兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。
ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、
愛によって互いに仕えなさい。
(ガラテヤ5章13節)
私が2ちゃんねるに裏切られ、嫌いになり始めた時に、ふと2ちゃんねるに反対しているところがあるかどうか検索したら、はじめにこのサイトにたどりついた。
http://anti2ch.blog61.fc2.com/
「ひとりの親」さん
しかしこの人は、弱者氏によればY氏によって粛清(?)されたそうだ。ひろゆきとY氏は仲が悪いと言われてきたが、これも情報操作でありビジネス面では仲がいいそうだ。
私は目を疑った。山本氏は1984のオブライエンなのか?
AICO氏、ひとりの親氏は、本当に仕事が忙しいのだろうか…。もしかして彼に、口封じをされてしまったのか…。
http://anti2ch.blog61.fc2.com/
「ひとりの親」さん
しかしこの人は、弱者氏によればY氏によって粛清(?)されたそうだ。ひろゆきとY氏は仲が悪いと言われてきたが、これも情報操作でありビジネス面では仲がいいそうだ。
私は目を疑った。山本氏は1984のオブライエンなのか?
オブライエン
真理省党内局に所属する高級官僚。他の党員と違い、やや異色の雰囲気を持つ。ウィンストンの夢にたびたび現れる。後にウィンストンに接近し、秘密結社『兄弟同盟』の一員であると名乗る。だがそれはウィンストンを陥れるための嘘であり、本当は党に対し絶対的に服従している。人心掌握の術に長ける。
AICO氏、ひとりの親氏は、本当に仕事が忙しいのだろうか…。もしかして彼に、口封じをされてしまったのか…。
■「うつ百万人」陰に新薬?販売高と患者数比例
(読売新聞 - 01月06日 03:03)
うつ病患者が100万人を超え、この10年間で2・4倍に急増している。不況などの影響はもちろんだが、新規抗うつ薬の登場との関係を指摘する声も強い。安易な診断や処方を見直す動きも出つつある。
東京の大手事務機器メーカーでは、約1万2000人いる従業員中、心の病による年間の休職者が70人(0・6%)を超える。2か月以上の長期休職者も30人を超えた。多くがうつ病との診断で、10年前までは年間数人だったのが、2000年を境に急増した。
この会社の産業医は、「『うつ病は無理に励まさず、休ませるのが良い』との啓発キャンペーンの影響が大きい」と話す。うつ病への対処としては正しいが、「以前なら上司や同僚が励まして復職させたタイプにも、何も言えなくなった。性格的な問題で適応できない場合でも、うつ病と診断されてしまう」と、嘆く。
国の調査では、うつ病など気分障害の患者は、2000年代に入り急激に増えており、一概に不況だけの影響とは言えそうにない。
患者急増との関係が指摘されているのが、新規抗うつ薬「SSRI」だ。年間販売高が170億円台だった抗うつ薬市場は、1999年にSSRIが登場してから急伸。2007年には900億円を超えた。
パナソニック健康保険組合予防医療部の冨高辰一郎部長(精神科医)によると、欧米でも、この薬が発売された80年代後半から90年代初めにかけ、患者の増加がみられた。
冨高部長は「SSRIが発売されたのに伴い、製薬企業による医師向けの講演会やインターネット、テレビCMなどのうつ病啓発キャンペーンが盛んになった。精神科受診の抵抗感が減った一方、一時的な気分の落ち込みまで、『病気ではないか』と思う人が増えた」と話す。
田島治・杏林大教授が、学生にテレビCMを見せた研究では、見なかった学生の倍の6割が「気分の落ち込みが続いたら積極的な治療が必要」と答え、CMの影響をうかがわせた。
◆安易な投薬…薬なしで回復の例も◆
うつ病は一般的に、きまじめで責任感が強い人が陥りやすいとされる。自殺に結びつくこともあり、早期発見・治療は自殺対策の柱のひとつにもなっている。
ところが近年は、「自分より他人を責める」「職場以外では元気」など、様々なタイプもうつ病に含まれるようになった。検査数値で測れる身体疾患と違い、うつ病の診断は難しい。このため、「抑うつ気分」などの症状が一定数以上あれば要件を満たす診断基準が普及した。「なぜそうなったか」は問われず、性格や日常的な悩みによる落ち込みでも診断され、かえって混乱を招いた面がある。
田島教授が行った精神科診療所の医師に対する調査では、約8割の医師が、うつ病の診断が広がり過ぎていることに懸念を示した。
安易な投薬を懸念する声もある。抗うつ薬は、うつ病治療の柱とされているが、宮岡等・北里大教授は「薬なしでも自然に回復するうつ病も多い」と話す。
海外では、軽症には薬物療法ではなく、カウンセリングや運動などを最初に勧める治療指針も多い。渡辺衡一郎・慶応大専任講師は「日本でも、まず抗うつ薬ありきという認識を見直す時期に来た」と話す。(医療情報部 高橋圭史、佐藤光展)
確かに私も通院している立場だが、あまり薬は投与したことはない。薬があれば確かにぐっすり寝られるのだが、最近は寝付けない時に飲むだけだ。
鬱病で大切なのはゆっくり休むことではなかろうか。いくら精神論や根性論で直そうとしても逆効果なのである。むしろ、そういう精神論や根性論で、稼ごうとしている者がいるから達が悪い。
鬱が100万人もいるということは、ますますストレス社会が起こしたツケなのである。まずこのストレス社会にはメスを入れず、みんなどうして鬱をたたくのだろうか?それが彼らのストレス発散なのか?
鬱は甘えとか平気でそんなことぬかすバカ達がいるが、その理由は「偽鬱で鬱を装っている人達が多い」からだという。
しかし、鬱は甘えとか偽鬱が多いとか、よくこんなことを平気で言えるものだ。
そういうやつは決まって精神論とか、戦前の日本がいいとかぬかす人たちが多いということだ。
あいつらはもっともらしい理由をつけて、自分よりも立場の弱い鬱病の人たちを叩いて自分を癒しているだけなのである。
まぁ、2ちゃんねらーの煽り屋には、それを糧として鬱病患者をたたき、挙句の果てには犯行予告を誘導させてアクセス数を稼ぎ出そうとしている奴らもいますからね…。
それに、mixiで鬱病を嫌う人のコミュニティには必ずと言っていいほど2ちゃんねるのコミュニティに入っていることが目立つ。2ちゃんねるといえば、鬱病患者のための板(と見せかけて、実は鬱病患者を煽り第二のネオ麦茶を生産させるための板)もあるくらいだ。それに私は何度もお世話になった時もあったが。
http://2chcrisis.seesaa.net/article/133649275.html
まぁ、鬱病は薬を飲むよりかは、ゆっくり休ませてあげたほうがいいのかもしれない。それを粛清だの死をもって償えだの、G4作戦だのどこぞのナチスに憧れているのかは知らんが、そういうことをいう奴はそれこそナチスの時代にでも逝ってくれ。
G4作戦があった時のな。竹原市長も一緒にナチスへつれてけ。
小さい子どもを叩くしつけも必要? 米調査で「良い子に育つ割合が高い」
子どもをしつける上で、時に必要とされる“愛のムチ”。家庭内でも学校でも、昨今はあまり子どもに手を上げる行動は社会的に認められにくく、そうした環境の中でいかに子どもを正しい道に導いていくか、子育てや教育の方法に頭を悩ます大人は少なくない。そうした中、米国の心理学者が「最後に叩かれたのはいくつのときだったか」という調査を実施。現在の環境と比べ、「叩かれる」ことと成長の関連性を調べる研究を行った。
この研究を行ったのは、ミシガン州にあるカルヴィンカレッジのマージョリー・グノエ教授。英紙タイムズによると、グノエ教授は179人の10代を含む2.600人に質問を行い、特に10代の人には「どのくらい叩かれた経験があるか」など、具体的な聞き取りも実施した。また、対象者には性格的傾向や進学度合いに関する質問も行い、「叩かれたことによる、その後の行動に与えた影響」があるかを調べた。
その結果、全体の4分の1は「全く叩かれた経験がない」ことが判明。そして、全く叩かれたことがない人は、叩かれた経験のある人に比べ「あらゆるポイントで、ほかのグループより悪い結果になった」そうだ。具体的には「反社会的行動や早めの性交渉、暴力やうつ」など、何らかの精神的な問題を抱えやすい傾向が見られたという。
最も良い結果になったのは「2歳から6歳までに叩かれた人」で、次いで「7歳から11歳までに叩かれた人」。ここでの違いは、7歳から11歳までの経験者の方が「よりケンカをしやすい」傾向があったものの、叩かれた経験のない人よりは「進学では成功している」そうだ。
また、英紙デイリー・メールでは、叩かれた経験のある人は「将来設計や生活力、大学での向上心やボランティア作業など、多くの能力に信頼が見られた」と伝えている。ただ、「12歳を過ぎても叩かれた人だけ、否定的な影響を受けると分かった」ともあり、子どもが大きくなってから手を出す場合は、充分な注意も必要らしい。
グノエ教授はタイムズ紙に「私も叩くのは物騒だと思う。しつけのためとしてすぐ子どもを叩くべきではないが、大きな間違いをした場合には必要になるときもある」と、時には子どもに手をあげる必要性があると主張している。
大人が子どもを叩くことを、一概に善し悪しの二元論で決めつけるのは難しいが、今回の調査・研究結果が正しいと仮定するならば、後々の子どものことを考えれば、時には手をあげることも必要なのかもしれない。
それは違う。違う!
強く言うが、それしか言えない。
たたかれるということは子供にとって屈辱。トラウマになりうる可能性だってある。現に自分がそうだ。体罰でトラウマになったのだ。「たとえ平手にしろ殴られるということは子供にとって大変な恐怖である。同時にこれ以上の屈辱はない。」
まぁ、それにより反骨精神が鍛えられるというのなら別だが。
この記事に対しても「?」の疑問ばかりである。本当に体罰を受けてそこまで優秀な生徒になれるというのか?その生徒がいかに優秀だとしても、その生徒は幸せだっただろうか?
これじゃあますます体罰肯定派が図に乗るだけだよ。「殴られもせずに一人前になったやつが、どこにいるものか!」と、暴力を否定するヤツラが釣られたワケだが。
そういえば、右翼政治団体「新風」が体罰の必要性を訴え、六本木でシンポジウムを開いたそうだ。しかし、聞くところによれば、体罰うんぬんよりも教育を右寄りの帝国主義教育にすることが目立ち、どうもイデオロギー的なにおいが漂う。
この記事も、どうもそんなイデオロギーに似たようなものを感じる。
もし、体罰が合法化されたとしよう。もし、合法化されたら、体罰死であっても、↓のような相手にも恐怖を与えるかもしれない。
↑北朝鮮のように、「いかに惨めか愚かか、我々を裏切ったものはこういった運命に会う」と開き直るのか?
北朝鮮は公開処刑を「一をたたいて数百の人民を教育し、覚醒させる上でもっとも素晴らしい遵法教養だ」といっていたが。
「ママがさくたろうにしたのと、同じ目にあわせてやる!!」
…体罰ばかりさせると、そういう子に成長させるのでご注意を。
遅くなりましたけど、一応正月期間中にいろいろと更新したいところがありましたので。
まぁ2010年が始まってしまったわけで、私としてはとにかく忙しすぎたなぁというのが個人的な感想です。
まぁ2010年が始まってしまったわけで、私としてはとにかく忙しすぎたなぁというのが個人的な感想です。
<ブログ市長>「刈り取り作業を」と発言 障害者問題念頭に
ブログでの障害者への差別的記述が問題化している鹿児島県阿久根市の竹原信一市長(50)は、21日に福岡市であった講演会で「活力ある社会を作るというのは、命の定義に踏み込まなければいけない。刈り取る作業をしなければ全体が失われる」などと語った。障害者問題を念頭に置いた発言とみられ、改めて波紋を広げそうだ。
講演会は福岡市の経営情報誌主催で、企業経営者ら約30人が出席。「刈り取り発言」は、「NICU(新生児集中治療室)」のドキュメンタリー番組の内容に触れた後に飛び出した。社会づくりを「木」にたとえて「枝が腐ってきたら、切り落とさないといけない」とも語り、差別的記述問題については謝罪する意思がないことを改めて強調した。
この日は、ウクレレを弾きながら市職員や議会を攻撃する替え歌も披露。反対派市議については「市長降ろし考える 次の選挙は忘れてる」、市職員については「定期昇給考える 退職手当考える」と皮肉り、自身については「裁判対策考える あ~やんなっちゃった」と結んだ。
講演後の会見では、報道陣から「刈り取り」発言などについての真意を尋ねる質問も出たが、竹原市長は「答えない」などと拒否した。【三木陽介】
久しぶりに怒りのマグマが込み上げてきた。軽度発達障害の十字架を背負っている自分と妹に対して、この発言に怒り心頭である。自分の利益しか考えない日本を象徴する発言だ。
昔から日本は障害者には冷たい。心の病に対してもそうだ。「ニセ鬱が不正行為をしているから鬱全体が甘えだ」とほざき、鬱病にかかっているor苦しんでいる人を罵倒するのが当たり前になってしまっている(というよりは、これは2ちゃんねらーなどの煽り屋によって作られた工作だと思われるのだが。)。
以前別のブログで「生きることが不幸で死ぬことが逆に幸せならば、死ぬという選択肢も悪くない」と語ったある人の言葉から、私は「人が幸せになれる権利は誰だってある」と結んだが、労働する幸せを持つ傷害者も中に入るはずだ。うちの妹の仲間も、きっとそうに違いない(妹はあまりそうでもなさそうなのだが、わかんない)。鬱病でも必死で働こうとしている人も少なくはない。
仕事は遊びなんかではない。それはやや同情するが、自分の利益しか考えないほど苦しいのであれば、それは間違いである。橋下知事みたいに福祉が社会のお荷物というのであれば、もう日本は社会主義に戻るしかないのだ。
で、反論するものを偽善者だ偽善者だという人に対しては、「じゃあお前たちはいったいどんな教育を受けてきたんだ」と鼻で笑ってやりたいよ。
人間生まれながらにして障害を持つ人だっているが、「生まれつきだから仕方ない」と片付けてしまうんだろうか?そんな人たちに対して、楼座(うみねこ)のように「生まれる前から大嫌いだったのよ!」と言えるだろうか?
竹原!お前のやっていることはスターリンと同じだ!!
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