常軌を逸した相手の本音を見抜く技術
一見つじつまが合わない選択の裏に隠された動機があるかもしれない
どう考えても自己に不利益な選択をする理解不能な相手を前にしたとき、その相手を「不合理な人間」と決め付けるのは簡単だ。
文=ディーパク・マルホトラ 翻訳・ディプロマット
(2)相手に見えない制約がある
2005年にホワイトハウスが、深刻な食糧不足に苦しむ国々への食糧援助の量を拡大する計画を発表した。意外なことに、この計画に反対したグループの1つは、困窮している国々への食糧援助の拡大を活動目的とするNPOの連合体だった。この一見、不合理で自滅的とも見える行動は、どう説明すればよいのか。
これらのNPOは、対外食糧援助を拡大するために、アメリカの農家と連携して政府に対外援助を増やすよう圧力をかけてきた。対外食糧援助が拡大されれば、アメリカ政府はアメリカの農家からより多くの食糧を買うことになる。だが今回は、ホワイトハウスは財政赤字の拡大をはばかって、政府が食糧をより安価に調達できる場合にかぎり、対外食糧援助を拡大できると判断した。それはつまり、政府はアメリカの農家からではなく途上国から食糧を買わなければならないということを意味する。
NPOにとっては一石二鳥(食糧援助の拡大と途上国の貧しい農家に対する支援の拡大)だったはずのこの提案は、逆に難しい選択を迫るものとなった。この案を支持したら、長年の連携パートナーであるアメリカの農家との関係が弱まるか、場合によっては断ち切られることになる。このジレンマのために、NPOはこの新しい対外援助計画に結局は反対したのである。
多くの交渉で同じ力学が作用する。マネジャーが競合他社のオファーに対抗できるだけの給与を出すことを拒否して花形社員を失う場合、それは必ずしもそのマネジャーが不合理だということではない。マネジャーは、一部の社員に他の社員より大幅に高い給与を与えてはならないとする人事政策に縛られているかもしれないのだ。
交渉で相手側の代表者が賢明に見える譲歩さえも行おうとしないとき、あなたはその人物の合理的思考力を疑うだろうか。それとも、価値を最大にする包括的な取引を取り決める権限をその人物がどれだけ与えられているのか見きわめようとするだろうか。有能なネゴシエーターは、相手を不合理な人間と切って捨てるのではなく、これらの制約を探り出して、相手がそれを乗り越える手助けをしようとする。相手側の代表が厳しい制約を受けている場合には、あなたはより大きな交渉権限を持つ人物と交渉したいと要求することもできる。
(3)心理的・感情的ニーズが存在する
数年前、ある会社の経営幹部が相談して、重役秘書の1人をサプライズ昇進させることにした。ドリスというこの重役秘書は勤続30年、定年まであと2、3年残すのみだった。経営陣は彼女の永年勤続を称え、褒賞を与えたいと思ったが、予算的な余裕はなかった。昇進は彼らの感謝の気持ちを伝えるすばらしい方法だと思われた。ドリスの職責は変わらないが、新しい肩書は彼女により高い地位と権威を与えることになるからだ。
経営陣がドリスに昇進を告げると、彼女は喜び、感謝した。給与が上がらないとわかっていても。しかし、それは最初のうちだけだった。同じような肩書の人々の中では自分が最も給与の低い社員であることに気づいたとき、彼女は大きな不満を感じるようになった。彼女は昇給を要求したが、拒否された。
数週間足らずのうちに、ドリスはこのような低待遇しか受けられないのならと、辞職を決意した。そうすることで彼女は、定年までの2、3年を棒に振っただけでなく、退職給付の減額という不利益も被った。辞めるという決断の結果、彼女は要求した昇給額の何倍もの額を失ったのだ。彼女を喜ばせようとした幹部たちは「ドリスはなぜあのような不合理な行動をとったのか」と、当惑を隠せなかった。
この事例では、重要なのは金銭と地位だけではないということを経営陣は十分認識していなかった。ドリスの公正さや公平さの感覚も重要な役割を果たしたのだ。好意で与えられた新しい肩書によって、ドリスは、自分は不当に低く評価されていると感じるようになったのだ。
社会心理学者はかなり以前から、人間は自分自身の客観的な結果を評価するだけでなく、「自分と類似した他者」との社会的比較も行うことを理解している。ドリスの新しい肩書を考えると、彼女の新しい「自分と類似した他者」は、彼女より高給をもらっていた。その結果生じた不公平感、屈辱感は、ドリスにその肩書を捨てて大きな金銭的賭けをさせるに十分だったのだ。
相手を不合理な人間とすぐに決めつけるネゴシエーターは、大きな代償を払う危険をおかしている。相手を不合理とみなしたら、選択肢は限られてしまう。相手は不合理なのではなく単に情報が不足しているか、制約を受けているか、意外な心理的ニーズに従って行動している可能性もある、ということを認識すれば、より多くの選択肢を持つことができる。そして、選択肢が多いほど、効果的に交渉を進めることができるのだ。
ディーパク・マルホトラ
武田薬品、富士通、資生堂……。経営者の知られざる素顔を描く。
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