2010年1月9日0時1分
わが国には財政政策に対して過大な期待がある。つまり、財政支出を増やせば、それだけ景気支援になる、との思い込みが強い。現政権も例外でない。
その背景にはケインズ政策に対する過信というよりも、基本的な誤解がありそうだ。これを放置すれば、近々日本は禁治産国家ともなりかねない。
政府という主体にはそもそもお金はない。地面からわき出るお金を国民に分け与えるなら、ありがたく頂くのだが、現実は国民からお金を徴収して、それをあたかも政府のお金であるかのように、農家や子育て世帯に配り、地方の道路建設にばらまいているにすぎない。なかには国民の意向を無視した「無駄遣い」も少なくない。
この種の需要を政府が追加しても、次なる生産や所得につながらないから、税収によって借金を返すことができない。だらだらと財政支出を続けても、もはや呼び水にはならない。その反省もなく、30年もこれを続けてきたために、世界でも異例の借金国に成り下がった。
もはや時間の猶予はない。今こそ財政に代わる呼び水が必要だ。例えば、巨大な官僚シンクタンクを総動員して、需要創出につながる知恵を出す。エコや農業、観光などで知恵が新商品やサービスに結びつき、供給が新たな需要を生み出す余地は少なくない。政府に知恵がなければ、民間の知恵を活用してもよい。
日本は豊かさの上に胡座(あぐら)をかいて、政府も企業もハングリー精神を失った。その上財政で使えるお金もない。そうであれば、年末に政府が提示した「新成長戦略」をただ批判するだけでなく、官民が知恵を結集してこれに肉付けをし、より具体的なビジョンに昇華させたらどうか。(千)
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「経済気象台」は、第一線で活躍している経済人、学者など社外筆者の執筆によるものです。