「父を殺そう」。18歳の時だった。台所から包丁を持ち出すと、別居していた父の住むアパートに向かった。借金取り立ての電話が鳴り続ける暮らしに母は悲観し、何度も自殺を図っていた。無我夢中でドアノブを壊しているうちに住民が通報し、警察に補導された。もしあの時、ドアの鍵が開いていたなら本当に父を刺していたのかもしれないと思う。
田村友輝さん(33)は下野市の産業廃棄物処理業「国分寺産業」を経営する社長だ。今でこそ社員16人とアルバイト12人を雇い、年商約1億5000万円の会社に成長したが、18歳で祖父から家業を継いだ時は、社員2人の小さな会社だった。このほか父から引き継いだのは、競馬などのギャンブルで負けた数億円の借金だった。
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両親と姉、兄の5人家族だった。だが、家族だんらんの記憶はまったくない。寿司(すし)職人だった父は、家に帰らずギャンブルに明け暮れて借金を作り、酒に酔っては母や自分に暴力を振るった。他人の家庭のことは知らず、日常生活で父親に殴られるのは当たり前のことだと思っていた。
兄は上京して板前になり、田村さんは高校卒業後、会社を継いだ。残されていたのは多額の借金。会社経営のやり方も分からず、父への恨みや苦しみを紛らわすためにパチンコやけんかにのめり込んだ。まるで父親の背中を追うかのように。
「このままじゃだめだ。会社を変えたい」。そう思ったのは28歳の時だった。社員が結婚し家庭を持つようになった。29歳で自分も結婚。社員の家族や自分の家族の将来への責任を感じ始めた。当時は、経営者としての知識はなく、決算書すら書けなかった。できることから始めようと小学2年の国語ドリルから勉強を再開した。分からない漢字は辞書を引いて調べる。本を読んで気に入った言葉はノートに書き込んだ。経営学の本を中心に300冊以上を読みあさり、全国の経営者らを訪ねては話を聞き、社長業の参考にした。
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2年前の正月、妻の勧めもあり5年ぶりに父と再会した。殺したいほど憎んでいた父。間もなく1歳になる長男を抱かせると、おじいちゃんの顔に変化していくのが分かった。胸にあったわだかまりが消えていくのを感じた。「男としては許せないけど、自分の命も父から授かったんだ」。今では感謝の気持ちすら抱くようになった。
現在でも父の借金は返し続けている。会社では朝7時半からの朝礼で、あいさつと感謝の気持ち、仕事への誇りを社員と共有する。産業廃棄物処理業はしばしば3Kと揶揄(やゆ)され、世間の見る目も冷たい。「私たちの仕事は地域に根ざしているインフラ。どんな思いで働くかが問題だと思う」
苦しんだ分だけ今の自分があると感じる。働くことは、自分をこれまで支えてくれた家族や社員、社会への恩返し。「これからも変わっていきたい」。遠回りをしてきたが、失敗とは思っていない。=つづく
毎日新聞 2010年1月9日 地方版