2010.01.10

【NEW1/10ショートコラム】サバキ…芦原英幸の肘打ち

肘打ちは芦原英幸の専売特許の1つでした。私もムエタイとは異なる実戦的な肘打ちや極真ルールの中でも生きる肘打ちをいくつか教えてもらいました。しかし、中々マスター出来ません。
芦原英幸直伝の肘打ちは極めて独特な技術です。一見しただけでは何でもない、ただ振りかぶるような技に思えます。実際、現在の2代目芦原会館では「見せかけだけの組手では絶対に使えない」肘打ちを稽古(?)しています。残念な限りです。
あの芦原先生の肘打ちを実戦で生かすには極めて細かいコツが必要であり、修練を要する高度な技術なのです。二宮城光さんや中山猛夫さん、更には最も芦原空手を正しく継承している中元憲義さんらは組手や試合でも実に巧く使っていました。彼らが駆使した肘打ちはまさに芦原英幸譲りの技であり、実戦は勿論、極真ルールにおいてもかなり有効でした。


昔々(1980年代半ば)、ガールフレンドだった容子は極真会館芦原道場の黒帯でした。
夜、東京の歌舞伎町や六本木、渋谷など歓楽街を2人で歩いていると(私はいつも怒られていたので殆どの場合、不貞腐れながら彼女の約3ー5メートル後ろからついていくのが日常でした)、よく酒に酔った質の悪いサラリーマンやチンピラ2、3人のグループと出くわしました。彼らは何故か必ずのように、すれ違い様、彼女に声を掛けます。
すると容子は何食わぬ顔で彼らに近づき、一瞬で鋭い肘打ちを男の顎にお見舞いするのが癖でした。実に恐ろしい女性でした。身長154センチ、体重45キロの彼女の肘打ちに、大抵の男は踞ったものです。後始末は私の役目でしたが…。あれもまた芦原英幸の肘打ちでした。
私が思うに…肘打ちはむしろ顔面殴打可の組手の方が使い難いような気がします。当たる箇所(自分の肘)が途中まで見えないので間合いが計り難いからです。ストレートパンチのフェイントから肘打ちへの変化は殆ど実戦では成功しません。また、中間間合いから飛び込んで敵の顔面に肘打ちを放とうと思っても中々当たるものではありません。
しかし、芦原英幸は私が見ている前で何人ものゴロツキを肘打ち一発で伸ばしたものです。
肘打ちもサバキのひとつです。極真ルールであろうがルールなしの実戦であろうが、あの芦原英幸の肘打ちは私にとって「夢」のひとつです。


(了)




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2010.01.09

【NEW1/9】 親子ブログ「正義なき力は暴力なり」〜更新情報

10年1月9日掲載
「オヤジと某会の青水流サバキについて!」
※オヤジを口だけの法螺吹きとか陰口たたいてる負け犬さんたちに、青水流サバキ柔術について某会会員の言葉で紹介してみました。
TAISHI


10年1月7日掲載
「オヤジからの教訓」
※私のBlogコラム「極真空手は宗教ではない」について、倅からのAnswer編!! かつて「チャンピオン製造工場」と異名をとった城西支部に誇りを持つ倅らしいコラムだ。私としては少し気恥ずかしいのだが…。

http://blog.m.livedoor.jp/gokuakunin15mei/?guid=ON&sso=7cf7323d5df7107db6a3e9b9f9bc12ea9dbea2e6

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2010.01.05

【新版1/7】極真空手は宗教ではない! 芦原英幸の教え…

「最近の道場生は礼儀がなってない!」
「少年部に入門する子供は躾が悪く、何より保護者が礼儀知らずで困る…」
そんな嘆きの言葉を空手指導者(師範、師範代、指導員)が吐くのをよく聞くようになった。特に年末年始になると、「月謝を払ってるのに道場の大掃除なんか何故やらなくちゃならないの?」なんて顔を露骨にしたり、「今年も宜しくお願いします」ひとつ言えない…礼儀作法どころか謙虚さのない若者が増えたと言う。
だが、私はそんな言葉には簡単に頷けない。


少し芦原英幸の話をする。
芦原英幸というと、1980年に極真会館を永久除名(破門)になって以来、極真関係者の間からは真偽不明の悪口雑言が頻繁に発せれ(その源が大山倍達総裁であったのは明白だ)、いつしか「裏切者」のイメージが定着してしまった。あくまでも極真会館関係者の間での事ではあるが…。しかし今尚、芦原英幸という名を聞いただけで顔をしかめる人間は意外な程多い。
また芦原のもとから離れた正道会館(この離反劇も大山倍達=極真会館と無関係ではないが、ここでは触れない)関係者も、極真関係者とはまた別な角度から複雑な感情を芦原に抱いているのは否定出来ない。
以上の理由・背景から、いつしか芦原英幸という人間像が歪められ、誰よりも毀誉褒貶の激しい存在になってしまった。私にとっては極めて遺憾である。
更に、私がここで芦原英幸について書く事を潔しとしないのが芦原の嫡男及び、彼を「2代目館長」と仰ぐ現・芦原会館関係者だろう。彼らにとって、私はやはり裏切者であり、嘘八百を並べる偽者と映るに違いない。
結局、私が芦原英幸について書く事に何ひとつ得はないようだ。完全に無視するか、逆に居直って徹底批判でもした方が味方は増えるかもしれない。
だが、それは出来ない。
以前、私は松井章圭と、芦原英幸を巡って論戦になった事がある。芦原を否定的に捉える松井の主張には「正論」と言える部分が多々あった。だが「生きた芦原英幸」を知る私からすれば、それは大山倍達譲りの偏見と感じるところも少なくなかった。
議論好きな2人である。互いに主張を譲らない。しかし私たちは以心伝心で「無益な議論はいい加減止めようよ…」と確認し合い、私が「とにかく感情的に好きなんだからしょうがないでしょ!」と言うと、予定調和的な笑顔を浮かべながら松井は、「感情的に! と言うなら議論にならないですね」と終止符を打った。
私と松井のやり取りがひとつの好例だが、今の私が芦原英幸を語る事は、ある意味でタブーに近いのかもしれない。それでも私は敢えて書きたい。
2010年が私にとって人生最大の天王山になると思うからこそ、生涯の恩人であり、かつ最強最後の空手家、否、格技家であると信じる芦原英幸について書いておきたいのだ。


芦原英幸は堅苦しい儀礼や挨拶、礼儀…つまり虚礼を最も嫌った。空手を「武道」という範疇でくくる事も嫌ったし、ましてや「精神を涵養する」とか「空手は教育」云々の講釈を完全に否定していた。「精神だ! 教育だ!」なんて最初に旗を掲げたり「武道! 武道!」と騒ぐ行為に一種の軽さや胡散臭さを感じていたのかもしれない。

「武道とは生涯続けられるものではなく、生涯をかけて目指すべき道である」

これは大山倍達の言葉だが、きっと芦原にも同様の思いがあったに違いない。ただ芦原はそのようには表現しなかった。内心では「武道だ精神を涵養するなんてアピールしてる暇があれば強くなろうと努力せい! ケンカの道具にも役に立たんチャイルドゲームなんかやりおってからに…何が空手じゃ!?」と嘲笑していたのは確実だ。
私は、そんな芦原英幸の影響と根っからのひねくれ者からか「虚礼」が大嫌いである。空手や柔道の道場が「神聖」な場所だと思った事もない。単なる練習場ではないか。
形だけの虚礼ではなく、一般人の一般常識として最低限の礼儀をわきまえればいいというのが私の主義である。自分が汗を流した場所は後の人の為に綺麗に拭いたり掃除をする。それは私のような自宅リビングでもグアム・ハイアットのtrainningーgymでも同じ事だ。私や倅の汗にまみれた床やマットは拭いて乾かし、整理する…。


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samurai_mugen at 19:42|Permalinkclip!駄文 

2010.01.04

せめて束の間の休息を!!(修正版)

早いもので新年を迎えてはや4日。もっとも私には正月も大晦日も全然関係ないのですが、世間様が勝手にそんな慣習を決めてしまったのでやはり無視する訳にもいきません。

年末から年始にかけてグアムに行ってきました。
バカンスではありません。
倅と「親子稽古」のキャンプ(合宿)が目的でした。毎日、ハイアットのトレーニングジムとプール、時にはビーチで空手とサバキ柔術の練習に明け暮れました。

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倅は減量中ですが、熱帯の異様な陽射しの下でのトレーニングは極めて厳しく、だから練習以外は腹一杯に食べてひたすら寝ていました。
今となればキャンプとは言いながらも苦しくも楽しいトレーニングの10日間でした。

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帰国したらドッと疲れが出て、2人で発熱…まる2日間、死んだように寝込みました。
そして今日。
何とか熱も下がり気味で、疲れも取れてきたかと思えば…今度は、今年1年の仕事やprivateにおけるtroubleを考え出し、またも眠れない日々が始まりました。

仕事なんてしたくないのです!!
何も苦労して会社経営などしたくないのです!!
身を削りながら本など書きたくないのです!
privateで煩わされたくなどないのです!
倅の空手も、あんな大変な思いなどさせたくないのです!!
私だって、半世紀も生きてきたのに今更サバキだ柔術だ空手だなんてやりたくないのです!
しかし、夢現舎のstaffや某会の「兄弟」など大切なfamilyだけは守りたい。
倅には人間として強く強くなって欲しい。
何より銭を稼がなくてはならないのです!!

倅は勿論、会社のstaffや某会幹部ならばご存知のようにKojimaは常に「最悪」を意識して生きてきました。かつて、ある友人が私に言いました。
「オマエな、どう足掻いても結果は同じなのだから、せめて成功する事だけ考えて生きるのが楽しいじゃん」
私は訊きました。
「それで、もし失敗したり負けたり上手くいかなかったらどうする?」
少し考えて彼は答えました。
「そん時は、まさか!? って驚いて気持ちはドン底に堕ちるけど…。そんなのは何日か経てばまた忘れて次の事を考えて夢を見ればいい。成功すればいいなあ!! 勝てればいいなあ!! ってなるから結果的にはオマエみたいに毎日最悪を考えてるより健康的じゃんか」
そんな生き方もあるのか!? つくづく幸せな性格だなあ…。
私は感心したものです。
しかし仮に山で遭難し、どうしようという時、無事に帰れると楽観視していて、突然熊に襲われたり雪崩れに遭ったらどうする!?
彼は「そん時は終わりだと諦めればいいだけよ」と一笑に付しました。
私は熊に襲われたくないし雪崩れに遭いたくないのです。

「風林火山」の如く、ケースバイケースで、辛い時には「山」のように動揺せず動かない。何とかしようと思えば「林」のように静かに情報収集に専念し、「風」のように速く手を打ったり布石を敷いたり根回ししたり…。
それで初めて「火」のように勇敢に攻撃出来ると私は信じています。
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samurai_mugen at 07:11|Permalinkclip!駄文 

2009.12.15

【告知】「大山倍達の遺言」の為に情報&意見をお寄せ!(加筆版)/新極真会支部長の「砂袋」に告ぐ!

現在、「大山倍達の遺言」の執筆が佳境を迎えています。
そこで新極真会に所属または元会員だった方にお願いがあります。
新極真会は当方が最終的に「取材申請」を顧問弁護士を代理人として内容証明郵便にて送りましたが一切の返答はありません。
しかし協議会派=新極真会から離脱した殆どの支部長及び指導員からの重要な証言は取材させて頂きました(例外は三和純と増田章。しかし彼らの道場関係者からの証言は得ています)。
また現在、新極真会支部長の任にある数名からも極秘で協力を頂いております。一時、取材可となった時期には事務局長の小井泰三氏や柳渡聖人氏からも極めて重要な情報を提供して頂きました。
更には新極真会所属の道場生や少年部の父兄からも情報が寄せられています(批判だけでなく擁護や意見など様々です)。幹部や支部長以外の方々からの証言に関しては全て名前を明かさず匿名にて本書に活かさせて頂いております。

本書が「組織分裂」という複雑で人間関係の醜さが堆積する澱を丁寧に明らかにするのが目的である以上、1人でも多くの声が聞ければ、と考えております。特に名もない道場生や保護者の声は極めて重要なものと認識しております。

まずは新極真会(協議会派)という「組織分裂」の当事者からの徹底した取材拒否があるが故に、新極真会関係者の声を第1に求めました。
しかし、新極真会に限らず、連合、独立系、更には極真館や極真会館に関する情報や意見も歓迎です。
私たちが制作する「大山倍達の遺言」は著者の主張・意見を前面に論じる評論ではなく、あくまでもReportage、documentaryとして善悪の判断は読者に任せる手法を採っております。
決して批判だけではなく、逆に擁護的な声や意見も聞きたいと思います。名前を伏せる事は約束します。どうか、「組織分裂」の真実を歴史に残す為にも賛否にかかわらず末端の道場生、保護者の声を1人でも多く聞かせて下さい。
情報や意見の提供者には些少ながら記念品を贈呈致します。


連絡は以下の電話に限らせて頂きます。mailでは微妙な部分が伝わらない懸念があります。

08010277457
電源が切ってある場合、また雑事で出られない場合もあります。その場合はこちらから掛け直すか、諦めずにトライして下さい。
非通知、公衆電話からは伝わりません。当然、イタズラ電話には相応の対処を致します。あくまで紳士的な会話を望みます。

追伸
現在か元かは判りませんが、新極真会海外支部長の「砂袋」さん。散々、私に情報協力しておきながら、会議のtroubleの原因を私の責任にして雲隠れとは、あまりに筋が通ってませんね。私は過去の協力に感謝はするものの、結局私を悪者にして逃げる行為は卑怯極まりないと思っています。私の弁明より某支部長の言葉を信じた…まさに偏見以外の何物でもないでしょう。
必ず私に連絡下さい。
誠意ある姿勢がない場合、「大山倍達の遺言」では実名を明かしての証言(基本的に本書では実名が原則ですが)とさせて頂きます。
あしからず!




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2009.12.12

不幸なる失敗作「小説ー拳王」(PHP/97年発売)に再起のチャンスを!

某月某日

最近、疲れがたまっているのか…規則正しい生活が完全に破壊しているからか、いい年して倅の稽古に付き合っているからか、睡眠障害も行くとこまで行ってしまったような感じです。
陽が昇るまでPCに向かい、寝ようとしても仕事の興奮が収まらず、もう睡眠導入剤など効きもせず、気が付くと会社の始業時間です。こうなるとMorningーmeetingの結果報告が待ち遠しく、寝るどころじゃなくなります。
11時半頃に会社から報告のmailが届きます。すると決まって会社に電話し、幾つかの確認や指示をだしたり…。気になる事があればpartnerと電話で打ち合わせ。アッという間に1時間。1時間で終わればいい方で、長引けば3時間など珍しい事ではありません。
これで一段落。
あくまでtroubleがない場合に限りますが…。
時間はとっくに午後になり、14時前後。食欲もなく、しかし何か軽くでも胃に収めないと! 家政婦さんがいる時は何かしら用意してくれるものの、独りの時には昨夜の余ったご飯をレンジで温め、フリカケでブランチ!?
寝なきゃ!!
しかし眠れない。
ところが陽が暮れる頃になって突然の睡魔に襲われます。だいたい倅に起こされると既に深夜0時。「親子稽古」の日は21時前後なので約1時間は意識朦朧状態。
だから夜は眠くて…。でも仕事しなきゃならない!!
まるで30年前の大学受験生に戻った気持ちです。実際、私は仕事を「しょうがないから勉強するか…」などと言い間違える事など日常茶飯事です。
こうして、やっと孤独な闘いに私は毎日挑むのです。


ところが昨夜は、「親子稽古」のない日でもあり、夕方というか19時頃に寝てしまいました。猫のミルを抱きながら…。
深夜0時。倅に起こされて、半分寝ながら何か食べ、半分寝ながら風呂に入り、再びベッドに崩れ落ちるように爆睡!! しかし悲しいかな習慣で、明け方5時に目覚めてしまいました。
再び、仕事しなきゃ!!
猛烈な強迫観念に襲われました。
とにかく睡魔から逃れなくては!! その為にマズい煙草を数本吸い、フッと思い出して本棚から拙書「小説ー拳王」を引っ張り出してページを繰り始めました。
私は自分の書いた本を改めて読む習慣はありません。理由は沢山あります。要は自分の下手な作品を読むに耐えられないのです。しかし、この時「小説ー拳王」を手にしたのには理由がありました。倅のBlogにこの本が触れられていたからです。
「小説ー拳王」がPHP研究所から発売になったのが1997年の夏でした。予定では1年早い96年の発売でした。初めて書く小説に、私は想定外の苦労を強いられ、結局脱稿が遅れに遅れてしまいました。
本来、PHP研究所が新書判のノベルスへの参入第1弾となる5冊の中に組み込まれていました。ところがノベルス参入が失敗に終わり、最終発売に回されてしまったのが、この作品の不幸でした。大した宣伝もされず、シリーズ最終判という不名誉な形になってしまいました。
それでも担当編集者の方は極めて協力的で、名もない無名作家であるにも拘わらず一生懸命に販売部と折衝をしてくれ、初版12000部という破格の数字を提示して下さいました。普通、ノベルスでも新人クラスでは初版6000部から7000部がいいところです(出版不況の現在は更に減っているようですが)。今でも担当の加納氏には感謝しています。

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2009.12.08

【完全修正版】親愛なる友へ!! 「大山倍達の遺言」について… Part2

物書きは因果な商売である。原稿書きが死ぬ程苦しい癖に、もう体力の限界値を越えている! 精神的飽和状態を迎えていると解りながら、何故か何でもいいから文章を書いて「クールダウン」を図ろうとする。それは、中毒と言ってもいいのかもしれない。
原稿執筆に疲れ果て、気が狂いそうな状態から「脱出」する為にものを書く…。実に不可解なのだが、現実だから仕方がない。
以下の文章も前日掲載した内容と大きくダブる。当然だ。今の私は寝ても覚めても「大山倍達の遺言」の事しか頭にないのだから。というより面倒な他の事は、この際一切考えない事に決めている。
某会の総会稽古も目の前に迫っている。勿論、某会は私にとってかけがえのない「兄弟」たちとの交流の場だ。極真会館の空手を基本に、芦原英幸「直伝」のサバキ、特に裏サバキと、その原点となった大日本武徳会系柔術の技術によって体型立てられている青水流は何があっても残していきたい。
だから極真会館を中心に極真系格技の黒帯、猛者連中が危険極まりない稽古に自ら身を投じてくれているのだ。
青水流に関して私の「夢」は、極真会館館長である我が悪友にして兄弟の松井章圭氏に筋を通し、極真会館と良好な関係のもとでの道場設立だ。
しかし、今の私にはそれどころでない。某会の今後の活動や展開については、取り敢えず最高師範、次席師範、更には幹部たちの合議に委ねておこうとお願いしている。
…まだ仕事の途中ではあるが、明日は極真会館の某重鎮の師範との会合、食事会を控えている。仕事は早めに切り上げ、既にクールダウンの態勢に入りつつ。このコラムを書いている。
繰り返すが、内容は昨日のコラムと重複する。我が友に送る書簡の形で書いた文章を再構成させたものである。
その点をご理解頂きたい。



俺、マジでヤバいかも…。
眠れないのだ。
睡眠導入剤を何個飲んでも1時間で目が覚めてしまう。
頭の中にはいつも原稿がモヤモヤ渦巻いている。
考える事が山ほどあって、腹立つ事も腐るほどあって、オマケに減量中だから食べたいものが好きに食べられず、かなりの欲求不満が蓄積している。
だいたい今日は何月だ!?
何曜日だ?
今は何時なんだ!?
「大山倍達正伝」を書いていた頃から俺は一切季節感、時間の感覚さえ喪失してしまった。倅は「まだあの仕事のリハビリが終わってないのに色んな事があり過ぎたからだ」と言う。
かといって、この半年。俺は殆ど生産的な仕事をしていない。ろくに文章も書いてないのだ。
今になって何かの呪縛から解き放たれたようにPCに向かい出したのだ。まるで強迫観念に襲われるように仕事仕事仕事、原稿原稿原稿…。
原稿書かないと!!

怠惰の罪。
partnerの苦労を理解せずに過ごしてきた罪。
大切な事柄をpartner任せにし、後回しにしてきた罪。
驕り!?
これらのツケが一度に押し寄せてきたのだろう。
終わらない!!
どうあがいても約400枚。第6章は終わらない。オリジナルは200枚弱だったか!? 構成骨格は申し分ない。さすがに俺のpartnerだ。



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samurai_mugen at 07:08|Permalinkclip!駄文 

2009.12.07

【完全修正版】親愛なる友へ!! 「大山倍達の遺言」について…

某月某日

夜空に浮かぶ星に打ち明けよう
この世を去っていく人々の愛情を
ある時は憎しみで意識して遠避ける
狂い始めている歯車にかじりつき

家族を乗り越えたけれど
家族を乗り越えたけれど
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い

希望を打ち荒ぶ風に打ち明けよう
これから消えていく情熱の行く先を
裏切りが見えた時、恋人は泣き叫ぶ
初めての嘘の後、絶望と結ばれる

人生に躓いた夜
人生に躓いた夜
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い

世界中濡らす雨に打ち明けよう
真実が時に不真面目と寝る事を
人間が走り争いが起こる
美しい夢は唇で渇れ果てる
現実と立ち向かっても
現実と立ち向かっても
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い

時に追われている自分に打ち明けよう
正直の真似をして、これ以上生きられぬ
この命ただ1度、この心ただ1つ
俺を許してくれ
俺を許してくれ

人間と呼ばれてるけど
人間と呼ばれてるけど
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い
心が痛い
心が辛い

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吉田拓郎、作詞作曲の「俺を許してくれ」という歌です。
先日、また大切な人間を失いました。理由はともかくアイツは私を憎んで去っていったのでしょう。
神様に授けられた縁で私のfamilyに入った人間が、例え相手に罪がありtroubleがあったにせよ、何故こうも簡単に離れていくのか!?
監督不行き届きなんてものではなく、きっと全て私の責任に違いありません。
私は人間嫌いです。
私の快活さや微笑みは、自分が気付かないところでマヤカシだと見破られていたのかもしれません。
私は偽善者を憎み、偽悪者を好み、また自身も偽悪者と信じてきました。しかし本当の私は偽悪者ではなく単なる「悪人」に過ぎないのかもしれません。

私は人間嫌いです。
他人に心を開かないのが私の本性です。だからこそ、私は「family」や「兄弟」を信じたいと願ってきました。
幼少時代から孤独の辛さを身に滲みて体験してきたから、私は人嫌いになり自分の殻に閉じ籠るようになりました。外見だけは陽気に振る舞いながら…。
確かに矛盾しています。
しかし、そんな私だからこそ、心の奥底では孤独を畏れ信じるものを渇望してきたのかもしれません。
堪らないほど寂しいです。
眠れないほど悔しいです。

仕事も空手も、人生には壁が付き物です。例え遠回りをしても苦労して前に進むしかないのです。精一杯努力する。努力する事も才能ですが、これも踏ん張り這い上がる事で身に付く能力なのです。
何故、簡単に人生との闘いを放棄してしまうのか!?
辛い時、苦しい時には必ず手を差し伸べると言ってきたにも拘わらず、理由にならない理由を作り、逃げる大義名分を無理に主張して離れていく。
人生は苦しく辛いものです。しかしその苦難に真っ向勝負するしか道は拓けないのです。

しかし…、そんな能書きばかり繰り返す私がウザったいのかもしれません。世の中には貧乏でも家庭的問題を抱えても、リストラに怯える毎日を送っていても、現状に満足している人も多いのでしょう。だから次第に私を疎ましくなり、いつしか「味方」が「敵」となり私から離れていくのです。
過去、私のもとから去った皆さんに!
私を許して下さい。
全て私の未熟さ故に招いた結果なのです。
私を許して下さい。

冒頭で紹介した吉田拓郎の歌は、まさに今の私の為のメッセージだと自戒を込めて…。


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2009.11.17

【ファイト!!】力なき正義は無能なり=ブログのメインテーマ・コラム

ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ

暗い水の流れに打たれながら魚たち昇ってゆく
光っているのは傷ついて剥がれかけた鱗が揺れるから
いっそ水の流れに身を任せ流れ落ちてしまえば楽なのにね
痩せこけてそんなに痩せこけて魚たち昇ってゆく
勝つか負けるかそれは分からない
それでもとにかく闘いの出場通知を抱きしめてアイツは海になりました

ファイト! 闘う君の唄を闘わない奴らが笑うだろう
ファイト! 冷たい水のなかを震えながら昇ってゆけ

あの魚たちの群れキラキラと海のなかの国境を越えていく
諦めという名の鎖を身を捩って解いていく…



中島みゆきと吉田拓郎の合作、「ファイト!」という唄の歌詞である。
この唄を聴いて私は幾度、涙を流したか分からない。実際の歌詞はもっと長い。悔しい、辛い、悲しい少年や少女の思いが、それぞれのシチュエーションで綴られている。私も歌詞に出てくる彼らのなかの1人だった…。
悔しいから反抗した。
辛いから泣いた。
悲しいから闘った。
「闘う」ということがどういう意味か? 私は自らの体験から学んだのだ。本来なら、そんなもの学ぶ必要はない。学びたくもないことだ。しかし、生き抜くためには闘うしかなかった。
そんな私を過去、多くの人間たちが嘲笑ってきた。
「ヤクザの息子が、チョーセンに何が出来るよ! 悔しかったら一人前に学校出て人並み以上に稼いでみな。どうせチンピラになるのがせいぜいだよ」
「チビが、かかってこいよ、チビの癖に生意気に! 柔道だろうがプロレスだろうがやってこいよ。いつでもフクロにしてやるわ」
「口だけ達者でとうとう逃げ出した。アイツはそうやっていつも調子いいこといって都合が悪くなると逃げ出すんだよ」
「ペンは暴力にもなる。けどオマエのペンなんか簡単に折ってやる。ペンでさえ握れないようにしてやるよ。生意気いうのは100年早いんだよ」


いまでも私を嘲笑うヤツらは絶えない。
だが、昔と違っているのは、誰も直接私の前で笑わないし、愚弄もしないということだ。笑うヤツらはいつも姿を隠し、必死になって見えないところから引きつったように笑うだけである。
そういうのを世間では「負け犬の遠吠え」と呼ぶ。
私は逃げも隠れもしない。
東京豊島区池袋の夢現舎が私の本陣だ。私を笑いたければ、悪口叩きたいならば、ケンカを売りたいならば夢現舎にくればいい。


「ファイト!」は真実を歌っている。
闘う人間の姿を、闘えない弱虫が笑うのだ。心のなかは歪んだ劣等感に溢れている。捻れたプライドにしがみつくことしか出来ない人間が自身の惨めさを隠そうと無我夢中に、闘う人間を笑うのだ。それも想像を絶するほど陰湿に、そして陰険に…。
しかし、闘う人間にとってはそんなもの痛くも痒くもない。なにせ負け犬の遠吠えだ。逆に、負け犬は闘う者から嘲笑を浴びることを知っているから、自らの卑屈さを知っているから尚更ヤツらはムキになって闘う者を笑う。
私は差別と偏見と蔑視の視線を大人たちから浴びながら今日まで闘い続けてきた。それだけは胸を張って断言出来る。


不良、少年犯罪者というレッテルを貼られた私は、T県トップの進学校に進み早稲田大学に入った。誰か悔しかったら早稲田大学に入ってみたらええ! 死ぬ気で受験勉強してみいや。ただのう、三瓶啓二や東孝が通った「夜学」は早稲田とはいわんよ。夜学は早稲田の盲腸じゃけえ、近々廃学が決定しとるんよ、念のため。
柔道も中途半端、極真空手は末席の末席のまた片隅を汚しただけの男に過ぎません。でも、私を弱者呼ばわりしてバカにするならば、とりあえず極真会館(松井派か極真館)の黒帯を取ってから吠えろや! いつでも待ってますけえ。
編集者だ、物書きといってもまだまだ出版界では「ハキダメのような格闘技界の業界人」(ちなみに私は俗に呼ばれる「格闘技界」と「格技・武道界」は別物と捉えています)としか見なされていない半端者です。物書きとしてさえ認められていない未熟者です。
けど、そんな私を笑うならば1冊でもいいから本を出版してからいえや。それも山田英司や家高康彦のように初版2000部なんちゅうのはメディア、マスコミとはいわんけえ。それはミニコミというんじゃ。小島は1回の増刷だけでもそれ以上を刷りますけん。
夢現舎、夢現舎といってもちっちゃなカスのような会社です。スタッフもせいぜい10人程度に過ぎません。デカい会社が本気になって潰そうと思えば簡単に跡形もなく消えてしまいそうな編集制作会社です。でも、誰もそれは出来ません。私たちは絶対に「筋」だけは通します。道理を無視して筋を違える相手には刺し違えても引きません。



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2009.11.01

沖縄で出会ったミュージシャン<ういずあす>。いつか必ず!!

本当に心が癒される歌・音楽はそう多くはない。

9月初旬、例年より短い10日間ではあるが、私と倅は恒例の沖縄滞在に赴いた。宿泊するホテルはこの約10年間、2つに決めている。
前半の1週間(例年2週間の滞在なので)は今若者たちのメッカとなっている北谷・美浜と那覇市の中間地点(宜野湾)にあるANAラグナガーデン。後半1週間が那覇市の高台にあるナハテラスである。
蛇足だが、ナハテラスの周辺は最近まで閑散としていた。だがモノレール(ゆいレール)が開通し、最寄り駅近くにDFギャラリアがオープンすると俄に街は活気づき、最近では美浜辺りよりも華やかな巨大エンターテインメント地域に変貌しつつある。反比例するように、かつては沖縄No.1の観光地だった国際通りは寂しいくらいに閑古鳥が鳴いている。

話を戻す。
最初の滞在先、ラグナガーデンの広いプールで泳いだり、デッキチェアーにもたれて午睡を貪っていると、プール脇のステージから音楽が流れてきた。
ステージでは毎日午後7時になると観光客相手のショーが催される。エンジニアが機材の調整をしていたのだ。
ショーでは大道芸やマジックショーも行われるが、やはりメインは沖縄在住のセミプロミュージシャンによる沖縄民謡のミニリサイタルだ。とはいえ私たちは1度もショーを観た事がない。しかし部屋で寛いでいると自然と音楽が窓越しに流れてくる。それをボーッと聴くのが好きだった。

私は何故か三味線の音が好きである。江戸風小唄を伴奏する三味線も粋だが、激しいリズムを刻む津軽三味線は本気で学ぼうと思ったくらいに大好きだ。そして独特の旋律で乾いた音を響かせる三線と指笛を吹きながら唄う沖縄民謡には不思議な魅力を感じてきた。
ホテルのショーは観ないが、沖縄では一流の民謡トリオ<ネーネーズ>のリサイタルには何度足を運んだか分からない。<ネーネーズ>は本土でも活動しているので知っている人も少なくないだろう。
現在の<ネーネーズ>は所謂「2代目」で、約10年前に襲名し平均年齢もグッと若くなった。唄は上手いし3人とも絶世の美女である。彼女らとは色んな曲折を経て「友だち」になった。とはいえ、生来ウブな私は今でも彼女らの眼を見て話せない…。

またもや話が脇道に逸れた。
繰り返すが、ラグナガーデンのプールに漬かりながら私たちが戯れている前で、音楽エンジニアが夜のショーに向けた音響設備のチェックを行っていたのである。途中、その日のゲストミュージシャンの伴奏用カラオケと歌入りのカラオケを交互に流していたというわけである。
実に優しい楽曲だった。
沖縄民謡のリズムや三線がベースになりながらも洋楽のエッセンスが絶妙な形で溶け込んでいる…。ボーカリストは女性だが、沖縄民謡の節回しを駆使しながらも完全なポップスになっていた。

1990年代以降、沖縄出身のミュージシャンや俳優、アイドルの活躍は目覚ましい。個人的には好きではないが安室奈美恵やSPEED辺りが牽引車になったのかもしれない。
沖縄アクターズスクールは今や観光スポットにさえなっているほどである。蛇足だが、私は沖縄出身の女性が好きだ。仲間由紀恵も国仲涼子もいいが、新垣結衣は…もう完璧過ぎてゴメンナサイ! である。

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(東洋1広いと言われるラグナガーデンのプール)

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