2009年06月04日 23時41分
アキバガード下と東急ハンズの間にある越えられない壁
秋葉原駅高架下にある秋葉原ラジオセンターは、僕が東京に出てきた27年前から今も、同じようなたたずまいで存在している。僕にとってはまさにあそこが秋葉原を体現しているようなもので、よく電機部品や線材、工具などを買いに行ったものである。道具箱に入っている工具のほとんどは、あの界隈で買ったものだ。今でも用がないのに、駅から中央通りに出るときに、あの小さな路地のような界隈を抜けて出ることがある。
変わらないことがいいこと、というのは、我々の勝手な妄想だろう。現状のままでは、あの界隈はあと10年保たないと思う。それは建物の老朽化という意味ではなく、存在意義という意味で、である。
例えば今、小さな電気部品をバラで買う必要のあるような人が、世の中にどれだけいるのか。昔あのような部品屋台が繁盛したのは、電気工作が盛んな時代であったり、ちょっとした機械ならば自分で作ってしまうような器用な人たちが居たからである。それはホビーとしても、仕事としても、日本の電気工業というのは、そういう形だった。
しかし今はどうだろう。ほとんどの測定、設計、シミュレーションはコンピュータ内でやるものである。簡単な機械の試作などは、中国の仕事だ。パーツ買ってきて自分で組んだ方が安い、というのは、電気機械もパソコンも、もはや過去のものである。
では今、あのパーツ街の意義は何かと言えば、すでにメーカーでもとっくに保守部品切れの機材の修理とか、あるいは改造とか、これまでにないものを作ってみるとか、そういう道なき道を歩む人たちのために存在している、というのが真実ではないかと思う。
そのことを、売り手のオジサン、今はもうオジイサンになってしまっているが、その人たちは気づいているのだろうか。いやどうやら、昔ながらの商売のままなのだろうし、だからこそあそこの場所に居続けるのであろう。
先日、カメラの露出計に使えそうな電圧メーターを物色にいったのだが、メーター専門店のオジイサンは、電圧とか仕様とか、そういうものがわからないんじゃ売れないという。こちらとしてはどうせ分解して中身だけ使うので、そこそこ低電圧で振れて、コイル部分の寸法さえ合えばなんだって構わなかったのだが。
メーターとしての外側の寸法はわかるが、その中身に関してはまったく関知していないようだ。つまりきちんと設計され定格が決まっていれば、それに見合う部品を出してくることは出来る、逆に言えば、部品はこんだけしかないんだから、これが合うように組めよ、ということなんである。
が、道なき道を歩む者に対しての知恵というかアドバイスというか、自分の知識を応用して客の問題を解決するというスキルを、彼らは持ち合わせていないのである。
まあそれは、これまでの需要の中ではそれで済んだのだろう。しかし今、そういう需要はないのであり、だからあの界隈は後継者もなくシャッターを下ろし始めるような状況になっているわけである。
無理を承知で僕がパーツ街に求めるのは、電機部品の東急ハンズ化である。ハンズは品揃えがいいというだけで存在しているわけではない。これまでにないようなもの、普通個人ではやらないようなこと、まず市販品では売ってないようなものを自分で作るにはどうしたらいいか、ということに関して、店員が高い専門知識を持ち、何が何でも問題を解決してみせる力量がすごい。実際わけもわからずハンズに行って、解決したことは多い。
商品としてみた場合、決して他店より安いわけではないのだが、困ったときになんとかしてくれる店員のスキルに金を払っているわけである。
秋葉原のオジサン、オジイサン、そして若いニイチャンも、潜在的にはスキルは高いはずだ。ただ、商売のスタンスが顧客ニーズと合致していない点は、否定できないだろう。
そういう客はアキバに来るな、と言われるかもしれないが、僕に言わせれば客に併せて変容するのがアキバのアキバたる所以である。僕はガード下を、このまま化石化したくないのだ。
しかしこんなことを、パーツ屋台のオジイサンに言っても、始まらないのだよなぁ。
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