把握できよう。
つまりこの現状は、「最低でもどこか1軒(若しくは誰か一人)が摘発される」ことでしか解決し得ないのである。もしもそうならなれけば「所轄はバカ」でファイナルアンサーでいい。バカに街の平和は任せられない。

ステータス自慢大会 (2009/12/26)
本当は警察批判の重い話にしようと思ったのだが、今日は(これを書いている時点では)クリスマスだし、たまには手放しで笑える話に。
メイド喫茶のマニア達は、無言の圧力でささやかな自慢をしてくることがある。私は公式な取材を除いてはポータルサイトを運営しているという身分を隠して遊びに行くと決めていて、全国のメイド喫茶巡りが趣味だということはあまり公にしていない。公にしないし、証拠となるポイントカードの束などは一切持ち歩かない。
某月某日、秋葉原の某メイド喫茶で隣に座ったご主人様があからさまに私の方を向いて色んなお店のポイントカードが4〜50枚位つまったバインダーをぱらぱらさせていた。しかも何度も。一秒も早く「すごいですね!」と言って欲しいといわんばかりのオーラを放っていたが、この行為が案外メジャーだったりするから面白い。
先日も大阪の某店でオープン5分前に到着してしまった私はお店が開くのをドアの前で待っていたのだが、その1分後に私の後ろに並んだご主人様がご丁寧に道端にその店の過去のポイントカードとチェキを広げ始めた。別に今確認することもなかろう、これは私への威嚇行為である。「君は1番に並んだかも知れないけど、俺の方が「常連レベル」は上でしょ、ほら。」という無言の電波を受信した。
私はもうその域からは「解脱」してしまって、チェキ100枚あたりの頃はよく「見せてください」というメイドさんがいてもいいように持ち歩いていたが、今ではチェキとポイントカードを合わせて広辞苑4冊分くらいの質量があるため(ウルプロ純正のトレカバインダーが4冊)、持ち運びが困難となり「彼ら」の物言わぬ攻撃を「すごいですね〜!」と素直に楽しむことにしている。そのほうが面白いし、意外な友人が出来たりもする。
トレーディングカードの世界では、ブースを用意して知らない人とも対戦できるお店が流行っている。また、最近ではポータブルゲーム機で無作為にたくさんの人と交流ができる喫茶店などが台頭してきた。
だがメイド喫茶は用意されるまでもなくすでにその「機能」を有していて、場合によっては「ミサ」が路上でも開催されるなどユーザー間でも十分語るに値するカルチャーとなりつつあるのだ。
こうなってくるとチェキに写るメイドさんはポケモンカードのポケモンか、数日で飛んだメイドさんのチェキはさながらレアモンスターか、潰れたお店のポイントカードはレアカードか。

大いなる勘違い (2009/12/25)
最近のメイド喫茶は、「お客さんが望むメイドさんとの会話」を勘違いしている節があると思う。
先日オープンしたばかりのコスプレ飲食店へ遊びに行ってきた時の話だ。着席してオーダーをしてから、まるで何かのマニュアル本でもあるのかの如く3人のメイドさんに立て続けに、入れ替わり立ち代り全く同じことを3回ループして聞かれた。
「何を見て、ウチのお店に来てくれたんですか〜?」に始まり、「メイド喫茶って、よく行くんですか〜?」ときて、ええ、と答えると「どこがお嬢様のオススメですか〜?」である。
実はこの3つの会話の流れは、秋葉原だけではなくどのお店へ行ってもお仕着せのように必ず聞かれることなのだが、これが私の考える「勘違い」の全てである。
#043でも若干触れたが、「お金を払った分、はいどうぞ。メイドさんとの会話を時間いっぱい存分に楽しんでください。」とやられるとお客さんは萎縮する。「このメイドさんはどうして私と話してくれるんだろう?」→「もしかして、仲良くなれたのかな?」となる部分を「どうして」→「ああそうか、お金を払ったからか。」となれば、つまらないのも納得がいくだろう。それをいかにしてバラさないかが、メイド喫茶という商売の肝のはずだ。
お客さんは「仕事で(会話を)やらせてもらってます感」を出されればつまらない。お客さんは「メイドさんと話をしたい」のは事実ではあるが、「無理に会話してほしい」わけではない。どちらかと言えば、「話し掛けてほしい」のではなく、「自分の話を聞いてほしい」のではないか。だから、話し上手になるよりも聞き上手になるほうが大事なはず。マニュアル通りの会話を一通り押し付けてきて、「仕事終わりました」みたいな顔をされても何も面白くないのだ。
会話が無い店を「なんだよ、やる気ないな」と判断するお客さんもいるだろうが、あまりにマニュアル感丸出しな接客をされても「なんだよ、マニュアルかよ」という判断になり、それはどちらもどのみちマイナスであり、結局等価の問題であるはずだ。
ひとつの問題を解決したはずが、もうひとつの問題をただ創っただけ。折角商売をするのだから、こんな恥ずかしいお店を作らないでほしいものだ。

それがメイド喫茶 (2009/12/24)
メイドさんの中には「ジプシー」と呼ばれる女の子がいる。ジプシーは「メイド喫茶を彷徨い歩く問題児」のことであり、定着率の低さからそう呼ばれている(ジプシーの本来の意味は「放浪民族」)。辞める理由は多々あれど、履歴書に職歴で「過去にメイド喫茶で働いていました」とあれば「ほほぅ、それは頼もしいねぇ」とでも言うべき立派な「経験者」であるが、「10軒渡り歩いてきました」ともなれば許容範囲をオーバーしていることくらい素人でも分かる。許されるのは2〜3軒くらいで、それ以上は「この子自身に何か問題があるのだろう」と考えるのが普通だろう。もしかすると「この子を雇えば、前の店でいたこの子の「おっかけ」のお客がウチの店へ流れてくるかも」なんて考えて雇ってしまうかも知れないが、あまりオススメは出来ない。
ジブシーがメイド喫茶をひとつ、またひとつと次々辞める理由のひとつに「その店で人気になれなかった」というものがある。こういう女の子は店にとって要注意人物である。場合によっては人気のメイドさんを蹴落とすために、風説の流布やメイドさんの個人情報の流出に勤しむスットコドッコイ(死語)がいるからだ。女の子の嫉妬はメイド喫茶の営業にどのみちロクな影響を及ぼさないから、こういう子については早々に首を切ることを考えたほうがいい。さて問題は「どうやってこういうことをする問題児かどうかを事前に判別するか」である。
警察では、サラ金に手を出して首が回らなくなった、あるいは現在ヒーヒー言っている警察官や刑事を対象に「サラ金相談室」というものがある。これは表向きは相談室であるが、実際のところは金に困って不祥事を起こしそうな奴を見つけて、早々に自主退職を迫るためのシステムに過ぎない。
また、ジプシーは大抵が「飛ぶ」。連絡なしに急に辞める。それでいて面の皮が厚くて、「権利」という言葉を知っているらしく、飛んだ日までの給料だけはちゃっかり取りに来る。経営者や新人教育をした先輩メイドさんにしてみればこれほど迷惑な話はないだろう。
こういう場合に合法的に給料を出さない方法もある。罰金や天引きは労働基準法違反となるので、きちんと払った上で「メイド服のクリーニング代」などの被害額を書面で請求して、その場で取り上げればいい。また 飛ぶ際にメイド服を盗む女の子も多い(これについてはさすがに給料を取りには来ないだろうが)。
若い女の子を使うのはなかなか精神を削られるとは思うが、それがメイド喫茶なのだ。

メイド喫茶で働きたい (2009/12/23)
メイド喫茶のマニアに「メイド喫茶とは何ですか?」と聞けば、十中八九「普通の喫茶店ですが何か?」と答えるだろうがこれは所詮「ゴマメ」の意見であるから全く役に立たない。彼らがメイド喫茶を喫茶店と言い張る最大の原動力は「自身の正当化」であり、「キャバクラだと思われては(通っていることが社会的に)恥ずかしい」からというものである。
私は、キャバクラだとは思わないが、少なくとも喫茶店でもないと思う。
その前にまず、社会通念における「メイド喫茶とは何か?」を真剣に考えるというのは、こういうことである。
「貴方の娘が「メイド喫茶で働きたい」と言ったらどう応えますか」。
この質問に対する世論がどう考えてもマイナスのベクトルであることくらい、素人でも分かろう。
「喫茶店で働きたい」であれば、「いいんじゃない?」が上位を占める回答になるのは誰でも分かる。しかし「メイド喫茶で」であれば「No」であるのなら、やはりメイド喫茶は喫茶店ではないというのが現実というものだ。
同じ「遊び」である「テレビゲーム業界」を考えても、テレビゲームは長年に渡り「目が悪くなる」とか「ゲームセンターは不良のたまり場」だとか、挙句の果てには殺人事件なんかと結び付けられて「ゲーム脳」だとか言われてきた過去があるにも関わらず、「ゲームのプログラマーになりたい」と言えば「No」を出す人の数は、「メイド喫茶で働きたい」より少ないということくらい分かるだろう。メイド喫茶の社会的な認識は、散々ひどく言われてきたゲーム業界より確実に下なのである。
問題は現状を憂くことではない。ではメイド喫茶という業界が、果たしてその地位向上を目指そうとしているのか?というただ一点である。マニアの意見は「業界人」にとって勿論大切ではあるが、「業界」にとっては必ずしもそうではないはずだ。
メイド喫茶がビジネスとして長期安定し辛い理由のひとつに、「メイドさん(従業員)の定着率の低さ」が挙げられる。年齢的な問題を考えれば、丁度「就活」の時期にさしかかる女の子が多いので、メイドさんを長くやるというパターンはあまりない。特に若い女の子に依存している営業形態の店では、人気のメイドさんが時期により大量離脱してしまい、店のバランスがガタガタになるというのはよく聞く話だ。
これは、「ずっと働きたい」と思えない業界であるというのがそもそもの問題のはずだ。だが、具体的にどう「良くなるように」何をしているのか、どこをどう、どの角度から見ても一切分からないのだがどうしたものか。
まず業界がすべきことは、メイドさんの働きやすさを優先するというものではないだろうか。

これからの淘汰 (2009/12/22)
清涼飲料水業界で、最も長期安定売上が望めるのは何かご存知だろうか。答えは「お茶」である。
お茶はホットでもアイスでも飲めるし、ご飯にも合う。甘くないのでベタベタしないし、何より「お茶が苦手」という人の絶対数が少ない。下手な大冒険を冒すよりも、無難にお茶を出しておくのがベターである。
とはいえ、お茶なら何でも売れるわけではない。それは何故かといえば「お客の数が有限だから」だ。物事には適正な数というものがある。何事も「作りすぎ」はダメだ。
メイド喫茶にもいろんな種類があるとはいえ、最も手堅く儲かるのは「正統派」である。#027でも触れたし人気店ランキングでも分かるが、正統派というのは所謂「静」と「動」の最も基本的な2種類のことだ。ドリンクで言うところのアイスのお茶とホットのお茶とでも言おうか。
そもそも、現在のメイド喫茶・コスプレ飲食店の店舗数は適正なのだろうか、ということである。私は平日の空いている席数を考えれば、多すぎると思う。現在の丁度半分くらいが適正ではないだろうか。淘汰が一巡したと思われているメイド喫茶業界だが、今後まだまだ淘汰がすすむことは確実だ。
淘汰というのは「力のあるメイド喫茶だけが残る」ということであるから、「中途半端な店が潰れる」わけではない。中途半端でも、力のある店なら残る。#039でも触れたが、この「力がある」は、マニアにとっては「常連客が多い」「コンセプトがしっかりしている」かもしれないが、業界人にとっては何より「金のある」なのだ。だから、今後はますますマニアが忌み嫌う店が残るのである。
お茶も同様、おいしいお茶が残るのではなく、「宣伝が派手だった」お茶が残るのである。必ずしもそれがおいしいとは限らない。そうじゃなきゃ、「まとも」な店からどんどん閉まっていくこの説明がつかない。
もし貴方が2008年のメイド喫茶を「まだ良かった」と思うなら、2010年は2009年を振り返って「まだ良かった」と言うことになるだろう。もしかすると、2007年にも2006年にも同じことを言っていたかもしれない。私はこのスパイラルに誰かが終止符を打つことを期待しているが、残念ながらその嚆矢すら見えない。

覆面で全裸 (2009/12/21)
人は感情に「絶対服従」である。その中でも最も絶対的なのは「嫉妬」の感情だ。
怒りや喜びは隠すことが出来ても、嫉妬は消せない。しかし世の中、嫉妬することは恥ずかしいとされている為、社会では変にオブラートに包もうとする。そりゃそうだ、嫉妬するというのは負けを認めることと同義だからだ。だから匿名のネット社会では嫉妬が剥き出しになりやすい。人というのは皆「素顔でビキニ」と「覆面で全裸」のどちらかで街を歩くなら、後者を選ぶということの表れだ。
人間がどんな時に「アツく」なるか。これも嫉妬が原動力である。しかも「どうにもならないこと」ではなく、「ちょっといじるだけでどうにかなりそうなのに、何故か力及ばずなこと」が最も悔しい。ゲームセンターでついついクレジットを追加してしまう瞬間を考えれば自ずと答えは出るだろう。「もうちょっとでいけそう」な時じゃないか。対して鳩山さんが集中砲火されないのも、9億円のお小遣いに現実味が沸かないからだ。
私はこの、「手が届きそうで、でも微妙に届かない距離」が好きで、メイド喫茶というものが面白いと感じている。私はメイドさんを独占して1:1で会話できるお店があまり好きじゃない。やはり「ちょっとしたサービス」の一環で、たまにオホホウフフと会話できるのがいい。そっちの方が断然「あれ?今私、メイドさんと仲良くなれたのかな?」と妄想できる。
よく、「人は裏切るけど、ペットは裏切りません」とか言って犬や猫を飼う人がいるが、それは人間関係における負け組の言い訳だ。確かに、ペットは裏切らないだろう。しかしそれがペットというものであり、ペットは誰が飼っても裏切らない。それが面白いかと言われれば確かに面白いが、それは人との付き合いとは根本から異なるものだから比べること自体が間違えている。
やはり人間は、「いつどうなるか分からない」から面白いのであり、いつどうなるかわからない存在なのに、そう簡単には自分のものにはならないもどかしさが「アツい」のである。
余談だが、私の友人のK君は、友達が遊びに来たとき自分の飼い犬が友達の車に乗って一緒に帰ってしまい、3日間泊まって来たという事実に頭を悩ませていた。ドンマイ。

こころとからだのバランス (2009/12/20)
心を動かすことは出来ても、人間の体を動かすのはとても難しい。
たとえ「あいのり」で感動しても、実際にサバンナに行こうとはなかなかならないだろうし、途中で入ったCMの歯磨き粉を買おうとは思わないだろう。
テレビは所詮宣伝媒体であり、番組に感動されても意味が無い。感動した挙句、最後にはCMの商品を買ってもらわないと存在価値が無いのだ。
つまり、どんなに番組が面白くても、どんなに視聴率が高くても、スポンサーの商品が売れない番組はダメだということだ。だからどうしても視聴者ではなくスポンサー優先のクソみたいな番組が増えてしまう。寧ろ番組そのものの完成度が高すぎると、割って入るCMがテンポを乱し、「ゼッタイに買わない」と思わせてしまう。
「ターミネーター2」でシュワルツェネッガーが何故ハーレーダビッドソンに乗っていたのか?あれでハーレーの売り上げが劇的にのびたのは偶然なのか?「高度なCM」というのはああいう「コンテンツそのものの面白さでお客を喜ばせ、かつスポンサーにも「数字」という形で満足を与える」ものを言うのではないだろうか。
このことは、ニコニコ動画の公式動画を見ればハッキリする。あんなもの、クソの山じゃないか。閲覧数を見ても分かる通り、誰もそんなものは見たくないのだ。「ニコニコ市場」もあれが正常に作用している数値とはとても思えない。
私は思うのだ。メイド喫茶のポータルサイトやレポートサイトに、「視聴者のためになる」ものがあったのか?「見ていて面白い」と思え、かつ「お店に行ってみよう!」と思え、最終的には視聴者もメイド喫茶側も得を出来るサイトが、あったのか?
結論から言うと、「全くない」とは思わない。しかし、満を持して「ある」とは言えない。例え「よく出来ている方だ」と思うサイトがあったとしても以前#006で書いたような帰結であり、社会貢献度がとても低い。
お客さんが、お店の宣伝を見たいと思うか?お店の存在を知りたいとは思うが、お店の露骨な宣伝を見せられたいとは誰も言ってないぞ?これを誤魔化して一緒くたにするテレビ的なビジネスは、ネットには通用しにくい。何故ならテレビは垂れ流して無理矢理見せることも出来るがネットの場合は自発的にサイトを見ようと思わない限り目に触れることが無く、ハードルは確実に高いからだ。

スピリチュアル利権 (2009/12/19)
「動物占い」などのベストセラーが「どうやって占われたか」をご存知だろうか。
大抵の人が手品に種があることは知っていても、占いに種があることを知らないはずだ。というのも、手品の種はググったらいくらでも出てきたが、占いの種はほとんど出て来なかった。
メイドさんの商売に「メイド占い」という変り種がある。その絶対数は少ないものの、確実に数店舗は生き延びていることから、需要はあるのだろう。
プロの占い師に占ってもらうならまだしも、メイド服着ただけの女の子でしょう?と思うかもしれないが、そもそもプロの占い師がどうやって占っているかを知らないのに、メイドさんを馬鹿には出来ない。
夢を壊すようで悪いが、占いというのは「既存の占いの本を買い漁って、そこに書かれている「よくある」占いの結果の文章を別々に組み合わせて出来上がるのである。
つまり、占いにはホンモノもエセもない。全部がエセだ。やろうと思えば貴方も今日から出来る。要は演出の奇抜さであり、真実味をいかにして生み出すかであり、占い師のネームバリューであり、「信じる者は何とやら」であり、どこで占おうが誰が占おうが、大した差は生じないのだから。
メイドリフレと異なり結果にプロとアマの差が無いのだから、メイド占いは「お金の無駄」とは一概には言えないし、逆に無駄とも言えよう。というか、少なくとも「メイドさんだから、という理由で無駄にボッタくられる心配」が一切ないのだから、安心してメイドさんとのコミュニケーションに現を抜かすことが出来よう。
私も一時期、ある月刊誌の巻末にある「星占いコーナー」を担当していたことがある。会社から3万円渡されて、向かいにある大きな書店で占い本を20冊買ってきて、その中身をエクセルで集計。鉛筆に1から6まで数字をふって転がし続け、新たな組み合わせを模索し、毎月語尾「です」「ます」を「だ」「である」などに変えて連載していた過去がある。それでもアンケートハガキに「あのコーナー、すごく当たります!ありがとうございます!」と感謝の言葉が送られてくるのだから世の中恐ろしい。
ちなみに、最も信頼される占いの答え方は、「現在の状態に不安を煽りつつも、よくなっている、よくなっていく」というポジティブなものだ。こういう答えを出すとお客さんは喜ぶ。
大体占って欲しいなんていう人は、質問と答えが既にセットで、「それを誰かの口から聞きたい」というだけなんだから。お望みの答えを言ってくれない占い師は「ダメ・ゼッタイ」。

ギザ〓よろちくね (2009/12/18)
どんな世界にも必ず泥臭い縁の下の力持ちがいる。
娯楽というのは、提供する側にとっては「苦痛」でしかない。だから私は、どんな娯楽も「遊んでいるうちが華」だと思っている。華やかな世界ほどその現実とのギャップが激しくなるのは致し方ない。
あと半月で2010年という今もまだ、まさか「しょこたんぶろぐ」がしょこたんの手によって書かれていると信じている情報弱者はいないだろう。いるといけないので断っておくが、あれは他人の手によるものだ(ある仕事で、他の方が更新しているのを目の前で見ました)。
有名人の発言(ブログ、サイト含む)は、その「余波」を恐れてほとんどの場合ライターさんを挟む。これをお客さんの誰にも気付かれなければ「成功」だ。他にも芸能人のブログのライターさんを知っているが(私の本業は作家です)、大変な仕事だなーと思う。構成作家はテレビが廃れてもまだまだ転職の余地があると確信した。そして他人が書くから麻生さんは漢字を読み間違えたのだ。
もちろん、全てではないだろう。それでも全体のうち「半分」はそういうこともあるということを頭の片隅にでも入れておいたほうが、心の傷が少なくて済む。
さて、メイド喫茶のメイドさんのブログやミクシィ日記がメイドさんの手によるものだと思っているなら貴方は幸せ者だ。店によっては、メイドさんによっては、ご自分の手で書かれているものもあるだろうが、約半数は店長の手によるものだと思っていい。大丈夫、「アイマス」なんて100%社員さん(アルバイト含む)のメールだから。
私は「メイドさんと交換日記が出来るオプションがあるメイド喫茶」なんてのが台頭してくるんじゃないかと3年前から予想していた。最近では「メイドさんとメール、1日1回、1週間1000円」など徐々に広まりつつある。だがメールでは強力な販促にはならない。やはり手渡しが原則で、お店に来させなければ。これも日記を持ち帰らせたりメイドさん個人の力量に任せるとややこしくなるので(何より統制が取れない)、いっそのこと店長が読んで返信内容を決めて、それをメイドさんの字で書かせれば成り立つのではないか。
というのも、先日某メイド喫茶でチェキを撮影したところ、その子が忙しくて代わりに店長が「落書き」して寄越したことに起因するのだが。17歳と言っていたのに、「よろちくね!」の字は30代の野郎。ありがとう。

神様の嘘 (2009/12/17)
ゲームというのはルールが分かっても実際にプレイしない限り、「アツさ=面白さ」は分かり辛い。それが分かってないソフトメーカーは挙ってトンチンカンなゲームを出すが、市場の反応は言わずもがなである。
メイド喫茶も同様、メイド喫茶の「どこが面白いのか」をきちんと理解出来ていない経営者は揃いも揃ってヘンな店を出店する。「どこを面白いと思うかなんて、個人の自由じゃないか」と思う無かれ、それならどうして人気店と不人気店が分かれるのか。この世は個人の感情にも明確な「基準」があるのだ。基準があるから、企業のフロントの女性もエレベーターガールも皆美形ばかりじゃないか。
経営者は誰だって「いい店を作りたい」と思っているだろう。だが、この「いい店」というのが私達お客にとってなのか、経営者にとってなのかは分からない。
「メイド喫茶のどこが面白いかなんて個人の自由だ」という人はちょっと視点を変えてみよう。もしも貴方がメイド喫茶を経営するとしたら、と考えて欲しい。そうなると「どの店を選ぶかは、お客の自由だからね」なんて悠長なことが言えるか?他店に人気が集まり、自分の店に客が来なければ、「ウチの店にはダメな所がある」と考えざるを得ないのではないか?
このように、「お金」という存在は、立場を変えるだけで地球を簡単に180度逆に回してくれるのである。
これは「給料日」というものを考えればよく分かる。労働者は給料日を「待ち遠しい」と考えているが、経営者は人件費という名目で会社のお金が一度に出て行くのだから、「最悪な日だ」と思っているに違いない。
「お金」というものをひとつの視点で捉えているうちは、お金を儲けることはできないだろう。
もう一度メイド喫茶に戻るが、私達お客が「面白い」「感動的」「癒される」「楽しい」などと思う店が必ずしも客が入り、儲かるわけではない。経営側からすればこの世に「お金」がある以上、「儲かる店」こそが素晴らしい、となってしまい易い。だからどうしても、「いい店」と「お客が入っている店」にはズレが生じてしまう。
このように、「いいものを作れば売れる」わけではない。そして「売れたものが必ずしもいいものではない」。そういう価値観の板挟みの中に私達は生きているのだ。

ガラパゴス化現象 (2009/12/16)
メイドさんの商売に「メイドリフレクソロジー(以下メイドリフレ)」というものがある。これは「メイドさんに軽いマッサージをして貰う」というもので、喫茶とは異なり1対1のコミュニケーションがウリである。
厳密に言うとマッサージではなくリフレクソロジーであり、「リフレクソロジーは医療行為ではない」という法解釈に基づくもの(流行の「膝枕の耳かき」もこれにあたる)で、施術に関しては免許不要である。そうした背景とともに成長したビジネスだ。
もちろん、その中にはきちんと研修を行い、一定のレベルに達さないメイドさんをクビにしている厳しいお店もある。お客さんとしては同じお金を払うならこういうお店に行きたいものではあるが、「メイドさんの可愛さ優先」となると状況が変わってくる。
これは、私の友人のとあるメイドリフレのメイドさんの話だ。バイト初日、お店のシステムや作業の流れを聞いた彼女は、先輩のメイドさんに「あの、それで肝心のリフレのやり方を・・」と尋ねたそうだ。すると答えは「えっと、タイマーを持っていって、30分経ったら帰ってくればいいからね。」だったという。さすがに「え・・そういう意味じゃなくて、研修とか無いんですか?」と聞き返したが、「ああ、お客さんはね、ただ身体に触ってくれればそれでいいの。」というサプライズな答えが返ってきたそうだ。
メイド喫茶・リフレの評価に関して私は一定の基準を持っている。それは「対応してくれたメイドさんによってフィーリングが激しく変動する接客」をする店はダメだ、ということだ。メイドさんによってだいぶ接客態度が異なるといのは、わからなくもない。しかし、店員の態度というのはその店の総意であるというのが社会の常識である。例えば貴方がシャープ製の液晶テレビを使っていて、操作がわからない部分があってシャープのお客様センターへ電話を入れたとしよう。そこで「そこは○○ですね」と答えてくれた。この受け答えは、「シャープとしての答え」のはずだ。決して個人の答えではない。それどころか、通常「個人の意見」を仕事中にお客様に述べることは禁止であるというのが常識だ。メイド喫茶ではある程度それが許容されているだろうし、個人の意見もサービスの範疇である部分があるが、それらはあくまで「おまけ要素」であり、おまけを高く評価するお客が増えるとそちらを優先し過ぎてこのメイドリフレのような歪なお店が出来てしまうことになる。
これは一種の「ガラパゴス化」であり、早計するのはちょっと違うのではないか。どこまで行っても「基本あってのおまけ」であってほしいと願っているのだが、皆さんはどうだろうか。

カリスマ (2009/12/15)
メイド喫茶のポータルサイトを個人で運営している管理人は、まるで「守護神」みたいなイメージが漂うが、実態は一癖も二癖もある人が多い。誰とは言わないが、過去何人も「怪人物」を見てきた。
私が「声優界で言う大山のぶ代」位に思っていた大御所レポートサイトの著者はだいぶ煙たがられているようで、私が取材に行くといい話をひとつも聞かない。「アポ無しで来て、メイドも誰も知らなかった。」「撮影許可も掲載許可も出さなかったのに、店の外見の写真を無断で載せられた。」そんな話の連続である。また、その友人連中もかなりキモチ悪い。「あの人の知り合いだ」ってことを引き合いに、サービスをせしめようみたいな外道ばかりだ。見ていてマルチ商法の布教みたいにも見える。本当に、「ひとつも」いい話がない。
また、某メイド喫茶ではメイドさんとの軽いトークの最中に、私の2つ左の席にいた知らないご主人様に無理矢理割って入ってこられたことがある。30分くらいマシンガントークを展開し、やっと帰った・・。メイドさんに尋ねると「ここだけの話、いつもああなんで迷惑してるんです。でも店長に言ったら、結構お金落とすからあんまり邪険にも扱うなよって言われちゃって、、すみません。」と謝られた。それから1年ちょい。ぼーっと深夜番組を見ていたら、「アキバのカリスマ」として見覚えのある顔がブラウン管(14型)を埋め尽くした。そう、マシンガントークのアイツである。ナレーター曰く「彼は秋葉原をくまなく見渡せるブログの管理人」らしい。正直たまげた。
私がメイド喫茶で一番嫌なのは、「空気の読めない隣の客に話しかけられること」である。お金を払ってメイドさんに萌えに来たのに何故見ず知らずのむさいご主人様に話しかけられる筋合いがあるのか。しかも女だからか、見境のないナンパが多いのも迷惑である。
以前、某メイドバーで散々話しかけられて嫌過ぎて店を出たことがある。その男性はメイドさんにも終始下ネタをふり続け、最終的には出入り禁止になったらしい(店長談)。それからだいぶ後になって知ったことなのだが、彼はこの界隈では有名な「メイド喫茶本」を出版している人だったから驚きだ。
私はせめて、いいと言われなくても、悪いと言われることのないようにメイド喫茶で遊びたいと思う。このサイトがあってもなくても、それだけは心に決めてきた。
私には人を見る眼がないのだろうか、それとも彼らのオーラの消し方がハンパではないのか。後者だとしたら、一体何の為に。

柳原可奈子 (2009/12/14)
メイド喫茶には所謂「痛い客」がいるのはお約束である。
メイド喫茶とはロールプレイであり、お金を払って使用人とメイドという寸劇を演じるものである。故に、客にもそれを最低限要するというのが私の持論である。これが理解出来ていない「空気の読めない客」が「痛い客」の正体だ。
ただしそれは度が過ぎても痛い。ある店ではメイドさんの名札を目ざとく見るや否や、「おい、○○(呼び捨て)。ちょっと紅茶を運んできてくれ給へ」なんて言うご主人様を見たことがあるが、これも例外なく痛い客である。また、お客がコスプレして帰宅するというのも痛い。店によってはコスプレでの来店を禁止しているところもあるほどだ。ある店ではシルクハットにステッキという素敵(洒落じゃない)な格好で、若干引き気味の「おかえりなさいませ」の掛け声に「ただいま」と答える紳士気取りのご主人様を見たことがあるが、私が抱いた感情は「この格好は、家からなのか、それともどこかのトイレで着替えたのか」だけである。
こんな風に言っていても私が痛い客でない証拠はどこにもないが、せめて以下のことを気にしているつもりだ。
まず、「呼び止めない」。メイドさんとのおしゃべりはあくまでサービスだからだ。
次に、「早く店を出る」。場合によってはポイントが倍もらえたりするのでおいしい。
最後に、「人並の注文を」。ジュース一杯+つまみくらいは注文したい。
何度も言うが、メイド喫茶は料金形態から言っても「大人の遊び」である。大人の遊びは「かっこよく、スマートに」をモットーにしてもらいたいものだ。
メイド喫茶を「女の子とのコミュニケーションの場所だ」と考える人も大勢いるだろう。これをウリにしているメイド喫茶も多いし、決して悪くはない。だがそうだとしても、飢えた雷魚のようにどこまでもがっつくのはよくない。それにコストパフォーマンスで考えれば、万札をひらひらさせながら駅ビルに服を見に行けば、女性の店員さんが最低30分は引止めに来てにこやかなトークをプライスレスでしてくれるはずだ。というのも私は6年ほど前、都内の駅ビルで服屋の店員をしていたことがあるのだが、漫画に出てくるような古典的なクソ上司に「客と話をあわせろ。男の客にはお茶の一杯も付き合え。場合によっては携帯の番号も教えてやれ。」と教育されていたからだ。それで辞めたんだけど。

カレー1800円 (2009/12/13)
メイド喫茶には「高くても客が入る店」と「安くても入らない店」があるのはご存知の通りだ。
私も一応外食産業に関わってきた経歴があるので、メイド喫茶で出されるフードメニューが「どこ」のメーカーのものか位は出てきたものを見れば大体分かる。例えば、全く同じ既製品のケーキを出す癖に値段が同じビル内のテナントなのに200円違う。他にも、あそことあそこの出すパスタが両方ともユーシーシーフーヅのものだとか、そんなのはザラ。これは「どう出すか」の違いであり、そして大切なのはこの200円の差をどのように考えるか、である。
並の考えなら全く同じ商品であれば1円でも安い店へ行こうと思うが、もし高いほうの店が混んでいるのなら、そこは「お金はしっかり取りつつも、満足度は高い」店であり、人気店の証である。メイド喫茶にはこういうことがあるから商売としてのうまみがあると言えるだろう。
私は客目線なら同じ商品であれば安いに越したことはないが、これは商売であるから経営者目線であれば「安ければ万事OK」とは思わない。メイド喫茶は無形のものに価値をつけて売る商売だ。しかし同時に、人気のない店やこれといった強みのない店は値下げによって生き延びることが出来ると思っている。もし低価格をウリにしても客が入らないようであれば、それは既に「終わっている」店だ。そして高価格の強気な営業は「人気店のみの特権」だと思うのだが、「それが分かっていない店が多すぎる」というのが現状なのだ。
オープンからいきなり「カレー1800円(チャージ別600円、ドリンク一律600円)」という仰天メニューを出してきたメイド喫茶がある。これを説明するなら、一言「オープン前の自店の格付けを、人気店と読んだ」であろう。大抵メイド喫茶がオープン前の自店の格付けをする際にソースにするのは「他店の元人気メイドを雇った」か「宣伝に抜かりない(と思っている)」かのどちらかで、そういう店に限って、店の方向性はスッカラカンになる。もう安心しているから、凝る必要がないのだ。
オープン前に自店を人気店と読んだメイド喫茶は、その営業方法に問題がある場合が多い。いわゆる「最初から抜きに来る」である。最近では強気な価格設定ではあれど、それでもプレオープン期間中は席料無料などのキャンペーンを展開したりとまだ客寄りの営業努力が見られる店もあるが、同時に妥協一切無しの店もあり、後者の方がはるかに数で上回っている。
商売とは普通「スパン」で集金計画を練るものだ。いつまでに元本を回収し、いつから黒を出していく。この回収スパンが短くても許される店とそうでない店があり、そしてそれを決めるのは、自分ではなくお客様であることを忘れてはいけないのではないか。

私の知らない誰かが騙されている (2009/12/12)
どんな商売でもそうだが、中身に凝っても客が来なければ始まらない。ドアを閉めてその中でわいわい楽しんでいても、ドアを開ける前の大衆に向けて中の面白さを発信しなければどんなに面白くても商売としての存在意義はない。マクドナルドなんてもうTVCMを打つ必要はない程に認知度は高いはずなのに、それでも連日バンバン打つ。それは、マクドナルドがどんなに力を入れた新商品を作っても、まずその存在を大衆に認知させなければ始まらないからだ。
メイド喫茶も同様で、成功するためにはまず宣伝ありきである。しかしながらこの業界の宣伝費は高い。実は宣伝費ほど投資するのが怖いものもない。どれくらいの費用対効果が見込めるのか分からないまま(ある程度の実績についての資料は提示されるだろうが、その信憑性を裏付けるソースはない)バカにならない大金を要求される。効果がうっすら売り上げに影響してくるのは広告の期限と契約が丁度切れる頃で、実に上手くできている。「ただお金を損しただけ」なんていう話はそこらじゅうで聞く。
雑誌やフリーペーパーであれば、発行部数を「刷った数」と差し替えて、水増し発表する。サイトであればユニークアクセス数を「総アクセス数(重複カウント)」で発表する。
そもそも、水増しして言っていることくらい常識的に誰でも知っているのに水増しするのは意味があるのだろうか?と思うが、それでもやるのだから、100円パソコンと一緒で「私の知らない誰かが騙されている」のは確かだ。
勿論効果のある媒体であればいいのだが、そうでない媒体と外見で区別がつき辛い。このせいで、メニューの料金が上がるのである。宣伝にかけた費用は当然お客様から回収するのだから、余計な水増し請求のおかげでコーヒーの値段が、オムライスの値段が、無駄に上がるのである。実に馬鹿馬鹿しいことだ。
無駄な広告費を抑えるためにメイド喫茶がまずやるべきことは、「○○を見た」イベントを開催することである。例えば「メイド喫茶ジャーナルを見た」と言うお客様にささやかな割引をしてその人数を数えれば、メイド喫茶ジャーナルが広告としての価値がどれくらいあるのか把握できよう。ウチは非営利だから余裕でこういうことを提案できるが、営利サイトだと実力がバレてしまうので絶対オススメしてこないはずだ。健闘を祈る。

あんたこの世をどう思う (2009/12/11)
同じものを買うなら、誰だって安いほうがいい。立地、内容、その他諸条件が全て同じなら、高価格と低価格なら低価格の方がお客様の満足度は高いはずだ。
秋葉原のメイド喫茶がここ数年で「低レベル化」しつつ、かつ「高価格化」しつつある。いや、レベルは同様なのかもしれないが、高価格化したおかげでそれに見合わないから低レベル化しつつあるように見えるのかもしれない。さて、問題は「何故高価格化しつつあるのか」だ。
単刀直入に言えば、その根源は家賃の高騰にある。外神田の雑居ビル界隈ではメイド喫茶ブームが台頭して来る「前」、来た「後」で明らかに家賃相場が変動した。家賃の上がる理由については簡単で、「その値段でも入る人がいる」からだ。その値段でも入る=儲かる商売があることの証左でもあり、それがメイド喫茶であることは想像に難しくない。メイド喫茶はビルオーナーにとって金蔓なのだ。
もし現存するメイド喫茶の家賃が一律、月額5万円下がったらどうだろうか。オーナーのポケットにまるまる入るかどうかは定かではないが、サービスの向上や商品の質の見直し、販促グッズの製造委託など、お客の満足に間接的に繋がることにその5万円を使えるだろうし、場合によっては値下げだって出来る。
家賃の値上げがメイド喫茶の質を落とすことは分かっていただけただろうか。ということは、この負のスパイラルの元凶は、より高い家賃でもテナントに入りたがる野心を持った新規開店のオーナー連中がどれだけボッタくるヴィジョンを持っているのか、ということに尽きる。メイド喫茶がどんどん増えていくということは、それだけ儲かるということであり、それだけボッタクリも増えるということの証なのだ。
もちろん中には客の気持ちとエンゲル係数を理解し、「いくらなら納得できるか」を追求したお客様満足度重視のメイド喫茶もあるだろうが、この世の中はどうしても金である。誰かの言葉に「金は鋳造された自由である」というものがあるが、よく出来た言葉だ。金が無ければ自由にもなれない、金がなければ正義を主張することも出来ない。それが今の日本の構造なのである。お客様重視の素敵な経営方針は、素人を騙くらかして濡れ手に粟で手に入れた売り上げ金を持った悪徳店のオーナーに踏み潰されてしまうのだ。
「今、勢いのあるメイド喫茶」は得てしてボッタクリであることをお忘れなく。

いいわけ (2009/12/10)
よくある常連の言い訳に、「ここはメイド喫茶じゃないから」というものがある。というのは、執事喫茶だったり鉄道居酒屋だったりモビルスーツバーだったり、とにかくイロモノ系のコスプレ飲食店の話だ。
あれらは業界人にも客にも、カテゴライズは確かにメイド喫茶(バー)である。違うというのは常連の後ろめたさ故の最後の「逃げ道」であり、私がこのコラムで何度も話している「何者かでありたいオーラ」の一種だ。断言できるその理由はただひとつ、「メイド喫茶が無ければ、絶対にオープンしなかったから」である。
商業的に見ても、「メイド喫茶が流行っていて、それを見て作った」という評価は免れない。私が唯一、メイド喫茶を見て真似したとは思えなかったのは池袋の執事喫茶「スワロウテイル」であるが、これも社会的な評価は亜流メイド喫茶の域を出ない。メイド喫茶がなければオープンしなかった、というのはかなり大きいウェイトを占める。
逆に「メイド喫茶が無くてもオープンした」、と言い切れる店は業界に一軒もない。メイドリフレもまた、メイド喫茶の亜流である。だから私はこのサイトの題名を「メイド喫茶ジャーナル」とし、全てを一緒くたにまとめた。
ここに何故か異様なまでの怪気炎を上げる人がいるが、黒い人間ほどその黒さとはわざとらしいまでの距離を語りたがるものである。そんなに後ろめたいなら通うのを辞めなさい。
いいじゃないか、メイド喫茶で。萌えで。「遊び」に妥協するな。俺(私)はメイド喫茶で萌え萌えだ!これでいい。だって、なんと言い訳しようとも「貴方が通っているのはメイド喫茶の仲間だ」ってことは誰もが知っているのだから。
メイド喫茶は恥ずかしい遊びなのだろうか?私はそうは思わない。寧ろオタクというサブカルチャーの華々しい一面ではないだろうか。あんなに流行った「ナタデココ」だって「生キャラメル」だって、メーカーはさすがに200軒もない。過去200以上も乱立し、淘汰が一巡した現在もまだ根強くファンが残るこの業界。もっと堂々としていいはずだ。
それに、社会的な理解を得ようとするのはそもそもオタクではない。「電車男」を見て一念発起したオタクなどこの世に1人もいないと確信している。

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土足で踏み込め (2009/12/09)
取っ手のついたコップがある。取っ手の無い側の真横から垂直に見てみると、このコップに取っ手が付いていることが分からない。無論、コップを回せば分かることだが、コップは回せても地球を回すことは出来ない。
何を言いたいかと言うと、世の中というのはこのコップだということだ。片方ばかりから見ていては、全体がどんな形をしているのかさえ把握できない。それでいて知ったかぶりをするのだから人間とはなんと愚かなのだろうか。
有能な弁護士になるためにどんな勉強が必要なのか詳しくは知らないが、本当に人というものを理解するためにはセレブの相手ばかりしていればいいわけじゃなく、場合によってはホームレスと話す必要だってあるだろう。画家だって、ゴッホの絵ばかりを見て勉強すればいいというものではない。場合によってはガロのバックナンバーを全巻読む必要だってあるはずだ。
この世は人の心の裏側が分からない奴は必ず滅びる。
客の入らないメイド喫茶は、ご主人様、お嬢様の本音が分かっちゃいない。「いい」と口で言ったから、本当に「いい」と思っているかは別問題である。
人間というものはどうしても演技しながら生きざるを得ない。上司の前では部下の演技、親の前では子供の演技、友達の前では友達の演技、彼氏の前では彼女の演技・・。哀しいかなこれが人間の本性である。
不人気店を観察していると、どうしても「いい」と言われたからその通りやりました、みたいな構造が多い。おいおい、その「いい」は社交辞令だぞ?ワンマン店長が、雇っているメイドさんに尋ねて、「いいんじゃないですかねー」と言われたのをそのまま採用したような店は得てして不人気店である。個人商店はただでさえ選択肢が少ないのだから、イエスマンばかりを残すのは本当に自殺行為だ。「ダメですね」とハッキリ言えるメイドさんを、客を、もっと大切にしてほしい。
遊びとは「風」である。人生は無風ではつまらない。メイド喫茶は私たちの退屈な日常に、「ドキドキ感」という小さな風を起こす場所であってほしい。それには人の本音にぶつかっていく勇気が必要なのではないか。
「現場でウケたものは、客にはウケない」。覚えておいたほうが、傷が少なくて済む。

せめて、人間らしく (2009/12/08)
ガラス張りの美容院では、顔面偏差値の低い客が入ってくると店の奥の席へと案内する。奥へ案内されたことのある方にとってはとても失礼な話ではあるが、以前バイトしていたので間違いない。
キャバクラやホストクラブでは、泥酔客やヤクザ・チンピラ風、同業者と思われる客については入り口付近の席へ案内する。入り口というのはバタバタするので落ち着かないから早く帰りたくなるのだ。たとえ後払いの店でも、こういう人種からは後で揉めそうなのでしっかり前金で取る。逆に会社社長さんや常連さんなど「上客」は奥の落ち着いた席へ案内し、ホステスやホストと「しっぽり」させる。
つまり、座らされた席で店側が貴方を「どう思っているのか」が分かるのだ。
実はメイド喫茶というのも同様で、美容院やキャバクラよりも客単価に対して「痛い客」の絶対数は多いので、より選別の必要がある業態である。誰だってそれなりに通っていれば、「そろそろ自分はお店やメイドさんからどう思われているのだろうか」と気になるはずだ。それは指定された席の位置でおおよそ把握できよう。もしかすると全くマニュアルに無い店もあるかもしれないが、それは単にズボラなだけで普通は最低限、考えて座らせるものである。
意味も無くメイドさんと一番話しやすい席へ案内されれば、貴方は常連としての仲間入りであり、空いているのに話しにくい場所へ案内されれば貴方は痛常連としての仲間入りだ。
ただし、常連として認められたのが「メイドさんにとってのいい人」なのか「店にとっての金蔓」なのかは判断が難しい。実は今、「ジャーナル目安箱」のコーナーで「メイド喫茶へ行くときの予算」について皆さんの意見を集めているが、なるほどかように分かれるものだと頷かされた。まだまだ募集中なので是非とも参加してほしい。
私は常々思っている。好きな人にお金を無駄遣いして欲しいですか?そりゃ「遊び」に対する最低限の「大人のマナー」はあれど、限度を超える必要など一切ないのではないだろうか。
遊びとはいえせめて、人間として見て貰いたいものだ。財布だと思われては情け無い。

頭脳戦艦ドリーミン (2009/12/07)
クソゲーと呼ばれるゲームがある。文字通りクソなゲームのことだが、その中でも私が最も罪深いと思うのは、「売れたクソゲー」である。
売れていないクソゲーは、被害があまりないので致し方ない。クソだから売れなかったとも言えるし、売れてない=値下げするだろうから、値崩れぶりからヤバい香りを感じ取ることも出来るため、地雷具合は低い。
問題は売れたクソゲーである。大々的に宣伝した人気作品の続編やキャラクター版権モノなどがこれにあたる。ついつい名前だけで売れてしまったり、ダメな奴ほど着飾りたがるもので宣伝に異様に力が入っていて、無知な大衆を煽ってくれる。当然売り上げに比例して被害者も増えるので、「あなたにとってクソゲーとはどのゲームですか?」と聞けば自然と上位に名前が出てくる。これぞクソゲーだ。
しかしクソゲーが悪いのではない。確かにクソゲーはゲーム業界全体にとって「悪」だとは思うが、売れたクソゲーがあるのは何を隠そう消費者である私たちに買う前の判断力がなかったのが一番の原因である。
この世は、騙すことはあっても、騙されてはいけない。
さて私が許せないのは、「客が入っているクソメイド喫茶」だ。いや違うな。「クソメイド喫茶に入る客」だ。
無論クソなので客はほとんどが一見さんなのだが、これが腹立たしい。彼らは派手な宣伝や強引な客引きに連れてこられた「可哀想なヤツら」なのだが、それでも最低限のキャッシュを落として店を無駄に潤わせることには問題ないのだからますますいけない。もう少し事前の情報収集をして欲しいものだ。
ゲームに良ゲーとクソゲーがあるのは周知の事実だが、メイド喫茶にも良メイド喫茶とクソメイド喫茶があることは何故かあまり知られていないから、私が代弁しておこう。クソメイド喫茶は実はたくさんある。初めて買ったゲームがクソゲーならその時点でゲームというものを投げ出すだろうが、メイド喫茶だって同じ。初メイド喫茶がクソなら、もうどこにも行かない、信用しないだろう。
各オーナー殿に問いたい。貴方のメイド喫茶は、「メイド喫茶初体験」なご主人様・お嬢様を100%・・とは言わないまでも、50%以上満足させることができますか?人に「あそこへ行ったよ」と話したとき、「なんであそこなの」と言われない自信がありますか?こんなことを、是非一度自店で自腹切って遊んで、考えてみて欲しい。

メイド喫茶不感症 (2009/12/06)
オリンピックでは風邪薬等を含め薬物の使用が禁止されているというのは有名な話だが、ではオリンピックの裏番組で「ケミカルオリンピック」というのを始めてみてはいかがだろうか?
スピードレーサーがけしからんなんて生ぬるいことは言わない。そこでは筋肉増強剤やロボトミー改造手術などなんでもあり。即座に今までの様々な世界新記録が更新されることは間違いない。
アホか、と思うかもしれないが、ではどちらが視聴率を獲るか考えてみようじゃないか。私なら、とりあえず一度は見てみたいと思うだろう。そこでどう思うかは見ていないので何とも言えないが、少なくとも開催第1回目なら確実に普通のオリンピックより人気が出るはずだ。そこで今までの常識では考えられなかったとんでもない記録更新が出まくればたくさんの人がもう普通のオリンピックには戻れなくなるのは想像に難しくない。これが容易に理解できるのは、「オリンピックもそろそろ、イマイチ盛り上がりに欠ける」と思っている人が大勢いることの証だろう。
さて、メイド喫茶業界における「記録更新」を業界人が誰も目指していないから、業界の規模が衰退していくわけだ。一つ前の話でも触れたが、まったり系の最上級もわいわい系の最上級もとっくに明らかになっているのだから、それを少し改善するだけでいいじゃないか。なのに何故改悪ばかりなのか?何故分からない?まさか@ほぉ〜むへ遊びに行って、不満がひとつもなかったとでも言うのだろうか?それは不感症だよ。
私がこのサイトの「評価」で、満点をつけた店がひとつもないのはそれが理由である。万人が不満をひとつも出さないということはさすがに無いからだ。
人気店へ行って、不満を紙に書き出せ。なんなら店内で書き出せ。思いついたら即、書き出せ。そしてそれを口に出して読め。これくらいのことを「もうとっくにやった」というくらいでなければ、メイド喫茶を語る資格はない。人間は、良くされたことには鈍感な癖に不満は一生引きずるんだから、それを利用しなくてどうする。

王道は2つ (2009/12/05)
私には1つの疑問がある。それは、「メイド喫茶の王道とはどんな店で、それは誰が決めたのか」ということだ。
元祖メイド喫茶と言えばキュアメイドであるが、あそこをカテゴライズするなら「まったり系」と言ったところか。対して知名度ナンバーワンで言えば@ほぉ〜むだが、あそこは真逆の「わいわい系」である。
さて、ほとんどのメイド喫茶はこの2つに大別されると思うのだが、どちらが「王道」なのか?
メイド喫茶を一言で表すならどんなイメージ?と人に聞けば、恐らく返ってくる答えのダントツ1位は「萌え〜」だろう。これはマスコミの力が大きいと思うが、事実なのだからしょうがない。しかしマニアに聞けば「キュアだろ」「メイリだろ」でファイナル・アンサーだ。この乖離が板ばさみを生み出すことは#020でも話した通りである。
つまり、テレビをはじめとするプッシュ型メディアというのは世論を反映しているわけではないということがよくわかる。しかし「流行っているから取り上げた」のと「取り上げたことで流行った」のは、一般人にはどうにも同じに見えるのだ。一般人だけではない。マニアだってマスコミの情報操作に勘違いさせられている部分はたくさんある。だからやはり、「萌え〜」が王道「ということになっている」のだ。マニアだから納得行かないけど。
またメイド喫茶には無縁の知人にメールで聞いたところ、「キャバクラ?ご主人さま〜だっけ?いやらしいサービスがあるの?」という返事もあった。これも、間違えてはいるけど正しい大衆の反応ではある気がする。
人間というのはどうしても自分の「好き嫌い」を判断の基準としてしまう部分があるのは否めない。だけどそれでは落第だ。平均的な意見というのを身につけるためには、自分とは正反対の感覚を持つ人のことも考えなくちゃいけない。
こう説明されれば正反対ながらどちらもクオリティに納得のいくキュアメイドと@ほぉ〜むだが、本当に問題なのはこの説明でもさっぱり納得の行かない「立ち位置」にいる店だ。アンタは何がしたいんだ、とオーナーに尋ねたくなる店があるじゃないか。「ウチはどっちでもないんですよ」って、何も考えていなかった言い訳だろ。

今の日本はまだ甘い (2009/12/04)
一番堅実に儲かる外食産業は何か?と聞かれたら、答えは「立ち食いソバ屋」だ。立ち食いソバなら、いわゆる「職人」がいらない。経営者には大した経験もいらない。また、味で勝負する必要もなければ値段で勝負する必要もないし、外装や内装に凝る必要もない。大々的な宣伝もいらないし、回転率は最高。唯一必要なのは「立地」の強さだけである。そこはキャッシュさえあればこの不景気どうにでもなる。要するに、金をかければ出来る、ということだ。
もし私の手元に自由になるある程度のお金があり、何か外食産業をはじめようかと言ったら真っ先にこの立ち食いソバ屋をはじめるだろう。
逆にはじめたくないのは「メイド喫茶」である(いきなり自己否定)。立ち食いソバと徹底比較するが、まず「人件費」が嵩む。カリスマ的なメイドさんも必要で、そのヘッドハンティングにも力を入れる必要がある。個性的なメニューの研究もある程度は必要だし、他店の分析も欠かせない。内装や外装も、居抜きでなければ最低で500万はかかるだろう。また宣伝は必須である。特にネットでの宣伝費に比重がかかる。回転率は最悪。客はメイドさんと話すことを目当てにくるから、下手するとジュース一杯で半日粘るなんてことも茶飯事だ。立地条件もイイに越したことは無い。このように必要な要素が多すぎるくせに、客単価は800円程度と低い。
それでも何故やるのか?その答えは「化ける」可能性を秘めているからではないだろうか。立ち食いソバは、確実性がある代わりに行列が出来るなんてことは聞かない。だが、人気メイド喫茶ともなれば一日で捌ききれない量のお客が外に列を成し、閉店の時間には何人かに諦めて帰ってもらう、そんな店もあるのだ。そう、メイド喫茶の経営とはギャンブルと紙一重なのである。
メイド喫茶というのは、金だけかければいいというわけじゃない。これは私の持論だが、金より気をかけてほしいと思っている。宣伝費に比重を置いて大々的にアピールする店は、確かに最初はその裾野も広いが、心が足りないのですぐに客が飛ぶ。この商売はリピーターなくして成り立たない。
人気の出る店もあれば、出ない店もある。運なく途中で倒れ、ビルオーナーという強欲なコンドルを養うのは力の無かった経営者たちだ。
彼らは皆それぞれに自分というものを、人生というものを、ある程度は覚悟して賭けて来ているはずである。それにしてはニッチな店が多いのは、実はバカなのか。そうか、今の日本バカでも店一軒持てる位の小金持ちにはなれるんだなぁ、世の中まだまだ捨てたもんじゃないな、と安心してしまう私がいる。

「黒」「青」「赤学バ」 (2009/12/03)
私も大人なので「どこ」の店とは言わないが、最近の秋葉原は道を歩けばとにかくある店のメイドさんに「メイド喫茶いかがですか?」と客引きをされる。以前なら駅前でチラシを渡される程度で済んだが、今は受け取ろうものなら手からチラシを離さずに10mはついてくる悪質な店が幅を利かせている。あれはもうチラシ配りでも何でもなく、キャッチセールスそのものだ。
そのやり口は巧妙で全てが計算づくだ。例えば、声をかけてついてくる連中というのは平たく言えば「メイド喫茶を探していた」ということであり、メイド喫茶を探していた人が通る道を選んでメイドさんを配置しているのである。「そんな道あるかよ」と思うかもしれないが、あるじゃないか。「@ほぉ〜むカフェ」へ行く道だ。合言葉は「@ほぉ〜むに入る前を狙え!」らしく、とにかくえげつない。
執拗な客引き=ボッタクリであることは言うまでも無いが、あまりに酷い場合は警察へ届けるといい。道交法では「進路妨害をしてはいけない」や「通行人の目の前に立ってはいけない」、「腕を掴んではいけない」などいくつもの規制があるので、それらが露呈すれば即刻営業停止もある。そもそも、道路使用許可証の定義では物品の配布のみの制限がある。「物品(チラシ)の配布」と「客引き」は別だし、2006年から客引きは全て禁止されたため、これは迷惑防止条例違反でもある。違法なことをして売り上げを上げるのは、一線を越えさえすれば誰でも出来るのだから、才能でもなんでもない。
違法な行為をメイドさんにさせるようなメイド喫茶は、どんどん淘汰されていくべきだ。所轄だって通報数が多ければ腰を上げざるを得ないだろうし、何より「やたら客が入っている」こと自体が違法行為をしているのではないかと勘ぐる理由にもなる。(普通に営業していたのでは、爆発的に客が入ることはないだろうというものだ。警察の判断は基本的に全てがコレ)「違法なメイド喫茶の客引きが多くて、秋葉原の街が歩き辛い」。この由々しき流れを断ち切るためにも、どこか一軒が摘発されれば他もなりを潜めざるを得ないと思うのだがいかがだろうか。

ディスクローズ (2009/12/02)
もうお店がなくなって1年以上経過するので時候かなと思う。今日は職場にありがちな「女の子同士の争い」や「派閥」について書きたい。
メイドさんと言えど所詮は女の子だ。女の職場につき物なのが「陰険なイジメ」。これは先輩後輩の関係が出てくる業態ゆえどうしても、切っても切れない関係にあると思う。
では私が過去、壮絶なモノを見てしまった体験をば。
某メイド喫茶で、閉店の時間が近づいてきた頃である。私もお会計を済ませてそそくさと店を出ようかと思ったところ、仲の良かったメイドさんに呼び止められて小さな紙を渡された。席に戻って開いてみると、「お店が終わったら、遊びに行こうよ」と書いてある。
別にこの後の用事はなかったのでOKとアイコンタクトを送り、片付けや掃除を待っていた。そのとき事件は起こったのだ。
シフトリーダーのメイドさんが店長に報告の電話をかけた。「お疲れ様ですー。今日の売り上げは・・」聞いてどうしようというものでもないので、気にかけずにいた私。しばらく話した後、メイドさんはこう切り出した。
「それと、あの新人の子いるじゃないですか。あの子早く辞めさせた方がいいですよ。今日もお客さんにグッチのバッグを強請ってましたから。店のイメージが悪くなると思います!」
なんとそんなことが・・。私は部外者ながらもどうしても気になって、後でファミレスへ一緒に行ってなんとなく聞いてみた。「さっきの話し、聞こえちゃったんだけどさ・・」
すると答えはこうだった。
「ああ、あれね(笑)。全部ウソ。個人的にああいうタイプ、性に合わないから早く辞めてほしくてさー。だから最近、ウチら(そのときのシフトのメイドさん全部)で連日入れ替わり立ち代り、ああいう報告を店長にしてるの。」
ある人が言った。「頭のいい人とは、東大生のことじゃない。人に嫌われない人だ。」至言である。

@SWEET (2009/12/01)
@SWEETという店がある。10月末秋葉原にオープンしたばかりで、場所はおでん缶で一躍観光名所となったチチブ電機の2階。実は今日からウチのこのサイトとタイアップ企画をやらせていただく。
実は最近私は他店の社長とひとつ賭けている。それはこの店が「いつ潰れるか」だ。
一点の曇りもない直球で言うが、このままなら、このまま消えていくことは確実だ。私がアドバイス出来ることは、「マニアの皆さん、早く行っておかないとポイントカードがゲット出来ませんよ」。それくらいしか浮かばない。
それでも52という高評価をつけたのには理由が2つある。
ひとつは「まっすぐ」だから。最近の新規出店はどれもこれも目新しさを狙って「○○風」「○○系」などプラスαで期待感を煽ろうと必死だが、ドアを開ければ30秒で期待ハズレを実感せざるを得ない。所詮は全て「イロモノメイド喫茶」に過ぎないからだ。ソレらと比べると、ストレートで「メイド喫茶」とうたったのは評価できる。無駄に期待しなくて済むし、純粋なメイド喫茶としての良さを堪能できよう。
もうひとつは「ガツガツしない」から。どんなに優良な店だって、売り上げを伸ばす為に空いたコップがあれば「おわかりいかがですか?」くらいはメイドさんが言葉によるプレッシャーをかけてくるものだが、ここにはそういう気分の悪くなる要素は一切無い。よく言えば客思い、悪く言えば経営下手ってところか。
つまり「最近主流になりつつある流れに逆らった」というのがどうしてもウケない理由なのだと思うが、客目線で言えばこれはありがたいことでもあったりするのではないだろうか。
パッと花咲いてパッと散る。最近のイロモノ系の店にはこんな安い言葉がピッタリだが、ここには「パッと咲く要素」がないだけで、決して悪くない。
今秋、秋葉原では何軒かのメイド喫茶の新規オープンがあった。その中でも予算的に最も手軽(フード類が最も安い)で最もハイクオリティ。イベント期間中に良かったら他の店も含めて一通り「巡って」みて、何故ジャーナルが52と評価したか納得していただけると嬉しい。

不満と企業努力 (2009/11/30)
どんな商売でもそうだが、客の不満が多い店というのは儲かっている店である。客が来ない店は値段を下げたり接客態度を改めたりなどの企業努力を迫られるから結果として客の満足度が高くなるが、現状儲かっている店ではそのような努力は特に早急に必要がないため、客の目には怠慢な営業に見える。
大手チェーンの家電量販店と、個人経営のアットホームなゲームショップ。私が客なら、新作ソフトの予約は絶対個人のお店にしようと思う(最近では個人経営のゲームショップは絶滅寸前だが)。なぜかと言うと、客の痒いところまで手が届くサービスが期待できるからだ。それに比べると量販店は薄利多売を追及しすぎてお座なりになっている部分が多いことくらい、行かなくてもわかる。例えば、どんなに通ったところで店員さんが私の顔と名前を覚えることはないだろう(クレーマーは別だが)。
それでもどうしても客は宣伝の派手な大手へ行きたがる。事前の判断力がないから、どうしても宣伝から得た情報だけで店を決めるしか方法がないのだ。しかし、その大衆からお金を集める商売を始めると決めた以上、彼らの求めるものは何なのかをしっかりと見極めなければ成功は難しい。
宣伝にお金を湯水のように投資できるなら、早い話がどんな店でも人気店の仲間入りだ。では、ソレができないならどうすればいい?
メイド喫茶は感情移入の必要がある労働形態である。例えばCAなんかもそうだが、私が大枚叩いて旅行へ出かけるなら、どうせどの航空会社でもスピードや値段には大差ないのだから、極論「サービスのよさ」を求めるであろう。故に、細かいところまで手が届くか否かが人気のメイド喫茶に要求される絶対条件のひとつになることは間違いない。先日秋葉原の某メイド喫茶へ半年振りに帰宅したのだが、たまたまその時と同じメイドさんが接客してくれて、「もしかしてあの時の」と覚えていてくれた。こういう小さなキモチの積み重ねが「何度も行きたくなる」メイド喫茶を創り上げていく重要なファクターになるのである。
メイド喫茶という商売は、数字ゲームのようで、断じて違う。怠慢で強引な営業を続ける店は、今だけ限定でうたかたの夢を見ているといい。

コンプラチェック (2009/11/29)
最近「メイドさんとゲームが楽しめる」というメイド喫茶が増えているが、オセロやジェンガなどのボードゲーム系ならともかく、WiiやDS、プレステ2やXBOXなどのテレビゲームを置いている営業形態には疑問が残る。
某メイド喫茶ではオープン前に任天堂やソニー、マイクロソフトへ質問状を送り、「客にゲームをプレイさせることで対価を得ていいか」と聞いたところ、全て答えはNOだった。もしも無断で使えば、法的措置を採らざるを得ないという。
2001年1月31日、兵庫県の漫画喫茶が権利者(ソフトメーカー)に無断でプレイステーション2をプレイさせたということで、漫画喫茶の経営者らが逮捕されているのは記憶に新しい。あれからもいくつか摘発された漫画喫茶はあるが、メイド喫茶も「いつ摘発されてもおかしくない」状況には違いない。
他にもアニメDVDなどを大画面液晶テレビやプロジェクターで上演しているメイド喫茶が多々見られるが、どれも無許可、いつ摘発されてもおかしくないというシロモノである。もっと言えば、店内でかかっているBGMすら法律に抵触する無許可モノばかりだ。こんなビジネスが正当化されていいとは到底思えない。
さて、それでは何を使っていいのか、という話になるが許可がなかなかどこからも出ないのであればこれは「オリジナル」に限る。店内BGMだったら、インディーズで音楽を作ってくれる業者に頼んで2曲くらいはお店のオリジナル曲を作り、それをメイドさんにでも歌わせればいい。下手な販促グッズを作ってばら撒いても集客への結びつきが分かり辛いが、歌ならCDを常連客に売ることもできるから原価の回収も出来る。CDならプレスせずにCD−Rでオンデマンドで焼けば不良在庫を大量に抱える心配もない。
ゲームはじゃんけんやトランプなど権利が絡まないものを使って、ルールを店のオリジナルにすればいい。複雑なルールだと短時間では客が理解し辛いだろうから、運に任せた数当てゲームとか単純なものにする。そんなゲームに価値はないと思うなかれ、ゲームを注文することで例え負けてもメイドさんのオリジナルメッセージカードが貰えるだとか、メイドさんの価値に依存したメニューにしてしまえばいい。
「バレたらマズいこと」は、やるな。

あなたは今、どこにいますか (2009/11/28)
昔からよく言うが、「好き」の反対は「嫌い」じゃなく、「無関心」だと思う。嫌いというのはどこか悔しいわけで、同時にどこかを賞賛しているんだ。頭のいい人に言い包められて虐げられてもそれは確かに「酷い」が、結局残る評価は「相手は頭が良くて、自分は馬鹿」なんだから。
となると、話題に登る人・店・出来事というのは全て大衆の「関心」があるということになる。例えば、2ちゃんねるで「ここはボッタクリ」と書かれたメイド喫茶があっても、これは、「値段設定がメチャクチャなのに、どうして潰れない(=お客さんが入っている)のだろう?」という妬みの心理の意趣返しだ。そりゃあこの書き込みがどう考えたっていい風に作用するとは思えないが、何人もの人がそれを読めば「本当だろうか」とか「具体的に、どうボッタクリなんだろう」とか気になってお店に行く人が出てくるのも事実で、逆にお客さんを増やしてしまう可能性だってある。取り様によっては「キワモノが好きな奴はココ行ってみろ」とも取れなくも無い。
世の中、どんなにイイものを作っても「嫌い」という人が必ず出てくる。万人に平等にウケるということはまず不可能で、こちらを立てればあちらが立たず・・なのは言うまでも無い。
例えば、女の子にモテモテの男の子がいるとしても、好みのタイプは十人十色なので全部の女の子からモテるとは限らないし、モテる男の子は男の子の中で嫌われるだろう。これは多分僻みなんだけど、「嫌い」は=「僻み・羨ましい」だったりして、一概に蔑ろには出来ない。
初心者向けのメイド喫茶を作ればマニアには「子供騙し」と叩かれ、マニア向けにすれば初心者が近寄らない。かといって両方をカバーしようとするとどうしても大味になってしまい、どちらにも受けなかったりする。ではどうすればいいのか。
私は、「自分の立ち位置」をまずハッキリさせることが大切なのではないかと思う。マニア向けなのか、初心者向けなのか、とにかくハッキリさせること。業界内での自分の立ち位置、格付け、そういったものを見極めていく必要がある。人間はとかく自分を見ることが出来ないのでこれはお客様に判断してもらうしかないが、決して無理にナンバーワンになろうとする必要はない。どの層を狙っていくのかというのが今後メイド喫茶の生き残りの課題となるのではないだろうか。

差し入れ古今東西 (2009/11/27)
ご主人様、お嬢様からの「差し入れ」「プレゼント」は、キリがなくなってしまうので一切受け取らないとしている店舗もあれば、完全フリーダムな店舗もあり、個体差がまばらである。その中で、「変わったモノ」を見た記録をちょっとだけ書いていこうと思う。
まずは「謎の液体」。あるメイドさんが自身のブログで「ちょっと体調が悪い」とぼやいたことに目をつけたご主人様が「自家製」の強壮剤?を持ってきた。これが、お弁当なんかに入れる小さなビニールの「醤油入れ」に入っていて、しかも液体は白濁色だったというがこれは違法なかほりが漂うのでここらへんでお開き。
続いて「ペアネックレス」。俺の身代わりだと思ってつけてくれ、だそうだ。ノーコメント。
それから「テニスラケット」。普段はレイヤーさんなメイドさんが他のご主人様に「今度イベントでテニプリ合わせするんですよー」と話していたのを聞いていたご主人様が、翌日新品のテニスラケットを差し入れた(たまたま二日連続居合わせた私)。
そして「海馬デッキ」。「遊戯王面白いですよねー」と言っていたメイドさんに、翌日海馬デッキを8セット差し入れたご主人様(これも居合わせた)。
「焼いたCD10枚」。プレゼントするなら純正買え。
「DS本体とマジコン」。カセット10本買ってやれ。
どいつもこいつもロクなものをあげてない。
差し入れの王道は「ケーキ」「ドーナツ」などの軽食類だと思う。それでも用心して、表向き「ありがとうございますー」と言って裏に持って行きつつも全部捨てるのがセオリーではあるが、「手作り卵焼き」をタッパーに入れて持ってきたご主人様もいた。おいおい、食べるわけないだろ・・。

メイド昼キャバに見る哲学 (2009/11/26)
「メイド喫茶って、極論、安いキャバクラですよね」という話はよくあるが、私も強ち間違えてはいないと思う。水商売と一緒にされたらメイド喫茶のメイドさんが怒るかもしれないが、誤解を覚悟で今回は記事を書こうと思う。これは人間の心理に関する大事な話だからだ。
先日、私が2006年にメイド喫茶デビューした初めてのお店の社長さんと会ってお話してきた。そのお店は残念ながらもう閉店してしまって、今社長はメイド昼キャバなるものを経営していた。ちなみに、元のメイド喫茶時代のお店は、何を隠そう全国200件近く巡った私の中の「最高水準のメイド喫茶」であった。
社長はメイド昼キャバを「キャバクラ嬢がメイド服着てるだけでしょ」と思われたくはないということで、キャバクラなのにオムライスにお絵描きがあったりツーショットチェキがあったりとユニークに富んだ経営方針について語ってくれた。そしてとても興味深い話を聞いた。
メイド喫茶時代は、所謂「アミューズメントメニュー」が売れに売れたという。アミューズメントメニューというのはつまり、チェキだのゲームだのといった無形のサービスである。しかしこれがキャバクラに業態変更したら、全くと言っていいほど出ないと嘆く。
つまり、メイド喫茶というのはメイドさんを独占してコミュニケーションを取ることがほとんど出来ないので、その代わりにアミューズメントメニューを注文することでメイドさんを短い時間独占する権利を買うような商売であって、キャバクラになると女の子が横について接待するので、その必要性がなく概ね満足してしまうということである。やはりメイド喫茶はキャバクラだったんだと理解した。いや、メイド喫茶というのはキャバクラから接待を取り除き料金を下げ、接待メニューを別売するという商売なのだ。
というわけで、アミューズメントメニューの売り上げが芳しくないというオーナー様。ここはひとつ、注文なき場合はメイドさんがお客様に話しかけるのをもう少しセーブしてみてはいかがでしょうか?ここに客単価アップの秘訣が隠されているような気がします。

すべらない話「ネットラジオ」 (2009/11/25)
メイド喫茶にまつわる「面白い話」は、3年も全国を巡っていれば本4冊分(我ながら中途半端)くらいは蓄積してきたつもりだ。その中から今日は、「変わったご主人様・お嬢様」ではなく、「変わったメイドさん」についてお話ししよう。
新人メイドのHさんに店長さんがこう言った。「明日はお店のサイトで使う写真を撮影するから、1時間早く来てね。」どの業種でも無断欠勤・遅刻は厳禁だが、ここから世にも奇妙な物語が始まってしまうとは予想だに出来なかっただろう。
翌日、彼女はなんと2時間遅れで出勤してきた。当然、無断で。店長さんが震える拳を握り締めながらロクヨンの振動パックのようにぷるぷる震えつつ「何考えてるの?」と聞くと彼女はこう答えた。「すいません・・ラジオの収録が長引いてしまいまして・・」
「え?ラジオなんか出てるの?」「ええ」「そうか・・まぁ今回は仕方ないとして、連絡くらいはちゃんとしろよ」「わかりました、すいません」「で、何ていうラジオ?俺も聞きたいんだけど?」「えっと、ネットラジオです」
大体のオチが読めたかと思うが、店長はネットラジオの存在を知らず、「へぇ、ネットのラジオに出演しているのか」と歓心しきりのご様子。
ネットラジオをご存知の方なら分かると思うが、ネットラジオというのは自宅のパソコンにマイクデバイスを繋いで録音し、それをサーバーにアップロードするなりして公開するというもので、ごく一般的に言う「ラジオに出演」ではない。平たく言えば、自宅で自分が趣味の範囲で録音して、趣味の範囲で垂れ流す、というものなので、何時から何時まで収録なんていう縛りは一切無く、全て自分の裁量である。だから「ネットラジオの収録で遅れた」は「プレステで遊んでて遅れた」と同義なのだ。まったく、不思議ちゃんというか何というか・・
コレを聞いて私はネットラジオがどんな風にして収録されるのかを店長には説明できなかった。「へぇ、ラジオですか。すごいですね。」なんていう大人の受け答えをしてしまって申し訳なく思う。

QRコードの罠 (2009/11/24)
メイド、他業種関係なくここ最近よく目にするのが「QRコード」でのメルマガ登録による割引制度である。今ここで空メールを送ればサワー1杯無料!なんていう居酒屋はいくらでもある。
これはお客様としては携帯をポチっとするだけだし、お店側からしても個人情報を貰うわけではないので何の障害もなく・・と見えるが、実はものすごい盲点が隠されている。そう、「ドメイン指定受信」である。
結論から言うとこの会員登録はお店側にとってもお客様にとってもデメリットが大きいのでやめておいたほうがいい。最近は迷惑メールが横行しているので携帯電話を買った瞬間からデフォルトで「パソコンからのメールを受信しない」という設定になっているものがほとんどなのである。メルマガのほとんどは店のパソコンから一括送信するものなので、これが受け取れない。それどころか、空メールの返事である「会員登録できました!」のメールすら受け取れないのだから話にならないのだ。
大半のお客様はこれの存在すら知らないまま使っているので、解除の仕方も分からない。こんなところで店内でモメても仕方がない。
メイド喫茶でコレを導入して結果、ロクなことにならなかったという話はよく聞く。「メルマガ登録してくれた方は、初回のみチャージ無料!」とか「ドリンク一杯無料サービス!」とか、種類はなんでもいいが、そこでドメイン指定受信の罠にかかってしまい、「じゃあもういいや、ちゃんとした料金払うよ」ということになる。店としてはありがたいかもしれないが、結果としてメルマガを送れないからリピーターを逃す可能性が出てくるし、客は客で「損をしちゃったなぁ」という印象ばかりが残ってしまう。つまり双方に得の無いシステムになってしまうのだ。
どうしてもお店の新着情報を見せつつ、かつ初回のみ割引システムを押し出したいなら、新着情報ブログをつくり、そこをブックマークさせればいい。メイドさんの目の前で携帯電話でブログをブックマークしてくれたら割引。これですんなり行くのだ。だからフライヤーやスタンプカードなどの印刷物にQRコードを刷る際には、メルマガのメールアドレスではなく、ブログのサイトアドレスを載せておくべきである。

アウフヘーベン (2009/11/23)
遊ぶだけなら誰でも出来るが、ではメイド喫茶でメイドさんとしてお給仕する女の子が、メイド喫茶というものをどう捉えているのかを考えてみて欲しい。
夢を壊すようで悪いが、女の子から見れば一言、「割に合わないバイト」に尽きる。クオリティの高い接客を要求される割に給料は喫茶店並。頷けなくもない。従って、それでも働く女の子というのは余程メイドさんのバイトが好きとか、かわいい制服のバイトがしたいとか、そういうことしかなくなる。
メイド喫茶というのはメイドさんという余剰価値で儲ける商売なのだから、ガチンコで勝負する普通の喫茶店と比べればべらぼうに儲かる。なぜ儲かるかと言うと、女の子の「頑張り」に値段がつくからだ。頑張りというのはつまりタダ。タダのものがお金になるのだから、これほど楽な商売はない。普通の喫茶店やバーが従業員の制服をメイドに鞍替えするのも分からなくも無い。
それなのに給料は喫茶店と似たようなものとは、何かバランスがおかしくはないか。いや、宣伝費や初期投資にかかる金が違うとは思うが、それは経営者側の目線であって、アルバイトのメイドさんからしたら全く関係ない。というわけで、とても働き辛い職場だったりするのである。
その分、遊ぶ側からするとこれほどいいものはない。今まで男性が「女の子がいるお店で・・」なんて言えば少々お値段の張る水商売くらいしかなかったが、今はメイド喫茶という便利な選択肢がある。
誰かが得をするということは、誰かが損をするということのアンチテーゼでもある。メイドさんの給料をカットすれば当然やめてしまうだろうし、メイドさんがいなければメイド喫茶ははじまらないからここは切れない。しかしあからさまな値上げやオタクの足元を見るような高単価メニューをごり押しするとなるとさすがに見限られる。ここで重要になってくるのが「いかにして無形のものに価値を付けていくか」というメイド喫茶というものの根底部分の問題になってくるのだ。原価30円のドリンクを600円で売っても、それは商売だ。ただ、「それでも仕方ない、店で過ごす時間が楽しいから」と言われる店作りを本当に出来ている、しているのだろうか?ただの喫茶店なら380円のところを600円取るのだから、差額の220円に「他には無いここだけの満足感」という余剰価値をきっちり乗せて欲しいのだ。この差額は何を隠そうメイドさんの産物なのだから。

求められる「モノ」 (2009/11/22)
地方のメイド喫茶というものは、秋葉原や日本橋のメイド喫茶の経営とはワケが違ってくる。求められる「モノ」が違うからだ。
地方のお客様というのはほとんどが「メイド喫茶初体験」。故にステレオタイプなメイド喫茶というものをマスコミによって植えつけられてやって来るのがほとんどだ。つまり、彼らを満足させるものはステレオタイプなメイド喫茶ということになる。
所謂メイド喫茶というものに初心者が持っている期待感というのは、「おかえりなさいませご主人様(お嬢様)!」の掛け声、オムライスにケチャップで「落書き」、そして「ツーショットチェキ」、この3つと言われている。これらの要素はマニアの間では「不要のもの」とされているが、初心者には「必須」であり、水と油とも言えよう。
確かにこれのどれかが欠ければ「あれ?テレビと違う」となり、「メイド服の女の子がいるだけの謎の店」となるだろう。テレビの力とはそれほど強大なのだ。それを私たち一個人の力で捻じ曲げることは出来ないのだから、ならば流れに逆らわずそれを利用するというのが賢いだろうし、何よりお客様の為になる。
確実に満足してもらうには、それらをきちんと味わってもらう必要も出てくる。秋葉原では初回のみ高額な席料を要求するといった自傷行為ともとれる店舗が見受けられるが、地方でそんなことをしたらただでさえ少ないパイを無駄に取り逃がすことになる。むしろ初回のお客様のみチェキ1枚無料サービス!くらいの度量が必要だ。そしてそこで、「なるほどメイド喫茶ってのはこれくらいのお金で遊べるのか」と、新たな常識を作ってしまえばいい。
秋葉原の店を地方に持ってこよう、それだけを考えるのは誰でも出来るが、「誰にでも出来そうで、実は誰にも出来ないこと」をやらないと、価値がない。当たり前のことを出来てこそ、初めてそこに「お金を落とす価値」が生まれてくるのではないか。

ポイントカード特典「放置プレイ」 (2009/11/21)
私が今まで、全国のメイド喫茶を巡り歩いて体験した中で最も記憶に残っている「面白い話」を、個人が特定できない形でお話ししたいと思う。(悪質なものは除く)
「それ」は、秋葉原某店で起きた。行列が出来る人気店である。私もその行列に並んでいた。すると、前に並んでいる常連のご主人様が友人を連れてきたらしく、熱く語っている。
別に聞こうと意識したわけではないが・・声が大きいのでどうしても聞こえてしまう。話によれば、どうやら友人さんはメイド喫茶「初体験」だそうだ。
「俺はさぁ!(何故か大声)メイドさんに惚れたとかじゃないのよ。純粋に、この店そのものが好きなんだよ。」
そして店内へ・・席に着くと、先に案内されていた彼らは私のひとつ右の席に着席していた。
その店は、ポイントカードをテーブルの「カードホルダー」に置いておかなければならないシステムである。彼のポイントカードが目に入った。「120枚目」。これは・・何はともあれ凄い。
すると彼らの席にメイドさんがメニューを持ってきてこう言った。「お決まりになりましたらお呼び下さい。」
バタバタと慌しく厨房へ消えるメイドさん。そこですかさず友人さんはこう言った。
「あれ?ねぇ、メイド喫茶って「萌え〜」とか言うんじゃないの?なんか対応、普通の喫茶店じゃね?」
すると120枚の彼は「馬鹿だなぁ・・(やれやれだぜ・・という、首を振るオーバーアクション付)これはな、俺みたいな常連客に対する「放置」のステータスなんだよ。もう説明しなくても分かるだろうな、ってこと。これは相当通わないと、やってくれないんだぜ?感謝しろよ?」
すごい。すごい理論だ。放置のステータス。私はあまり欲しくないが。
注文が決まった彼らは再び同じメイドさんを呼び止めた。「メロンソーダと、コーラひとつずつ。」「かしこまりました。少々お待ち・・」「あの〜」友人さんが遮る。
「このつっけんどんな感じは、常連さんだけの特権なんですかね?」
「え・・私まだ入ったばっかりなんで、そういうのよくわかりません。ではお待ち下さい。」
これはただの手抜きだと私は思う。行列が出来るくらい混んでいたし、キモチは分からなくも無い。それでも、これを常連だけのステータスと言い切って納得し120枚溜める常連さん。ぶっちゃけ、楽な客だ。
というわけで、他店のオーナー殿。御社でもポイントカード120枚特典「放置プレイ」を採用してみては?

発想の転換は大きなチャンス (2009/11/20)
日産が不景気でどうにも立ち行かなくなり、99年にブラジル人の実業家「カルロス・ゴーン」を最高執行責任者に招きいれて窮地を乗り切ったのは記憶に新しいが、何をしたかというとやはりメーンは工場の閉鎖(つまり大幅なリストラ)である。これは確かに体力を温存する意味では賢い選択ではあるが、それで日産の車が売れるようになったわけではない。
メイド喫茶で相次いでいるのが「営業時間短縮(つまり人材コストカット)」である。業界縮小の一途を辿っているこの状況を誰もが静観するしかない状況である以上、堅実な選択ではあろう。もちろん、悪いことではない。それでバランスが取れるなら、だ。しかし客が増えたわけではないので「これで何もかも上手く行った」と考えるのは早計であろう。
宣伝にも金、人材募集の告知にも金・・まるで息をするにも金のかかるような世知辛い世の中ではあるが、潤沢な資金をかけた映画が必ずしも面白いかと言われたらそれは違うように、金をかけずに売り上げを上げる方法なんていくらでもあるはずだ。
今の業界の流れは「メイド+α」である。純粋な「メイド喫茶」はことごとく倒れ、目新しさを追求するのがトレンドとなりつつある。戦国、レトロ、ハーレム、幽霊、RPG、異世界・・これらはカテゴライズでは確かにメイド喫茶だが、いずれも「どんなのだろう?」と期待させるものがある。2010年にもなって「メイド喫茶」をオープンするのは自殺行為で、今更ただのメイド喫茶ではマスコミも取り上げないだろうし、今後は益々この「イロモノメイド喫茶」のブームが到来することとなることは想像に難しくない。
これらは全て「アイディア」の産物であり、闇雲に金をかけたのとは違う(衣装を新調したり内装を変える必要はある程度必要かもしれないが、それだってアイディア次第では最低限に抑えられるだろう)。たとえ中身が今までのメイド喫茶とほとんど変わりなくとも、「面白そうだから一回行ってみよう」という大衆の原動力には十分だ。だがまだ「決定打」が出てこない。これからどんな店が残っていくのか、まだまだ余地はあるはずだ。

それは大きなミステイク (2009/11/19)
商売には必ず「お客様」が介在してくるから、そこで重要なのは心理学である。
例えば通信販売で靴を買うと仮定して欲しい。貴方は靴の専門誌を手に取った。ページをぱらぱら捲ると靴の通販専門店の広告がいくつも目に入る。
さて欲しい靴が見つかった。どうやら人気のモデルのようで、調べたところ雑誌に広告を入れている靴屋のうち5軒が取り扱っているらしい。そこでもし値段も、送料も、サービスも、どれもほとんど一緒ならその時貴方はどうやって店を決めるだろうか?
「全部一緒ならどこでもいいじゃないか」
そう思うかもしれないが、そんなことは絶対にない。潜在的に、私たち大衆はこういう状況でも「一番安心できそうな店」を選りすぐるのである。どう決まるかというと、一番のキーを握るのはまず広告のデキだ。
カラー見開き2P、カラー1P、モノクロ見開き2P、モノクロ1P、モノクロ半ページ。この5軒から選べと言われたら、どうしてもカラー見開き2Pの店が安心できそうだと直感で決め付けてしまう。何故なら、カラー=お金をかけている=お店には余っているお金がそれなりにある=例えこの靴が不良品でもすんなり交換なり返品なりに対応してくれるのではないか、と、ここまでを「外見のみ」で感じ取ったからだ。もしもここに無名の新規店が参入するなら、内容はさておきどうしても「カラー4P」の綺麗な広告でアピールするしか残された道はない。
私は商売に対し、内容に凝っても外見で損をしては意味がないと考える。商売こそ「顔の良さ」が最も問われるものだ。しかしメイド喫茶業界を見ていると、素人が30分で作ったようなケータイサイトしかないものやこれまた個人と見間違うような簡単なブログしかないもの、ひどい店になると地図がないものや公式サイトそのものがないものまである。地元の人以外はお店のために初めてその街へ降り立つことも珍しく無いが、土地勘の無い人にこれほど辛い仕様はない。
これらがどれだけ不親切で怪しくて、大衆の「行く気」を削ぐか。靴の通販の話に一理あると思うならば、理解できるだろう。宣伝ばかりに金を使い中身がクズな店は論外だが、その逆もまたダメ。どちらが客の為になるかと言われれば後者だが、「売り上げ」の絶対的存在を考慮すれば当然前者がビジネス上勝ってしまう。
「ウチは店は完璧なハズなのにどうして客が来ない」と嘆く前に、一度冷静になって自分の顔を鏡で見てみてはいかがだろうか。

スシローなのか築地なのか (2009/11/18)
100円の回転寿司を食べに行く時、高品質を求める人はそうそういない。ただただ低価格を追求するのみだ。もし100円の店と90円の店が横並びであれば、誰だって安い方を選ぶ。
それとは真逆に、いわゆる「回らない寿司」を食べるとすれば、それはそれなりの出費を覚悟するものだから、ネタや味にこだわりたい。汗水垂らした給料を叩くのだから、どこだっていいとは思わないだろう。
要は、「腹を膨らますのか、贅沢するのか」がハッキリしているということである。いや、「ハッキリさせてくれている」のだろう。過当競争が繰り広げられ、もうぺんぺん草一本残らないような哲学的に行くところまで行きつくした業界ならではのことだ。
経済白書を見れば明らかだが、大衆というのは中途半端な価格設定・品質を好まない。「安かろう悪かろうなのか、思いっきり高級品なのか」、白黒ハッキリしているものに客がつき、中間がない。300円の寿司を食べるくらいなら100円寿司でいいし、それかお金をためてもっといいものを食べたいと思う。それはギャンブル理論と一緒で、低オッズの銀行レース狙いなのか、それとも一発逆転の万馬券狙いなのか。それ以外の中途半端な倍率を買い続けることは結果として最も期待値(得をする可能性)が低いと数学上でも出ている。
私が「高価格ではあるものの、それに見合った高水準だ」と思えたメイド喫茶は、全国に1件しかない。無駄に宣伝する気はさらさらないので名前は伏せるが、「その他大勢」が多すぎてお話にならない。
逆に、「低価格で納得がいく」と思えた店も数えるほどである。全国で10軒もない。中途半端が多すぎて、「価格設定をした時、特に何も考えてなかったんだろうなぁ」としか思えない。
1000円には1000円分の、2000円には2000円分の、価値を買いたい。払った分の心が満たされなければ、お客はもう戻っては来ない。そろそろ競争も終焉を迎え、「やること全部やり尽くした」感さえあるメイド喫茶業界。「この店は何を求めて(客が)来る店なのか」。もうこれ以上中途半端はいらないだろう。

パンドラボックス (2009/11/17)
音楽CD業界最大のタブーに、「自己買い」というものがある。これは読んで字の如く、アーティストが自分で自分のCDを買うというものだ。
なぜそんな必要があるのかというと、これは「CD売り上げランキング」のせいである。雑誌でもテレビでも何でもいい、CDの売り上げランキングが発表され私たちお客はそれを見て人気を判断するものである。売れた数=人気と直結するわけではないが、それでもそれしか判断基準がないのだから、やはりどうしても売れた数=人気なのだ。不人気なアーティストがこの事実を捏造するためには、「自分(もしくは会社)で何千枚何万枚と買い上げて、さも売れたかのようにカムフラージュする」しか残された道はない。
私は全国のメイド喫茶の中で、「一番の人気店はどこか」は誰しもが気になることだと自負している。初心者ならやはり支持されている安心感のある店へ行きたいだろうし、常連の中には「そんなことはどうでもいいじゃないか、自分の好きな店に通うだけだ」とおっしゃる方も多々おられるとは思うが、自分の通うお気に入りのお店の社会的な人気が全く無ければどんなに好きでも潰れてしまうのだから、最低限の知識としては抑えておきたいはずだ。
今までは「とりあえず」その基準がなかった。だが今は違う。私は「メイド喫茶ジャーナルのアクセス解析」というパンドラボックスを手にしてしまったのだ。
私も馬鹿ではないので名前は伏せるが、実は今までも全国のメイド喫茶の人気ランキングを発表したサイトがいくつかある。ところがどれにも「計測の仕方」が書いておらず、それらは全てどうも金の匂いがするということが、メイド喫茶ジャーナルのおかげでようやく確信できた。
何故かと言うと、メイド喫茶ジャーナルのアクセス解析を逆に低い順に並べれば「不人気店ワーストランキング」が出来上がるはずだ。そこに名前が挙がって来る残念なお店が、他所の人気店ランキングでは上位に掲載されているのである。こんな奇妙な符号があるだろうか。
ここを読む皆様には、どのように解釈していただいても構わない。ただ、この日本という国で並みの教育を受け、散々マスコミの自作自演に踊らされながらも至極平均的に生きてきたつもりの私だって、これがどういうことを指しているのか、ハッキリと分かる。

マジコンのせい (2009/11/16)
ゲームが売れなくなって久しいが、業界はやれ中古のせいだやれマジコンのせいだと、他人に責任を転嫁し続けている。確かに、中古が出回れば新品は売れなくなるだろうし、マジコンは法律的に見ても以ての外だ。とはいえ、「自分の責任」に気付かない以上、今後ゲームが劇的に売れることはまずないだろう。
売れないゲームが山のようにある一方で、ドラクエ9は400万本も売れている。あれはシステムにからくりがあって1人で何本も買うようなゲームなので、純粋に売り上げ本数=プレーヤー数とは言えないが、それでも売れているのは確かだ。
メイド喫茶も同様で、人気のない店もあれば人気のある店もある。人気のない店は、不況のせいやブームが終わったせいではない。純粋に店がつまらないからだ。
ゲームもメイド喫茶も、不人気なものは「つまらないからでしょ」。これは大人のタブーである。しかし綺麗ごとを並べても、誰かが血を流さない限り状況は変わらない。現実問題として、面白いものは売れているし人気が出ているのだから。
経営者が現状を正確に理解するためには、競合の人気店と不人気店へ自腹で何度か通って具に観察する必要がある。「なるほどこんな店に客が来るわけないわ」と、ダメな店にダメな所を発見できたら、それを自分の店から排除する。そうして客の求めるものをキッチリと把握していかなければ、永遠に解決しない。
人生とは、自分のやりたいことを見つける旅だ。人によっては一生見つからない人もいる。見つかった人は幸運だ、とも言われる。
ではやりたくないことは?やりたくないことをハッキリとさせて、それをやらないというのも、幸せな生き方のひとつではないだろうか。上司にヘコヘコするのがイヤで、脱サラする。こんな生き方が出来たら大したものである。たとえそれがどのような帰結であっても、だ。それは何故か?「とても難しいから」ではないだろうか。
ドラクエ9はシステム的にも売り方的にも「大冒険」していると思う。ドラクエほどのブランドですら大冒険を時代に要求されているのだから、メイド喫茶業界がいつまでも「メイド」と言う名前の顧客吸引力に依存して惰眠を貪っている暇は無いはずだ。

宝くじで3億当たったら (2009/11/15)
消費者の決断というのは、常に「値段」で決まる。それには大きな理由がある。
もし貴方がスーパーに行ったらと考えて欲しい。今日はポテトサラダが食べたい。そこで惣菜のコーナーを見に来た。ポテトサラダは200円、ところが横でタイムセールをやっていて、ごぼうサラダが普段の半額の100円で売られているのだ。
「それでも、ポテトサラダが食べたくて買い物に来たんだから、200円のポテトサラダを買うよ」
という人もいるだろう。それはそれで、間違ってはいない。
では、貴方以外はどうだろうか?ということを、考えてみて欲しい。どう贔屓目に見ても、ごぼうサラダが先に売り切れるに決まってるじゃないか。それはごぼうサラダの人気じゃない。お金が無限じゃないからだ。
100円と200円は明らかに違う。100円の差が大したこと無いと考える人もいるかもしれないが、それは大した差じゃないと「考えた」だけであって、現実問題として財布から消えるお金の量は絶対に違う。思うか思わないかの差でお腹はいっぱいにはならないのだ。
こういう質問で「それでもポテサラ」という人に、「じゃあ宝くじで3億当たったら?」と聞くと、絶対「貯金するね。仕事は辞めない」と言うと相場は決まってる。世の中絶対はなかなかないが、これは絶対だ。自分が何者かであるオーラを出しているつもりらしい。
だが大丈夫。こういう人に限って私の見ていないところではごぼうサラダを買うし、3億を1年経たずに使い果たすから安心していい。
私たちの財布には「限界」がある。だから、必ず内容よりも先に値段に目が行く。
金儲けありきのメイド喫茶は、メニューを見た時点でピンと来る。「メイド喫茶って、儲かるらしいね」という理由だけで始めた店は、儲かれば何でもやるという空気に満ちていて、使おうと思えば1回の来店で1万円でも2万円でも使えるような価格設定が多い。
これに比べて、経営者の好きが高じて始めた店は、何より自分が客だったから客の心が分かる。どんな値段なら気軽に注文できるか、出てきた商品がこれで満足だろうか。そこが分かっている。だから、どんなに注文しても5000円も使えない価格設定だ。
さっきの質問で、「それでもポテサラ」と答えた人は、さあどっちに行きたいか?

レポサイトの功罪 (2009/11/14)
メイド喫茶を扱ったサイトの代表的なものに、「レポートサイト(以下、レポサイト)」がある。これは表向き「日本全国のメイド喫茶を趣味で巡って、取材をさせてもらった」という体であるが、これはあくまでも表向きであり、実態は「金品(やサービス)を貰ってちょうちん記事(つまりヤラセ記事)を書くサイト」に過ぎない。
何故私がそう断言できるかというと、1つの根拠がある。それは、メイドさんの写真が掲載されていることだ。
私たち一般客がメイド喫茶へ行けば、撮影無料という店(確認したところでは日本中で1軒のみ)以外で勝手にメイドさんを撮影するのは基本的に禁止である。店によっては店内や店外の写真も撮影禁止だ。どうしてもメイドさんを撮影したければ、オプションの「チェキ」の代金を支払うとか、そういう方法しか残されていない。
では、レポサイトがサイトに掲載する写真を撮るのに、金を支払うのか?という話である。もし払うなら、なぜそうまでして面倒なレポサイトを運営するのか?という、レポサイトそのものの存在すら根幹から否定する話にもなりかねない。
そこで、私が「私もレポサイトと同じように自分のサイトに掲載するんで、写真をタダで撮らせて下さい。」と言っても、それは通らない。それが通るならチェキ代を払う客がいなくなってしまうからだ。
私がダメで、彼らはいい。これは恣意的な判断である。どこの誰だか分からない女のサイトじゃ意味がないが、それなりに業界で名の知れたサイトで良く書いてもらえるなら、こっちからお願いしたい。そういうことの表れである。本来有料のものをタダにしてもらう、こんなしがらみが出来てしまうから、彼らのレポートはすべてちょうちん記事になってしまうのだ。
全部がいいなんて、取材しなくても書けることだ。果たしてこんな人たちの評価がアテになるだろうか?
「おすぎ」が特定の映画をテレビで褒めれば、それはおすぎの本心なのか、それとも映画配給会社の回し者なのか。それが表面から読み取りにくいから、皆下らない記事ひとつで右往左往させられるのである。
彼ら管理人も、最初は純粋なレポをしたかったのかもしれない。ただ、純粋なレポをするとなると悪いことを書くことも避けては通れない。すると撮影許可が下りない。写真の無いレポは真実味が薄れるため、サイトそのものの信憑性にも関わる。それに今後全国を新規出店があるたびに回るともなれば、莫大な金がいる。そんなふうに積み重ねていった結果、店もサイトも得を出来るようにずる賢くまとまったのだと思う。
私はこの轍を踏まないためにも、せめてこのサイトだけは真実を伝えていける最後の場所であってほしいと願っている。もし私のこのサイトがあまりにもおかしい評価をつけたら、それはちょうちん記事だと思って、このサイトも終わったな・・・と決め付けて頂きたい。
店と客の適切な距離感というものを、大事にしたい。決して、店とレポサイト、レポサイトと客、という関係にはなってほしくないのだ。店と客。その信頼こそが、このファン人口が減りつつある時代に再確認しなければいけないことなのではないか。

サイレントマジョリティ (2009/11/13)
所謂「メイド喫茶通い」の人たちの間で長らく話題に上っていることといえば、「いつまでブームが続くか」という話に尽きる。 「いつまで続くかねぇ」「いやもう世間的には終わってるよ」「でも全部潰れちゃうことはないんじゃないの?」なんて話がそこかしこにある。
いまや不況のあおりを受けどこもかしこも閉店ラッシュという様相さえ漂ってはいるが、秋葉原を見てみると閉店する数と同じくらいの新規出店もあるのだ。
当サイトのデータだけ見ても58軒ものコスプレ系店舗が乱立し、依然混戦模様となっている。15日に3軒ほど新規開拓予定なので都合60軒オーバー。ブーム全盛期と言われている2006年で85軒程度だったことを考えると、まだブームが終わったとは言い難い。
それでも終わったと思われるのには、こんな理由がある。
世の中というのは常に「その他大勢」が大多数を占める。2006年に「テレビでメイド喫茶っていうのを見たんだけど、面白そうだねー1回行ってみようか!」と発起してくれた一般のお客様のほとんどがもう二度と来ない理由は簡単で、「金額と店が釣り合わない」と感じたからに他ならない。このサイレントマジョリティをきちんと把握出来ていない業界人が多すぎる。
ブーム絶頂のころと比較すれば客数が減ったのは火を見るより明らかなのに、業界の流れはやれ値上げだやれ席料だである。これは全体的なファン人口を減らしてリスクの少ない金利商品に群がっている、とも言えなくない。残った客層はヘビーユーザーかつ高い客単価層となるわけだが、このまま高客単価至上主義が続けばいずれは彼らをも失うことになりかねない。
私はもっと淘汰されていいと思う。いくらなんでも最近は、金額設定が乱暴な店が多すぎる。もちろん商売だから儲けちゃいけないとは思わないが、座っただけで2000円、しょぼいランチが1000円。お昼ご飯食べてジュース飲んで3000円も取る店が正常とは思えない。ものには適正価格というものがある。
私たちマニアが、本当にメイド喫茶が好きで、今後もあり続けて欲しいと思うのなら、まずその乱暴な店に行かないことである。行かないことで、「彼ら」の目を覚ませてやって欲しい。

コレクター道、ここに極まる? (2009/11/12)
読み辛い経済ブログみたいになってギスギスしてきた感があるので(苦笑)、今日は手放しで笑える話をば。
私は自他共に認める「メイド喫茶マニア」である。メイド喫茶に行くことのマニアでもあり、ポイントカードやチェキのコレクターでもある。
さて、どれくらいの数を集めたら人に自慢しても大丈夫なレベルなのだろうか?という下らない議論を、私が今まで見てきた想像を絶するハイレベルなコレクター達を例に、話して行こうと思う。
まずポイントカード。1店舗で見たことのあるのは、最高で「271枚目」で残念ながら店が閉店。1枚満タンにするのに3万円かかるお店だったので、単純計算でも実に813万円(!)のキャッシュが一人から搾り取られた計算である。もっとも、端数は切り捨てなので交通費などを含めるとざっと1000万円と計算してもおかしくはない。オタクの懐をナメちゃいけないですね。
それからチェキ。大抵のご主人様お嬢様は50〜100枚くらいの所有数になるとメイド喫茶に出かける時は必ずファイルごと持ち歩いて、同じチェキコレクターを発見するや否や見せびらかして自慢するという行為に出るものとされているが(笑)、以前850枚ほど毎日持ち歩いているご主人様を九州で見たときはさすがに驚いた。自慢がどうとか、痛いとかじゃなく、純粋に重いよ。
私は現在1600枚ほど所有しているが、それでも店舗数的には150店舗以上分となる為、1店舗にすると平均10枚ほど(最高でも1軒100枚強、最低1枚、とバラつきがあるため)にしかならない。
ところがどっこい(死語)、よく知る某店の常連客はある1店分だけで4800枚持っている。彼の「買い方」がこれまた尋常ではない。毎週土曜日しか店に来ないのだが、入ってきてすぐに「メロンソーダと、チェキ50枚。」である。メイドさんもポーズが尽きてしまい、最終的には「宿題」となり、チェキを持ち帰る。で、私服で撮ったり、外で撮ったり、最後の最後には飼い犬を撮ったり私物を撮ったり、出勤初日で飛んだ(バイトをバックれた)幻(悪い意味で)のメイドさんのチェキが30枚ほどあって、店長が「そんな子いたっけ?」と驚いていたりして。
さすがにメイドさんが映っていないのは、「メイド喫茶のチェキ」と言えるのかよく分からないが、彼曰く「メイド服で撮られてももう飽きちゃいましてねぇ。私物って、普通は見れないからレアでしょ?」だそうだ。でしょ?と力強く言われて、返す言葉は「はぁ」しか出ない押しの強さ。これも2008年末の時点(閉店前)での話。現在の彼がどの店に移ったかは不明。まさかすんなりこの道を卒業するとは思えないので。
というわけで、日本一を目指すなら一店舗でポイントカード300枚(300周)、チェキ5000枚くらいからはじめて土俵に上がれるということで、私はその資格を持っていない。

ビックリマンシール論 (2009/11/11)
メイド喫茶の魅力といったら、何と言ってもメイドさん(店員さん)に尽きる。これは、一世を風靡したビックリマン「シール」と「チョコレート」の関係に似ていると私は考える。
ビックリマンは、99%の人がシールを目当てに買ったはずだ。チョコレート(ウエハース)は私は好きだったが、チョコレート目当てに買うなら、他のチョコレート菓子のほうが種類も豊富である。つまりシール欲しさに欲しくも無いチョコレートを買わされる、というビジネスである。
だけど私は、あのチョコレートは結構おいしかったと記憶している。食べずに捨てる子供たちがニュースになったが、あのチョコレートが超ニッチな感じだったら、あんなに売れたとは思えない。それには根拠がある。
メイド喫茶に来るお客様のほとんど(ほぼ全部)は、メイドさん目当てで来るのである。「ランチがおいしい」「紅茶がおいしい」などともっともらしい理由をつけても、大半は世間体のためである。ゆえにメイドさんの魅力=店の魅力となっているのが現状であり、店が「自分の店は、価値がある」と確信する要素はただひとつ、「メイドのファン(固定客)が多い」ということだけになっている。何が言いたいかと言うと、「店そのものに魅力が無い」のである。これはとても怖いことだ。
いささか乱暴な表現を承知ですれば、「メイド喫茶という看板をつけて、椅子と机を並べて、ありきたりな冷凍フードメニューをひっぱってくればハイ完成。あとは可愛い女の子がいればいいんでしょ?」というメッセージにもとれる。こういう店を作ってしまう経営者は、きっとオープン前に勉強しようと遊んでみたメイド喫茶が、こういう店だったのだろうと思う。しかし今、自分で自分の店を本気で面白いと思っているのだろうか?
これをビックリマンに置き換えると、「ビックリマンが売れたから、ウチも類似品やります。チョコレートの大きさはコストダウンでビックリマンの半分。だけど値段は1.5倍。その代わり、シールがとっても綺麗なんですよ」とでもなろうか。ほら、言葉にするとすごくおかしい。
ビックリマンは、この「バランス」に秀でていたのではないだろうか?チョコと、シールと、値段。この3つの要素が納得の高次元だったのだ。客もバカじゃない。メイド喫茶だってこのバランスのいい店だけが、数々の戦争を生き残ってきたはずだ。
もう「メイド喫茶」というビジネスが出来上がってから何年も経っていて、業界は成熟に成熟を重ね、マニア客を取り合うゼロサムゲームでしかない。ではマニアになればなるほど、目が肥えれば肥えるほど、どういう店に通いたがるのか?賢い方ならもうお分かりだろう。

ボッタクリメイド喫茶とは何ぞや (2009/11/10)
大人の「遊び」とは、どれくらいの値段が適正なのか。これはとても難しい問題である。
私が思うに、最も時間効率のいい遊びは「テレビゲーム」だと思っている。ハードはさておき、ソフトはどれも5000円程度。モノによっては一生遊べるゲームもあるし、少なくとも1週間以上はプレイできる・・と思う(クソゲーでも私は金額分は遊んでやろうと思うので)。
次に、映画。映画なら、1800円で2時間は潰せる。レディースデーや映画の日などのサービスと併用すれば1000円程度で観れるし、中身にかかっているお金を考えると、だいぶ安い買い物だと思う。
逆に高いのは、パチンコ・パチスロ。映画1本分の「2時間」きっかり遊んだら、下手したら3万じゃきかない。また、ゲームセンターも結構出費が嵩む。まさか100円玉1枚握り締めて行く人はいないだろう。
その中で、「メイド喫茶遊び」というのはどれくらいかかるものなのか?それがこの業界には一切信頼できるソースがない。だからこそ「これは高いのか、安いのか」と混乱を招くのである。
北は北海道から南は九州まで、日本中をそれなりに巡った私の感想としては、「ドリンク一杯飲んで雰囲気をひとしきり味わったら帰る」というなら1000円、「せっかく行くんだからそれなりには楽しもう」と思うなら3000円、「もうめいっぱい、心行くまで楽しもう」と思うなら5000円以上は用意しておいたほうがいいと思う(いずれも純粋な喫茶営業)。
この基準はあくまでも用意しておくといい金額であって、それが高いか安いかは個人の価値観によるものだから、5000円かかる店がボッタクリかどうかは人それぞれである。そしてめいっぱい楽しみたいなら、それは「ドリームクラブ」や「ラブプラス」の方が遥かに安くつく、ということでもある(笑)。それでも私がメイド喫茶に足繁く通う理由は、「人」というものが面白いからだ。これは決して、ゲームでは味わえない。ほら、ゲームも一番面白いのは対戦ゲームでしょ?

傷付け合うのはそろそろやめよう (2009/11/09)
最近のメイド喫茶の悪しき慣習として、「席料(チャージ料)」というものがある。これは、座っただけでお金を取られるシステムだから、お客は当然「それだけのことがあるのだろう」と期待する。要するに、店のハードルを上げてしまうわけだ。私は、これほど無駄なシステムはないと考えている。
経営側から言えば、客単価を上げたい一心であるのだろうけれど、たかが500円程度の客単価アップを目指すのなら、どうせなら気持ちよくドリンクを一杯追加注文させればいい。そんなことは分かっているのだけれど、方法が分からないというのであれば、一度自店というものを客目線で見直すべきじゃないかと考える。
まず、すべての経営者がするべきことは「ニーズの高い店作り」にあると思う。加えて、「金を落とす価値を創造していく」必要もある。この2つが圧倒的に足りない新規出店を多々見掛けるが、どれも見切り発車すぎるというのが私の持論である。
まず、お金を使いたくなる要因として、「いくら使えば偉いのか」を明確に打ち出すために、「ポイントカード特典」があげられる。1000円1ポイント、20ポイントで満了。満了時には、メイドさんと集合チェキ。これだけではよくある設定だが、そこにワンポイント付け加えるだけで、立派な経営戦略となる。
例えば「ランチメニュー」の金額を、1000円ではなく980円に設定する。こうするだけで、ランチだけで帰る客は0ポイントとなるので、もうひとつ、何か注文したくなる。同様に、500円のドリンク1杯でも0ポイントである。0ポイント=来店した意味が無い、という概念を定着させていくのは、店の空気作りでもある。
売り物は、フードやドリンクでなくても良い。例えば、ラミネートカードを作り、価格設定を300円にする。これなら、2700円の会計をする客がカードを買う可能性も出てくる。300円なら程度なら手が出やすいし、原価率で言えば1割にも満たない上、賞味期限もないから保管も効く。
他にも、注文した商品を席にメイドが運ぶ際だけ、軽くおしゃべりする、というマニュアルを徹底するというのも追加注文を誘発する上では非常に大事な要素となる。客はメイドさんと話したくて来るのがほとんどなので、注文する=少しの間メイドさんを独占できるという「お約束」は重要なファクターである。となると、すべきことは「話題マニュアル」を作ることだ。一見の客には「メイド喫茶は初めてですか?」、常連の客はメイドにノートでもつけさせて趣向を覚えさせるといい。黒を出している店は、そういう点で違うのである。
席料を取ると、客には「高い店」という記憶だけ残り、店側は一瞬客単価が上がった錯覚を見るが、実際は上がったのではなく平均レベルに追いついただけで、最終的にはリピーターがつかない。要するに、双方ともに損をするシステムなのだが、分かっていて、それでもどうにもならなかったのか、最初から努力するのを放棄しているのか、自店もお客も傷付けるだけの店が多いのは非常にもったいないことだ。



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