ユーザーインターフェースのススメ[第6回:悲劇のコントローラ]
こんにちは、家永です。
正月ボケもようやく抜けそうだと思ったら、3連休に突入!
うーん、またまた、ゆるゆるです。(汗
さて、前回は、随分話がそれてしまいましたが、今回からまた心機一転
去年から引き続きとなるゲームコントローラーの進化について書きたいと思います。
今回は、高性能マシンでありながら、悲劇のコントローラーのお話です。
◆1990年代
ニンテンドウ64(任天堂:1996年)
前回紹介したスーパーファミコンの後継機ですが、当時主流になりつつあった
CD-ROMではなく、ROMカセットを採用していたいのが強く記憶に残っています。
※今は「ニンテンドー64」ではなく、「ニンテンドウ64」が正式なんですよ。
実はニンテンドウ64のコントローラーは、悲劇のコントローラーなのでした。
レフトポジション、ライトポジションといった持ち方ができるように足が3本
というすごい形状になっています。
十字ボタンのほか、「A」「B」ボタンに加え、補助操作用「C」ボタン群(4つ)と
側面の「L」ボタン(2つ)、そして背面の「Z」ボタンと中央の「START」ボタンを
あわせると計8つの操作ボタンを実装。
そして、もっとも特徴的なのが、センターの「3Dスティック」。
読み方は、「サンディースティック」が正解って知ってました?
さて、なぜ悲劇のコントローラーかといいますと、小さな子供には大きすぎて
扱いづらく、大人でも長時間プレイすると手が疲れてしまう。
これって、UIの使命としては、用途、目的から考えると致命的でしたね。
さらに「3Dスティック」にも悲劇が起こります。
それは、利用シーンに対する素材の耐久性から誤作動が発生するといった
自体を招いてしまいました。
悲しい・・・。
コントローラー背面にある拡張ユニット用端子についても、実際はあまり使うことなく、
ただ形状を複雑にしている要素のひとつであったことも残念でした。
しかし、なんと言っても極めつけは、ニンテンドウ64の強みでもあった複数人プレイの
ためにコントローラーを4つも買った我が家では、このドデカコントローラーの収納に
困ってしまうという始末。
ドリームキャスト(セガ:1998年)
こちらもまったく同じような感じですね。
大きくて、コントローラーの拡張端子も活用されないまま、セガ最後のゲーム機として
歴史的な幕を閉じます。
拡張ユニットには、ビジュアルメモリーといって、それが独立して遊べるといったものが
画期的だったことを記憶しています。
個人的には、もっと楽しめる機能だったように思えたのですが残念でした。
しかしながら、どちらも、個人的にはスーパーマシンとして高く評価しているゲーム機で
あることは間違いありません。
それだけに、あえて悲劇のコントローラーとして紹介しました。
ほな、さいなら。