キーパーソン図鑑
2010年 1月 06日

徳川家康:権謀術数の限りを尽くした“老獪な策士”

戦国時代の人物学―土壇場、修羅場を乗り越える力(6)

才能というものは、持っているだけでは意味がない。発揮してこその才能であり、それはストックではなくフローなのだ。

なぜセオリーでは西武を打ち取れないか

 5月6日の西武戦、チームリーダーとして期待する高須(洋介)が守備の最中に中堅手の鉄平と交錯して大怪我(全治2カ月の左足関節内外側靱帯損傷)をした。このアクシデントは起こるべくして起きたと思う。彼はチャンスで打ってベンチに帰ってきてもムスッとしているタイプ。私は冗談で「無言会」の会長と呼んでいる。あの怪我も高須がもう少し声を出していれば防げたはず。

今の若い選手にはすべて同じことがいえる。自己主張するなり、喜怒哀楽を表すことはコミュニケーションを図るうえで不可欠。今のままでは人望も集められないし、将来の指導者ないし解説者なりの道につながっていかない。今回の件で高須が、声を出してチームを引っ張っていくという意識に目覚めてくれたらうれしいのだが……。

 徳川家康は人材の育成について同様のことを強調している。18世紀初頭に編纂された『武野燭談』で、家康は「用来の用」という言葉を残している。突出した能力があり、中心となるべき人間が組織には必要である、と。これは野村監督が力を入れて話す「エースと四番」、そして「チームリーダー」に置き換えることができる。

現在のプロ野球で、チームとして最も完成しているのは西武だ。

選手の個々が自立していて抜け目のない野球をする。誰が教えているのか知りたいくらいだ。特に中島(裕之)という選手は非常に素晴らしいバッターだ。こちらの考えていることを分析して、配球を読んでくる。アウトコース以外にないカウントで、狙い打ちをされ、ライトに流し打ちされる。そこで次の打席、裏をかくつもりでインコースへ投げると、それをまた狙われてバーンとレフトに打ち返される。戦う相手としてこれぐらい嫌な選手はいない。

楽天のキャッチャー嶋(基宏)は、西武の野球に翻弄され、完全にカモにされている。テレビで、私が嶋を叱っているところが出ていたのは、このことだった。

嶋は、おとなしくまとまってしまう優等生タイプ。血液型はA型かもしれない(笑)。配球の組み立てが、あまりにセオリー通りで「失敗しても言い訳できること」を前提にしてしまう。困ったらすぐに「アウトコース低め」を要求する。あえて長打を打たれる危険のあるインコースを要求して自分の責任となるより、アウトコースで無難にしのごうとするのだ。臨機応変に対応する姿勢が欠けているから、西武にいいようにやられる。

ヤクルト時代の古田敦也(現・解説者)はB型(笑)。無鉄砲にインコースの球をどんどん要求していた。叱りつけることも多かったけど、人間怒られたほうが成長する。結果、いい選手になった。

そうはいっても最近の嶋はだんだん成長してきているようだ。私が嶋にいつもいうのは、ヘボなピッチャーで相手を抑えてこそキャッチャーというのは評価されるということ。「オレが何とかしなくちゃ」という強い意志を持たなくてはいけない。岩隈で打者を抑えてもキャッチャーの評価にはならないからつまらないだろう、と。

※すべて雑誌掲載当時

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プロフィール

松山 幸二

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