新年のご挨拶と「小沢問題」を語る
午後5時半より下記で生中継を行います。5時半〜6時
http://www.stickam.jp/profile/setohiroyuki
※ 現在、暫く利用していなかったために調整中です。時間までには間に合うとは思いますが、駄目な場合はユーチューブにUPさせて頂きます。尚、上手くいかない場合も想定し、小沢氏の韓国における発言については文章で書いておきました。
←ブログランキング応援クリックお願いします!
「騎馬民族国家」論を排す
小沢一郎民主党幹事長が「たぶんこれが歴史的事実であろうと思っております」などと、韓国の大学で述べた「騎馬民族国家」論を厳しく批判する。
この小沢氏が韓国の大学において、日本では決して見せないほどの笑顔で語ったトンデモ学説について、今日はこれを厳しく糾弾しなければと思っています。
この学説を唱えたのは東京大学の名誉教授・江上波夫氏で、「騎馬民族国家ー日本古代史へのアプローチ」と題した研究書を世に出していますが、昭和28年に日本の天皇家は騎馬民族の末裔であり、騎馬民族によって日本は征服されて出来た国家であると発表しました。
私もこのような説があることは知っていましたが、余りにも馬鹿げたことなので、読んで見る気にもなれなかったのですが、小沢氏がそれだけ高く評価して信じているものであればと思い、今回目を通すことになりました。
このような古代史に関する学術論文的なものは、非常に難解である程度の知識を持つ人ならば、すぐにも理解出来るでしょうが、普通の人にはそう簡単には理解できない部分もあります。
「まえがき」の中で著者(江上波夫)は次のように書いている。
私はユーラシアに於ける農耕民族の歴史的諸類型と騎馬民族の歴史的諸類型を集成し、ユーラシアの農耕民族と騎馬民族の歴史の仮設的全体像の作成を試みてきたのである。
そうして、この両種の仮設的全体像と古代日本の歴史を比較検討した結果、農耕民族の歴史的類型は弥生時代から古墳時代前期の日本には極めてよく即応するが、古墳時代後期(応神朝以後の大化前代)には、本質的に本質的には合致しない。
一方後者は騎馬民族の歴史的類型ー征服王朝のそれにすこぶるよく照応することを知ったのである。
すなわちその比較研究による結果は、古代日本の歴史は騎馬民族型、とくに征服王朝型を示したのである。私が「騎馬民族日本征服論」を提唱した。「古代史の具体的諸現象と、騎馬民族のそれと対比して、そこに無数に類似点や、共通の現象の見出されることを明らかにし、これはどうしても古代日本の歴史の主役そのものが、騎馬民族、とくに征服王朝のそれであったとしなければ理解のしようがないのではないかということを示したのである。
また、次のような文章も見られます。
弥生式いらい農耕民の天地であった日本に、もし大陸から朝鮮半島を経て、日本の征服に乗り出した、いわゆる天神族なる騎馬民族の到来と建国がなかったならば上述したような現象の少なくとも大部分はおこりえなかったと解されるからである。(同書322項)
これ以上の長い引用は意味がないと思うので、私の感想などを述べることにします。先ずこの江上教授自身が述べているように、これは仮設に過ぎない。
歴史的事実を検証したものではなく、頭の中で一つの推測を立てて、それを都合良く補強していっただけのモノです。それは確かに共通した類型の比較検討をしているが、それ以上存在する相違点に関する検証は何一つなし得ていない。
AとBにはこれだけの共通点が見られるから、これは過去を辿れば同根ではないか。そのように説明してあるが、AとBにはこれだけの相違点があるので、これはそのようには考えられないーという説明がなされてはいない。
ただこの江上教授の労苦を私は全て否定する気はありません。騎馬民族が日本を征服したか?という文言を見ると、すぐに武力で制圧したかのような印象をうけますが、そのようなことを主張する著ではありません。
しかし、今日この征服という文言から我々が感じる意味合いは、文字通り武力を伴った征服でしょう。左翼が反天皇を叫ぶのは、天皇によって国民が支配されているなどと考えるからです。
だから天皇制打倒!などと言って今度は自分たちの支配権力を打ち立てようなどと企てています。
「江上先生の説では、朝鮮半島南部、今の韓国にあたりますが、この地域の権力者が海を渡って九州にたどり着き…今の奈良県に入って奈良盆地で政権を樹立した。それが日本の神話で語られております。神武天皇の東征という、初代の天皇がそうであります」(小沢一郎)
この小沢氏の言葉にはそのようなニュアンスが隠されているように思えてなりません。又、騎馬民族が朝鮮民族とイコールでないことは確実です。
そもそもこの著の中には騎馬民族の定義が見当たりません。あるのは、この紹介した「まえがき」部分の農耕型民族と騎馬民族の対比に過ぎません。
農耕民族以外は全て騎馬民族というのは、余りにも乱暴すぎます。この騎馬民族とは狩猟民族なのか、或いは放牧騎馬民族なのかも定かではない。その半分半分の特徴を持った民族もあったかもしれません。
まとめることにしましょう。
征服などという言葉は日本の歴史には似合わないし、そのような征服という過程がなかったことが、日本の国家体制と他国との大きな違いです。
日本民族が古代において朝鮮民族に征服されたなどというのは、これはいかがわしい限りの怪しい学説に過ぎない。影響を受けたという事くらいまでは同意しても、それを上手に同化して自らの文化としたのが、我々の誇りある日本人の祖先達であった。
影響が強かったので、それを受けたから、それを征服だなどとにわかに即断すべきではなく、それ故にこのような説は受け入れられなかったのです。
それを固く信じる小沢一郎という人物が、今の日本国の最高権力者として振るまい、そこに民主党の多くの政治家が馳せ参じる。こんな日本はもう民主主義による議会選挙などでは再生出来ない。
平成維新による日本の出直しこそが、唯一の手段となることを自覚する人が今急速に増えつつあるのではないでしょうか。
←ブログランキング応援クリックお願いします!